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リバイバルは拒絶を癒すR. L.ハイマーズJr.神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて REVIVAL CURES REJECTION by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。”(ヨハネの手紙第一第4章18節、新改訳) |
ある有名な心理学者が、288の恐怖を挙げた本を書きました、人々が人生で体験する288の恐怖です! 六つの最も一般的な恐怖は、拒絶される事の恐怖、死への恐怖、老年期への恐怖、貧困への恐怖、病いへの恐怖、そして非難される事の恐怖などです。 そうして、その心理学者は、「拒絶される事の恐怖が、その中でも最も大きな恐怖である。 拒絶される事の恐怖は、死に対する恐怖を上回る」と言いました。 考えて見て下さい! 人々は拒絶される事よりもむしろ死を選ぶのです!
クリストファー・ケイガン先生は、おそらく誰よりも私の事を知っているでしょう。 彼は、「ハイマーズ先生は一般的な家庭には育たなかった。 もし彼が一般的な家庭で育っていたなら、彼はもっと交際好きで、社交的であったであろう。 しかし、幾度もの引っ越しや拒絶は、彼をもっと内向的―内省的な人に仕向けたであろう。 彼は素晴らしく説教をされるので、あなた方は、先生が内向的な人であるとは考えつかないであろう。 しかし、内面、彼は繊細で、自分の弱点をわきまえていられる」と言いました。 正にその通りです。 私は、陽気な人達の中にいて、彼らとの交わりを楽しむ事が出来ますが、突如として心的な状態が変わると、実存的不安と孤独な心痛、拒絶と落ち込みを感じます。 私が拒絶を感じない唯一の時は、自分一人の時、もしくは神の御臨在を感じる時です。
教会で、家庭にいるときと同じ、真に心が休まった時は、リバイバルの起こった時―神が正に真実となり、拒絶と孤独な思いが締め出された時でした。
ですから若者達が教会に来る時、私は彼らの気持ちが良く理解できます。 私達は彼らを受け入れ、愛を提供します。 しかし、彼らが何度か来た後で、私達は彼らが「完全に加わった」ものと考え、彼らは心配ないと見なします。 間もなく彼らは、教会に来る以前のように、私達から疎外され、拒絶されたように感じます。 受け入れられた事を意識する事無く、来続ける人のみが教会に留まります。 私が留まったように彼らも留まります。 私が拒絶されたように感じても、私は教会に留まりました、なぜなら、私には行き所が他に無かったからです。 私は孤立していました、しかし、教会には多くの人達がいました。 ですから私は、心痛と拒絶をも感じましたが、受け入れられたように振る舞いました。 日曜日の晩、家に戻った時には、私は拒絶感で打ちのめされそうになりました。 家に帰る時には、ポピュラーな歌の歌詞『アローン・アゲイン(Alone again, naturally)』が私の思いに流れました。
教会の若者は受け入れや愛を求めています、しかし、彼らは、冷淡で拒絶をそこで見出します。 教会を去って行くほとんどの若者達が、そのように感じています、なぜなら、教会は約束したものを与える事が出来なかったからです。 私達は歌います、
教会に来て食卓に着き、
親交のために集まりなさい
食事を共にする、
それは中々のおもてなし。
彼らは私達の歌を聞き冷笑します。 彼らは、教会に対して侮辱的な態度を示します。 彼らは皮肉な微笑を浮かべます、なぜなら、彼らは私達が「快い分かち合い」について偽っている事を感じているからです。 私達が「食事を共にする時、快い分かち合い」を彼らは感じません。 彼らは、「この人達は『快い分かち合い』について口にするけれど、彼らはそれを感じていない。 ハイマーズ先生もそれを感じていない」と思い、そうして彼らは俗世間へと戻って行くのです。 彼らは、俗世間が教会と変わらない事を感じるので、俗世間へと戻って行きます。 少なくとも俗世間は「快い分かち合い」について偽りません。 少なくとも俗世間では、自分を受け入れてくれる友人を見出すでしょう。 教会では決して見出す事の無い物を。 教会で見出すものは全て偽善と冷たさ、そして拒絶です。
教会内のクリスチャンの愛から私達を遠ざけているものは何なのでしょうか? 真のクリスチャンの愛を私達から奪うものは、恐れです。 彼らは自分についてどう思っているのだろうか? 自分についてどう言っているのだろうか? 彼らが真の自分を知ったとしたら? 彼らが私の思い、もしくは私の感情を真に知ったとしたら? 彼らは私を拒絶するだろう―当然そうするだろう! ですから、拒絶される事の恐れが何よりもの恐れなのです―死への恐れ以上に恐れ大きなものなのです! 病に対する恐れ以上に! この世の他のどの恐れにも増して!
詩人のロバート・フロストは、それを完璧に表現しました。 彼の詩は、『啓示“Revelation”』と呼ばれています。
揶揄と軽視の、軽薄なことばの後ろに
我々は、我々自身を置く
しかし何と、撹拌な思いか
いつか誰かが、真に、我々にそれを見い出すときまで
ならば、この哀れみは、
(だから我々は)終わりには、
友の理解を奮い興さんがために、
文字通りを、我々は話す。
しかし、全てがそうであるように、
赤子のときから、神に遠く身を隠すとき、
うまく隠蔽する、全てのやからよ、
あなた方がどこにいるかを、我々に話し、聞かせよ。(直訳)
(『啓示』“Revelation” by Robert Frost, 1874-1963).
そこで私達の今晩のテキストへと入ります。
“愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。”(ヨハネ第一4:18)
どのように私達は、拒絶される事の恐怖を乗り越える事が出来るでしょうか? 全き愛によってです! しかし、私達はどのように「全き愛」を得る事が出来るのでしょうか? 「私はあなたを愛しています! 私はあなたを愛しています!」と口にする事によってではありません。 ヨハネの手紙第一第3章18節、“子どもたちよ。 私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか”に注目して下さい。 ではどのように? それは容易ではありません。 私達は拒絶されるかもしれません!!! しかし私達が真から、そして本当にリバイバルを願い求めるならば、私達はそれをしなければなりません。 私達は、自分達をそうするように強いて仕向けなければなりません。「友の理解を奮い興さんがために、文字通りを、我々は話す」。 「うまく[自分自身を]隠蔽する、全てのやからよ、あなた方がどこにいるかを、我々に話し、聞かせよ」。 私達が真からリバイバルを願い求めるならば、それが私達に無ければならない啓示です。 ヨハネの手紙第一の第1章9節と10節私が読みますので、起立して下さい。
“もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯していないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。”(ヨハネ第一1:9, 10)
着席して下さい。 私達の罪を言い表す事が、リバイバルへのキーです。 もし神に対して罪を犯しているなら、自分達の罪を神に、涙を持って告白する事で十分です。 言葉だけではなく、涙を持って、中国でクリスチャンがしているように、彼らが全ての真のリバイバルで成しているように。 ブライアン・エドワードは、正に、「罪の自覚による涙無くしての、リバイバルなどというものはあり得ない」(Revival, p. 115)と言いました。 また彼は、「深い、不快な、そして屈辱的な罪の自覚の無いリバイバルはあり得ない」(p. 116)。 「深い罪の自覚を必要とする理由は、人々が罪悪感を感じ、それを嫌悪する事である」(p. 122)。 罪の自覚は、リバイバルへの鍵です! もし私達に、神に対する罪があるなら、私達は、神に涙を持って告白する事が出来ます、そうして神は、“すべての悪から私たちをきよめてくださる”でしょう。 『神よ。私を探り』を歌って下さい。
神よ。私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、
私をとこしえの道に導いてください。
(詩篇 139:23, 24)
着席して下さい。 私達は完璧なリバイバルを体験した事はありません、なぜなら私達は常に、「揶揄と軽視の、軽薄なことばの後ろに、我々は、我々自身を置く」からです。
そうして二番目に、私達は更に深く探らなければなりません。 ヤコブの手紙第5章16節を開いて下さい。 では私がそれを読みます、起立して下さい。
“ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。”(ヤコブ5:16)
着席して下さい。 マチュー・ヘンリーは、
ここでの罪の告白は、クリスチャンの互いへのものである…罪を言い表す事は 不和の中にいる我々が、祈りによって、互いが罪の赦しを、そして罪に対する力を得るよう、互いに助け合う、すなわち、我々の和解のために必要である。互いに罪の告白をする者は、互いに祈るべきである。
アプライド・ニュー・テスタメント・コメンタリー(Applied New Testament Commentary)は、ヤコブの手紙第5章16節に関してこのような見解を挙げています、
真の交わりを持つという事は、自らの罪を互いに言い表すという事である。我々がそれを成す時、我々は霊的な癒しを得るであろう。我々は互いに隠しあってはならない。
全てのクリスチャンは、他の人に対して過ちを犯しています。 なぜなら、私達の生まれ持った自己中心さにより、私達の互いの愛は徐々に後退して行きます。 教会内のある人は、あなたに対して、もしくはあなたについて不親切な言葉を口にします。 時にはあなたを無視する様にも感じます。 ある人は、あなたの主への奉仕の真価を認めませんでした。 ある人は、あなたに対して腹立たしいふるまいをしました。 ある人は、あなたの感情を傷つけました。 私達は、互いに自分達の過失を隠してはなりません。 神の御臨在が下る事は、非常に尊い事です。 私達の不正や苦情を留める事は、私達が互いに愛し合う事を止まらせます。 「しばしば、この罪の自覚は公然に、そして公衆での告白に導きます・・・不和な関係が正され、・・・栄光と喜びに先立って罪の自覚がある、そして、それは神の民から始まる。 そこには涙と敬虔な悲しみがある。 誤りが正され、人の目からかけ離れた隠れ事が取り出され、そして不和な関係が公然と癒される。 もし我々にそうする事の準備が為されていないならば、我々はリバイバルのために祈らない方が良かろう。 リバイバルは、教会の楽しみのためでは無く、清めのためである。 今日、教会は不敬虔である、なぜならクリスチャンが罪を自覚せず[涙を持って互いに言い表さないからである]」(Edwards, Revival, pp. 119, 120)。 私達が涙を持って自らの罪を互いに言い表すまで、心から喜ぶ事は出来ません。 それは何度も中国で起こっています。 私達の教会ではどうでしょうか? 私達は過ちを言い表すにはあまりにもプライドを持ちすぎています。 私達は他の人達が自分に対してどう思うかと恐れているのです。 悪魔はそのような恐れを用いて、私達を止めさせています。 悪魔は、他の人達の目を恐れるさせる事でリバイバルの喜びを私達から遠ざける事が出来ると知っているのです。 悪魔は私達に恐怖を抱かせる事が、私達の教会を弱く、そして不利な状態に留める事を知っています。 周りの人達の思いを恐れる事は、罪を言い表す事と私達の魂を癒す事を留めさせます。 イザヤは、“あなたは、何者なのか。 死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。・・・あなたを造った主を、あなたは忘れ、・・・」(イザヤ51:12, 13)と言いました。 聖書は、“人を恐れるとわなにかかる”(箴言29:25)と言っています。 起立して、箴言第28章13節を読んで下さい。 では、それを声を上げて読んで下さい!
“自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。”(箴言28:13)
『神よ。私を探り』を歌いなさい。
神よ。私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、
私をとこしえの道に導いてください。
(詩篇 139:23, 24)
『生ける神の御霊(“Spirit of the Living God”)』! それを歌って下さい!
我らは祈る、生ける神の御霊よ、降りて来られよ。
我らは祈る、生ける神の御霊よ、降りて来られよ。
我を溶かし、我を型にはめ、我を砕き、我を曲げよ
我らは祈る、生ける神の御霊よ、降りて来られよ。(直訳)
(“Spirit of the Living God” by Daniel Iverson, 1899-1977;
altered by the Pastor).
着席して下さい。
キリストは、“悲しむ者は幸いです”と言われました。 それは、自分達の罪を言い表し、それに対して嘆くという事を表しています。 リバイバルを求める人にとって、罪は大きな難問です。 リバイバルは、常にこの世が理解しない心中の罪について考えさせます。 リバイバルは、私達の心中の罪を明らかにします。 エバン・ロバーツが彼の会衆にリバイバルの準備をするよう励ましていた時、彼らが準備されるまで聖霊は降りられないだろうと語りました。 彼は、「我々は悪い感情を取り除かなければならない」と言いました―全ての嫌悪、全ての不同意、全ての怒り。 もしあなた方がある人を赦す事が出来ないと思うなら、ひざまずき、そして寛大な心を持つよう祈りなさい―進んで他の人の所へ行き、赦しを求めなさい―その時にのみ、あなた方は快い神の御臨在を感じるでしょう。 清らかなクリスチャンのみが、神の愛と聖なる御臨在を感じるでしょう。 リバイバルの喜びは、自分達の罪を認め、涙を持って言い表すまで、不敬虔な私達のような教会には起こり得ません。 その時のみに、私達は神の御臨在の喜びを得るでしょう。 姉妹が『我がビジョンを全て満たし給え(Fill All My Vision)』を奏でる間に、日曜日の晩の集会での罪の告白のために祈って下さい。 日曜日に何の罪を言い表さなければならないかを、あなた方、そして他の人達に聖霊が示して下さるよう祈って下さい。 二人もしくは三人で組んで、日曜日の罪の告白のために懸命に祈って下さい。 では、起立して、ソングシートの17番、『我がビジョンを全て満たし給え』を歌って下さい
主よ、我がビジョンを全て満たし給え
今日、イエスのみを我は見ん
渓の谷間に、我は導かれしが
汝の褪せぬ栄光は、我を誘い導く
聖なる救い主よ、我がビジョンを全て満たし給え
汝の栄光と共に、我が霊が輝くまで
我がビジョンを全て満たし給え
我が内に反映せる汝の聖なる形影を、全ての者は見ん
主よ、我がビジョンを全て満たし給え
渇望の内、汝の栄光のゆえに、
汝の完璧なる業をもって、汝の聖なる愛は
天からの光でもって、我が路に流れ注ぐ
聖なる救い主よ、我がビジョンを全て満たし給え
汝の栄光と共に、我が霊が輝くまで
我がビジョンを全て満たし給え
我が内に反映せる汝の聖なる形影を、全ての者は見ん
主よ、我がビジョンを全て満たし給え、
罪の邪悪を、輝く明晰の陰に
汝の祝福されし御顔をだけを我は見ん
汝の永遠(とわ)の恵みに、我が魂は頼む
聖なる救い主よ、我がビジョンを全て満たし給え
汝の栄光と共に、我が霊が輝くまで
我がビジョンを全て満たし給え
我が内に反映せる汝の聖なる形影を、全ての者は見ん (直訳)
(“Fill All My Vision” by Avis Burgeson Christiansen, 1895-1985).
では、ソングシートの第18番、『それを手渡したくなる“I Want To Pass It On”』を歌って下さい。
火を起こすには、スパークするだけ
すぐに周りの人達は、その暖さに抱擁される
神の愛も同様、それを一度体験すれば
神の愛を全ての人に広め、あなたはそれを手渡したくなる
早春は何とすばらしいとき、全ての木々は出芽し
鳥々はさえずり始め、花々は咲き始める
神の愛も同様、それを一度体験すれば
早春の新鮮な歌声は高らかに響き、あなたはそれを手渡したくなる
私が見つけたことが、友よ、あなたにも起こることを願う
どこに束縛されようが、主に寄り頼むことが出来るのです
山の頂きより、それを高らかに叫び、世の全ての人達に知れるように
キリストの愛が私に訪れたように、私はそれを手渡したくなる (直訳)
(“Pass It On” by Kurt Kaiser, 1969; altered by the Pastor).
ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。そうでなければ、ハイマーズ博士はあなたの電子メールに答えられません。 もしあなたがこれらの説教で祝福されるのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。送られる時は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。 ハイマーズ博士の電子メールの住所はここをクリックしてくださいrlhymersjr@sbcglobal.net。 どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。また、郵便で送りたい方は、P.O. Box 15308, Los Ángeles, CA 90015に送って下さい。 ハイマーズ博士の自宅電話番号は(818)352-0452です。
(説教終了)
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ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“Revive Us Again” (by William P. Mackay, 1839-1885).