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祈りと祈祷会についての
神学博士リン先生の教え

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2016年5月29日、主の日の晩の説教

DR. LIN’S TEACHINGS ON PRAYER
AND PRAYER MEETINGS
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Evening, May 29, 2016

“しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか”(ルカによる福音書第18章8節、新改訳)。

ほとんどの解説者は正確にこの聖句に対応していません。 例を挙げれば、ある有名な解説者は、「地上に於ける全般的な状態のひとつは、不信仰であろう」と言っています。 しかし、この聖句でイエスが告げられたのは、そういう事ではありません。 彼は、ここで終わりの日の一般的な背教について告げているのではなく、またイエスが再臨される時に、真のクリスチャンがいるかどうかを問われているのでもありません。 むしろ、イエスはその逆の事をペテロに告げられたのです、

“わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません”(マタイ16:18)。

起立して『冠と王座は滅び(Crowns and Thrones May Perish)』を歌って下さい! それはソング・シートの四番目です。

冠と王座は滅び、王国は興り、そして衰える
   しかし、イエスの教会は普遍に続く
地獄の門は決して教会に勝つ事あらず
   キリストの御約束ありて、それは破られる事無く
進め、キリストの兵士達よ、戦いの如く進み行く
 先立てり、イエスの十字架をもって  (直訳)
(“Onward, Christian Soldiers” by Sabine Baring-Gould, 1834-1924).

着席して下さい。

マタイの福音書第16章18節は、後の背教がどんなにか困難で恐ろしくとも、キリストが再臨される時には、救いの信仰を持つ多くのクリスチャンがいることを示しています。 得に、今日見られる真のリバイバルが起こっている中国やその他の後進国の国々では、多くの真のクリスチャンが雲の上に一挙に引き上げられるでしょう。

“主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります”(テサロニケ第一4:16-17)。

大患難の時にも、大勢の群集が救われるでしょう。

“だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群集が” (黙示録7:9)。

彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです” (黙示録7:14)。

ですからイエスは、再臨の際に、救いの信仰の欠如について告げていたのではありません。 主はこのように言われました、

“しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか”(ルカ18:8)。

長い間に渡る私の信愛する牧師先生、ティモシー・リン神学博士(Dr. Timothy Lin, 1911-2009)は、聖書を非常に理解されていました。 先生はへブライ語と同語言語の博士号を取得されました。 1950年代には、ボブ・ジョーンズ・ユニバーシティの大学院で体系的神学、聖書神学、旧約聖書のへブライ語、アラム語、古典アラブ語、そしてシリア語ペシタ訳の聖書を教えました。 後に彼は、ジェイムズ・ハドソン・テイラー三世の後を引き継いで、チャイナ・エバンジェリカル神学校の学長を務めました。

リン先生は、このテキストの正しい解釈をされています、

“しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか”(ルカ18:8)。

I. 最初に、忍耐強い祈りの重要さ。

リン先生は、アメリカの幾つかの神学校で教え、また台湾のチャイナ・エバンジェリカル神学校の学長をも務めた偉大な聖書学者でした。 彼はまた、ニュー・アメリカン・スタンダード・バイブル(NASB)の旧約聖書の翻訳者の一員でもありました。 私は、リン先生が私の知る限りの最も効果的な影響を受けた牧師であった事を、疑いなく口にする事ができます。 私が彼の教会の一員であった時に、神ご自身がリバイバルを送られたのを目にし、何百人もの人々が救われ、そしてその教会に加わりました。 リン先生はこのように語られました、

“信仰”という言葉は、聖書の中で幅広く使用されている。その正確な意味は、その前後関係を慎重に検討した上で定義する事が出来る。我々はいつでも祈るべきであり、失望してはならない[ルカ18:1-8a]と示しているこの聖句の前のテキストは、比喩であり、[ルカ18:9-14]に続くテキストは、パリサイ人と取税人の祈りの比喩である。従ってこのテキスト[ルカ18:8]の前後関係で、ここでの“信仰”は祈りの信仰を意図していることを明らかに示している。それゆえ我々の主の御言葉は、御自身の教会が、再臨の直前に祈りの信仰を失うであろうという悲嘆の句である(Timothy Lin, Ph.D., The Secret of Church Growth, First Chinese Baptist Church of Los Angeles, 1992, pp. 94-95)。

リン先生は、ルカの福音書第18章1-18節の比喩の要点は、クリスチャンは失望せずに祈るべきである、と言いました。 第8節は、現在私達が生きている終わりの日に、クリスチャンは、忍耐強い信仰を持たなくてはならない、という事を示しているのです。 ですから私達は、このようにこのテキストをコメントする事が出来ます、

“人の子が来たとき、はたして地上に[忍耐強い祈りの]信仰が見られるでしょうか”(ルカ18:1, 8)。

リン先生は、更にこう続けて言いました、

今日の多くの教会の祈祷会には、実に人が来なくなり[もしくは、一つ無いし二つの形だけの祈りで、週日のバイブルスタディに代わってしまっている]。そのような哀れな境遇にぶつかりながらも、多くの教会は完全にこの重要な警告を軽視し、自己満足のままに、[しばしば] 完全に彼らの祈祷会を中止している。それは真に、主の再臨が近づいている事の[一つの]しるしである!現在、多くの[教会員達]は、彼らの主以上にテレビを崇拝している…これは真に哀れな状態である!…最後の日の教会は…祈祷会に対する極度な無関心さ[関心の欠如]を示している(Timothy Lin, Ph.D., 同著, p. 95)。

ですから、ルカの福音書第18章8節は、キリストの再臨直前の教会における、祈りの欠如のしるしを表しており、救いの信仰の完全な欠乏ではありません。 教会での祈りの欠如は、主の再臨が迫っている最後の日に、私達は生きているという一つのしるしです。

“しかし、人の子が来たとき、はたして地上に[忍耐強い祈りの]信仰が見られるでしょうか”(ルカ18:8)。

『祈る事を教え給え(Teach Me to Pray)』を歌ってください。

祈る事を教え給え、主よ、祈る事を教え給え
   それは、私の日々の心の叫びなり
我は、あなたの御心 御道を慕い給う
   祈る事を教え給え、主よ、祈る事を教え給え(直訳)
(“Teach Me to Pray” by Albert S. Reitz, 1879-1966).

II. 二番目に、祈祷会の重要さ。

そしてまたリン先生は、個人の祈りには、祈祷会での集まりの祈り程の権限あるいは力は無いと指摘しています。 彼はこのように言いました、

人々は、あなた方が個人で祈ろうが、集まって祈ろうが、あるいは家であなた方が一人で祈ろうが、教会で兄弟姉妹達と共に祈ろうが、何の変わりは無い、としばしば語る。そのような発言は、単に怠慢な自己慰め、もしくは、祈りの力に対する軽視を思わせる説明である!我々の主が、このような祈りの見解について告げていられることに注目しなさい、

“まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです”(マタイ18:19-20)。

     我々の主は、神の権力を用いる事が、個人の努力によっては決して獲得出来ず、教会全体により為される、団体の努力を通してのみに獲得出来る事を強調的に我々に言い聞かされた。
     しかしながら、終わりの日の教会は、この真の現実性を理解するが出来ない、また、神の権力を[得る]為のふさわしい手段を記憶に留めることも出来ないのである。何という損失であろうか![教会は]天からの神の権力を保持しているのである、しかしそれを管理する知識が無い、且つ教会は、悪魔の働きを狗束し、抑圧された人々を解き、そして神の存在の現実性を体験しようと願っている。ああ、それは不可能である!(Timothy Lin, Ph.D., 同著, pp. 92-93)。

そのようにリン先生は、祈りの信仰の絶対的な重要性、そして教会の祈祷会の絶対的な重要性を教えました。 起立して『祈る事を教え給え(Teach Me to Pray)』 を歌ってください。

祈る事を教え給え、主よ、祈る事を教え給え
   それは、私の日々の心の叫びなり
我は、あなたの御心 御道を慕い給う
   祈る事を教え給え、主よ、祈る事を教え給え(直訳)
(“Teach Me to Pray” by Albert S. Reitz, 1879-1966).

着席してください。

III. 三番目に、“心を合わせ”祈る事の重要性。

使徒の働き第1章14節を開いて、起立して、声を出して読んで下さい。

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた”(使徒1:14)。

“みな心を合わせ、祈りに専念していた”。 リン先生はこのように語っています、

中国語の聖書は、“心をあわせ”を“同じ心、そして同じ思いで”と訳している。従って、祈祷会が神の存在を保つには、祈る人達皆が祈りの現実さの重要性を理解するだけでなく、彼らが、みな心を合わせて、神に請願、祈り、とりなし、そして感謝をささげる事を、心の底から切望して[祈祷会に]向かわなければならない。そこで、祈祷会は成功し、その他の奉仕もまた成功・達成するであろう(Timothy Lin, Ph.D., 同著, pp. 93-94)。

“心を合わせ祈る”為には、兄弟が祈りを導く時、「アーメン」と私達は言わなければなりません。 私達が「アーメン」と言う時、私達は“心を合わせて”祈っているのです。

あなた方は、祈りに対する重要な信仰、教会の祈祷会の重要さ、統一性、“心を合わせ”祈る事の重要性について、リン先生の教えを聞きました。 しかし、今晩ここに来ている数人のあなた方は、私達の祈祷会へ出席していません。 あなた方の霊的な生活が鈍っているのも無理はありません! 今晩ここにいる人達の中に、「牧師先生、今度から少なくとも週一回の祈祷会に主席します」という人がいますか? 目を閉じて下さい。 そういう人がいるなら、手を挙げて下さい。 では、彼らが約束を守る事が出来るよう、神が助け下さいますよう、皆で祈って下さい! (すべての人達が祈る。)

もしあなた方が未だ回心していないのでしたら、私は土曜日の晩の祈祷会に出席するようあなた方に懇願します。 目を閉じて下さい。 「牧師先生、今度から私は毎週土曜日の晩の祈祷会に出席します」という人がいますか? 彼らが約束を守れるよう、皆で祈って下さい! (すべての人達が祈る。)

キリストはあなた方の罪の為に十字架で死なれました。 キリストはあなた方の罪を取り除く為に、御自分の血を流されました。 キリストは、あなた方の罪を贖う為に、とてつもない苦しみを貫かれ、十字架に付けられました。 キリストは三日目に死からよみがえりました。 キリストは神の右の座にいます。 キリストに来なさい、そうすれば、あなた方は、自分自身の罪から救われるでしょう。

今晩あなた方の中に、まだ救われてなく、回心の為に祈ってほしいと望んでいる人がいますか? 手を挙げて下さい、私達はあなた方の回心の為に祈ります。 皆さん、彼らが罪を悔い改め、キリストに来るようお祈りして下さい。 (すべての人達が祈る。) 起立をし、ソング・シートの7番目の讃美歌、『祈る事を教え給え(Teach Me to Pray)』を歌ってください!

祈る事を教え給え、主よ、祈る事を教え給え
   それは、私の日々の心の叫びなり
我は、あなたの御心 御道を慕い給う
   祈る事を教え給え、主よ、祈る事を教え給え

祈りに力を与え給え、主よ、祈りに力を与え給え
   この世の罪、悲しみ、気遣いの中で
ひとは失われ、死に面し、絶望し、
   あぁ、我に力を、祈りに力を与え給え

我が弱き意思、主よ、汝は我を新たにせん
   我が罪深き性質、汝に抑えられん
我を新たな力で満たし給え
   祈りに力を、そして祈る力を与え給え  (直訳)
(“Teach Me to Pray” by Albert S. Reitz, 1879-1966).

チャン先生、今晩、誰かが救われるますよう、私達を祈りに導いて下さい。 もしあなた方が真のクリスチャンになる事について、私達とお話したいのであれば、この集会場の後ろへ行き、ケイガン先生、ジョン・ケイガン、そしてノア・ソングに従って行って下さい。 私達が、あなた方の回心について、一緒に話をし、祈れる静かな部屋へ、彼らが案内してくれます。

ここをクリックして(CLICK HERE TO READ DR. LIN’S BIOGRAPHY ON WIKIPEDIA)ウィキペディアのリン神学博士の略歴を読んでください。

 

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(説教終了)
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ルカ18:1-8。
ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“Teach Me to Pray” (by Albert S. Reitz, 1879-1966).

要 綱

祈りと祈祷会についての
神学博士リン先生の教え

DR. LIN’S TEACHINGS ON PRAYER
AND PRAYER MEETINGS

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか”(ルカによる福音書第18章8節、新改訳)。

(マタイ16:18;テサロニケ第一4:16-17;黙示7:9, 14)

I.    最初に、忍耐強い祈りの重要さ。 ルカ18:8。

II.   二番目に、祈祷会の重要さ。 マタイ18:19-20。

III.  三番目に、“心を合わせ”祈る事の重要性。 使徒1:14。