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背教に対する防御手段 R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて THE ANTIDOTE FOR APOSTASY by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。 あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。 聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。” (テモテへの手紙第二第3章14-15節、新改訳) |
私は、この説教の主題、『背教に対する防御手段(”The Antidote for Apostasy”)』を、マックギー博士から借用しました。 マックギー博士は、何年もの間、私の聖書研究の教師の一人でした。 19才の頃私は、ロスアンゼルス市のチャイニーズ・バプテスト教会に加入しました。 私には二人のすばらしい聖書研究の教師がいました。 一人は、旧約聖書の学者であり、ボブ・ジョーンズ大学の大学院、タルボット神学校、そして、イリノイ州ディアフィールド市にあるトリニティ・エバンジェリカル神学校などで教え、私の何年もの牧師であった ティモシー・リン博士、そして、もう一人の教師は、私が会員であったチャイニーズ教会からさほど離れていない、ロスアンゼルス市の中心地(555サウス・ヒル・ストリート)にある偉大なオープン・ドア教会の牧師であった、この バーノン・マックギー博士 でした。
三年間、私は彼のラジオ番組“Thru the Bible”と、その番組で取り上げられたのとは別の聖句を取り上げる彼の放送番組、“High Noon”を毎日視聴しました。 そして、その後七年間、私は彼のラジオ番組を毎日聴き続けました。 それらの知的で聡明な人達によって、聖書の御言に完全な自信を得るよう私は学びました。
リン博士とマックギー博士の両者は、聖書の預言に関してかなりの時間を割きました。 私は現在ほとんどの説教で“救済学(救い)”に関する主題を重点的に説教しますが、これは聖書の預言からの、特に、終りの時における背教に関する預言からの観点によるものです。 マックギー博士は、テモテへの手紙第二第3章は、“ラプチャー前の終わりの時の教会を描写している。 では、神の子らはその様な時代にどのように対処できるか? 背教の世の中に対する防御手段は、聖書である”( J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, p. 472; note on II Timothy 3:14-15)と言われ、正にその通りなのです。 テモテへの手紙第二第3章は明白に、終わりの時の背教に関して、ひどく、そして恐ろしい描写を私達に示しています。 それら全ての前兆は、私達は現在、正にそのひどい背教の中に生きてる事を表示しているのです! “背教”という言葉は、“離反、またはそむく;宗教からの断念、もしくは遠ざかる事”(Webster’s Dictionary, Unabridged, Collins World, 1975)という意味です。 そこで私達の今日のテキストは、背教に対する防御手段、救済策を挙げています。
“けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです”(テモテ第二3:14-15)。
今日のテキストを更に深く注目して、幾つかの事柄を考えて見ましょう。
I. 最初に、“けれども”という言葉に焦点を置きます。
“けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい”(テモテ第二3:14)。
不正な人達やそそのかす人達は、ひどくなる一方です。 だましたり、だまされたり、“けれども(しかしながら)あなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい・・・、どんなに彼らが不正であろうと、あなたは学んで確信したところにとどまっていなさい”。 その様に使徒パウロは、テモテと私達に告げているのです。
この文章全体が、終わりの時の教会に適用されます。 私達はそのことを知っています、なぜなら、教会は“見えるところは敬虔であっても”(5節)、“いつも学んではいるが・・・信仰の失格者”(7節、8節)となるからです。 マックギー博士は、“‘終りの時’とは 新約聖書の中の幾つかの場所で使われている規定的な言葉である;それは終わりの時の教会を語っている”と書いています。 私は彼は正しいと思います。 “困難な時代がやって来る”。 嘆かわしい、絶望的な時です。 “困難”と訳されたギリシャ語は“chalepos”からきています。 それは、新約聖書のもう一箇所で現れている言葉です。 マタイの福音書第8章28節で、それは、“凶暴”であった悪霊につかれた人達を示すのに用いられています。 ですから私達は、凶暴で邪悪な時が終わりの時の教会内に現れると告げられているのです。 そうして使徒パウロは、終わりの時の教会員達を描写する十九の様々な記述を挙げています。 更にマックギー博士は、“あなた方が教会の歴史を振り返って見るならば、確かにそれらの幾つかの形跡を見い出す事が出来るであろう。 しかし、それらの全てが今日の彼らの状態を正に明白に表しているような時代を見い出す事は出来ないであろう。 私達は現在ここで描写されている、このような‘困難’の時に生きていると信じる”(同書)。 これらが今日の多くの教会員達を描写した十九の記述です。
1. 自分を愛する者(自己主義)
2. 金を愛する者(物質主義者)
3. 大言壮語する者
4. 不遜な者
5. 神をけがす者(悪口を言う人)
6. 両親に従わない者(全世代がこのように育っており、現在社会全体を害している)
7. 感謝することを知らない者
8. 汚れた者
9. 情け知らずの者
10. 和解しない者(赦したくない、そして赦されたいと望まない人)
11. そしる者(悪口を言う人)
12. 節制のない者(自己節制の無い人)
13. 粗暴な者(残酷な人)
14. 善を好まない者(正しいクリスチャンを嫌悪する人)
15. 裏切る者(不誠実な人)
16. 向こう見ずな者
17. 慢心する者(思い上がる人)
18. 神よりも快楽を愛する者
19. 外面は(見えるところは)敬虔であっても、その実を否定する者
これらは背教の教会と神学校における不正なクリスチャン達を描写しています。 彼らは見た目は神の従者に見えますが、実のところ、彼らはサタンの従者なのです。
彼らは、“いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです”(第7節)。 このような人達が今日の教会を占めています。 私が今までに体験した幾つかの最悪な出来事は、実際には、教会員達によるもので、世間の不信者によって体験させられた事以上にひどいものでした。
日曜日の午前の集会で、バプテスト派の人達が互いに髪の毛を引っ張り合い、極めて汚い言葉を互いに吐き合い、賛美歌集を投げ合うのを私は目にしました。 聖歌隊の指導者が歩道に投げ出され、顔から血が流れ出るまで足で蹴られ、彼のポケットから教会の鍵を分捕り挙げるのを私は目にしました。 それは教会の“執事”と称される人によって為されました。 それは、人々が互いに告訴しあう前の、1950年代の出き事です。 それはカリフォルニア州ハンコックパーク市にあるバプテストの教会での出き事です。
それ以来、教会の指導者が小さな子供達に姦淫を犯したとか、教会の金庫からお金を盗んだとか、一人が牧師の頭を掴み、もう一人が彼の腹を殴るとか、インターネットで互いに偽りを言い合い、口にする事も出来ないような非道な行いをしたりしているのを私は見てきました。 日曜学校で私を教えた男性は、銃をもって銀行強盗を犯しました。 私の神学校のバプテスト派の教授は、犬がイエスの身体を食べたのでキリストの再臨は無いとか、ほとんど全ての聖書の書物は偽造でありモーゼのような人はいなかったとか、エジプトからの大いなる移動は無かったとか、その他多くの誤った教義を教えました。 他の教授の一人は頭に銃を撃ちつけて自殺をしました。
これら全ての人達は南部バプテスト協議会の教会で育ちました。 彼は皆洗礼を授けられる前に、“教壇の前に立ち”、“罪人の祈り”を唱えました。 私は長い期間、クリスチャン達がその様な教義を信じ、そのような不正を犯す事が可能であろうかと、ひどく混乱させられました。 その様な出き事に反する話しを私がした時、“問題を起こす者”というレッテルを貼られ、南部バプテスト協議会の教会の牧師に指名される事は無いであろうと警告されました。 後に私は、それらの誤った教義を記録した文書を出版しました。 それは、『”Inside the Southern Baptist Convention”』と呼ばれています。
私が南部バプテスト協議会の神学校を卒業した後、博士号を得る為に長老派教会の神学校に編入しました。長老派教会の神学校は更にひどいものでした。 ある教授は、無神論主義者である事を誇らしげに自慢していました! 私は、それらの教授達は再生を体験しておらず、真の回心をしていない、真のクリスチャンでないという事に気がつきました。 私の話を聞いているある人達は、私が誇張もしくは作り話をしていると思うでしょうが、私が語った事は、全く一言も誇張、また作り話でもない事を、神の御前に確信を持って私は語る事が出来ます。
終わりの時の不信者の教会員達を描写したこれら十九の記述を、私自身の眼で見ました。 これは“終わりの時”の背教を描写しています。 そしてこれらの描写は世界中の全ての教派、そしてキリスト教団体において実際に起っているのです。 私はこのような邪悪の時代に、背教のクリスチャン達の現世欲と不信を目にする事によって、追い払われ、また遠ざかってしまった多くの若者達がいるのを知っています。 私はある立派な若い説教者を思い出します。 彼が南部バプテスト協議会の神学校に入学した時、彼は伝道への熱意で満ちていました。 しかし彼は一学期で退学しました。 学校を去る時彼は、“何のために勉強を続けるの? これが、彼らが今日の説教者達に教え込んでいることなのだ。 彼らは何も信じていない”と私に語りました。
II. 次に、第14節の後の方に焦点を置きます。
“けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており”(テモテ第二3:14)。
このような邪悪で背教の時代に、クリスチャンはどのように対処する事が出来るでしょうか? 背教に対する防御手段は聖書、すなわち神の御言です。 使徒ペテロは聖書を、“暗い所を照らすともしび”(ペテロ第二1:19)と呼んでいます。
その神学校で、諦めずに、牧師になることを止めてしまう事から私を守ってくれたのは、“学んで確信したところにとどまっていなさい。 あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており”(テモテ第二3:14)いう言葉でした。 若きテモテは、彼の祖母、彼の母親、そして使徒パウロ自身から聖書を学びました(テモテ第二1:2, 5を参照)。 私はマックギー博士とリン博士から、これらの背教の預言を含め聖書を学びました。 実際、私が回心した日に聞いた説教は、チャールズ・ウッドブリッジ博士(Dr. Woodbridge)による説教でした。 その二、三年前に、ある問題点のゆえに辞職した先のフラー・セミナリーのリベラル主義に対して彼は抗議しました。 ウッドブリッジ博士は、私が救われたその日に、ペテロの手紙第二第3章から、“終わりの時”の“あざける者”について説教しました。 ですから、リベラル主義派の神学校に入学する前から、背教がどういうものかを私は知っていました。 私は回心していない教師達の教えを信じるのではなく、聖書に完全に信頼を置く事を学びました。 私は、ウッドブリッジ博士、リン博士、そしてマックギー博士から神の御言を信頼する事を学びました。 背教の神学校にいた頃の私のテキストは詩篇119章99節でした。
“私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです”(詩篇119:99)。
あなた方の大学で彼らは何を若者達に教えているか、私は知っています。 私は、ロスアンゼルス市立大学とロスアンゼルス市郊外にあるカリフォルニア州立大学を卒業しました。 私は、彼らがどんなにキリスト教を非難するかを知っています。 キリスト教をあざけり、そしてイエスを中傷しているかを知っています。 私が大学に在籍していた時よりも、今日、神様のために堅く立ち上がる事は、困難である事を知っています。 このような背教による不正な世の中で、周囲の全てが若者達に反対している事を知っています。 大統領でさえも私達に反対しています。 しかし、聖書を信じる人達が、詩篇の著者に同意出来る事も知っています。
“みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます”(詩篇119:130)。
そうして、
“あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です”(詩篇119:105)。
“それゆえ私は、すべてのことについて、あなたの戒めを正しいとします。私は偽りの道をことごとく憎みます”(詩篇119:128)。
グリフィス氏が先ほど歌った賛美歌の歌詞をもう一度聞いてください。
疑い憂いにかこまれるとき
変わらぬ平安なき世に
[我らは] 思いを 永遠なる書に置く
神の書、聖書なり
古き御書、古き信仰の巌に 我は立つ!
古き御書、古き信仰の巌は この地の砦なり!
難儀に立たされるとき
ありとあらゆる詩と民に
古き御書、古き信仰の巌は
全ての地の 望みなり!
(“The Old Book and the Old Faith” by George H. Carr, 1914).
III. 最後に、第15節に焦点を置きます。
“聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです” (テモテ第二3:15)。
マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士は、“聖書が告げる事の他に、私には神についての知識は無い” (Great Doctrines of the Bible (1), p. 36)と書いています。 また彼は、“神の声である本は他に存在しない”(Evangelistic Sermons, p. 25)と言いました。
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“聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです” (テモテ第二3:15)。
聖書は私達をキリストへ向かせます。 ひとが聖書の御言、そして神が告げられる事を真から信じる時、そのひとはキリストを知りたいと願うでしょう。 聖書を信じる事があなた方を救うのではありません。 神の誤りの無い御言は、あなた方をキリストへ向かせます。 どのように救いは得られるのでしょうか? それは、キリスト・イエスへの信仰を通してのみ得られるのです! 古き南部バプテスト主義者のマッケンリーはこのように書いています,
知っている、知っている、聖書は真実であることを、私は知っている;
全体を神霊感応された聖書
私は知っている、聖書は真実であることを
(“I Know the Bible is True” by Dr. B. B. McKinney, 1886-1952).
しかし、あなた方は聖書が真実であると信じていても、失われたままなのです! 救われるには、聖書に従い、キリスト・イエスを信じなければなりません。 聖書は、私達の罪の為にキリストは死なれたと告げています。 聖書は、私達の罪は、“その血による、また信仰により”(ローマ3:25)なだめられると告げています。 そして聖書は、“主イエスを信じなさい。 そうすれば、あなたも・・・救われます”(使徒16:31)と告げています。 ですので、あなた方は、“キリスト・イエスに対する信仰による”のみに、“救い”(テモテ第二3:15)が得られるのです。 トーザー博士はこのように書いています、
信仰は耐え忍ぶ人への神からの賜物であり、彼らがもたらす観念もしくは情報とは全く関連は無い。信仰は奇跡である;それは神の御子を信頼するよう我々に神が与えて下さる能力である(A. W. Tozer, D.D., Man: The Dwelling Place of God, Christian Publications, 1966, p. 33)。
あなた方が自分の罪に疲れはて、それを取り除きたいと心から願う時、その時に(その前ではなく)、神はイエス・キリストを信頼するよう、あなた方に信仰を与えてくださるでしょう。
あなた方がその事について私達と話をしたいならば、席を立って集会所の後まで出て来てください。 ケイガン先生が、祈りと話が出来るよう他の部屋にあなた方を案内します。 チャン先生、今晩、誰かがイエスを信頼するよう祈ってください。 アァメン。
(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。
アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:
テモテへの手紙第二第3章1-7, 12-15節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“The Old Book and the Old Faith” (by George H. Carr, 1914).
要 綱 背教に対する防御手段 R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 “しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。 あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。 聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。” (テモテへの手紙第二第3章14-15節、新改訳)
I. 最初に、“けれども”という言葉に焦点を置きます。
II. 次に、第14節の後の方に焦点を置きます。
III. 最後に、第15節に焦点を置きます。 |