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背教の時代に於ける断食と祈りR. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて FASTING AND PRAYER IN A TIME OF APOSTASY by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles |
では、ルカの福音書第4章18節から21節を開いて下さい。 先ほどプルードホム氏が読んだ聖句を繰り返し読みます。 その聖句は、スコーフィールド・スタディー・バイブルの1077ページにあります。
“「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました” (ルカの福音書第4章18-21節、新改訳)。
着席して下さい。
イエスは、イザヤ書第61章1-2節から、その聖句を読みました。 これらの聖句を読んだ後、イエスはご自分の身にそれらの言葉は成就されたと言ったのです。 イエスは、福音を説教するようにと油を注がれた方でした。 イエスは、心の砕けた人達を癒すようにと神が送られた方でした。 イエスは、捕らわれた人を赦免し、また、盲人には目が開かれる事を告げるようにと、神が送られた方でした。 イエスは、しいたげられている人々を自由にするようにと、神が送られた方でした。
彼らは、イエスがその人であると言うのを嫌悪しました。 彼らとは、イエスが生れたナザレに住む地元の隣人と友人達です。 彼らは、“この人は、ヨセフの子ではないか”(ルカ4:22)と言いました。 “これらのことを聞くと、会堂にいた人たちは皆、ひどく怒り”―怒りに満ちて(ルカ4:28)、彼らは立ち上がってイエスを町から追い出しました。 その群集はイエスを崖のふちまで追いやり―そして彼を殺すため、そこから投げ落とそうとしたのです。 “しかしイエスは彼らの真ん中を通り抜けて、行ってしまわれた”(ルカ4:30)です。 マチュー・ヘンリーは、「イエスが彼らの目をくらましたか、彼らを混乱に陥らせたのであろう、なぜなら彼の御業は終わってはおらず、始まったばかりであった」と言いました。
イエスはナザレを去り、カペナウムに向かいました。 そこの会堂に、悪霊に取りつかれた人がいました。 以前、妻と私はそこへ行きました。 その古代の会堂の廃墟の場所も見ました。 悪霊に取りつかれたその人は、大声でわめきました、
“ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です”(ルカ4:34) 。
そしてイエスは叱って、“ 黙れ。 そこから出て行け”と言われました。 その悪霊はその人を投げ倒して、彼から出て行きました。 人々は皆驚きました。 彼らは、“今のおことばはどうだ。 権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ”と言いました。 “こうしてイエスのうわさは、まわりの地方の至る所に広まった”(ルカ4:37)のです。
そうしてイエスはその会堂を立ち去り、通りの向かい側のぺテロの家へ歩いて行かれました。 イレアナと私は、ペテロの家がその会堂に非常に近いのに驚かされました―通りの向かい側の、ほんの数歩の距離でした。 ペテロの家は発掘され、現在でもその家の基いを見る事が出来ます。 ペテロの義理の母親は高い熱で家にいました。 イエスがその熱を叱りつけると、熱は引きました。 その午後日の暮れる時に、人々は悪魔に取りつかれた人達、そして病気の人達を彼の所に連れて来ました。 イエスは彼らの上に手を置き、彼らは皆癒されました。 悪霊どもは、“あなたこそ神の子、キリストです”と叫びながら出て行きました。 そしてその素晴らしい記述は続きます! 私はそれを読むのが大好きです!
イエスの話を聞かせてください
全ての御言葉を私の心に刻んでください
かって聞かれた、最も尊く、最も甘い話を
私に聞かせてください
(“Tell Me the Story of Jesus” by Fanny J. Crosby, 1820-1915). (直訳)
そうしてキリストが天国へ戻られた後でも、その記述は続きます。 私達は、神から下られるキリストと同じ力を知る事が出来ます。 それは、一世紀、二世紀、そして三世紀の教会へと続きます―そして現在に於いても、“後進国”の多くで続いています。 中国や他の発展途上国で、何万という数の新しいクリスチャン達が、“未登録”の教会へ押し寄せています。
しかし、アメリカやヨーロッパ、そして西洋の国々の教会に何かが起こりました。 十九世紀の中頃に向かって西洋の国々で悲惨な出来事が起り始めました。 マーティン・ロイド-ジョーンズ博士は、今日の教会のほぼ全ての問題は、十九世紀の中頃にさかのぼって見る事が出来る―すなわち、聖書批判、グノーシス主義によって汚染されたシナイ写本とバチカン写本の発見、フィニーによる“決断主義”、モルモン宗派、エホバの証人、キャンベル主義、セブンス・デー・アドバンテスト教派、即席のバプテスマ、ダーウィンの進化論―それらの全ては、ほぼ五十年の間に現われた!と言いました。 それは顕著に悪魔に影響された時代でした。 そうして、ヨーロッパを荒廃させた第一次世界大戦が起こりました。 そして教会それ自体も荒廃しました。 アメリカはその状態から決して立ち直りませんでした。 リベラル主義者達は、人間は基本的には善良である―すなわち、人は向上し、素晴らしい世の中へと前進していると、教会に語りました。 第一次世界大戦は、その考え方を完全に打ち砕いたのです! 人々は、聖書が人は邪悪であると告げていることを知りませんでした。 一般の人々は、リベラル主義者達が彼らを欺いたことに気がつきませんでした。 彼らは、キリスト教はばかげていると思いました。 それは単なる作り話であると。 私達はそれらの考えから決して凌駕する事が出来ませんでした。 そうして第二次世界大戦が起こりました。 その世代からどれ程の人達が神を拒否したかを想像して見て下さい。 彼らは、“アウシュビッツが理由で―あるいは、ヒロシマが理由で、神が信じられない”と言いました。 彼らは、人の完全なる邪悪さについて聖書が告げている事を教えられていなかったのです。 私達の前の前の世代、そして私達の祖父母の世代が教会から去って行ったのです。 彼らの時代は、不可知論者と無神論者の世代となったのです。 そして今現在、彼らの子孫である、あなた方に私達は直面しているのです。
ファンダメンタリストは、彼らの生存の為にリベラル主義に対し戦いました。 彼らは善良な人達でした。 私は彼らを敬服します。 しかし彼らは、“決断主義”が何万人もの回心しない人々を、教会の中に入れ込んだことに気がつかなかったのです。 それがために、新・福音主義をもたらし、(『Love Wins』―普遍救済説)を説くロブ・ベル(Rob Bell)のような、フラー神学校の卒業生をもたらしたのです。 人々はそれが何か新しい事であるかのように振る舞います。 それは全く新しい事ではありません。 ベルのような人々は、ユニテリアン主義からの単なる新しい作物なのです。 ベルは実際ユニテリアンであり-実質上、フラー神学校もそうなのです。 ですから、あなた方の周りのユニテリアン主義派の新しい信者達は、自らを“伝道主義者”と呼んでいるのです。 正に悲劇です! 去年、南部バプテスト協議会は、十二か月間に、二十万人のそのような人々を失いました! 考えて見て下さい―十二か月の間に南部バプテスト教会から、ほぼ百万人の四分の一が去って行ったのです! それは正に驚くべき事です! 彼らは過激派組織イスラム国(ISIS)を恐れました;彼らは、ニュースでクリスチャン達の首が切り跳ねられるのを見ました、そして彼らは恐れたのです;彼らは性革命を恐れました;彼らはオバマを恐れました;彼らは全てを恐れたのです―だから彼らは隠れるように、教会から立ち去ったのです! 唖然とさせられます! 二十万人の人々がたったの十二か月間に教会から去ったのです!
そうしてそこに私達はいるのです。 私達は、西洋社会の最も下劣な場所、ハリウッドから15分ほど離れたロスアンゼルスのダウンタウンの中心街にいます。 そして私達は、不信者の人達の中で、教会を建ち上げる事になるのです! クリスチャン家庭で育っていない多くの大学生達が、教会を建ち上げる事が出来るとでも思っているのですか? それは不可能です! しかし、それ以上に、私達はリバイバルのために祈っているのです! ハハハ! それは叶わぬ夢だ、というでしょう! そうでしょうか? 人の見地からみるならば、それは可能な事ではありません。 しかし、そこで神が登場されるのです。 イエスはこう言われました、
“人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです”(マルコ10:27)。
最初の世紀以来、真に重要な事は、何ら変化してはいません。 イエスはイザヤ書を引用して、“きょう、聖書のみことばが、あなたがたがが聞いたとおり実現しました”と言いました。 彼らは、イエスは狂っていると思いました。 彼らは、イエスを殺そうとしました。 “しかしイエスは、彼らの真ん中を通り抜けて、行ってしまわれた”(マルコ4:30)のです。
イエスは会堂の外に出て、次々に奇跡を行いました。 何年かの短期間に、イエスの弟子達はローマ帝国中に広がりました。 彼らがテサロニケの都市に着いた時、その都市の支配者達は大声で、“世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます”(使徒17:6)と叫んだのです。
真に重要な事は何も変わっていません。 人は未だに同じです―反抗と不信に満ちています。 神は今でも同じです。 現在でも御座に着かれ、全能であり、支配しています! キリストは今でも同じです。 彼は死からよみがえり、主でいます!
彼は主、彼は主、
彼は死からよみがえり
そして、彼は主。
全ての者はひざまずき
全ての舌は告白する、
イエス・キリストは、主なり!
(“He is Lord” by Marvin V. Frey, 1918-1992). (直訳)
その歌を歌いなさい!
彼は主、彼は主、
彼は死からよみがえり
そして、彼は主。
全ての者はひざまずき
全ての舌は告白する、
イエス・キリストは、主なり!
神とキリスト、そして聖霊は、宇宙の最も偉大な力を構成しています! 神は過去に成されたように、現在でも聖霊の力を送る事が出来ると私は確信します! 私達には出来ません。 私達には力がありません。 しかし聖書は、“力は、神のものである” (詩篇62:11)と告げています。 神が御霊を注がれる時、偉大な、そして力強い事が起こるのです。 スコットランドのリフォーマーであるジョン・ノックスは、流血のメアリーの刀からスコットランドは救われたのは、「神が素朴な人達に、溢れるほどの聖霊を注がれたからである」(The Works of John Knox, volume 1, 1946 edition, p. 101)と言いました。
私達の教会のためにあなた方が祈る時、溢れんばかりの神の御霊が注がれるように祈りなさい。 あなた方が伝道に出て行く時、私達の働きに溢れんばかりの神の御霊が注がれるように祈りなさい。 あなた方が車を運転している時、聖霊が私達の働きに注がれるように祈りなさい! 偉大な説教者、チャールズ・シメオンは、「神があなた方の上にたぐい稀な手段で御霊を注がれない限り、回心の働きは、あなた方の間で非常に緩やかであるに違いない」(W. Carus, Memoirs of Charles Simeon, 2nd edition, 1847, p. 373)と言いました。
私達は、神にご自身の御霊を私達に注がせる事は出来ないことを、記憶に留めておいて下さい。 私は四十年間、神が御霊をこの教会に注いでくださるよう祈っています。 神はそれを未だ成されていません。 今、以前を振り返って神が答えて下さらなかった理由を、私は理解出来るように思えます。 現在、私達の教会は前と比べて改善されました。 現在、指導者達は皆回心しています。 現在、ほとんどの教会の若者達は回心しました。 もしかすると、今度こそは、神が私達の祈りに答えて下さるかもしれません―少なくとも、この夏に、私達の教会へ十人ないし十二人の新しい若者達をこの教会に引き寄せて下さるよう、神は御霊を注いで下さるでしょう。 断食についての私達の暗唱聖句を開いて下さい。 それはイザヤ書第58章6節です。 それはスコーフィールド・スタディー・バイブルの763ページです。 起立して声を上げ、その聖句を読んで下さい。
“わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか”(イザヤ58:6)。
着席して下さい。 この聖句を暗唱できるようにして下さい。 あなた方が来週の土曜日、断食をし祈る時に、その聖句を開き読んで下さい。 イザヤ書第58章6節が、どんなに密接にイザヤ書第61節1-2節と比べられているかに注目して下さい。
“神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め”(イザヤ61:1-2)。
私達はこれらの二つの聖句を比べる事によって、私達の祈りと断食に対する神の応答を通し、キリストの働きが、この世で、現在持続するものと理解します。
ジョン・R・ライス (1895-1980)(Dr. John R. Rice)は、「我々が神を待ち望む時、真の断食と思いの屈伏は、神が我々にお与えになりたいと望まれる祝福を、我々が得る事を知っている!・・・神が祝福を通してあなた方に叶えて下さるまで、断食をし祈りなさい」(Prayer: Asking and Receiving, Sword of the Lord, 1997 edition, pp. 230, 231)と言いました。
ジョナサン・エドワーズ(1703-1758)(Jonathan Edwards)は、『Sinners in the Hands of an Angry God(恐れる神の御手の中にある罪人)』の説教を準備するにあたり三日間断食と祈りをしました。・・・第一大覚醒運動はその説教によって始まりました(Elmer Towns, D.Min., The Beginner’s Guide to Fasting, Regal Publications, 2001, pp. 123, 124)。
マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士 (1899-1981)(Dr. Martyn Lloyd-Jones)は、「我々は、断食の重要性を考慮すべきであるということが、心に浮かんだ経験が一度でもあるだろうか? 実際は、この主題全体が、我々クリスチャンの考え全体から全く省かれているように思えるのではないか」(Studies in the Sermon on the Mount, part 2, Eerdmans, p. 34)と言いました。
昔くは二世紀の牧師、ポリカープ(c. 80-167)(Polycarp)は、「この世の初めから我々に受け継がれて来た御言葉に戻ろうではないか;‘祈りに目をむけること’そして‘断食を保つこと’」(Epistle to the Philippians)と言いました。
スポルジョン(1834-1892)(Spurgeon)は、「我々は断食を断つ事によって、クリスチャンの教会内での大いなる祝福を失った」(C. H. Spurgeon, “A Desperate Case – How to Meet It,” January 10, 1864)と言いました。
R・A・トーリー博士(1856-1928)(Dr. R. A. Torrey)は、「もし我々が力のある祈りをもとうとするなら、我々は断食をして祈るべきである」(How to Pray, 2007 edition, p. 37)と言いました。
敬うべきジョン・ウェスレー(1703-1791)(John Wesley) は、「断食をして祈った日があるだろうか? 恵みの御座に突入し、それに精励せよ、ならば哀れみが天から下るであろう」(The Works of John Wesley, volume 10, 1827 edition, p. 340)と言いました。
中国の伝道師、ジョン・スン博士(1901-1944)(Dr. John Sung)は、「[若者達の]多くは、断食と祈りの集まりを催した。 学生達の主への愛は、人の心を動揺させた」(The Diary of John Sung, compiled by Levi, Genesis Books, 2012, p. 298)と言いました。
中国への草分け的宣教師、ジェイムズ・ハドソン・テイラー博士(1832-1905)(Dr. James Hudson Taylor)は、「山西省で私は、断食と祈りに時間を費やす事を習慣としている中国人のクリスチャンを見出した・・・神の定められた恩寵の手段である。 ことによると、我々の働きへの最も大きな障害は、我々自身の思い浮かぶ力にあるのではなかろうか;そして、断食を通して、我々が何とも哀れで、弱い人間であるかを学ぶのだ―すなわち、非常に頼りがちな多少の力を、我々が食べる食物に依存している」(The New Encyclopedia of Christian Quotations, Baker Books, 2000, p. 360)と言いました。
ティモシー・リン博士(1911-2009)(Dr. Timothy Lin)はこう言いました、「私達の霊的な認知は、しばしば私達が断食と祈りをするや否や解き放たれる。・・・それは私自身の体験である」(The Secret of Church Growth, First Chinese Baptist Church, 1992, p. 23) と。
来週の土曜日に、私達は再び断食をします。 それをどのように行うかの幾つかのポイントを挙げたいと思います。
1. あなたの断食を(出来る限り)人に知られ無いようにする。あなたが断食をしている事を人々に言いふらしてはいけない。
2. 聖書を読む時間をもつ。使徒の働きの幾つかの聖句を(初めの方が望ましい)読む。
3. 土曜日の断食の間にイザヤ書第58章6節を暗記する。
4. 神が私達に十人もしくはそれ以上の、私達と一緒に教会に留まる新しい人達を与えて下さるよう神に祈る。
5. 私達の教会の救われていない若者達の回心を祈る。神がイザヤ書第58章6節で告げられた事を、彼らにして下さるよう神に祈る。
6. 今日(日曜日)初めて来られた人達が、来週の日曜日に再び引き戻されるよう祈る。可能ならば名を挙げて祈る。
7. 来週の日曜日の朝と晩に、私が何を説教すべきかを神が教示されることを祈る。
8. 私達の教会の若者達が参加する祈りのグループ(現在三つのグループ)の為に祈る。興味があるならば、ジョン・サムエル・ケイガンさんに問い合わせる。
9. 十分水を飲む。毎時間コップ一杯ほど。もしコーヒーを飲む事を習慣としているならば、最初に大きなカップ一杯のコーヒーを飲んでも良い。ソーダ類、パワードリンク等は飲んではいけない。
10. もし健康状態に疑問があるならば、断食を始める前に医師に相談する(私達の教会では、医師・クレイトン・チャン先生もしくは医師・ジュディス・ケイガン先生に相談する)。もし、糖尿病や高血圧等の異常のある人は断食をしない。土曜日は、これらの祈りのリクエストをただ祈る。
11. 金曜日の夕食の後に断食を始める。金曜日の夕食後から、土曜日の午後5時30分に教会で食事をするまで何も食べてはいけない。
12. 祈りの最も重要な事は、私達の教会の若者達が回心する事、そしてまた、最近入って来た新しい若者達が教会にこのまま留まる事を念頭に置く。
では、まだ回心していないあなた方へ私は少し話します。 イエスはあなた方の罪の為に、最上の償いをする目的で十字架で死なれました。 ですから、あなた方は罪のために裁かれないのです。 イエスは、ご自身の復活した骨肉の身体をもって実際によみがえられました。 彼はあなた方に永遠の命を授ける為にそのようにされたのです。 イエスは第三の天国の神の右の座へと戻られました。 あなた方は、信仰を通してイエスに来る事が出来ます。 そして彼は、あなた方を罪と裁きからお救いになるでしょう! 神があなた方を祝福されますように。 アーメン。 チャン先生、私達を祈りに導いて下さい。
もしあなたがこの説教で祝福されたのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。 また、あなたの国の名前も記してください。 ハイマーズ博士の電子メールの住所は―rlhymersjr@sbcglobal.net (ここをクリック)。 どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。
(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here) –
or you may
write to him at P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015. Or phone him at (818)352-0452.
これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
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可無く複製・使用はできません。
アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ルカ4:16-21。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Come, My Soul, Thy Suit Prepare” (by John Newton, 1725-1807).