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再生―クリスチャンの愛へのつながりR. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて REGENERATION – THE LINK TO CHRISTIAN LOVE by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。 生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します”。 (ヨハネの手紙第一第5章1節、新改訳) |
私は、クリスチャンの家庭に育ちませんでした。 十三才の時に私は、バプテスト教会に行き始めました。 私が間もなく学んだことの一つは、教会で育った子供達には、お互いを慈しむ愛がないという事でした。 彼らは私を好まず、大人達や牧師先生をも、彼らは好みませんでした。 彼らは常に卑劣な冗談を言い合い、互いに陰口を立てていました。 彼らは牧師先生が説教している間に、囁き合い、メモを互いに回し読みしました。 そして私は、教会の大人達が互いに愛し合っていない事にも気が付きました。 実際彼らは互いに嫌悪し合い、彼らの多くは、互いに見下しているようにもお思えました。 習慣的な強制が主な理由で彼らは集まっていました。 彼らは、共に集まる事に慣れていたのです。 彼らは習慣の如く、日曜日に二時間あまりを共に過ごしました。 教会に来る事は彼らの単なる習慣だったのです。 しかし彼らの間には、愛は見られませんでした。 元の牧師が他の教会に移った時、彼らの教会へ出席する習慣が乱されました。 短い間に、教会は三つののグループに分かれ、互いに争い合い始めました。 多くの人達は完全に出席を止めました。 教会に留まった会員は、野生の動物の様に互に激しく非難し合いました。 彼らは、日曜日の午前の集会の間に、讃美歌の歌集本を投げ合い、また汚い言葉で罵り合いました。
結果的に南部バプテスト主義派のグループは、新しく教会を設立する為にその教会を去って行きました。 私も彼らと一緒に出て行きました。 しかし、新しい教会が設立されると間もなく、同じようなことが起こり始めました! ほとんどの若者達は教会を去って行きました。 最終的に、私もその教会を去りました。 私は中国系の教会へ行き、そこに二十三年間留まりました。 しかし、中国人の人達はそれほどひどくはありませんでしたが、神がリバイバルをその教会に送られ状況が改善されるまで、会員の間には、お互いを慈しむ愛がほとんど見られませんでした。
リバイバルが起こって間もなく、私は神学校へ行くためその教会を去って行きました。 私はその神学校の近くに教会を設立し奉仕を始めました。 しばらくの間、全ては順調に進みました。 しかし再び同様な事が起こり始めました。 そこには口喧嘩と言い争いがあり、人々は去って行きました。 それはまさに混乱状態でした。 私はそこを去り、ロスアンゼルスに戻りました。
私は四十年前に、最終的に現在の私達の教会となった、この教会を始めました。 しかしこの教会もまた動乱、争い、そして教会の分裂を体験しました。 事々が落ち着き、現在の教会の状態に至るまで、ほぼ二十五年間かかりました。
それが私の体験談です。 あなた方は、どうやって私がそれらの当惑と狂気を乗り越えて来たか疑問に思うかもしれません。 私自身もそのことについて、しばしば疑問に思います。 私はただ、それら全ての体験を通して、神がおられた事、そして聖書は神の御言葉であった事を実感したと言えるのみです。 私はそれらの事を単に信じていなかったのす。 そうして私は、それらを心の奥底から実感しました。 私は、“行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに”(テトス3:5)という事を知りました。
私の体験は、稀な事ではありません。 若い伝道者達の全員ではないにしても、ほとんどが似たような体験をしています。 私の体験をやや稀とするのは、私がそれを体験し、以前にもまして、神と聖書を信じ、それを貫き通した事です!
では、私は説教をこのまま続ける前に、『The Fall of the Evangelical Nation: The Surprising Crisis Inside the Church』(HarperOne, 2008)の著者、クリスティーン・ウィッカー(Christine Wicker)の言葉をその本から引用します。 彼女はこう言いました、
アメリカの福音主義なるキリスト教は絶えつつある。今日の主要な福音主義派の運動は前衛ではない。それらは、名残り、白紙に戻る瀬戸際である。どのようにそれを考察しようと:回心、洗礼、会員数・・・献金・・・出席・・・全ては縮小し、減少している(同著、前書きp. ix)。
そして彼女は、反証する事が不可能な事実と統計でもって、彼女の意見をバックアップしています。 私がその本を読んだ時、彼女の根本的な主張に私は同意せざるを得ませんでした。 アメリカの教会は深刻な困難に陥っています。
しかし、これは今に始まった事ではありません。 六十年前に、A ・W ・トーザー博士(Dr. A. W. Tozer)は、何度も何度も、アメリカの教会内の問題点について書き上げました。 その一つの例として、
福音主義派の全領域が、健全なキリスト教に対し、大体的に非好意的である。私は現代主義[リベラル主義]について思いを巡らしているのでもない。つまり、むしろ正統派と名乗る、聖書を信じている集団についてである。・・・我々は、回心者達を新約聖書のキリスト教とは懸け離れた、産出力のない[不毛の、疲れ果てた]タイプのキリスト教の状態にさせている。・・・明らかに、我々はもっと望ましいクリスチャン達を作り出さなければならない(Of God and Men, Christian Publications, 1960, pp. 12, 13)。
トーザー博士は、生存中に預言者と呼ばれました!
このような困惑と背教の世の中で、どのように私達は愛に満ちた教会を保持していく事が可能でしょうか? 私達は、聖書が始まる、すなわち、回心から始めなくてはなりません。 回心していない人達によって、愛に満ちた教会を造り上げる出来ません! 真の回心は、根本的な出来事なのです。 英国の偉大な説教者マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士は、このように言っています、
クリスチャンになる事は、危機なる出来事である・・・それは新約聖書で、新生、新たらしく造られた者、あるいは新たな始まり、として示されている。それ以上に、神ご自身によってもたらされた神業、神の御子、イエス・キリストにより、彼を通して、死んだ魂が生き返らせる事を可能にする事、として示されている(Martyn Lloyd-Jones, M.D., Evangelistic Sermons, The Banner of Truth Trust, 1990, p. 166)。
では、私達の今日のテキストへと戻ります。
“イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します” (ヨハネ第一5:1)。
I. 最初に、このテキストの“信じる”とは、どういう意味であるか。
“イエスがキリストであると信じる者はだれでも” (ヨハネ第一5:1)。
“信じる”と訳されたギリシャ語は、“pisteuōn”です。 A・T・ロバートソン博士は、それは、“単に知的に感じる罪の意識では無く、あらゆる意味においてのpisteuōn・・・イエス・キリストへの完全なる屈服”(A. T. Robertson, Litt.D., Word Pictures in the New Testament, volume VI, Broadman Press, 1953, p. 237; note on I John 5:1)であると言いました。
ストロング注解書は、“pisteuōn”は、“人を信頼すること・・・人に信頼を寄せること”(#4100)という意味であると書いています。 スポルジョンは、“あなたが好むギリシャ語の用語集を調べなさい、そうすれば、あなたはpisteuōnは単に信じるだけでは無く、信頼すること・・・信仰の意味は、イエス・キリストへの信頼、また彼への依存であり、あなたの魂を救うことのない単なる概念的な信仰・・・では無い事をみいだすであろう” (“Faith and Regeneration,” Metropolitan Tabernacle Pulpit, number 979, p. 138; note on I John 5:1)と言いました。
悪魔は、イエス・キリストに対して“概念的な”信仰を持っています。 ルカの福音書第4章41節のような聖句を見出すのに、新約聖書を長々と読む必要はありません、
“また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである”(ルカ4:41)。
これらの悪霊どもは、イエスがキリストである事を知っていました。 しかし、彼らはイエスを信頼しませんでした。 ヨハネは、イエスがメサイア(救い主)なるキリストである事実を単に信じるようにとは告げていません。 彼は、キリストを信頼する様に‐pisteuōn-“キリストを信頼するよう、キリストに信仰を持つよう”に告げているのです。
スポルジョンは、青銅の蛇について引き続き話しました。 蛇はイスラエルの民を噛み、そして彼らを殺しました。 神は、モーセに青銅の蛇を造り、旗ざおに付けるように告げました。 蛇に噛まれて死に掛かっている人達は誰でも癒され、そして生きる為に、青銅の蛇をただ仰ぎ見なければなりませんでした。 ヨハネの福音書第3章14節と15節でイエスは、私達が救われる方法を説明する為にその話をされました。 スポルジョンは、“イエスを信じる事は、[ただ]彼に信仰の目を向けるだけ、心から彼を信頼する事である”(同著p. 140)と言いました。 どんなにあなた方の信仰が小さくとも、もしあなた方がイエスを仰ぎ見て、彼のみに信仰を置くならば、あらゆる場合において、あなた方が新たに生まれた事を証す信仰があなた方にあるのです。
“イエスがキリストであると信じる者はだれでも” (ヨハネ第一5:1)。
II. 二番目に、イエスを信頼する人は誰でも、新たに生まれ、神によって生まれる。
イエスを信頼していない多くの人達は、彼らは新たに生まれ変わったと自称します。 しかし、彼らは他の何物かを信頼しているのです。 ケイガン先生と、イレアナと私は、サンディエゴの近くで行われたお葬式に出席しました。 その帰りに私達は、カリフォルニア州で最も大きい南部バプテスト教会の一つである教会に立ち寄りました。 土曜日の集会が終ろうとしていました。 私達が出て来た時、警備員であった一人の若い女性に出合いました。 私は彼女がクリスチャンであるかどうかを尋ねました。 彼女は、“はいそうです”と答えました。 私は彼女に、“どのようにしてクリスチャンになりましたか”と尋ねました。 彼女は、“私は生まれて以来この教会のメンバーです”と言いました。 私は、“あなたは私の質問をよく理解していないようです。 私は‘あなたがどのようにしてクリスチャンになりましたか’と尋ねたのです”と言いました。 彼女は、“私はバプテスマ(洗礼)を受けました”と言いました。 私はもう一度、“では、あなたはどのようにしてクリスチャンになりましたか”と尋ねました。 彼女は、“私は毎週教会に出席しています”と答えました。 私はがっかりしてそこを立ち去りました。 その哀れな若い女性は、イエスについて一言も口に出すことが出来なかったのです! その巨大な南部バプテスト教会の牧師は世界的に名が知られています。 その女性は、今まで彼の説教を聞きました。 しかし彼女は、“どうして、そのようなことがありうるのでしょう”(ヨハネ3:9)とイエスに尋ねたニコデモの様に、彼女は新生について全く認識していませんでした
神様、お助け下さい! クリスティーン・ウィッカーが、“アメリカの福音主義なるキリスト教は絶えつつある”と言ったのも不思議でありません。 トーザー博士が、“福音主義派の全領域が、健全なキリスト教に対し、大体的に非好意的である”と言ったのも、不思議ではありません。 イエスを信頼する事なしには、あなた方は、巨大な南部バプテスト教会の生涯会員であるあの若い女性と同様、失われているのです。 ああ、教会の会員制を信頼してはなりません! バプテスマ(洗礼)を信頼してはなりません! 自分自身の善良に信頼してはなりません! そしてあなた方が何をしようと、感情なるフィーリングを信頼してはなりません! イエス・キリストを信頼しなさい! 十字架の血によってあなた方の罪から清められなさい。 スポルジョンはしばしば、“キリストに平らにうつぶせになりなさい”と言いました。 キリストを仰ぎ見なさい。 キリストを信頼しなさい。 キリストに目を向けなさい! それは難しい事ではありません! イスラエルの民が、青銅の蛇を仰ぎ見て癒されたように、キリストを仰ぎ見なさい!
仰ぎ見、生きよ、我が信仰の輩!
今イエスを仰ぎ見、そして生きよ
御言に記されん、ハレルヤ!
あなたは、ただ仰ぎ見、そして生きる!
(“Look and Live” by William A. Ogden, 1841-1897). (直訳)
III. 三番目に、新生によって何があふれ出るか。
“イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します” (ヨハネ第一5:1)。
このテキストの後半に注目して下さい。 “生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します”(ヨハネ第一5:1)。 教会の兄弟達の愛は、新生によってもたらされるのです。 真の回心をしたかどうかのテストは、私達が、真に回心している兄弟達を愛しているかどうかなのです。 J・バーノン・マックギー博士(Dr. J. Vernon McGee)は、“あなた方が、主イエス・キリストを信頼する時、あなた方は新たに生まれるのです、・・・そしてその証明はあなた方が神を愛している事です。 あなた方は―あなた方を生み出された―あなた方の父なる[神]を愛している―そしてあなた方は、神の他の子供達をも愛するでしょう。 なぜなら、彼らはあなた方の兄弟、そして姉妹だからです”(Thru the Bible, Thomas Nelson, 1983; note on I John 5:1)と言いました。
これが、アメリカの多くの教会が争い、多くの分裂を起し、多くの人達、特に若者達が教会を去って行く、主要な原因である事を私は確信します。 ティモシー・リン博士(Dr. Timothy Lin.)は、長年の私の牧師でした。 彼は多くの困難を体験した教会について書いています、
会衆の多くはクリスチャンであると主張する。しかし永遠の命は無かった;彼らは特権のゆえに戦った。しかし義務から後退した。そのような会員は、教会の奉仕を誤って取り扱う傾向がある。不幸にも、人々はしばしば、がん細胞[回心していない人々]をキリストの身体へと注入させている。それが、今日の教会が末期症状によって苦しんでいる理由である(Timothy Lin, Ph.D., The Secret of Church Growth, FCBC, 1992, pp. 38-40)。
ロイド‐ジョーンズ博士もまた、このように言いました、
人々が教会の会員であり、毎週出席しているという理由で、彼らはクリスチャンに違いないという発想は、最も致命的な思い込みであり、私はそれが、今日の教会の[不正な]状態の主因であるとして説明する((Martyn Lloyd-Jones, M.D., Preaching and Preachers, Zondervan Publishing House, 1981 edition, p. 149)。
人々は、何ら質問されることなくほとんど全てのバプテスト教会、もしくは福音主義教会の会員となる事が出来ます。 教会は彼らをすぐにでも受け入れます。 彼らのほとんどが真のクリスチャンにはなっていません。 リン先生が言われたように、彼らは、“会衆の多くはクリスチャンであると主張する。 しかし永遠の命は無かった”。 当然リン先生は、彼らにzōē aiōnio―彼らの内に、神からの命は無い、という事を指しています。 神からの命は、彼らが回心した時にもたらされます。 私達のテキストが示しているように、彼らは、“神によって生まれた”、“神によって生まれた者”になるのです。 偉大な説教者、ジョージ・ホウィットフィールド(George Whitefield, 1714-1770)は、ヘンリー・スコーガル(Henry Scougal)が書いた『The Life of God Within the Soul of Man』を読んだ後で救われました。 神からの命は、人々がイエスを信頼する瞬間に、彼らを再生します。 彼らは何も感じないかもしれません、しかし、成熟したクリスチャンならば、新たな回心者について何らかの変化がある事を見分ける事が出来るでしょう。 主な変化の一つは、彼らが、“神によって生まれた者”、“神によって生まれた”教会の他の人達を心から愛する事です。 彼らは、神からの命が内に宿っていることを感じ取るでしょう。 彼らは、それらの人達に対してクリスチャンの愛を持つでしょう。 ロイド‐ジョーンズ博士は、“我々が、互いに心から愛せるようになる以前に、我々の内に神性が宿らなければならない”(The Love of God, Crossway, 1994, p. 45)と言いました。 使徒ヨハネは、ヨハネの手紙の初めでこのように語りました、
“私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです” (ヨハネ第一3:14)。
その人は、霊的な死に留まります。 今朝私達は、あなた方が死から命に移る事を祈ります。 イエスを信じなさい。 イエスを信頼しなさい。 イエスに完全に頼りなさい。 イエスの血があなた方の罪を清めるでしょう。 イエスの死からの復活はあなた方に命を与えるでしょう。 あなた方がイエスに来て、彼のみを信頼する瞬間に―あなた方は死から命に移るでしょう。 あなた方は聖なる愛によって、イエスを信頼した私達の周囲にいる人達と共に霊的に団結するのです。
“彼らは、我々の愛で、我々がクリスチャンであるのを知るであろう。
そう、我々の愛で、我々がクリスチャンであるのを知るであろう”
(Chorus by Peter R. Scholtes, 1938-2009). (直訳)
私は、それがあなた方の体験になるように祈ります! イエスを信頼しなさい。 イエスは、十字架で流された血によって、あなた方を罪から清めて下さいます。 イエスはあなた方を罪から救い、そしてあなた方に永遠の命―神からの命さえも、与えて下さるでしょう! あなた方は、新しく生まれるでしょう!
“オリバー・ツィスト”の一場面をあなた方に言い聞かせてこの説教を終わります。 オリバーは、9才か10才のやせ細った小さな孤児でした。 彼の母親は、彼を出産した際に死に、彼には身内はありませんでした。 彼は、この世に一人の身寄りもない孤児でした。 彼は十九世紀の英国に住む孤児でした。 彼は半ば餓死状態でした。 孤児院では毎晩小さな茶碗一杯の水っぽいおじやを彼らに与えました。 オリバーのテーブルにいた他の少年達は、“もっとくれる様に頼みに行け”と彼に囁きました。 ついに空腹のため絶望的になり、その小さな少年は自分の茶碗を持って、大太りの係り員の所に行きました。 その太った係り員は彼を見て、“何がほしい?”と聞きました。 恐れた小さな声でオリバーは、“もっと下さい”と言いました。 太った係り員は、“何?”と言いました。 少年は、“もっと下さい”と答えました。 その太った係り員は叫んで、“何? もっと欲しいと? もっと! もっと欲しいと!”と言いました。 オリバーは、鞭で打たれ、独房に閉じ込められました。 そして彼は孤児院から追い出されました。 二日あまり後に彼は、葬儀屋へ働きに出されました。 葬儀屋は小さな暗い部屋の御棺の下にその少年を寝かせました。
もしあなた方が、ディケンズのこの本を読んだ事があるなら、あるいは、1948年に制作された映画を観た事があるなら、大太りの“ビーデル”が、この腹を空かした少年にもう一さじの水っぽいおじやを与えるのを拒否した、その場面を決して忘れはしないでしょう。
私は、あなた方のある人達が、キリストについてそのように考えているのではないかと思います。 あなた方は、キリストは意地悪で厳しい方と考えているのではないですか。 あなた方は、彼があなた方に救いを与えようとされないと考えているのではないですか。 それは非常に間違った考えです! キリストはあなた方を愛しています! 彼は、あなた方が求めている事を―そして、更にもっと与えようとしています! イエスは、“わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます”(マタイ11:28)と言われました。 またイエスは、“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます”(ヨハネ10:28)とも言われました。 そしてイエスは、“わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる”(黙示録11:28)とも言われました。
イエスは、無償であなた方に救いを与えて下さるでしょう。 イエスは、あなた方に命と平安を与えて下さるでしょう。 イエスは、あなた方に永遠の命を与えて下さるでしょう。 あなた方がしなければならない事は、ただイエスを信頼する事、彼を仰ぎ見て救われる事です。
仰ぎ見、生きよ、我が信仰の輩!
今イエスを仰ぎ見、そして生きよ
御言に記されん、ハレルヤ!
あなたは、ただ仰ぎ見、そして生きる!
(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。
アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ヨハネの手紙第一4:7-11;3:11-14。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Blest Be the Tie” (by John Fawcett, 1740-1817)/
“They’ll Know we are Christians by our Love” (by Peter R. Scholtes, 1938-2009).
要 綱 再生―クリスチャンの愛へのつながり R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 “イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。 生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します”。 (ヨハネの手紙第一第5章1節、新改訳) (テトス3:5)
I. 最初に、このテキストの“信じる”とは、どういう意味であるか。 II. 二番目に、イエスを信頼する人は誰でも、新たに生まれ、神によって生まれる。 ヨハネ3:9。
III. 三番目に、新生によって何があふれ出るか。 |