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朽ちる事の無い
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ウィリアム・カウパー(William Cowper, 1731-1800)は、これらの美しい言葉を彼のよく知られた賛美歌に書きました:
汝の傷から 流れ出る
御血を 仰ぎ見て以来
贖いの愛は 我がテーマ
この世を去る その時まで (直訳)
これはC・H・スポルジョンの好んだ讃美歌でした。 その偉大な説教者はこのように言いました、
私にとって、この素晴らしい主題について考える事に、または説教する事に相当する物は何も他に無い。イエス・キリストの血は福音の命である(C. H. Spurgeon, "The Blood of Sprinkling, ," February 28, 1886, Metropolitan Tabernacle Pulpit, vol. 32, p. 121, reprinted by Dr. Bob Ross of Pilgrim Publications, P.O. Box 66, Pasadena, Texas 77501)。
なぜ説教者のプリンス、スポルジョンはそのような強い主張をしたのでしょうか? なぜ彼は、「私にとって、キリストの血について考える事に、または説教する事に相当する物は何も他に無い」と言ったのでしょうか。 それが真実である事は、『Metropolitan Tabernacle Pulpit』の中に印刷されている彼が説教した何百もの説教を読めば理解できます。 しかしなぜでしょうか? 英語圏内で最も偉大な説教者が、キリストの血を彼の主要な説教のテーマにするのでしょうか? なぜなら、簡単に言えば、聖書の中でそれ以上に重要なテーマは他に無いからです!
聖書は、イエス・キリストの血無くしては、人類のための救いは無い、と教えています。 今晩キリストの血について二つの考えに集中してほしいと思います。 これらの二つの要点は、ペテロの手紙第一の第1章18-19節の今晩のテキストからのものです。
1. キリストの血は、朽ちる物では無い。
2. キリストの血は、あなた方の贖いに必要である。
I. 最初に、キリストの血は、朽ちる物では無い。
詩篇の中に、御言はキリストによって成就された、次の預言を記しています:
“あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである”(詩16:10)。
“墓”のヘブライ語は、“破壊”もしくは“腐敗”(スロトング注解書)という意味です。
詩篇のこの節は、新約聖書に引用されています。
“あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。・・・それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです”(使徒の働き2:27, 31)。
今日のある人達は、キリストの肉体は、よみがえったが、彼の血は十字架の周りの地に染み込み無くなったと言っています。 しかし聖書は、キリストの血もまた朽ちるものでは無いと、聖書の他の箇所に書いています:
“ご承知のように、…銀や金のような朽ちる物にはよらず、…キリストの、尊い血によったのです” (ペテロ第一1:18-19)。
この節の“朽ちる”という言葉は、“消滅する”、または“滅びる”という言葉からきています。 その聖句は、キリストの血は消滅しない、あるいは、滅びる事は無いと示しています。 銀や金は地球の最も滅びにくい物質ですが、この世が神の裁きによって燃やされる時、銀や金でさえも消滅するでしょう。 私達には、“地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。・・・このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば・・・”(ペテロ第二3:10-11)と告げられています。 その万象(ギリシャ語の意味は“原子”)は焼け去るでしょう。 神からの火によって、地にある全ての物は“くずれ落ちる”(文字どうり、滅ぼされる)でしょう。 それには銀や金も含まれます;“これらのものはみな、崩れ落ちる”のです。
しかし、ペテロの手紙第一の第1章18-19節は、私達は朽ちる物によってでは無く、“キリストの尊い血によって”贖い出されると告げています。 この聖句は明白に、朽ちない、不滅の、損なわれない(ストロング注解書)キリストの血を、私達に示しています!
雑誌『フロントライン(Frontline)』の記事はこう書いています、
キリストの血が流された時、それは凝固し、地の土の中に消えてなくならなかった。そういう事はあり得ない、なぜなら、神の御言が、それは朽ちない血であると言っているからである。カルバリー山の砂は、尊い神の小羊の血を吸収しなかった。キリストの身体に適用された“朽ち無い”の言葉は、キリストの復活を指しているゆえ、朽ち無い血とは、キリストの血が同じく、神の働きによって上げられた、という事のみにとらえられる(Frontline magazine, March/April 2001, p. 5)。
イエスが死からよみがえられた時、彼はこう言われました:
“わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています”(ルカ24:39)。
弟子達はよみがえられたキリストを見て驚きました。 彼らは、“霊を見ているのだと思った”(ルカ24:37)のです。 今日多くの人達は、イエスは霊としてよみがえられたと考えています。 これらの節は、“仮説的な”霊なるキリストのアイデアを正しています。 そうではなく、イエスは肉や骨を持ってよみがえられたのです。 イエスは弟子達に、彼の手と足にできた穴の開いた傷を見るよう言われました。
“それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい”(ヨハネ20:27)。
キリストはトマスに、彼の手を、兵卒の槍によって刺された脇の穴に差し入れるように言われました。
私の要点はこれです:キリストは弟子達に、彼の手と足、そして彼の脇腹の刺された穴を見るように言われました。 もし彼の復活した“肉と骨”なる身体に、残された血があるならば、血がそれらの傷から流れ出たはずです。 しかし彼の身体には血は残されていませんでした。 キリストの血はすでに神の力によって天国に上げられていたのです。
イエスが死からよみがえられた後に、 マグダラのマリアがイエスに出合い、彼は彼女にこう言われました、
“わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい”(ヨハネ20:17)。
しかしその後間もなく、弟子達は“近寄って御足を抱いて”(マタイ28:9)と聖書は書いています。 キリストはマリアに御自分を触れさせませんでした、なぜなら、彼はまだ神のもとに上げられていなかったからです。 しかしその後間もなく、彼は弟子達に御自分の足を抱かされました。 スコフィールドはこのように正しく説明しています。
イエスはマリアに、贖罪の日を果たす祭司長として(レビ16)話された。 犠牲を成し遂げられ、イエスは御自分の聖なる血を天にささげて行かれる途中であった。そして、ゲツセマネの園でマリアとの出会いと、マタイの28章9節に書かれている出会いとの間に、彼は上げられ、そして戻って来られたのである(Scofield note on John 20:17)。
その見解は、ジョン・R・ライス博士が信じる見解と同じでした。
旧約聖書の祭司長は、血を取り、至聖所の贖いの座に置きました。 そのようにキリストは、マリアとの出会い、そして弟子達との出会いの間に天国へ御自分の血を持って行かれたのです。
“しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです” (へブル9:11-12)。
この聖句は、イエスが“ただ一度、まことの聖所”に入られたと語っている事に注目して下さい。 それはイエスが天に上げられた時以外の他の時であったに違いないのです、なぜなら聖書はこう告げているからです、
“主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた”(マルコ16:19)。
何度も新約聖書は、彼が神の右の座に着かれた事を告げています。 そしてこの聖句は、イエスが弟子達と話され、そして天に上げられて間もなくして、神の右の座に着かれた事を告げています。 これは少なくとも、彼が以前に天に上げられ、御自分の血を天の“聖所”(へブル9:12)に置かれた事に妥当します。
“ご承知のように、…銀や金のような朽ちる物にはよらず…キリストの、尊い血によったのです” (ペテロ第一1:18-19)。
キリストの血は、今でも天の贖罪所にあるのです。 それは朽ちるものではありません。 それは滅び、また消滅する事はあり得ません。 全てそれは神の御業によるものです。 当然です! 神の御業を抜かすならば、キリスト教は存在しませんし、単なる道徳にすぎません。 しかし、それは奇術ではありません。 あなた方はキリストの血を操る事は出来ません。 奇術ではないのです! キリストの血は神なる物であり、それは奇術には応答しません。 “決断主義”は奇術です! ですから私はそれを拒否するのです。 あなた方をイエスの血で清める事を決めるのは神なのです。
私は、ジョン・マッカーサー博士(Dr. John MacArthur)はその要点を信じていない事を知っています。 また彼は、コロネル・R・B・シーム・ジュニア(Colonel R. B. Thieme, Jr.)という奇妙な男性から、イエスの血について誤った着想を得た事も知っています。 1961年の秋、若きジョン・マッカーサーがシームによる一連の聖書勉強会に出席した時、私もそこにいました。 シームはそこで、マッカーサーがそれ以来何年も教えている、同じ教えを教えたのです。 私は、マッカーサー博士がR・B・シームからその考えを得たと確信します。 なぜなら、彼がそれらの要点を書き留めていたのを私は見たからです。 シームは、“ある血がどこかに浮いている”のでは無く、“血”の言葉は“死”を意味する事を教えました。 これが、 マッカーサー博士の説教を通して時々現れる教えです。 そして私は個人的に、彼がコロネル・R・B・シームからそれらの着想を得た事を知っています。 それは悲劇です、なぜなら、マッカーサー博士は、他の事柄については適切な教えをしているからです。 私達の教会は、マッカーサー博士がキリストの血についてのR・B・シームの奇妙な教えから離れるよう祈っています。
II. 二番目に、キリストの血は、あなた方の贖いに必要である。
このテキストは、あなた方は朽ちる物で贖われるのでは無く、キリストの血によって贖われると私達に告げています。 ペテロの手紙第一の第1章18節の“贖い出される”という言葉は、“解放する”、または“釈放する”(ストロング注解書、バイン注解書)、“釈放を意味する”(バイン注解書)を意味するギリシャ語の翻訳です。
あなた方がキリストの血によって、“解放される”、そして“釈放される”事無くしては、あなた方は永遠に、
1. “律法ののろい”(ガラテヤ3:13)の下にいるでしょう。 あなた方は、律法を守る事が出来ないので、律法によってのろわれているのです。 あなた方は、神の律法の戒めを完全に守る事は出来ません。 ですから、律法によってあなた方はのろわれているのです。 それは、あなた方は罪を犯し、裁きから逃れる道は全くない事を示しています。 イエスの血以外の何ものも、あなた方の罪を洗い流す事は出来ません。 ですから、あなた方は、律法ののろいから“解放”また“釈放”される事が可能なのです。
2. キリストの血によって“解放”また“釈放”されない限り、あなた方は、永遠にサタンの支配下にいるでしょう。 “悪魔に捕えられておもうままにされている”(テモテ第二2:26)のです。イエス・キリスト以外の何ものも、彼の支配からあなた方を“解放”する事は出来ません!
3. キリストの血によって“解放”また“釈放”されない限り、 あなた方は、永遠に聖なる神の怒りと裁きの下にいるでしょう。 イエス・キリストの血以外の何ものも、神の裁きからあなた方を“解放”、そして“釈放”する事は出来ません。
友人の方々、あなた方には、キリストの血が無くてはなりません! 律法ののろいからあなた方を解放する為、サタンへの奴隷の身からあなた方を解放する為、そして神の怒りからあなた方を解放する為、それらの為に、キリストの血がなければなりません! そうです、あなた方は、のろいから、捕らわれから、そして怒りからあなた方を贖う為には、尊いキリストの血が無くてはならないのです。 繰り返しますが、あなた方は、キリストの血が無くてはなりません! あなた方がすぐにもイエスを信頼する事をお祈ります!
もしあなたがこの説教で祝福を受けられたのであれば、あなたのご意見をお聞かせ下さい。ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。そうでなければ、ハイマーズ博士はあなたの電子メールに答えられません。もしあなたがこれらの説教で祝福されたのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。送られる時は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。ハイマーズ博士の電子メールの住所は ― rlhymersjr@sbcglobal.net (ここをクリック)。 (ここをクリック)。どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。また、普通郵便で送りたい方は、P.O. Box 15308, Los Ángeles, CA 90015に送って下さい。ハイマーズ博士の自宅電話番号は(818)352-0452です。
(説教終了)
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これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。
アベル・プルードホーム氏による説教前の祈り。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Jesus, Thy Blood and Righteousness”
(by Count Nicholas von Zinzendorf, 1700-1760; translated by John Wesley, 1703-1791).
要 綱 朽ちる事の無い THE INCORRUPTIBLE AND REDEEMING R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 “ご承知のように、・・・銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです”。 (ペテロの手紙第一第1章18-19節、新改訳)
I. 最初に、キリストの血は、朽ちる物では無い。
II. 二番目に、キリストの血は、あなた方の贖いに必要である。 |