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終わりの日における断食と祈りR. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて FASTING AND PRAYER IN THE LAST DAYS by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles |
マタイの福音書の第24章12節を、一緒に開いてください。 この聖句は私にとって五十年以上に渡り慰めとなりました。 声を上げてその聖句を読んでください。
“不法がはびこる[増す]ので、多くの人たちの愛は冷たくなります”(マタイ24:12、新改訳)。
なぜそのような聞き苦しい聖句が、私を慰めてくれるのでしょうか? なぜなら、それは明らかに終わりの日の教会の状態を示しているからです。 善良なクリスチャンは心配する事は何もありません。 それは、終わりの日に起こるであろう事をイエスが告げられました。 “不法”と訳された言葉は、“無法状態”を意味します。 “アノミア(anomia)”―それは、新約聖書の規律に対する“違反”あるいは“罪”を意味します。 すなわち、終わりの日における教会は、聖書の教えに従わない事を示しています。 その無法な状態の結果として、“多くの人たちの愛は冷たくなる”のです。 ある現代訳はそれをもっと更に強く、“ほとんどの人達の愛は冷たくなる”と書いています。 “愛”と訳された言葉は非常に重要です。 それはギリシャ語の“アガぺ(agape)”から来ています―それはクリスチャンの愛に対して独占的に使用される言葉です。 バイン(Vine)はそれを、「キリスト教の特徴を表す言葉」と呼んでいます。 また、ヘンリー・M・モリス博士(Dr. Henry M. Morris)は、終わりの日のラオディケアの教会について、このような注解を記しています。「今日、福音主義の、そして名目上聖書を信じ・・・霊的に乏しい、数多くの大規模で裕福な教会がある」(The Defender’s Study Bible; 黙示録3:17に関する注解)。 これらの福音主義派やファンダメンタル派の教会は、黙示録第3章17節で、“自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない”と示されているのです。
教会に適用する最も簡単なテストは―彼らに“アガペ”の愛があるかどうかです。 彼らは教会にいることを好んでいるでしょうか? 彼らの兄弟と姉妹達と共に交わりを持つ事を好んでいるでしょうか? 彼らのほとんどがそうではありません。 アメリカのバプテスト教会における最も悲惨な事の一つに、彼らは日曜日の晩の集会を断念したことがあります。 それは現在非常に一般的になっており、ケイガン先生は、テキサス州ダラス市で、日曜日の晩の集会のあるバプテスト教会を見つけることが出来ませんでした! ひとつぐらいはあるかも知れません、しかし彼はそれを見つけることが出来ませんでした! W・A・.クリスウェル博士(Dr. W. A. Criswell)の偉大なファースト・バプテスト教会では、現在日曜日の晩の集会が持たれていません。 ダラス市郊外のジミー・ドレイパー博士(Dr. Jimmy Draper)の偉大な教会でも、現在、日曜日の晩の集会が行われていません。 フォートワースのJ・フランク・ノリス博士(Dr. J. Frank Norris)の'偉大なファースト・バプテスト教会も、現在、日曜日の晩の集会が行われていません。 ジョン・ライス博士(Dr. John R. Rice)のダラス市郊外にある、偉大なガリレオ・バプテスト教会でも、知るところでは、日曜日の晩の集会はキャンセルされているようです。 ケイガン先生は、「バイブル・ファンダメンタリストの影響の強い南部―テキサス州ダラス市のような地域であっても、昔ながらの正当なキリスト教は、何ともまれである事に驚いた」と言いました。
最も、ファンダメンタリスト教会でさえも、このような方向性に従って います。私は最近、ファンダメンタル・バプテスト・フェロシップのある有名 な教会が、日曜日の晩の集会を断念していると聞いて驚きました。 現在彼ら は、朝の礼拝の後の軽食に引き続き、午後1時30分に聖書研究会を行っていま す。 ある一人の説教者は、「彼らは十分聖書を学んでいる」―あたかも「聖 書を学ぶ」事が教会に出席する理由であるように語りました! 過去のバプテ スト主義派は、失われた人達に福音を聞かせる為に、毎週日曜日の晩も伝道的 な集会を継続しました。 過去のバプテスト主義派は、日曜日の晩にすばらし い交わりを保持しました。 私はそれをよく覚えています。 今では、彼らが望む事は「聖書を学ぶ」事であるように思われます。 彼らが家にいてバーノン・マックギー博士(Dr. J. Vernon McGee)のラジオ番組を通して聴くなら、更に深く聖書を“学ぶ”事が出来るでしょう! しかし、マタイの福音書第24章12節は、“不法がはびこるので、多くの人たちは聖書を学ばない”とは告げていません。 そうではなく、“不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります”と告げています。 日曜日の晩の集会を断念した教会には、アガぺの交わりが実質的に欠けています。 五十年ほど前に、日曜日の晩の集会を断念した米国メソジスト主義派と米国長老派のように、数年以内にこれらのバプテスト教会も、実を結ばず、活気の無い教会へ次第に変わって行くでしょう。 その当時賢明なやり方のように思えたかも知れませんが、それは教会にひどい打撃を与えました! 長年にわたり、彼らは何百万もの教会員を失いました。 南部バプテスト協議会が、昨年25万人もの会員を失ったのも不思議ではありません! 交わりは無く、愛も無く、彼らの教会の集会へ出席する理由は無くなったのです。 そうして、ファンダメンタル・バプテスト教会にしても同様です。
アメリカが道徳的に、そして霊的に堕落してきたと同時に、それら全てが教会にも起こっています。 人々は、テレビのくだらない番組を見る為に早めに休めるようにと、バプテスト教会が晩の集会を閉じている間、悪魔と悪霊達の力はアメリカを支配しています。 神よ、お助けください! 黙示録の七つの教会は、イスラム教徒によって完全に破壊されました。 イスラム教派がアメリカに侵入し、アメリカの全てのバプテスト教会をも破壊したとしても、私は驚きません! 何がそれを止められるでしょうか? 怠慢すぎて日曜日の晩の集会に出席しないような信者達は、イスラム教派の侵入を止めることは出来ないでしょう。 不可能です!
悪魔の力はアメリカとヨーロッパの首根っこをつかんでいます。 彼らは、アメリカの教会を破壊しようとしています! これが終わりの日の人々を描写しています。
“終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい”(テモテ第二3:1-5)。
いわゆる、「クリスチャン」と名のるそれらの背教者達は、アメリカと西洋の道徳心をまさにむしばんでいます。 彼らは自分達自身を愛しています。 彼らはお金を愛しています。 彼らは反抗的で、不敬虔です。 彼らは見えるところは敬虔であって、彼らの内に神の力はありません。
では、テモテの手紙第二の第3章12, 13節に注目して下さい。
“確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです”(テモテ第二3:12, 13)。
私達は、このような人達を、この教会でキリストに得ようとしています! どのように私達は彼らを得る事ができるでしょうか! それは人間的には不可能です! 私達は懸命に彼らを教会に導こうと働いています―しかし、彼らの思いはビデオゲームや奇妙な映画などで無感覚にさせられ、私が説教している時に、最初の数回の集会では、私の顔に注目する事も出来無いのです。 彼らはぽかんとした顔で自分達の手を見下ろしています。 彼らは携帯電話が使えないので、指だけがピクピクと動いています! 彼らの思いはH・G・ウェールズ作の『タイムマシーン』に出て来るモーロックのように空白です。 彼らは、テレビの深夜番組で見ているような、ゾンビのように気力がありません!
では、ルカの福音書第4章18-19節を開いて下さい。 これが、イエス・キリストが今日の邪悪な若者達に来られた理由です。 イエスは、こう言われました、
“わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために”(ルカ4:18-19)。
イエスは、今日若者達の為にこれらの事を行う為に来られたのです。 しかしサタンの力は非常に強く、キリストの救いの恵みは、それらのほとんどの人達には理解されないのです。 私達に神の力が無くてはならないのです、そうでなければ、私達は彼らを助ける事は出来ません。 私達は多くの人達を車に詰め込み、教会へと連れて来る事は出来ます―しかしほんの数人だけがイエスの救いの恵みを体験するのです。 神が、悪魔の力以上の大いなる力を私達の教会に送られない限り、ほんの少数の人達だけしか救われないのです!
ですから、私達は断食と祈りが無くてはならないのです! 弟子達は、マルコの福音書9章の若者を助ける事が出来ませんでした。 彼は悪霊に捕り付かれていました―私達が福音を聞かせる為に教会に連れて来る多くの若者達の様に。 この若者は悪霊によってコントロールされていました。 聖書は、私達が教会に連れて来る全ての若者達、彼ら一人一人が、悪魔によってある程度盲目にされ、そしてコントロールされていると言っています。 “空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました”(エペソ2:2)。 マルコの福音書第9章の若者も悪に捕り付かれていました。 そして弟子達には彼を助けるほどの力が無かったのです。 マルコの福音書第9章28, 29節を開いて下さい。 起立してそれら二つの節を声を上げて読んでください。
“すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。イエスは、人に知られたくないと思われた” (マルコ9:28, 29)
。着席して下さい。 “この種のもの[悪霊]は、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません”。
私は、祈りだけで多くの若者達を救いに導く事は出来ないと確信します。 “この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。 “と断食”という言葉が元来のギリシャ語の写本に記されていた事を確信する事が出来ます。 悪に捕り付かれたグノーシス主義の修道僧がその言葉を取り除いたのです。 いわゆる現代版の聖書を信じる現代の教会もが、これの二つの言葉を取り除いているのです。 なぜなら、悪魔は、悪魔によって混乱した若者達を救う為の神の力を、終わりの日における教会から取り上げようとしているからです―それが原因です!
“この種のものは、祈り(そして断食)によらなければ、何によっても追い出せるものではありません” (マルコ9: 29)。
着席してください。
アーメン! ですから私達は断食と祈りをするのです! そのようにしてキリストの力を受けるのです! そのようにして失われた人々を回心へと導くのです。 そのようにして神の力と恵みの扉を開錠するのです! そのようにして悪魔と悪霊の力に打ち勝つのです!
“この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません”!!
ハレルヤ! 神は、私達が敵に打ち勝つ為に私達に剣を与えられたのです。 そしてその剣は、“祈りと断食”です。 ではイザヤ書第58章6節を開いてください。
“わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか”(イザヤ58:6)。
着席してください。 この聖句は、神が失われた罪人達にキリストの力をもたらす為に断食を選ばれたことを表示しています。 断食と祈りは、悪の絆を解き、そしてくびきのなわめをほどき―そしてしいたげられた者たちを自由の身とし―そして全ての悪魔のくびきを砕くのです! 悪魔によって盲目にされ、悪霊にしいたげられた人々に、キリストの美徳をもたらすのは、断食と祈りなのです! イエスはこのように言われました、
“わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために”(ルカ4:18-19)。
そしてキリストの美徳が、悪魔に支配された罪人達に知らされるのは、断食と祈りによるのです!
アーサー・ウォリス(Arthur Wallis)は、「神が選ばれた断食の特質は、解放の為である ことを、神はイザヤを通して示しておられる・・・それは確かに霊的な領域における適用がある。 人は金属の鎖もしくは鉄の足かせによってではなく、目に見えない悪の束縛によってつながれている。 [断食をする人達は]社会的なものではなく霊的な、更に悪魔によるしいたげに対して戦うのである。・・・洞察力のある人ならば、人生の過去に出会った、悪魔によってしいたげられ、悪霊によっていらだたされ、彼ら自身理解できない、そして彼らが砕くことのできない力によってつながれた多くの人達を識別できる」(God’s Chosen Fast, pp. 63, 64)。 断食と祈りは、悪魔の虜となった盲目の男性と女性の鎖をほどく事に益となるのです。 断食は、人々の心中の悪魔の支配を砕く為に、神によって与えられた強力な武器なのです。
断食する時、私達は神が人々の罪を深く悟らせるように祈るべきです。 人々は当然にして罪を悟りません。 全ての人間は、生まれつき自己を正当化します。 聖霊の働きが必要なのです。 聖霊が働かれる時、人々は自らの罪を嫌い、そして邪悪な習慣を断念します。 彼らは自らの邪悪な心を自覚します。 断食する時、私達は、神が罪を深く悟らせるように祈るべきです。 単に「救われる方法」を学ぼうとする人達は、彼らの邪悪で反抗的な心を真から悟らされなければなりません。 断食と祈りは、そのような自覚をもたらすように神によって用いられます。 罪の自覚無くしては、キリストの福音は彼らにとって無意味なのです。 それが、多くの“教会で育った子供達”の問題点なのです。 昨晩私は、彼らの人数を数えました。 彼らの少数人のみがキリストに従う者となりました。 その他の若者達は、自分達の罪を自覚しておらず、世俗的です。 私達は、彼らが罪を自覚するよう、彼らの心が砕かれるよう、そしてイエスの謙虚な弟子へと変わるよう、断食をして神に祈らなければなりません!
神の御霊のみが人々を悔い改めさせることができるのです。 断食と祈りは、罪を嫌悪される神の御前に、キリストの血が彼らを清める事の必要性をしばしばおろかな人々に悟らせます。 断食と祈りは、私達の間の反抗的な罪人の心のうちに、聖霊が働かれる事を祈り倒す為に、神が私達に与えられた手段なのです!
ジョン・ライス博士は、「我々がこの世の全てに背を向け、神の御顔を求める時がある。 それが断食と祈りの時である」(Prayer: Asking and Receiving, p. 216)と言いました。
救われた人々は、私達の教会にもっと聖霊が必要である事を悟らなければならないと私は思います。 私達が祈る時、聖霊の存在が必要です。 私達は、神が私達の人生で何を求めているかを知らせてくださらなければなりません。 私達は、神が牧師に何を説教すべきかを示してくださらなければなりません。 神は、私達を祈りの闘志とされなければなりません。 神が、失われた人達を引き寄せ、彼らが回心した後も、留まらせてくださらなければなりません。 神は、私達の間に久々のリバイバルをもたしてくださらなければなりません。 神が、私達を曲げ、砕き、そして私達を神の御心のままにされなければなりません。 私達はしばしばこの賛美歌を歌っています、
生ける神の御霊、下り給え、我ら祈る
生ける神の御霊、下り給え、我ら祈る
我を融解(とかし)し、型にはめ、壊し、曲げよ
生ける神の御霊、下り給え、我ら祈る (直訳)
(“Spirit of the Living God” by Daniel Iverson, 1899-1977;
altered by Dr. Hymers).
私達が断食し、そして祈る時、この短い賛美歌が私達の真の祈りとなるでしょう。 御霊に満ちたクリスチャンは、世俗的な若者達、世俗的な教会で育った若者達、そして教会外で育った世俗的な若者達の心を変えるよう、私達の間に神の御霊が下らなければならないことを知っています。 ですから、私はあなた方が断食と祈りの日として来週の土曜を―午後5時30分の祈祷会で私達が共に集まるまで、するようにお願いしています。 祈祷会の後で、軽食をいただきます。 来週の土曜日は、断食後の祈祷だけで伝道には出て行きません。 私達は多くの時間を伝道に費やしました―しかし、最近私達にはその成果が見えません。 ポール・G・クック(Paul G. Cook)は彼の著作、『Fire From Heaven』の中で、「それが聖霊の働きに伴われない限り、伝道だけでは、長期に及ぶ成果を生み出すことはできない」 (p. 108)と言いました。 初期のメソジスト派主義者達は、「教会の繁栄と彼ら自身の祝福は、神が降りて来られ、彼らを訪れる事にかかっている事を知っていた」と彼は言いました。 彼は、「これらの誠実な信者の男性達と女性達は、彼らの間にすばらしい神の働きを求めた。 彼らは神が働かれない限り、主の名によって彼らが何事を成し遂げるにも無力である」(p. 105)。 「彼らは、福音を普及させる事と教会の健康は、全く神の思いと力によることを信じていた。 そして、これは、彼らが多く、非常に熱心に祈った理由を明らかにしている」(p. 28)と言っています。
私達の教会の世俗的な若者達、教会で育った若者達、そして新たに入って来た若者達の心が変わるよう、神が力を持って私達の教会へ降りて来られる事の為に、断食し、そして祈りましょう。 あなた方が健康であるなら、来週の土曜日の午後5時30分の教会の祈祷会が終わるまで絶食して下さい。 もし断食することが健康に差し支えのある人達は、神の御霊が私達の教会へ降りて来られるように、一日中ただお祈りしてください。 断食するのに十分健康であるかどうか質問のある人は、チャン先生(医師)、もしくはジュデス・ケイガン先生(医師)に、まず問い合わせてください。 彼らが相談にのってくださるでしょう。 あなた方がコーヒーあるいはお茶を飲む習慣があるならば、頭痛を避ける為に、一杯もしくは二杯飲んでもかまいません。 それ以外は、水だけを飲むように。 もしあなた方が仕事に出て行くならば、特に、一日を通して多めに水を飲むよう心がけてください。 一時間置きぐらいに一杯の水を飲んでください。 起立してしてソングシートの賛美歌6番を歌いましょう。
みことばなる ひかりのうち
主とともにあゆまば ゆくみちすじ
てらしたまわん
よりたのむわれらに
げに主はよりたのみて
したごうものを めぐみたまわん
みかおのえみ かがやくとき
くもきりは きえゆき
うたがいなく うれいもなし
よりたのむわれらに
げに主はよりたのみて
したごうものを めぐみたまわん
さいだんにゆき みもこころも
ささぐると どうじに
よろこびをば みたしたまわん
よりたのむわれらに
げに主はよりたのみて
したごうものを めぐみたまわん
(『みことばなる』“Trust and Obey” by John H. Sammis, 1846-1919).
この説教を今晩家に持って帰り、今週毎晩休む前に読んで下さい。 このコーラスや賛美歌を休む前に歌いなさい。 土曜日にそれをまた読み、その一日を通して祈る時に、そのコーラスや賛美歌を歌いなさい。 もう一度このコーラスを歌ってください。
生ける神の御霊、下り給え、我ら祈る
生ける神の御霊、下り給え、我ら祈る
我を融解(とかし)し、型にはめ、壊し、曲げよ
生ける神の御霊、下り給え、我ら祈る
もしあなた方がまだ救われていないならば、悔い改め、そしてイエスを信頼するよう私達はお祈りします。 イエスの血が全ての罪からあなた方を清めるでしょう。 彼の死からの復活はあなた方に永遠の命を与えます。 イエスを信頼しなさい。 イエスがあなた方を罪から、そして後の裁きから救って下さいます。 アーメン。
もしあなたがこの説教で祝福を受けられたのであれば、あなたのご意見をお聞かせ下さい。ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。そうでなければ、ハイマーズ博士はあなたの電子メールに答えられません。もしあなたがこれらの説教で祝福されたのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。送られる時は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。ハイマーズ博士の電子メールの住所は ― rlhymersjr@sbcglobal.net (ここをクリック)。 (ここをクリック)。どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。また、普通郵便で送りたい方は、P.O. Box 15308, Los Ángeles, CA 90015に送って下さい。ハイマーズ博士の自宅電話番号は(818)352-0452です。
(説教終了)
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これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。
アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:マタイ17:14-21。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Come, My Soul, Thy Suit Prepare” (by John Newton, 1725-1807)。