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自分の救いR. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて YOUR OWN SALVATION A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “自分の救い”(ピリピ人への手紙第2章12節、新改訳)。 |
昨日私は、土曜日の祈祷会でピリピ人への手紙第2章12-13節に関して説教しました。 今朝ここにいるほとんどの方々は昨夜いましたが、もしあなたがその祈祷会に出席していなかったのでしたら、私達のウェブ・サイトwww.realconversion.comから、その説教の文書を読む事が出来ます。 昨夜のメッセージで私は、スポルジョンの説教から幾つかの言葉を引用しました。 彼の説教は、“自分の救い”という言葉だけで、その二つの節には触れていませんでした。 私はそれらの節をまず説明しなければならないと思いました。 しかし、その説教を書き上げた後、私の思いはこれらの三つの単語、“自分の救い(英語でyour own salvation)”に関してスポルジョンの説教へ戻りました。
昨夜の説教で私は幾つかの主題に触れましたが、今朝の説教は一つだけです、すなわち“自分の救い”だけに触れます。 聖霊が今朝あなた方に、 “自分の救い”という大いなる主題の重要さを理解させて下さいますように。 それは非常に単純な主題ですが、非常に重要なものなのです―実際、どの主題よりも重要なのです! 神の御霊があなた方自身について、その真実をあなた方に直面させて下さいますように。 自分以外の他の人達について考えてはいけません。 あなた方が今朝他の何をも考えず、“自分の救い”を考えるよう私は祈ります。
I. 最初に、“救い”の言葉について考えてほしいと思います。
“救い”と訳されたギリシャ語は、“sōtēría(ソテリア)”です。 それは、“解放”、“保存”(George Ricker Berry)という意味です。 それは、私達個人個人にとって非常に大切な事です。 私達は皆罪人です。 私達の罪なる本性は、私達の最初の両親から受け継がれています。 そして、私達は個々に罪を犯しました。 ある中国人の青年が、罪とはどういうものかと私に尋ねました。 私は、“それは、あなたが自分の母親に知られたくないようなものです”と答えました。 私達は生れつき罪人です。 そして、私達はそれぞれ罪を犯して来ました。
“救い”という言葉は、私達の過去の罪悪から解放されるという意味です。 あなた方は、神の律法を破りました。 あなた方は罪悪を感じ恥じています。 救いは、それらの罪悪感からあなた方を解放するのです。 あなた方は自分の犯した全ての罪からゆるされ、犯した全ての邪悪から清められるのです。 あなた方は最高の、そして恐ろしい審判者である神に受け入れられるのです。
しかし、救いはそれ以上の意味を含みます。 あなた方は生れつき悪を好みます。 あなた方は罪の奴隷だからです。 しかし、救いがあなた方に来る時、あなた方は不可抗力なる罪の支配から解放されるのです。 二番目の救いのポイントは、悪への虜からあなた方は解放される事です。 あなた方は自分の欲を貫いて、この世の堕落から逃れた事がありますか? キリストはあなた方を解放する事ができるのです!
救いはまた、神の復讐、罪に対する神の定められた怒りからの解放という意味でもあります。 今日の多くの人々は、神は彼らの罪に対し怒っておられるという事実を理解していません。 だからと言ってそれは何の変更もありません。 ポスト・モダン的思考は、“あなたにとってそれは真実でしょうが、私にとってそうでは無い”と言います。 今日、多くの若者達はその様に考えています。 しかしあなた方がその様に考えるならば、それは愚かであるという事を誰かが告げなければなりません! “あなたにとってそれは真実でしょうが、私にとってそうでは無い”。 それは愚かな言葉です! 聖書が真実に対する最終的な審判員です。 聖書は、“神は正しい審判者、日々、怒る神”(詩篇7:11)と言っています。 それは真実なる言葉です。 あなた方が信じようと信じまいとそれは真実なのです。 もしあなたの医者が、“あなたは癌です”と言ったとしたらどうしますか? あなたが、“それはあなたにとって真実でしょうが、私にとってはそうではありません”と言うのは、論理にかなっているでしょうか? 実際にそういう人達がいます! 精神科医はそれを、彼らは“否認”の状態にいるといっています。 それが真実であるかどうかに関わらず、彼らはそれを認めないという事です。 もしあなた方が、神はあなた方の罪に対して怒っておられない思うならば、あなた方は否認の状態にいるのです。 あなた方がいかにそれを否認しても、それは真実です。 “[あなた方に]日々、怒る神”。 あなた方が否認しようがしまいが、それは真実です。 あなた方がそれを信じようが信じまいが、それは真実なのです。
私は人が初めて月面に着陸した時の事をよく覚えています。 それを信じない人達がいた事を知っていましたか? 彼らは、“彼らが月面を歩いている写真は、実際にはスタジオで撮られた”と言いました。 私はそういう事をここしばらく耳にしませんが、未だにそのように考えている変人は確かにいます。 しかし、その様な“変人”がどう考えているかは重大ではありません! 彼がそれを信じようと信じまいと、人は月面を歩いたのです。 それが“彼にとって”真実であろうと無かろうと、です! そして、それは神の怒り、罪に対する神の怒りとしても同様です!
カール・メニンジャー博士のような精神科医は、多くの現代の精神的、感情的な問題は、罪による抑圧された不安から来ている(Karl Menninger, M.D., Whatever Became of Sin?, Hawthorn Books, 1973)と言っています。 彼らは、それが多くの人々の憂うつ病の原因であると言っています。 彼らは、それがアルコールと麻薬中毒の原因であると言っています。 人々の良心は罪の咎めを彼らに感じさせます。 彼らの思いはそれを拒否し抑圧しますが、彼らの良心は、彼らをアルコール中毒、麻薬中毒、そして更に自殺まで彼らを追い詰めます。 現在自殺が若者の間で死の一番の原因である事を知っていましたか? それが一番の原因なのです! “あなたにとってそれは真実でしょうが、私にとってはそうでは無い”と言う、その若者達が―その若者達が驚くほどの高率で自殺をしているのです。 その他の何億という人達が、日々を切り抜けるだけの為に、自ら麻薬を常用しなければならないのです。 彼らは、生き方を知りません! 彼らは、満足する事を知りません! 聖書は、“裏切り者の行いは荒い”(箴言13:15)と言っています。 罪の中に生きる事は、困難で難しいのです。 罪人である事は困難なことなのです!
キリストは必要でない、と言った一人の女性を私は知っています。 彼女にとって必要ではないのです! 彼女は自分が正しい人であり、キリストにゆるされる必要は無いと言いました。 そのつかの間に、彼女はコップ一杯の毒を飲み、見つかるまでの何時間もの間、彼女は手と膝で床を這い回りました。 彼女は病院へ運ばれる途中で亡くなりました。 彼女は否定していたけれど、私は彼女の罪悪感が彼女を蝕んでいた事を知っていました。 聖書は、“「悪者どもには平安がない」と私の神は仰せられる”(イザヤ57:21)と言っています。
あなた方は、“その様な事は何も自分には起らない”と言うかも知れません。 それは確かでしょうか! 人生は長く、厳しく、そして辛い事で満ちています。 若い俳優フィリップ・セイモアについて聞きましたか? 彼はオスカーを受賞しました。 彼は全てを得ました! しかし彼は、先日自宅のバスルームで、腕に針を刺して死んでいるところを見つけられました。 彼の部屋は何百ものヘロインのパッケージで満ちていました。 彼は、自らの罪悪感と意気消沈から身を守ろうとしていたのだと思います。 何とも悲しいことです!
そうして、救いは、後に起る神の裁きから私達を救います。 聖書は、その日がやって来る事を告げています。 ある箇所ではそれを、“主の日”と呼び、他の箇所では、それを“その日”、もしくは“復讐の日”と呼んでいます。 使徒パウロは、“この世界をさばくため、日を決めておられる”(使徒17:31)事について語っています。 使徒ペテロは、“さばきの日”(ペテロ第二2:9)について語っています。 世界的に有名な伝道者ビリー・グラハムは、1949年にロスアンゼルス市のワシントン通りとヒル通りのコーナーで催された彼の最初のクルーセードで次のような発言をしました。 私は全てのことに対して彼には同意しませんが、彼のこの発言は正に真実です。
神は、“日を決めておられる”と仰せられた。彼は全世界にそれを告げられた・・・この世の全ての不信者の人々はその日に裁かれる。・・・“私は、キリスト・イエスになした事に対して、この世界をさばくため、日を決めている”。それらは今晩、神が仰せられる事である(Billy Graham, Revival in Our Time, Van Kampen Press, 1950, page 159)。
ビリー・グラハム氏は、65年前にそう語りました。 それは起らないのでしょうか? いいえ、そうではありません! それは、私達が裁きの日に65年近づいているという事です。 救いのみが、その日に、神の裁きからあなた方を救う事ができるのです! キリストのみによる救いが、その恐ろしい日に、炎の池に投げ込まれる事からあなた方を留める事ができるのです!
あなた方は、救いは重要であると思っていないかも知れませんが、神はそうは思われていません! 神は、あなた方の救いは非常に重要であると思われるゆえに、あなた方を救う為にイエスを送られたのです! イエス御自身が、あなた方の救いは重要であると思われるほどに、あなた方の為に十字架で苦しまれ、死なれたのです! 聖書は、“キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた”(テモテ第一1:15)と告げています。 聖霊は、あなた方の救いは非常に重要であると考え、 あなた方の支えとなって絶えず働きかけています。 そのように、聖なる三位一体は、あなた方の救いははるかに重要だと思っているのです。
あなた方の牧師として私は、あなた方の救いは非常に重要であると思っているからこそ、私は常に福音をあなた方に説教しているのです。 私は、聖書の他の言葉について穏やかに説教する事も出来ます。 しかし、私はあなた方の救いを思い、キリストを通してのあなた方の救いの必要性を説教することを強く感じます。
この教会もまた、あなた方の救いについて非常に気にかけ、彼らは何時間もあなた方の救いのために祈っています。 彼らの個人の祈りにおいて、そして教会で行われる週三回の祈祷会において、彼らは何時間も非常な熱気の中で、あなた方が救われるように祈っています!
悪魔と悪霊達は、あなた方の救いを非常に重要視し、彼らは常にあなた方が救われないように働いています! 地獄にいる失われた人達もまた、あなた方の救いの重要さを知っています! 死んで地獄に下った金持ちは、五人の兄弟を警告する為にラザロを送って、“彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように”(ルカ16:28)と願いました。
聖なる三位一体、私達の教会の人々、悪魔や悪霊、そして地獄にいる失われた人々、彼らは皆あなた方の救いはとてつもなく重要である事を知っているのです! あなた方が目覚め、キリストによる大いなる救いの必要性に気づきますように!
II. 次に、“自分の”救いについて考えてもらいたいと思います。
テキストは“自分の救い”について語っています。 今度は、“自分の救い”についてあなた方に考えてもらいたいです。 “自分の”の翻訳は、ギリシャ語の(Heautōn)一語からきています―他の誰でもない、“自分の”救い、という意味です! あなた方が救われることがどんなに大事か、考えてみなさい! 今朝、あなた方自身の救いを考えてみなさい―他の誰の救いでもなく! 看守は、“先生がた。 救われるためには、何をしなければなりませんか”(使徒16:30)と聞きました。 それが、あなた方が聞くべきことなのです―“先生がた。 救われるためには、何をしなければなりませんか” 。
キリストの御血で洗い清められるのは、他の誰でもなく、あなたなのです。 あなたは洗われなければなりません! あなたは悔い改めなければなりません! あなたはイエスを信頼しなければなりません! もしあなたは救い主を信頼しなければ、あなたは永遠に失われるのです!
あなた方は個人的に死ななければならないという事実を考えなさい。 友人や家族の者が自分のために死んでくれる、とは誰も思いません。 私は一人で死の扉を通り過ぎるでしょう。 あなた方も同じです! あなた方が死ぬとき、慰められ、幸福に死んでいくか、恐れ慄き、苦痛をもって死んで行くかのどちらかです。 あなた方は、“あなたの目は、麗しい王を見、遠く広がった国を見る”(イザヤ33:17)か、“・・・シオンでわななき、・・・恐怖に取りつかれる”(イザヤ33:14)かなのです。 真のクリスチャンには、天国があります。 そして、“自分の救い”の体験がある限りにおいて、あなた方はそこに行くことができます。 地獄があります―もし救いを全く体験していないのでしたら、あなた方は―他の誰でもなく、そこに行くでしょう。 あなたは―キリスト・イエスによってあなたに提供された救いを、もしあなたが拒絶するならば―地獄の火炎からどのように逃れることができるでしょうか? 古い讃美歌の合唱に、“あぁ、主よ、兄弟ではなく、姉妹でもなく、それは祈りを捧げている私!”とあります。
ある人達は、よく言われる“恵みの契約”に隠れます。 彼らは、もしクリスチャンの家庭で生まれ育てば、その人は間違いなく救われるであろうと信じています。 彼らはそれを信じるかもしれませんが、私は信じません! もちろん、クリスチャン家庭で生まれた人には、恵みの機会は多いでしょう。 その人はより多くの機会、説教を聞いているでしょう。 その人はより多くの機会、聖書を読んでいるでしょう。 その人には、より多くの人達からの祈りがあるでしょう、等です。 しかし、ひとが恵みの契約にあるので、救われたというひとはかって一人もいません。 そのような契約はクリスチャンのためには存在しません。 それは、“代替神学”の結果生じたもので、代替神学は、教会はイスラエルにとって代えられた、と言っています。 それは悪魔的なアイデアで、多くの人達は反イスラエルに走らせ、反ユダヤ主義に向かったのです。 それは、教会はイスラエルに変わったと教える“代替神学”の結果なのです。 ハイデルベルグ・カタキズムは、それを“恵みの契約”と呼び、“・・・洗礼によって、乳幼児はキリスト教の教会で、契約の記を受けるべきで、不信者の乳幼児と区別されるべきである。 このことは、旧約聖書では割礼によってなされ、それは新約聖書では洗礼によって代替された”(Heidelberg Catechism Question 74)。 この“代替”を補佐する聖句は、本当には、聖書中どこにも見当らないのです。 私達は、洗礼が割礼に代替することを全く聞いたことはありいません。 私達は、乳幼児は洗礼を受けるべきである、なぜなら、彼らはよく言われる“恵みの契約”に属しているから、と聞かされたことはありません。 真のバプテストでこの教えを受け入れた人に、私は会ったことがありません。 歴史的に、バプテストは何時でも“信じる者達の洗礼”の教義を持っています。 ですから、論理的に言って、首尾一貫したバプテストはそれを信じることができません。 あなた方は洗礼を受ける前に救われなければならないのです! 使徒の働きにある“家主洗礼”は、その家の、洗礼を受ける各々を基にされています。 このことは、使徒の働きに出てくるような大いなるリバイバルが起こった時にしばしば見られます。 ところで、私が知っている最も嫌らしい人達は、クリスチャンの家庭から来ています! 一方、私達の教会の執事で、クリスチャン家庭で生まれ育った人は一人もいません。 チャン先生、ケイガン先生、そして私も然りです。 私達すべては、イエスにおける個人的な信仰によって救われたのであり、“恵みの契約”によって救われたのではありません。
また、あなた方は、両親、あるいは神ご自身が予期される、“自分の救い”を求めるというあなた方の義務を取り除くことはできません。 ニコデマスは、真に旧約聖書の契りにありました。 しかし、イエスは彼に、“あなたがたは新しく生まれなければならない”(ヨハネ3:7)と言われました。 それは、“超”カルビン主義者を満足させないことを私は知っていますが、神の御言であることは事実で、たとえそれが、“代替神学”にうまく合わなくともです。 私は、ソテリオロギー(救済)の主題に関しては、リフォーマーですが、彼らに従って私も代替神学に移ることを誰一人として予期してはいけません。 私は決してしません! 私は恥じることなく、“ディスペンセーショナリシスト”です。 神のみが、ユダヤの民との間に、この地上での契約を持ちます。 クリスチャンは、キリストのみにおける信仰によって、“新しい契約”の中に置かれるのです!
もしあなた方がクリスチャン家庭で育ったのであれば、“自分の救い”のためにキリストを求めるよう、私はあなた方に注意を促しましょう。 もしあなた方が今までイエスを信頼したことがないならば、あなた方の家族の人と永久に離れ離れになることを恐れるべきです! また、あなた方は救われていない家庭で育ったかもしれません。 もしそうでしたら、彼らの後をついて地獄へ行くことがないように、私はあなた方を警告します。
もしくは、あなた方は他人のことを考えるために、自分自身の救いを忘れることがあるかもしれません。 この教会の会員で、実際に失われているかどうかとあなた方は思いますか? もしかしたら彼らはそうかもしれません―しかし、それがどのようにあなた方の手助けとなりますか? あなた方は彼らを忘れなければなりません、そして、“自分の救い”についてだけ考えなさい。
この地上におけるすべて、天国におけるすべて、地獄におけるすべて、そして神ご自身が、すべてのものに勝って“自分の救い”を求めるようあなた方を呼んでいるように私には思えます! あぁ、友よ、あなた方自身を見てみなさい! あなた方は救われていますか? もしそうでないならば、人生におけるすべてのものに勝ってキリストを求めなさい! あなた方自身の救いを確かなものにしなさい!
今朝ここにいる各々の人が、こころをつくしてキリストを求めることを、私は願います。 不信人の状態にいることをやめなさい。 あなた方の思いと誤った望みから背を向けなさい! イエスは罪の贖いのために十字架で死なれました。 彼は、あなた方のような罪人の身代わりとして死なれたのです! 悔い改め自分自身の生活から背を向けイエスに来なさい、そうすれば、彼はあなた方を救われるでしょう! その時のみ、あなた方は自信をもって次の讃美歌を歌えることでしょう。
その方は私にとってすべて
その方の愛は永遠に真実
その方がどのように私を愛されたかを語ろう
その方の恵みがあなた方のために
その方の聖なる御力で、新たな命を授けられ
人生を甘く、喜びは満ち
救われた、その方がお救いになった!
(“Saved, Saved!” by Jack P. Scholfield, 1882-1972).
親愛なる皆さん、もし、“あなたの救い”について私達とお話がしたいのでしたら、今席を立って集会場の後ろへ行ってください。 ジョン・サミュエル・ケイガンさんが、お祈りでき、私達があなた方の質問に答えられるよう、別の部屋へ案内します。 もし、真のクリスチャンになることに興味があるのでしたら、集会場の後ろへ行ってください。 チャン先生、誰かがイエスによって罪から救われるよう、祈ってください。 アァメン。
(説教終了)
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ピリピ人への手紙第2章9-13節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Saved, Saved!” (by Jack P. Scholfield, 1882-1972).
要 綱 自分の救い R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 “自分の救い”(ピリピ人への手紙第2章12節、新改訳) 。
I. 最初に、“救い”の言葉について考えてもらいたいと思います。
II. 次に、“自分の”救いについて考えてもらいたいと思います。 |