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リバイバルで神が用いられる人々(リバイバルについての説教 その12) R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて THE PEOPLE GOD USES IN REVIVAL by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです”(コリント第一第1章27節、新改訳)。 |
リバイバルに関して最も顕著な事柄の一つが、この聖句に示されています。 神は、賢い人達と強い人達をはずかしめる為に、この世の愚かな、そして弱い人達を選ばれる、という事です。 聖書を読む人には、それが明白に理解できるはずです。 キリストがお生まれになる時、神は貧しい家庭の十代の少女をキリストの母親に選ばれました。 キリストがお生まれになった時、彼を拝む為に、神は貧しい羊飼い達を送られました。 神はキリストなる幼子に挨拶する為に、ヘロデ王あるいはイスラエルを支配する長老達を送られませんでした。 そうでなく、神は遠くはなれた異端の国から、三人の天文学者を送られました。 イエスが奉仕を始めようとされた時、神はそれを公表する為に祭司長を使わされませんでした。 そうでなく、神は貧しい預言者バプテスマのヨハネを使わされました。 イエスが十二弟子達を召命しようとされる時、彼はユダヤの最高議会であるサンヒドリンから十二人を選ばず、むしろ重要でない単なる漁師達を召命されました。 そして、イエスはユダの代わりになる人を選ばれる時、最悪な罪人で、罪人の“長”と自称したタルススのパウロという殺人者を選ばれました! キリストの生涯でこのことは明白でした、
“神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです”(コリント第一1:27)。
旧約聖書でも、この様な出来事は何度も何度も現れます。 カインは年上の息子であり、より重要な人物であったけれども、神はカインよりもアベルを選ばれました。 イサウは年長で相続人であったけれども、神は彼の代わりにヤコブを選ばれました。 ヨセフは末っ子でか弱い息子であったけれども、神は、他の十一人の息子達に代わってヨセフを選ばれました。 神はパロに代わってモーセを選ばれました。 神は当時この世でもっとも力のある強い人に代わって羊飼いを選ばれたのです。 ギデオンは、“私の分団は・・・弱く、私は父の家で一番若いのです”(士師記6:15)と言ったけれども、神はミデアン人からイスラエルを救う為にギデオンを選ばれました。 神は祭司長の二人の息子に代わって、孤児同然の子供サムエルを選ばれました。 神は、強力なサウル王に代わって、羊飼いの少年ダビデを選ばれました。
何度も何度もキリスト教の歴史を通してこの叙述は真実となっています、
“神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです”(コリント第一1:27)。
初期のクリスチャンは貧しく、みすぼらしい人達でした。 彼らの多くは奴隷でもありました。 彼らは十人のローマ皇帝によって死へと迫害されました。 当時のそれらの皇帝は、この世で最も力のある強い人物ではあったけれども、(皇帝ネロを除いては)私達の誰も彼らを覚えていません。 世界の人々は、ローマ法王が毎年、聖金曜日にコロセウムでミサを挙行する時、カタコンべの殉教者達を思い出します。 それらの殉教者である奴隷達は、古代ローマの勢力と権力を凌駕したのです!
ルターについて考えて見て下さい。 マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士が、ルターに関して語っている次の事に耳を傾けて下さい、
どんな望みがこの、ただの名も無い修道士マーティン・ルターにあったであろうか?全ての教会と十二ないし十三世紀間の伝統に対して、逆の方向へ立ち向かったこの人物は一体何者であったのか?この一人の人物が立ち上がり、“自分のみが正しく、あなた方は全てあやっている”と言うこと自体、実に横柄であるように思える。それが彼について今日語られるであろうことである。且つ、彼は神の御霊が働いていた人であった事を知る。そしてたった一人であったけれども、彼は立ち上がった。一人で立ち上り、そして聖霊は彼を称賛した。プロテスタント主義の改革が起り、それは継続し、そして、それ以来絶えず変わっていない。・・・私が言わんとする事は、神がご自分の教会で働き始められる時、そしてリバイバルへと道を整えられる時、神はこのように為されると思われる。神は、離れて呼ばれる人達、言わば、この思いを意識している故に、静かに、知られない様に、そして目立たないように集まる或る一定の人々にその思いを負わせられる(Martyn Lloyd-Jones, M.D., Revival, Crossway Books, 1987, pp. 203, 167)。
そして実に同じように、これら全てのリバイバルの歴史の中にそれを見出す。ジェイムズ・マックキルケンという男性が二人の人に語りかけた。彼らは状況を全て理解し、その三人は狭い通りにある小さな学校の教室に集まった。私が北アイルランドに行った時に、その場所を訪問する機会に恵まれた。私はそこに出向いて行った、なぜなら、私はその様な場所を目にする事を好むからである。・・・彼らはこの召命を祈る事と感じた(Lloyd-Jones, ibid., p. 165)。
そうして、この三人の男性達が、聖霊のほとばしりを神に祈った時に、当然の如く1859年に、リバイバルが北アイルランドに起りました。 そうしてロイド‐ジョーンズ博士は、“私の言うことを聞いて下さい、次回、リバイバルが起こる時、皆さんが予期しない驚きとして起こるであろう、特にリバイバルを企画しようと試みている人達にとって。 それはこの[謙虚な、控えめな]人目につかないような方法で起こるであろう。 男性達、また女性達は、祈る為にそっと席を離れる、なぜなら、彼らがこの思いを感じ、自分達を制することが出来ず、リバイバル無しには継続出来ないゆえに。 そうして彼らは同じように、神に切に祈っている人達と共に集まる事を望む”(Lloyd-Jones, 同著, pp. 165-166)。
ロイド‐ジーョンズ博士は続けて、“そうしてあなた方はおそらく、あらゆる面に於いてメソジスト主義の話を知っているであろう。 それはどのようにして起ったのか・・・? それは実に同じように、二人のウェスレー兄弟とホィットフィールド、そして英国(国)教会の会員であった人達によって起った。 しばらくの間、誰もその事に気づかなかった。 しかし彼らは共に集まった、なぜなら彼らは共通の事によって引き寄せられたからである”(同著、p. 166)。
誰でもジョージ・ホィットフィールドやジョンそしてチャールズ・ウェスレーを知っています。 しかしその当時は誰も彼らを知りませんでした。 彼らは、英国(国)教会の活気の無さを感じ、キリストの体験によって神が称えられる事を望んだ単なる一般的な若者達でした。
ある人、ビッショプ・ライリーだったと思いますが、彼は、ジョン・ウェスレー(John Wesley)は英国(国)教会の主任である、カンタベリー大主教に就くべきであったと言いました。 しかし当然のごとく、ウェスレーはそのような高い地位は望んでもいませんでした。 逆に彼は笑い者にされ,冷笑されました。 彼は決して再び、卒業したオックスフォード大学で説教はできないであろうと言われました。 なぜなら、彼は学生や大学の教員達に、新たに生まれなければならないと告げたからです。 彼の母親、スザンナ・ウェスレーでさえも、彼女自身が回心する以前には、彼が“熱狂者”―ファナティック―の様に説教している事に不満を感じました。 四十三年間彼は、イギリス中の野外で、彼の説教を聞く為に集まった大観衆に向けて、毎日三回説教しました。 しかし彼自身の宗派が、この偉大な人物を嘲笑し、軽蔑し続けました。 彼は八十才の後半の老年になるまで、全く称賛されませんでした。 ジョン・ウェスレーが奉仕をしている間、六人の人達がカンタベリーの大主教の地位に就きました。 これらが年代順に挙げた彼らの名前です、
ジョン・ポター (John Potter 1737-1747)
トーマス・へリング (Thomas Herring 1747-1757)
マチュー・ハットン(Matthew Hutton 1757-1758)
トーマス・セッカー(Thomas Secker 1758-1768)
フレデリック・コーンウォ―リス(Frederick Cornwallis 1768-1783)
ジョン・モア(John Moore 1783-1805)
アングリカンの歴史家を除いては、これら六名の“偉大な”人物と称される内の一人の名前を挙げる事さえ出来る人はいないと思います。 しかし、ほとんど全てのクリスチャンはジョン・ウェスレーの名前を知っています。 そしてほとんどの人達は、彼の兄弟、チャールズ・ウェスレーの名前も知っています。 彼の讃美歌は今日宗派を超えて全ての教会で歌われています。 しかし、1738年の大晦日に、英語圏で第一大覚醒が起る直前に、ホィット・フィールドとウェスレー兄弟が、他の何人かの人達と一緒に聖霊のほとばしりの為に集まって祈っていた時、彼らはまだ未熟で、無名な若者達でした。
“神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです”(コリント第一1:27)。
この聖句は、常に若者達がリバイバルではリーダーである事を明白にしています。 教会の間で最初に御霊の動きを感じるのは若者達です。 そしてそれは通常、義に飢え、義を切望し、リバイバルと神の真実性を慕い求める若者達なのです。
私が目撃した最初のリバイバルは、チャイニーズ・バプテスト教会で、夏の山でのキャンプの時に、若者達の間で起りました。 ある朝彼らが集まって祈っていた時に、神の御霊が非常な力で彼らに下り、リバイバルは、私達がキャンプから戻って来た次の日曜日の集会へと続きました。 リバイバルは、その日曜日の朝から晩まで続きました。 今でも私はその若者達の祈りを覚えています。 また未だに、それらの集会での畏怖と驚嘆の念、悔い改めの涙、罪の告白、そして祈りと神の親近感を覚えています。
バージニア州のバプテスト教会で私が目撃したリバイバルでは、三人の若い女性達がトリオで歌う為に出て来ました。 彼女らは罪の意識で感情を抑えきれずに泣き出しました。 そして教会全体が、リバイバルでしばしば感じる、“神が私達の間に降りて来られた”事を体験しました。
“ザクセン州ヘルンフートで8月13日に、若者の間にリバイバルが起った”。 8月29日、“午後10時から翌朝の1時までに、真に影響されている情景が目にされた。 ヘルンフートの少女達は、この[3]時間祈り、歌い、そして泣いた。 同時に少年達は、他の場所で熱心に祈りに従事した。 その際に子供達に注がれた御霊による祈りと願いは非常に力強く、有効的であり、その描写を適切な言葉で言い表すことは不可能である”(John Greenfield, Power From On High, World Wide Revival Prayer Movement, 1950, p. 31)。
1973年10月に、ボルネオ島のバリオで中学生達の間にリバイバルが起こった。 二人の少年は共に祈り、最初は御霊の働きを妨害していた校長自身もが悔い改めの状態へもたらされ、徐々に全校が引き寄せられた(Shirley Lees, Drunk Before Dawn, Overseas Missionary Fellowship, 1979, pp. 185-189)。
ブライアン・H・エドワードは、“重要な事は、リバイバルでは、・・・特に挑戦され、変えられるのは若者達である。 そして多くの場合、彼らがリバイバルを最も深く慕い求め、祈り、そうしてリバイバルがもたらされる人達である。・・・それが的確に報告されているにも関わらず、リバイバルの共通要点を分析する人達の目には留まらない、それがリバイバルの一つの特徴である”((Brian H. Edwards, Revival! A People Saturated With God, Evangelical Press, 1991 edition, p. 165)。
“神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです”(コリント第一1:27)。
エイミー・カーマイケル(Amy Carmichael)はインドで起った聖霊のほとばしりをこのように描写しています、
起こり始めたのは、朝の集会が終わる頃であった。話をしていた人は、内面の急なる強制的な事に圧倒され、余儀なく止めさせられた。祈ることさえ不可能であった。少年の学校の年長者の一人が、祈りを試み始めたが、彼は泣き崩れ、他の者も、そうして年長者を入れて全てが一緒に祈りを試み始めた。すぐに、若者達の間で、ある者達は非常な鳴き声を上げ、ゆるしのために祈り始めた。それは女性達へ広がった。それはびっくりするような、怖ろしい事だったので ―他の言葉がおぼえつかない―その詳細は捉えられなかった。 すぐに多くの者は床の上で、一人一人の少年少女、男女は、他の者に気をかけず、神に叫んでいた。その音は波の音のようで、森林の中の強い風のようであった・・・。まず初めに、その動きは、ほとんど全体的に、回収した少年達、男子生徒・・・そして、若い教会員達の間であった。七か月後に彼女は、“我々のほとんどの[若者達]が、次から次へと回心した”と報告してきた(J. Edwin Orr, Ph.D., The Flaming Tongue, Moody Press, 1973, pp. 18, 19)。
“まず初めに、その動きは、ほとんど全体的に、回収した少年達、男子生徒・・・そして、若い教会員達の間であった”の言葉に注目してください。 若者達が、リバイバルでの聖霊のほとばしりを望むように、それが、リバイバルが教会に起こる際、しばしば目撃される起こり方です。 ロスアンゼルス、サンフランシスコ近郊、そしてバージニア州バージニアビーチで、神が強い力でもって御霊を若者達に注がれたとき、私は自分の目で三つのリバイバルを目撃したのです。見ました。
では、今夜ここにいる私達の若者達に話します。 この説教のマニュスクリプトをあなた方にあげますから、家に持って帰ってください。 来週、それを毎日読んでもらいたいと思います。 そして、そのことがあなた方の生涯に起こること、そして私達の教会に起こることを祈ってください。
あなた方は、“ハイマーズ先生は、このようなことが私達の教会で起こることを決して許さないであろう”と考えているかも知れません。 しかしあなた方は間違っています。 私はリバイバルについて十分知っていると信じます。 もし神が慈悲を持たれ、神聖なリバイバルの御力で私達に降りて来られるならば、私は聖霊を妨げません、もしくは聖霊の行為を止めません。 あなた方は、祈りの中に、預言者イザヤのその言葉を入れることさえできるでしょう。
“ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう”(イザヤ64:1)。
チャン先生、私達を祈りに導いてください。
(説教終了)
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:コリント第一第1章26-31節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Teach Me to Pray” (by Albert S. Reitz, 1879-1966).
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