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新作映画『出エジプト記』
とその聖書に対する批判への私の応答!

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2014年12月28日、主の日の晩の説教

MY ANSWER TO THE NEW “EXODUS” MOVIE
AND ITS ATTACK ON THE BIBLE!
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord's Day Evening, December 28, 2014

“モーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう”。 (ヨハネの福音書第5章46, 47節、新改訳)

私が牧師になる使命を感じたのは十七才の時でした。 その頃は、私はまだ救われていませんでしたが、神が私に説教者になるのを望まれた事を感じていました。 私は大学の学位がなければならないと言われました。 私をそのことを長い間考えました。 私は高校を中退していたので、大学は私を受け入れてくれません。 ですので、再び私は高校に戻りました。 一般の高校に戻るには年齢が行き過ぎていたので、“不良少年達”の行くような特別な学校に行きました。 私は不良少年ではありませんでしたが、そこが私を受け入れてくれる唯一の高校でした。 私はその学校を一年余りで卒業し、大学へ進学する事を考えました。 その頃に、中国への偉大な宣教者、ジェイムズ・ハドソン・テイラーについての本を読みました。 私は、“自分もそうしよう。 中国人への説教者になろう”と考えたのです。  

私がロスアンゼルスのチャイニーズ・バプテスト教会に通い始めたのは、私が十九歳の時でした。 ティモシー・リン先生(Dr. Timothy Lin)がその教会の牧師になられる一年以上も前の事でした。 その年の秋に、私はバイオラ・カレッジ(現在のバイオラ・ユニバーシティ)に入学しました。 私はお金も無く、家庭からの支援も無かったので、午後はパートタイムの仕事をしながら、午前中に大学に通いました。 私は車を持っていなかったので、ロスアンゼルスから大学のあるラミラダ市までバスで通いました。 私は勉強の仕方をよく知りませんでした。 毎朝、長時間かけてのバス通いと、午後の数時間の仕事をやりのける事は、私には不可能でした。 私はバイオラでのほとんどの授業で落第点を取り、一学期だけでその学校から中退しました。 しかし、その学校にいた時に、私の生涯を永久に変えるある出来事が起こりました。

バイオラ・カレッジでは、学期毎に特別スピーカーを招いて一週間に渡る説教の集会が行われていました。 私が在籍していた時の説教者は、チャールズ・ウッドブリッジ博士(Dr. Charles J. Woodbridge)(1902-1995)でした。 彼はカリフォルニア州パサデナ市にあるフラー神学校の学校設立当初の教授の一人でした。 しかし、その学校がリベラル主義へ傾いていた事を感じ始めたので、彼はそこから引退しました。 

バイオラ・カレッジでのチャペル集会の時に、ウッドブリッジ博士は、ペテロの手紙第二を通して一句毎に説教しました。 彼の両親は宣教師だったので、彼は中国で生まれており、私にとっては非常に重要に思われました。 私は以前にも無く、またどの説教者以上にも増して、真剣に彼の言葉に耳を傾けました。 彼がペテロの手紙第二第2章1節から3節を説教し始めた時、フラー神学校の初期的なリベラル主義、そして他の多くの神学校でのリベラル主義に対して、彼は強く抗議しました。 彼は簡単に惑わされるような人ではありません。 彼はプリンストン大学で教会歴史の博士号を取得・卒業し、その後デューク・ユニバーシティで学びました。 J・グレシャム・メンシェン博士(Dr. J. Gresham Machen)は、彼を、長老派教会海外宣教独立会(the Independent Board for Presbyterian Foreign Missions)の代表に任命しました。 彼の説教を一週間聞いた後、私は回心しました。 私は救われただけでなく、ヘブライ語によって書かれた旧約聖書と、ギリシャ語で書かれた新約聖書は、完全に間違いのない言葉、一語一句が神の霊感によるものである事を信じました。 私はバイオラ・カレッジには一学期しか通いませんでしたが、イエスが私を救って下さったのは、そこであり、私が聖書の御言葉を信頼するようになったのも、実にこの学校でした。 紀元一世紀頃にパリサイ人達は旧約聖書を信じたと言いました、しかし、彼らはキリストに関する聖書の預言を拒否しました。 イエスはこのように言われました、

“もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう”(ヨハネ5:46, 47)。

W・A・クリスウェル博士(Dr. W. A. Criswell)は、“イエスの言葉によって推測される事は、モーセが正に御言を書いた事、そしてユダヤ人達はイエスが引用している聖句を知っていたという事である”(The Criswell Study Bible; note on John 5:45-47)と指摘しています。 R・C・H・レンスキ博士(Dr. R. C. H. Lenski)は、“ユダヤ人達は、モーセの言った言葉を信じていない、従って、イエスが言われた言葉もまた信じていない”(The Interpretation of St. John’s Gospel; note on John 5:46)と言いました。 そしてチャールズ・ジョン・エリコット博士(Dr. Charles John Ellicott)は、“彼らはモーセを信じなかった、それゆえ、イエスを信じなかったのである”(Commentary on the Whole Bible; note on John 5:46)と言いました。

“もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう”(ヨハネ5:46, 47)。

レンスキ博士は、イエスの言葉は、“提案を挙げている、全てのいわゆる‘リサーチ’以上に価値があり、それはこれらの批判に対して立ち向かう”(Lenski, 同著)と言いました。 “もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです”(ヨハネ5:46)。

現在、レッドレー・スコットによって監督・共同制作された『出エジプト記:神々と王達』という新作映画が上映されています。 ウィキペディアは、“2013年に、レッドレーは無神論者である事を主張している”事を記しています。 ですから私達は、アルバート・モーラー博士(Dr. Albert Mohler)が“我々がこの映画で見るものは、“神業なしのモーセである”(www.albertmohler.com)と言った事に驚かされるべきではありません。 不思議ではありません! この映画の共同制作者で監督者である彼は、無神論者なのです! 神を信じない人が、聖書に忠実に、主イエス・キリストの証に忠実である出エジプト記についての映画を製作する事がどのようにして可能なのでしょうか? レッドリー・スコットが、神を十一才の少年として描いているのも不思議ではありません。 彼が、“疫病や奇跡は自然的な説明で、神業なる出来事では無いように表している”のも不思議はありません(Mohler, 同著)。 しかしモーラー博士は、“聖書は明白に出エジプト記を歴史として表している。 そしてキリスト教の歴史はその歴史基盤の上に造り上げられている事を表している”と言っています(同著)。 しかし レッドレー・スコットは、“彼はモーセが存在していた事を信じ無かったこと―そして、出エジプト記の話は歴史上真実として受け取らなかったことを明白にしている。 彼は、宗教ニュース社(Religious News Service)に、なぜなら、私はそれを信じないからと、空想的科学小説を見るように[彼の]映画を見ている”(Mohler, 同著)と言いました。 

“もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう”(ヨハネ5:46, 47)。

2001年4月13日のロス・アンゼルス・タイムズ(新聞)は、タイムズの宗教欄の筆者、テレサ・ワタナベの“出エジプト記の記述の疑い”と題する記事を一面に載せました。 その記事は、この曲解された映画、『出エジプト記:神々と王達』に非常によく似た、出エジプト記に対して攻撃するものでした。 私はタイムズの記事の主要な点を読み、そしてそれらに対して応答します。 

出エジプト記の記述の疑い

多くの神学者達は、モーセのエピックは全く起こらなかった事を密かに推論しており、ユダヤ人の聖職者達でさえも疑問を持ち上げている・・・。

しかしながら、 そこには神学者達の名前は挙げられていませんでした。 そして、ロスアンゼルスの近くのウエストウッドにあるユダヤ教寺院のラビの一人であるユダヤ人の“聖職者”のみの言葉が引用されていました。 しかしその記事は、それがオーソドックス派の寺院で、あとは告げておらず、またそのラビが、旧約聖書を文字どうり受け取るオーソドックス派のラビのようではなく、リベラル主義派であることも告げていませんでした。 そしてその記事は、トリニティ・エバンジェリカル・神学校のグリーソン・アーチャー博士(Dr. Gleason Archer)、タルボット神学校のチャールズ・L・ファインバーグ博士(Dr. Charles L. Feinberg)、そして台湾のチャイナ・エバンジェリカル・神学校の学長であったティモシー・リン博士(Dr. Timothy Lin)等の多くの神学者達がいる事も取り上げていませんでした。 これらの学者達は、出エジプト記が文字どうり真実である事を教えました。 その神学者達は、タイムズの記事には挙げられていませんでした。 保守派の学者達は存在しないような印象を残し、神学論のリベラル主義神学者達に関してだけに触れていました。 その記事は引き続きこのように書かかれています、

考古学者達は、イスラエルの民がエジプトにいた事、奴隷であった事、四十年間シナイ半島の荒野を彷徨った事は全くなく、またカナンの地を征服した事などの確実な証明はないと言っている(同著)。 

私はこの記事を息子のレスリーに読みました。 その新聞が発行された時、彼は十七歳でした。 私がそれを読んだ直後に息子は、“これらの事柄(出エジプト記の中に述べられている)が中国もしくはイギリスのような通常の国で起こっていたならば、彼らは随分前に証拠を見出していたでしょう。 しかしそれは中東の‘通常’でない国でした。 彼らは絶え間のない戦争と不和がありました。 出エジプト記が書かれて以来、ユダヤ人達は世界中へ二度散らばりました。 聖書(出エジプト記)に現われる場所は何千年もの間、略奪され、激しい攻撃を受け、そして破壊されました。 私達はそのような後で、完全に証拠が明らかにされる事は期待できないでしょう”と言いました。 彼がそう言った時、私は、“この17才の少年はリベラル主義の聖書の批評家よりも賢い”と思いました。

オレンジ郡のラビ協議会の会長であるラビ・デイビッド・エリーズリー(Rabbi David Eliezrie)は、この新聞の記事でこのように引用されました、

何年か前に、出エジプト記を疑がった同じ考古学者が、ダビデ王と言う人物はいなかったと語った。ダビデ王に関して刻字がイスラエルで発見された時に、この理論は不当と認められた(Quoted in the Jewish Journal, 4/20/01, p. 11)。

イスラエルに住む私の友人は、タイムズの記事が載せられる何年か前に、考古学者達は、“ダビデ王”とはっきりと書かれた、ダビデの時代からの器のかけらを掘り出した、と書いた手紙をくれました。 

W・A・クリスウェル博士は、非常に明晰な神学者でした。 彼はケンタッキー州ルイスヴィル市の南部バプテスト神学校から聖書言語学の博士号を取得しました。 彼は、聖書の多くの書物の注解書などを含めた著作を多く書きました。 彼はアメリカで一番大きな“プロテスタント主義”の宗派である南部バプテスト協議会の会長に二度選ばれました。 彼は間違いなく神学校の学長にもなれたことでしょう! 彼の重要な著書、『Why I Preach that the Bible is Literally True 』(Broadman Press, 1969) でクリスウェル博士はこのように書いています、

     かつて、文字が考案される以前にモーセは生きており、モーセがモーセ五書を書く事が出来た事は驚くべきことと考えられていた。これが現代の[リベラル主義の]確信された批判原因の一つであった。しかし我々は現在、中近東での文字はキリストの時代の2000年前から存在した技巧であった事を知る。モーセの時代の知られていなかった事を書くのではなく、我々は、モーセの時代の何百年も先に、文字はよく発達していた技巧であった事を発見した―モーセの時代のかなり以前から・・・。

     エジプトでの厳しい束縛の間に、へブル人によって、ラムジー二世の為に建てられた重要な都市ピソムで、他の考古学者は、聖書の真実が発見された事実を証している。この都市は最近発掘され、出エジプト記第5章7章と的確に一致し、家の壁の幾つかはわらが含まれ、幾つかはわらなしの、太陽で焼かれたブリックである事が発見された。・・・[リベラル主義の]批評家達が愚かでばかげた事と嘲笑した頃に、またしても、聖書の歴史の間違いでない事が証明された。

 

しかし私は更に深く入り込みます。 私がゴールデン・ゲート・バプテスト神学校に通い、卒業した頃に、教授であったリベラル主義の批評家達は、私達学生達に、エジプトにへブル人達がいた事の記録はないと教えました。 私は、出エジプト記の第5章で告げられているように、ブリックを作っているひげ面の人々の写真を彼らに持って行き、ピラミッドの壁を写したそれらの写真を教授達に見せました。 それでも彼らは嘲笑い、聖書を信じた私は、狂信者であると言いました。 しかし、それらのひげ面の男性達の一人の写真は、『Historical Atlas of the Jewish People』(cf. The Jewish Journal, 4/20/01, p. 11)でも見られます。 エジプト人達は完全にひげを剃っていたので、ブリックを作っていた人達は、出エジプト記の時代にエジプトの地に住んでいたへブル人を明白に指摘します! オーソドックス派のラビ・デイビッド・エリーズリーは、タイムズの記事の出エジプト記のリベラル主義の批評家に関してこのように語っています、

彼らの生活様式と教育は、出エジプト記のどの証明にも反対する見解を引き起こす考え方を生み出す。彼らに、他の代替案が全くない時のみに、彼らはトーラー(旧約聖書)に書かれている事に真実の可能性を不本意ながら同意する(The Jewish Journal, 4/20/01, p. 11)。

タイムズは、“出エジプト記に敵対する事態は十三年ほど前に具体化され始めた・・・学者達が十年以上も知っていた事・・・”と言ったとき、冗談の如く、あきれるほどに、その記事は間違っていました。 それは、あからさまな偽りです。 聖書の批評家達は、過去二百年以上に渡ってこのような事を言っていたのです! ジョナサン・セムラー(Johann Semler, 1725-1791)は、このような聖書の批判を18世紀にドイツで始めました。 ハロルド・リンゼル博士(Dr. Harold Lindsell)は、このように言いました、

1757年に、彼はハレ神学校の教員主任になった。彼は、聖書のテキスト批判の原理を発展させた一人である。彼が聖書の逐語霊感説の発想に挑戦した時に、彼は父親のオーソドックス派の教えから去った(Harold Lindsell, Ph.D., The Bible in the Balance, Zondervan Publishing House, 1979, p. 280)。

タイムズの記事は、リベラル主義の学者達は、これらの出エジプト記のいわゆる“誤り”を数年間だけ知っていました―すなわち、10年から13年、この記事が2001年に書かれた時にです。 これは、その批判が1988年もしくは2001年まで出エジプト記の誤りを証明し始めなかったという事でしょう。 それならなぜ私は、その15年前の1972年と1973年に、ゴールデン・ゲート・セミナリーでこれら全てを聞いたのでしょうか? そしてなぜヘンリー・M・モリス博士は1951年、タイムズの記事に載せられる五十年前に、このような質問をしたのでしょうか? 1951年にモリス博士は言いました、

何百年もの間、それらの書物が、モーセの偽りのない業績であったかという疑いを、現代の高等批評家がそれらに取り掛かるまで、誰も全く持たなかったという事は可能であろうか?(Henry M. Morris, Ph.D., The Bible and Modern Science, Chicago: Moody Press, 1951, p. 102)。

そして、もし出エジプト記に対する批判が数年前に始まっていたならば、なぜウィンストン・チャーチルはそれらについて1932年に書いたのでしょうか? 82年以上も前にチャーチルは、彼の時代のリベラル主義の聖書の批評家に反対して、モーセと出エジプト記を擁護しました。 チャーチルはこう言いました、

我々は、モーセが司祭職、そして人々が彼らの主要な社会的、道徳的、そして宗教的なしきたりに関して頼った伝説的な人物であったという不自然な作り話を学んだ人達を蔑んで拒否する。我々は、最も科学的な見解、最新式、そして合理的な観念を信じる。聖書の記述[出エジプト記]を文字道理受け取る事によって、そして人類の歴史上で堪忍できる最も明白な変化によって、最も偉大な人物の一人(モーセ)を確定する事によって、最高の満足感を見出す。我々はプロフェッサー・グラッジリンド(Professor Gradgrind)とドライズダスト博士(Dr. Dryasdust)によっては依然として動揺されない。これらの全ての出来事[出エジプト記]が、聖なる書物に従って提示されたように起こった事は確かであろう・・・我々は、堅個で動じない聖書に確信を置く(Winston S. Churchill, “Moses,” in Amid These Storms, New York, Scribners, 1932, p. 293)。

チャーチルは、聖書学者ではありませんでした。 しかし彼は、ノーベル賞を受賞(1953年)した歴史家でした。 歴史家として彼は、出エジプト記は作り話ではなく、実際に起こった出来事に基づいていなければならなかった事を知っていました。 歴史家としての彼の洞察力は、“ドライズダスト博士”や聖書の他のどんな批評家以上に、はるかに優れた洞察力を与えました。 それは、彼以外の全てのイギリス人、そしてジョン・F・ケネディーの父親を含めたアメリカの指導者達が、ヒットラーを、1930年代の偉大な“政治指導家”と見なしていた時に、チャーチルは、ヒットラーが危険な人物である事を見抜いたのと同じような洞察力でした。 

批評家と映画『出エジプト記』でレッドレー・スコットのような人達が聖書を信じない本当の理由は、彼らは霊的に盲目だからです。 聖書は語ります、 

“生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです” (コリント第一2: 14)。

神の御霊に属する事は、“生まれながらの人間”に隠されています。 人が謙虚になりキリストを信頼するときまで、人の霊的な目は聖書の真実に対し開かれません。

“もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう”(ヨハネ5:46, 47)。

イエスはあなた方の罪を贖う為に十字架で死なれました。 イエスはあなた方にいのちを与える為に死からよみがえられました。 キリストは、“あなたがたは新しく生まれなければならない”(ヨハネ3:7)と言われました。 あなた方が神の力によって、真に新たに生まれた時に、出エジプト記の大いなる真実と、聖書の全体を理解する事が出来るでしょう。 アーメン。 チャン先生、私たちを祈りに導いてください。

(説教終了)
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ヨハネの福音書5:39-47。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“I Know the Bible is True” (by Dr. B. B. McKinney, 1886-1952).