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不信-リバイバルへの妨げ(リバイバルについての説教 その11) R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて UNBELIEF – A HINDRANCE TO REVIVAL by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ”(ホセア書第5章6節、新改訳)。 |
イスラエル人は、彼らがアッシリア人に直面している危機感を感じました。そうして彼らは神を求めました。神の怒りをなだめる為に、彼らは犠牲にする多くの羊や牛を携えて来ました。しかし、神からの憐れみを得ることは出来ませんでした。真の神を神として崇めず、他の犯した罪のゆえに、“主は彼らを離れ去ったのだ”。彼らは、神を見出せるであろう時に神を求めませんでした。もう手遅れなのです。神は、彼らからご自分を離れ去られたのです。
“彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ”(ホセア5:6)。
先週の水曜日にビリー・グラハムのビデオを見ていた時に、私はその聖句に思いを巡らしました。1983年の頃、カリフォルニア州のサクラメント市で彼は説教をしていました。彼の主題は、“『聖霊』(英語で、the Holy Spirit)”でした。彼が説教をしていた間に、私は、私達のテキストの、“主は彼らを離れ去ったのだ”という言葉を考えました。
私はビリー・グラハムが大好きである事を、あなた方に理解してもらいたいいと思います。私はいつもそうであり、また、それは変わらないでしょう。思い出す事、1963年の8月に、ロスアンゼルス・コロシアムでの彼の説教を聞きに行きました。クルマを降りた時に、私は文字どうり空中に電気が走るのを感じるように、聖霊を“感じました”。コロシアムの中に歩いて入っていくと、身の毛がよだつようでした。私は聖霊を非常に強く感じ、全ての体験が感動的でした。広大なスタジアムの全観衆が、完全に静粛していました。大合唱団が立って 、“『輝く日を仰ぐとき』(How Great Thou Art)”を歌った時には、物音一つしませんでした。グラハム氏の説教は非常にパワフルで、今日までもそのほとんどを私は覚えています!
その後数十年間、私は異なった都市でのビリー・グラハム・クルセードに出席しました。しかし、70年代の初期に、カリフォルニア州のオークランド市で開催されたクルセードに行った時、彼の説教にはさほどの力はありませんでした。そうして1980年代の初期に、私の牧師、ティモシー・リン先生(Dr. Timothy Lin)と一緒にグラハム氏の説教を偶然テレビで見ました。説教がほぼ半ばを過ぎる時、“彼の説教には力がないように思える”とリン先生は言いました。グラハム氏が年老いたからだとは思いません。彼は非常に活気にあふれているように見えましたが、何かが欠けているように感じられました。私が先週の水曜日の晩に、彼が説教をしているのを見た時も、それと同じような感じを受けました。彼は聖霊に関して説教していました。しかし、何かが欠けていたのです。聖霊ご自身がそこに欠けているように私には思えました。“主は彼らを離れ去ったのだ”(ホセア5:6)のです。そして、それはグラハム氏が説教している時だけではありません。西洋の国々で、今日の教会で聞くほとんどの説教に、聖霊が欠けているように私は感じます。それは非常に悲観なことです、なぜなら、私達が説教する時、神ご自身がアメリカの教会から離れ去られたように感じるからです!それは悲しく、何とも嘆かわしいことです!時折そのことについて考える時、私の目には涙が浮かんできます!ロイド‐ジョーンズ博士は、“聖霊無しに説教することは出来る。私はこの言葉を知性によってとことん述べる事が出来る。しかし、それは十分では無い。我々は聖霊と力の実証が必要である”(Martyn Lloyd-Jones, M.D., Revival, Crossway Books, 1987, p. 185)と言いました。どんなにか、その力が私自身に必要でしょうか!私の説教の為に祈ってください!ご承知のように、英語圏の国々では、1859年以来、大規模なリバイバルは起っていません。それは150年以上にもなります。1859年以前には、教会は神からのリバイバルをほぼ10年毎に体験しました。しかし、マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士は、“1859年以来、大規模なリバイバルは一回だけである。あぁ、我々は不毛の地をさ迷って来た・・・人々は生きた神、罪の償い、そして和解への信仰を失い、知恵、哲学、そして学問へと向きを変えた。我々は、教会の歴史中で最も不毛な一時期を体験している。我々は現在でも荒野の中にいる。我々はそれを切り抜けたと提案するような事は、何も信じてはならない、そうでは無い”(D. Martyn Lloyd-Jones, M.D., Revival, 1987, Crossway Books, p. 129)と言いました。
それが、中国でのパワフルなリバイバルのビデオ、『十字架-中国のイエス』The Cross – Jesus in China (China Soul for Christ Foundation, click here to order it)をあなた方に見せた理由なのです。私はあなた方に、リバイバルが今日でも可能であるだけでなく―現在それが他の国々で起きていることを、見せたかったのです。しかし、西洋では伝統的なリバイバルが起っていないので、あなた方自身が目撃する様、中国に送ることは出来ません。私は中国で製作されたビデオだけを見せることが出来るだけです。私は、あなた方がこのビデオを見て、リバイバルを慕い求めるよう望みました。ソロモン王は、このように言いました、
“遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ”(箴言25:25)。
私は、神は今日現在でも、リバイバルを送られる事が出来ることをあなた方に見てほしいと思いました。 ブライアン・H・エドワードは、こう述べました、
リバイバルが病気のように感染するというのでは無い、しかしその影響はそれらについて語られた、もしくはそれらを目にする人達の間に、切望と渇望を引き起こす。神が用いられた人達の多くは、彼ら自身が、過去に神の為された事を認識していた。・・・我々への神の可能性に、我々が反応するように過去のリバイバルについて学べることの全てを生かさないのは愚かである。我々は、神が為される可能性に対して目を見開らき、我々の心を広げ、そして神の強力な力に、我々の構想を置かなければならない。神は、ご自分が過去に為された事に対して、我々が反応する事を待っておられるのかもしれない(Brian H. Edwards, Revival! – A People Saturated with God, Evangelical Press, 1991 edition, pp. 91, 92)。
過去のリバイバルと、今現在、他の国で起っているリバイバルについて話を聞く事は、神が、私達自身のこの教会に置いて、それらの事を為す事が出来るという信仰を、私達は深めるべきです。 不信仰は、私達の間でのリバイバルに対する最大の妨げです。
イエスはナザレの郷里に戻りました。人々は、彼らの宮で彼の説教を聞き“驚き”ました。しかし彼らの内の何人かは、イエスはたかが大工の息子ではないかと言いました。彼らはイエスのために腹を立てました。そこで聖書は、“イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった”(マタイ13:58)と言っています。 ジョン・ギル博士は、“力が欠けているのではなく、また、イエスが打ち勝つには、彼らの不信仰が強すぎたからはなく、イエスは、彼らに値しないと判断されたので、そうされなかった”(John Gill, D.D., An Exposition of the New Testament, volume I, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, p. 159; note on Matthew 13:58)と言いました。
実際にすばらしいリバイバルの最中にいながら、それに気が付かなかった一人の男性を私は知っています。彼は結婚したばかりだったからです。バージニアでの真に驚くべきリバイバルの最中にいながらも、それはただの“長々とした招き”だったと語った他の一人の男性もいました。それらの男性は、当時のリバイバルを有難く思うには、あまりにも世俗的な願望が強すぎたのだと私には思えます!ですから彼らは確かに、リバイバルを祈り求める事に、あまりにも不信仰すぎたのです!神の力に対してもっと信仰を持つよう、神が私達を助けてくださいますように!
使徒パウロは、“御霊を消してはなりません”(テサロニケ第一5:19)と言いました。不信と世俗は御霊を消してしまいます!ロイド‐ジョーンズ博士は、何人かの神学者達について、“御霊を消している”、そしてリバイバルに対する関心を失っている、と言いました(The Puritans, Banner of Truth, 1996 edition, p. 9)。
十二弟子達は、彼らの不信仰のゆえにパワフルな悪魔を取り出すことが出来ませんでした(マタイ17:20)。ユダヤ人達は、“不信仰のためであった”(ヘブル3:19)ゆえに、安息に入ることが出来ませんでした。リバイバルは、不信仰なる罪によって“消される”ことを私は確信します。
聖書は、大部分が神への私達の信仰を増す為に、何ページにも渡って神の強力な御業を記しています。ヘブル人への手紙第11章全体が、神への信仰を通して為された事柄についてを記しています。私達の間にリバイバルが起こらない主な理由の一つは、現在、神は、私達の時代にリバイバルをもたらす事が出来る事を私達が信じていないからである、と私は思います。ですから、私達は過去に起きた、そして他の国で現在起きているリバイバルに関して、その真実を聞かなければならないのです。そうして私達は、悪に取り付かれた少年の父親に同意して、“不信仰な私をお助けください”(マルコ9:24)と言うことが出来ます。あなた方が、聖霊のほとばしりを祈り求めるなら、神がリバイバルを下される際に、あなた方の信仰を増してくださるでしょう。あなた方が、リバイバルについての記述を聞く時、十分に注意を払って下さい。そうして私達の教会に、神がリバイバルを送って下さるように祈ってください。私は、あなた方が、“信じます。不信仰な私をお助けください”と神に祈るのは、正にかなった事であると思います。
あなた方が知らなければならないもうひとつの事は、ほとんどのリバイバルは、私達のような、あるいは他の、小さな集会で起るという事です。リバイバルに関しての本はほとんど、神の普及された全地域、歴史を変えたリバイバルなどのような大規模な、目を見張るほどの出来事について重点を置いています。これらの本の著者達はよかれと思って書いていますが、それらのリバイバルがどのように起ったかについて告げていない事によって生じうる害を考慮していない、と私は感じます。 それらの目覚しい出来事を読む事で、あなた方は不信仰へと離れて行くかもしれません。それは悪魔に、“その様な偉大な出来事はここでは決して起らない!”と、あなた方にささやく機会を与えるかも知れません。ですから、私はそれらの何人かの著者達が、御霊のほとばしりを体験し始めたローカルの教会で、一体何が起ったかについて更に重視していたならばと思います。ロイド‐ジョーンズ博士はこのように彼が気づいたことを語っています、
我々はもはや、日曜日の教会の集会の為に策定しない。・・・ローカルの教会に関してではなく、むしろ大集会、そしてムーブメントに関して重視する傾向が上昇している、ゆえにリバイバルの頻発が低下した(Revival, ibid., p. 61)。
私があなた方に中国でのリバイバルのビデオを見せた時に、その様な事が起ったのでは無いかと思います。それらのビデオは、中国でのリバイバルは大規模な―実際に全国的、であることを示しました。“その様な大規模な事はここでは決して起らないだろう”とサタンはあなた方にささやいたのでは無いかと思います。実際、それはおそらく真実でしょう!アメリカではおそらく全国的なリバイバルは起らないでしょう。全国的なリバイバルの為に祈るべきではないとは言いませんが、ローカルの教会を重視して下さい!預言者ゼカリヤは、“だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか”(ゼカリヤ4:10)と言いました。マックギー博士は、“我々は小さな事を蔑む。我々アメリカ人は大規模な、そして派手な事に感銘される。・・・我々は建物の大きさと出席する聴衆の大きさによって成果を評価する”(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, volume III, Thomas Nelson Publishers, 1983, p. 924; note on Zechariah 4:10)と嘆きました。
いつになったら、私達は、神はそのようなやり方では通常働かれない事を学ぶのでしょうか?神はノアの時代に、全人類をたったの八人で救われたのです。“大規模な”集会などはありませんでした―個人のみにより―と、ヘブル人への手紙第11章にあります。神は、ギデオンに、彼の群衆を家に帰らすように命じました、なぜならミデアン人を打ち勝つ為に、彼はたった300人の男性だけを必要としたからです。歴史上の主要なリバイバルは、ほんのわずかな人達によって始まったのです。
一方、大規模な“リバイバル”の集会は、今日、真のリバイバルをもたらしていません。ビリー・グラハムが、リバイバルは彼の伝道クルセードからは起っていないと自ら認めている事を読みました。エキスポ72年に注目して下さい―ビリー・グラハムの説教を聞く為に、キャンパス・クルセード・フォー・キリストは、六ヶ月間で20万人の若者達を、テキサス州のダラス市に集めました。そこは何をもたらしたでしょうか?ほんの少しだけです。一年後の1973年7月に、グラハム氏は韓国のソウル市で百万人以上の人々に向けて説教しました。当時それは、個人の説教を聞く史上最大の聴衆数でした。何がそこからもたらされたでしょうか?ほんの少しだけでした。ダラス市とソウル市で何人かの人達が救われた事は確かですが、それらの巨大な伝道集会からはリバイバルは起りませんでした。
しかし、ほとんど全ての大規模なリバイバルは、少数の人達によって始まりました。マサチューセッツ州のノースハンプトン市のジョナサン・エドワーズの教会で、全英語圏の国々を変えた第一大覚醒が起こった時には、たったの数百人の人々だけでした。1738年の大晦日の晩に、オックスフォード大学の卒業生七名とおよそ60人の人達が、ロンドンのある一部屋で祈りの為に集まりました。第一大覚醒の世界的な広がりがそこから起りました。1806年に五人の大学生達が、乾草地で祈りました。そこから史上最大のリバイバルの一つ、世界的な宣教運動がアメリカから起りました。1727年に、およそ400人の人々が、現在のチェコ共和国にあるニコラス・フォン・ジンゼンドルフ伯爵の敷地での祈祷に集まりました。そこから一つのリバイバルが起り、数千人もの宣教師を世界の地の果てまでも送り出しました。そしてモラビアの祈祷会では、ジョンとチャールズ・ウェスレーの兄弟が救われました。このようにして大規模なメソジストのリバイバル、そして救世軍が、このチェコスロバキアのたった400人あまりの祈祷会から出て来たのです!1857年の9月23日に、ニューヨーク市のフルトン・ストリートのノース・ダッチ教会で、六人の男性が集まり一時間祈りました。彼らは毎週水曜日に一時間集まって祈ることを決めました。第三大覚醒がそこから起り、数十万人もの人達が世界中を通して救われました。ニューヨークのフルトン・ストリート・リバイバルは、三千マイル(4800キロ)離れた英国のロンドン市のC・H・スポルジョンの奉仕活動に影響を与えました!
私は何年間もの間、リバイバルに関する本を読んでいます。第一大覚醒後の大掛かりな伝道集会で始まったリバイバルを、一つとして思い出せません。一つとして!聖霊降臨祭の日に、神の御霊が注がれた時には、120人だけの人々が二階の部屋で祈っていた事を思い出してください!そして、キリスト教はその小さな集会から地上の果てまで広がりました!
私達は、ここの教会で毎週日曜日に福音を説教します。私達は、イエスは人々の罪を贖う為に十字架で死なれた事を、まだ救われていない人達に伝えます。私達は、イエスが彼らに永遠の命を与える為に、死からよみがえられた事を伝えます。しかし、それらの出来事は、聖霊を通して彼らに真実とされなければなりません。聖霊が、罪を彼らに悟らせなければなりません。キリストの御血によって、彼らの罪が清められるように、聖霊が彼らをキリストに引き寄せなければなりません。あなた方が、真のリバイバルを通して私達の教会に神が聖霊を注がれる事を、祈って下さることを私は願っています。罪人達の心にこの働きがなされれるよう、聖霊のほとばしりの為に祈ってください。神よ、失われた人々に罪を悟らせるよう、汝の御霊のほとばしりの為に祈りします。イエス・キリストの御名を通して祈りします。 アーメン。
(説教終了)
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ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Breathe on Me” (by Edwin Hatch, 1835-1889;
altered by B. B. McKinney, 1886-1952).
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