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デマスは私を見捨てた!R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて DEMAS HAS FORSAKEN ME! by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい”。(テモテへの第二の手紙第4章10節、新改訳) |
このデマスについては、パウロによって三度新約聖書の中で語られています。 彼はピレモンへの手紙第24節で、同労者と呼ばれています。 しかし、コロサイ人への手紙第4章14節では、ただ彼の名前を挙げているだけです。 マックギー博士はそれについてこのように語っています、
パウロが最初にデマスの名前を挙げた時、彼を同労者と呼んでいる。ここ[コロサイ人への手紙第4章14節]では、彼は単に、“それにデマスが”と言われている。それはこの時点で、パウロは彼についてあまり確かではない事を示唆しているように私は考える。後にデマスは、パウロを捨てて[しまうのである]。何ともそれは悲劇である(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, volume V, p. 365; note on Colossians 4:14)。
そうして、このテキストでパウロはこう言っています、
“デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい”(テモテ第二4:10)。
“捨てる”と訳されているギリシャ語は、「誰かを悲惨な状態に置き去りにする、という狙いで完全に見捨てる」(マッカーサー・スダディー・バイブル)という意味です。
真のクリスチャンとして人生を全うするならば、このことをする人を何度も目にするでしょう。 私は、何年か前に撮った妻の誕生日の写真を見ていました。 実際にはこの写真は25年ほど前に撮られたものです。 妻は今とほぼ同じ様に見えます。 しかし、私は今、癌の治療で随分体重が増え、写真の自分は随分年をとっているように見えます。 ある一枚の写真では、妻は12人の人達と一緒に座っています。 この12人の内三人だけ―妻のイレアナ、レスリー、そしてプルードホム氏だけが、現在でも私達のこの教会に留まっています。 他の九人は私達を捨てて行きました。 それらの九人に対して、私はパウロが告げたことを言えるだけです、
“[彼ら]は今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい”(テモテ第二4:10)。
それは、その写真の中の九人の教会メンバーの一人一人についても言える事でした。 彼らは私達から離れ、今の世に戻って行ってしまいました。 それは再び起こるでしょうか? 当然起こるでしょう。 この世を愛するほぼ全ての人が、遅かれ早かれ、私達の教会を去って行くでしょう。 留まる人達は、疑いも無く現在撮られた写真を後に見て―あなた方は写真にいる人達を見て、彼らもまた“今の世を愛し”、私達を捨てていったことを知るでしょう。 神が私達にすばらしいリバイバルを送られ、多くの人達が集まったとしても、ある人達は、“今の世を愛し”、私達を見捨てるでしょう。
私はあなた方を落胆させるために語っているのではありません。 そのような事が起こる時、あなた方が驚かないように、私は語っているだけです。 それらの言葉は、私達を警告する為に、聖書を通して書かれているのです。 それは使徒パウロだけに起こることではないのです。 それはあなた方に、また私にも同じように起こるでしょう。
“デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい”(テモテ第二4:10)。
デマスに何が起こったのでしょうか? マチュー・ヘンリーの注解書は、デマスは「自分自身をからませた俗事によって、彼の奉仕から遠ざかった・・・キリストと福音は捨てられ、忘れられた。 そうして彼はこの世を愛した。 注目:この世への愛が、しばしばイエス・キリストの真実と道から背く原因である」(テモテへの手紙第二第4章10節についての記述)と書いています。
マッカーサー博士は、キリストの血に関して間違っていますが、他の事項に関しては真実を語っています。 マッカーサー博士は、「デマスは、キリストへの真の献身に要する犠牲を決して払おうとはしない、当てにはならない弟子であった」(同著、マッカーサー・スタディー・バイブル)と書いています。 このような人は、種まきの喩えで表されています、
“いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです”(ルカ8:13)。
彼らは真に回心していなかったのです。 彼らはキリストに根差されていなかったのです。 誘惑がやって来ると、彼らは教会から去って行きます。 そして世俗的な道に戻ります。 これはしばしば、人生の変化に出会う時に起こります。 パウロが牢獄に入れられた時、デマスの生活に変化が起きました。 彼の全てが変わったのです。 そしてその変化の時に、彼がキリストに根差していなかった事が明らかにされました―そして彼はこの俗世間へと戻り、パウロを見捨てたのです。
若者達が大学を卒業する時、これが起こるのを私達は目にしました。 それは変化の時です。 誰もそれを体験した事が無いように彼らには感じて来るのです。 「何とも、私の目の前には出世が待っています! キリストの為に苦しみ、そして忠実になるなど、あなた方は私に期待はできません! それは私が子供だった時だけの事! 今私は大人になり、私の出世の為に尽力しなければなりません。 理解してもらえませんか? それは私のキャリアなのです!」。 もちろん、当然、理解出来ます! 私も同じ体験をしたのですから。 私達の違いは、私はパウロの模範に従い続け、あなたはこの俗世に巻き込まれて来たのです。 私達の違いは、私は回心し―あなたは誤った、上辺だけの“決断”をしただけなのです。 あなたが試めされると、あなたには根が無かったのです! 私はキリストに根差していますが、あなたはそうではなかったのです! それだけの違いです!
もしくは、誘惑は他の変化の時にしばしば起こります。 若者達は恋に落ちます、デートをし、そしてそのような時に、彼らは教会を捨て俗世間へと陥ります。
もしくは、あなたに子供が誕生する時に、そのような事が起こります。 あなたは、「ついに私に赤ん坊が産まれたのですから! 今、私に主に忠実になる事は期待できません!」と言います。 私達の周りの忠実なクリスチャン達が、全ての集会に子供達を連れて来た事はどうでもいいのです。 以前は誰もそれを体験した事が無い、とでもあなたは考えているのですか? そうではなく、真の理由は、あなたがキリストに根差していないことなのです―あなたは真の回心ではなく、偽りの回心を体験しただけなのです! もしあなたが大学を卒業した時に、誤った道をたどったとしたら、正しい道には戻って来ないでしょう。 あなたは、教会で何かの奉仕をしているかも知れませんが、あなたは決してキリストの忠実な兵士になる事は出来ないでしょう! 忠実な兵士になるべきだったのです! 詩人、ロバート・フロストの有名な詩があります、
いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔:
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は・・・
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか
(『選ばれざる道』ロバート・フロスト著:
”The Road Not Taken” by Robert Frost, 1874-1963).
あなたが一度間違った道をたどるなら、後戻りは出来ません。 五十八年の奉仕を通して、私はそれを目にしたことがありません! 一度として! デマスがパウロのところに戻らなかったことを忘れないでください―そして、あなた方にもそれは言えるのです! あなた方の人生の変わり目で、どちらの道をたどるかを慎重に考えなさい、と言う事です。 一般世間は、あなた方が人生を何度もやり直すことが出来ると言うでしょう。 しかし、この世はそう言ってあなた方を偽ります。 完全に、新たに立て直された人生を目にした事は、私にはありません。 私は、真剣に人生を変えようと試みたある女性を思い出します。 私が彼女の家の部屋を借りていた時に、常に彼女はその事について話していました。 自分の人生を変えようと何年も試みたあげく、最終的に彼女は乱心してしまいました。 それは実話です! どちらの道をたどるかに気を配りなさい。 「もし私がキリストの道に従うなら、何かを失うでしょう! 私は大切なものを無くすでしょう」と彼女は言いました。 そうして彼女は乱心したのです―デマスが彼の魂を無くしたようにです!
“デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい”。
私は七十五年生きています。 それほど長く生きているなら、人生の中で通過して行った人達の顔の列を思い浮かべる事が出来ます。 次から次へと! 何十人、何百人、何千人もの顔を! 列から列へ。 そしてそれらの顔は何を語るのでしょうか? 闇の中で私の前を通過する時に、彼らは、「この世には、あなたの魂を捨てるに値する物は何もない! そのことのために、あなたの魂を捨てるなんて! 馬鹿げている!」と言います。 彼らの魂が闇へと下って行く時に、私にそうささやきます。
「私にはまだこれからの人生が待っています」とあなた方は言います。 それはほんの数か月のようであると私が言っても、あなた方はそれを耳に止めません。 それはあまりにも素早く過ぎてしまい、それがどこへ行ってしまったかもわからないくらいです。 あなた方が永遠の闇の端に立つ時、人生をやり直すには、もう永遠に遅すぎるのです。 彼らがたどらなかった道を拒否するならば、誰もそうする事は出来ません。 デマスが戻らなかった事を思い出してください! 私はそのような人達について二つの実話をここで語りましょう。
彼女の父親は説教者でした。 彼女は教会でピアノを弾きました。 彼女は、ごく普通で目に止めるほどの魅力もありませんでした。 ですから一人の不良少年が彼女を見た時、彼女は彼について行きました。 以前の上辺だけの信仰も忘れて、彼と出て行きました。 彼は彼女を失望させ、彼女は二人分の生計を立てるのに苦労しました。
私は彼女を助ける事は出来ませんでした。 彼女は年老いて、言葉を聞くにも無念な状態でした。 彼女の心は何年も前に無感情になってしまったのです。 彼女のピアノは、彼女がたどらなかった道を思い出させる為に、私の家の居間に置いてあります。
二つ目の実話は、彼は長男だったので、最初に農場を去って行きました。 彼は自分が望んでいたものを確信し、それを手に入れ、金持ちの娘と結婚し、金もうけをしました。 彼の不毛の妻は小さな女の子をほしがり、彼は彼女の為に女の子を買い取りました。 彼にはお金があったのです。 彼はお金で全てを手に入れる事が出来ると思ったのです。 そうして彼の妻は先立ちました。 彼の娘は非行に走りました。 最後に彼は大きな家に置き去りにされました。 彼は部屋に鍵をかけ、脳卒中で麻痺した片手にピストルを持って見つかったのです。 私は彼に会いに病院へ駆けつけました。 彼はしゃべることが出来ませんでした。 私は彼の手を取り、彼のために祈りました。 彼は野生の獣のように叫び声を上げ、あまりの大声に私は考えることも不可能でした。 私が次回に彼を見たのは、彼が高価な棺おけに横たわっていた時でした。 彼の顔にハエが止まりました。 彼は裕福でしたが、顔のハエも追い払う事が出来ない状態になってしまったのです。 私は彼がたどらなかった道を自分に思い出させるように、彼の油絵を私の居間の壁に掛けています。
「私にはまだ先の人生が待っている」とあなた方は言います。 それはほんの数か月のようであると私が言っても、あなた方はそれを耳に止めません。 それはあまりにも素早く過ぎてしまい、それがどこへ行ってしまったかもわからないくらいです。 あなた方が永遠の闇の端に立つ時、人生をやり直すには、もう永遠に遅すぎるのです。 彼らがたどらなかった道を拒否するならば、誰もそうする事は出来ません。 デマスは二度とパウロのところに戻りませんでした!
先週の日曜日の夜、ケイガン先生は私の人生について語りました。 それは、「戦いと裏切りと後退の年月」であったと彼は言いました。 おそらくあなた方には、牧師の人生はあまりにも困難で、あまりにも長く、あまりの逆境に満ちている、と思えたでしょう。 あなた方は、人生の道を誤ったのは、自分の私であったと思ったかも知れません。 パウロが牢獄で苦しみ、つながれている時に、そのようにデマスが思ったのかもしれません。 妻と私は、ローマにあるその暗い牢獄を訪れました。 私達は、パウロがテモテの手紙第二書を書いた牢獄の中に実際に入りました。 デマスはそこへ行く事を恐れていたのでしょう。 ですからパウロを見捨てたのです。 そうしてパウロはこのような言葉を書いたのです、
“デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい”。
しかし、デマスは間違っていました。 そのようにあなた方も間違っているのです。 この道は困難ではあるけれど、私に喜びをもたらし、言葉では表現できないほどの美しい妻、そして私が未だ十代の少年である時に、もし私が人生の誤った道をたどっていたならば、決して知る事の無かった友情を私に与えてくれたのです。
エリック・ブース・クリボーンは、古き時代のサルベーション・アーミー(救世軍)の創始者、ウィリアム・ブースの孫であり、説教者の息子でもありました。 エリックは宣教師としてアフリカに出て行きました。 彼は、妊娠中の妻ルシール、そして彼らの若い娘が布教の地に到着したわずか二週間後に亡くなりました。 彼が死んだ時、わずか29才でした。 その後、彼の妻は、『死に至るまで従順―Obedient Unto Death.』と題する本の中で彼の悲劇的な死について語っています。 その中で、アフリカへ発つ前に、彼女とエリックが出席した集会について書いています。 彼らは、祈り、そしてエリックの母親の書いた歌を歌いました。
汝の前にひざまずき、
我が全てを汝に任さん
十字架のわが主の為に、
生きるも、死ぬも、苦しむ事も
その本の中でエリックの妻は、彼の葬儀についても語っています。 福音を聞いた事も無い数百人もの現地のアフリカ人達が、キリスト教の埋葬を見物に来ました。 彼女は、「そうして、祈りの後で、棺にふたが置かれ、釘が打たれた」。 更に彼女は、「宣教師の奉仕活動の達成は、彼らが真から愛する、滅びる者達のために、自らの命を[宣教の]地に犠牲にする、殉教の兵士達に大いに起因する事を私は知った。 遠く離れた地の孤立した墓は、生涯にわたる尽力よりも、時には、原住民の生活や心に更に深く印象付ける;土が積まれた塚の簡素な木の十字架は、多くの言葉よりも、雄弁にその事を語る」。
エリック・ブース・クリボーンは、キリスト教の未開地であった地に着いた時、彼はわずか二十九才でした。 彼がそこに着いた後、二週間ほどしか彼は生きませんでした。 数百人もの救われていない原住民が聞く中で、彼の唯一の説教は、彼の生涯であった、と彼の葬儀での、他の人の説教で語られました。
しかし、その些細な葬式は、ブルキナ・ファソ(Burkina Faso)に於けるキリスト教の布教の始まりでした。 今日、アフリカのその地方でのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(Assemblies of God)は、神の使命に従う為に命を捧げたエリック・ブース・クリボーンを信仰のヒーローとして記憶に留め、現在その地域で、その教団は圧倒的に大きなプロテスタント系の教派に育っています。 4500以上の彼らの教会と説教要綱は、百二十万人を超えるアフリカのクリスチャン達に奉仕しています。 エリックの短い人生は、白人も行った事の無いアフリカのその地域で、キリストを聞いた事の無い何千人もの人達にキリストを知らせました。
数日前にその話を読んだ時、私はあなた方にそれを語らなければと思いました。 あなた方が貫こうとしている困難が何であっても、いつかキリストによって報われるでしょう。 あなた方が容易な道を離れ、人通りの少ない道をたどりますように。 テモテへの手紙第二第4章17節に注目してください。 デマスが鎖につながれた使徒パウロを見捨てた後に、使徒パウロが言った言葉に注目して下さい、
“しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。…”(テモテ第二4:17)。
若い女性、そして男性の皆さん、あなた方がパウロの模範に従いますように! パウロのビジョンが私達のビジョンとなりますように! この教会を大いなるものとし、世界中へ、丘の上に輝く町となるよう、そして“すべての国の人々がみことばを聞くように”、私達を助けてくださいますように! 若い男性の皆さん、私達の教会が、神の恵みによって、どのようなものになれるか、また何が出来るかを考えてください! 若い女性の皆さん、キリストの為に最善を尽くしなさい!
あなた方の若さと力をキリストに捧げなさい! エリック・ブース・クリボーンのようになりなさい! 救い主の為に、あなた方の活力を捧げなさい。 思い留まらず! あなた方の全てを捧げなさい! 神の奉仕へと進みなさい! 宣教の地へと向かいなさい! この世の人達に愚か者と言わせておきなさい! 福音を聞く為に若者達を教会へ連れて来なさい! キリストにあなた方の最善を捧げなさい! 起立してソング・シートの賛美歌第7番を歌ってください。
主よ、我がビジョンを全て満たし給え、今日、イエスのみを我は見ん
渓の谷間に、我は導かれしが、汝の褪せぬ栄光は、我を誘い導く
聖なる救い主よ、我がビジョンを全て満たし給え、汝の栄光と共に、我が霊が輝くまで
我がビジョンを全て満たし給え、我が内に反映せる汝の聖なる形影を、他の者は見ん
我がビジョンを全て満たし給え、渇望の内、汝の栄光ゆえに、我が魂は動かされん
汝の完璧なる業をもって、汝の聖なる愛は、天からの光でもって、我が路に流れ注ぐ
我がビジョンを全て満たし給え、神聖なる救い主、汝の栄光と共に、我が霊が輝くまで
我がビジョンを全て満たし給え、我が内に反映せる汝の聖なる形影を、我は見ん
我がビジョンを全て満たし給え、罪の邪悪を、輝く明晰の陰に
汝の祝福されし御顔だけを我は見ん、汝の永遠(とわ)の恵みに、我が魂は頼む
我がビジョンを全て満たし給え、神聖なる救い主、汝の栄光と共に、我が霊が輝くまで
我がビジョンを全て満たし給え、我が内に反映せる汝の聖なる形影を、全ての者は見ん
(“Fill All My Vision” by Avis Burgeson Christiansen, 1895-1985). (直訳)
そのまま起立してください。
私が今朝語った話は全て真実です。 父親の教会から去り、不正な少年と結婚し、人生を台無しにした女性は、私の義父の母親でした。 ピストルを片手に、自分の寝室に鍵をかけた裕福な男性は、私の父の一番上の兄です。 乱心した女性は、身元を明かせません、なぜなら彼女は生存しているからです。
彼らは皆かつてはあなた方のように若かったのです。 しかし彼らは、イエスに救われないまま彼らの人生を無為に過ごしました。 彼らはイエスに何度も「ノー」と言い、それが習慣となりました。 習慣はあまりにも強固で、神御自身が彼らを破滅へと置き去りにされたのです。
若い男性そして女性の皆さん、悔い改めなさい! 罪深い生活に背を向けなさい―そして、神の御子、イエス・キリストへ来なさい。 イエスを信頼しなさい。 イエス・キリストは、彼の血であなた方を清めて下さいます。 イエスは天国で神の右座で待っています。 イエスを信頼し、むなしい人生、そして希望の無い永遠から救われなさい!
皆さん、目を閉じて下さい。 もしあなたがイエスを信頼することについて、私達と話したいならば、今、この集会場の後方へ、ケイガン先生とジョン・ケイガンに従ってついて行ってください。 あなた方が語り、お祈りできる静かな部屋へ、彼らは案内してくれます。 アーメン。
もしあなたがこの説教で祝福を受けられたのであれば、あなたのご意見をお聞かせ下さい。ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。そうでなければ、ハイマーズ博士はあなたの電子メールに答えられません。もしあなたがこれらの説教で祝福されたのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。送られる時は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。ハイマーズ博士の電子メールの住所は ― rlhymersjr@sbcglobal.net (ここをクリック)。 (ここをクリック)。どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。また、普通郵便で送りたい方は、P.O. Box 15308, Los Ángeles, CA 90015に送って下さい。ハイマーズ博士の自宅電話番号は(818)352-0452です。
(説教終了)
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:テモテ第二4:10-17。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“I’d Rather Have Jesus” (words by Rhea F. Miller, 1922;
music composed by George Beverly Shea, 1909-2013)。