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子としての身分を受ける事! R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて ADOPTION! by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。”(ガラテヤ人への手紙第4章6節、新改訳) |
三位一体の教義は基本です。 真のクリスチャンは、その教えを否定する全ての教えを拒否します。 三位一体の教義はキリスト教の根本です。 そして私達の今日のこのテキストに、三位一体の三者が一つの聖句に記されています。 私達には、父なる神が救いの創始者であると告げられています。 私達が回心する時、神が御子の御霊を私達の心に遣わされる、と告げられています。 私達は三位なる神格を完璧に理解する事は出来ないかもしれません。 しかし、私達は聖書に示されている神を知る事は出来ます。 ですから私達は信仰により三位一体を受け入れるのです。
このテキストは、これら三者は皆神である事を示しています。 このテキストの中で、父なる神は二度示されています。 一度は、“神”として、そして“父”として。 このテキストはキリストは神であると暗示しています。 彼は肉体的に女の人によって生まれました。 しかしキリストは、“遣わされた”と表されています―ですから、彼が生まれる以前から存在していたのです。 そしてキリストは“御子”とも呼ばれています―聖書には、彼が父と同じ命(本質)を持っている事を表しています。 これはキリストの神性をはっきりと示しています。 そうして、聖霊は神のみが出来る事を成すのです。 彼は神の子達の心に生きています。 ですから三位一体の三者には―“父なる神“、“御霊”、そして“御子”―とそれぞれの名称があるのです。
真のクリスチャンは、それらの三者が私達の救いに必要である事を知っています。 私達は父を愛しています、なぜなら、彼は彼の子になるよう私達を選ばれたからです。 私達は御子を愛しています、なぜなら、彼は私達の罪を清める為に、ご自分の血を十字架で流されたからです。 私達は御霊を愛しています、なぜなら、彼が私達に罪を悟らせ、キリストに私達を引き寄せられたからです。 ですから、私達は二曲の賛美歌を集会があるごとに歌います。 最初に、17世紀にトーマス・ケンによって書かれた頌栄、
神を賛美せよ。すべての祝福は神から流れ出る;
彼を賛美せよ。この地上のすべて造られたものよ;
天で彼を賛美せよ。汝ら、天の万軍よ;
父、御子、聖霊を賛美せよ。 アァメン。
(“The Doxology” by Thomas Ken, 1637-1711).
(トーマス・ケン、1637-1711、による“頌栄”)
そして私達は、2世紀の初期に無名の著者によって書かれた“頌栄”を歌います。
願わくは父と子と聖霊とに
栄えあらんことを。
初めにありしごとく今もいつも
世々にいたるまで、アァメン、アァメン。
(“Gloria Patri,” source unknown, early 2nd century).
(“頌栄”2世紀初期、著者は不明)
これらの二つの短い頌栄歌は、毎週日曜日の集会で歌われています―なぜなら、それらは聖なる三位一体を賛美し、栄光を神に帰するからです!
モルモン教徒達は、別々の三者の神がいると言っています。 しかし彼らは間違っています。 三者の内に、一人の神がいられるのです。 エホバの証人は、イエスの神聖を拒否します。 しかし彼らは間違っています。 イエスは神で、三位一体の第二番目の方なる神なのです。 イスラム教徒は、御子と御霊が神である事を否定します。 しかし彼らは間違っています。 神格には三者がいます。 神学的にリベラル主義のプロテスタント教派達は、近代ユニテリアン派の信者達がするように、それらの三者を否定しています―これらの二つのグループは、不可知論者、そしてしばしば完全に無神論者と見なされます。 軟弱なフラー神学校的、もしくは、やや頑固なクレアモント大学院的な、神学的リベラル主義派の両派が、共に三位一体を遺物もしくは過去の物として扱っています。 これは当然、その様な神に対するリベラル主義の見解が、ユニタリアン主義へと落下させて来ました―そして最終的には、完全に神が否定されている無神論主義へと下落したのです。
しかし、聖書自体は、神は三位一体であると教えています―そして私達は、父、御子、そして聖霊の一人の神の御前に頭を下げなければなりません。 私達のバプテストとプロテスタントの伝統的な教えに忠実でなければなりません。 カトリックとオーソドックス派を含めた、“クリスチャン”と自分自身を呼んでいる大多数の人達は、神は三位一体であると教えられて来ました。 伝統的なバプテスト派や福音主義派は三位一体の教義を支持して来たのです。
“そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました”(ガラテヤ人への手紙4:6)。
私達はこのテキストで三位一体をみてきました。 では、それが私達に何を教えているのかをここで学びます。 それはすばらしいテキストであり、意味深く、そして非常に富んだテキストです。
I. 最初に、このテキストはアドプションの教義を言い表している。
この聖句は、“あなた方は子である”と語っています。 そしてそれは、“私たちが子としての身分を受けるようになるため・・・”と言っている、一つ前の聖句に言及しています。 神によって子の身分とされる事は必要なのです、なぜなら、私達は生れつき神の子で無いからです。 聖書は、私達は“私たちは神の子孫ですから”(使徒の働き17:29)と言っています。 しかし、それは神によって創造された、私達の身体に関してです。 それはガラテヤ4章5節で告げられた、“子としての身分”とは全く異なります。 新生として知られている再生は、神の子としての本質を私達に与えてくれるのです。 しかし、私達が回心をした時に起こる、アドプションは、神の子としての権利を私達に与えるのです。
父は私が二才の時に去って行きました。 私は13才の時、母と一緒に住む事はできませんでした、なぜなら、私には居場所が無かったからです。 ですから、13才の時、親戚の人と住む為に私は出て行きました。 しかし、そこは酒と喧嘩が絶えづ、午後には裏口から出て行き、芝生を越え、壊れかけたフェンスをよじ登ってマックガワン夫妻の家に私は行きました。 そこでは、私は彼らの子供達と一緒に遊び、そしてテレビを見ました。
私はいつも彼らの家の裏戸をノックし、誰かが私を中に入れてくれるまで待ちました。 しかしある日マックガワン夫人が私に、“ロバート、裏の戸をノックしなくてもいいのよ、ただ入って来なさい”と言ってくださいました。 それ以来、そこの家族同然、私は黙って入っていきました。 またマックガワン夫人は、週に何回か、彼らと一緒に夕食をとるようにと誘ってくださいました。 そのことは私が彼らの子供達の一人であるかのように、私をとても喜ばせました。 私は、“ほぼ”彼らの子供達の一人であるかのように、と言いました。 四年間あまり、13才の頃から17才になるまで、彼らが休暇に出て行く時、彼らは私を一緒に連れて行ってくれました。 私は彼らにとても感謝しました、そしてしばしば彼らにそう伝えました。 私は、彼らが亡くなるまで毎年、夫人に母の日のカードを、そしてマックガワン氏にも父の日のカードを送りました。 私は毎年クリスマス・プレゼントを贈りました。 彼が年老いた時、私はマックガワン氏に黄斑変性を正す高価なめがねを買ってあげました。 私が彼の葬儀で話をした時、そのメガネは彼の亡骸と一緒に棺の中に置かれていました。 彼はしばしば、私は彼の息子の一人だと言っていました。 それは私にとって重要な事だと、彼は知っていたのだと思います。 なぜなら彼自身、父親が彼の幼い頃に亡くなり、彼にはとても意地の悪い義理の父親がいたからです。 そうです、私は―完全ではない―ほぼ、彼の子供のようでした。
あなた方の何人かの人達にとっても、それは同じようなことなのです。 あなた方は教会にやって来ました。 あなた方は、ほぼ、教会という家庭に属しているような気がしています―ほぼ。 しかし何かが欠けています。 あなた方は完全に属していないと感じています。 子としての身分(アダプション)が欠けているのです! あなた方は、神の子達の一人として、彼によってアダプトされなければなりません。 そうでなければ、たとえ教会で生まれ育ったとしても、あなた方が神の家族にアダプトされるまで、完全に満足する事は無いでしょう。 スポルジョンは回心していない人は、“子としての立場ではなく、罪人の立場にいる、・・・[神]に敵対し、自分の父親の愛を喜ぶ子供ではなく・・・”と言いました。 アダプションにより神の子となる為に、あなた方は回心しなければなりません。 そうして子としての身分の特権を喜ぶのです。 1777年に書かれた作詞者不明の賛美歌はこのように言っています、
我々は、イエス・キリストを信じ、
神の選びをとおしての子なり。
とこしえの運命によって、
我々は、神の恵みを受ける。
(Number 221 in “Our Own Hymn Book,”
compiled by C. H. Spurgeon, 1834-1892).
II. 次に、このテキストは、回心した人達に、聖霊が宿る事を告げている。
“そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました”(ガラテヤ4:6)。
聖霊は父なる神によって私達に向けられます。 神は私達が救われる時に、聖霊を私達の心に遣わされるのです。
このテキストは、神が聖霊を“私達の心に”遣わしてくださる、と言っている事に注目して下さい。 それは、神が聖霊を私達の頭脳に遣わしてくださるとは言っていません。 聖霊はあなた方の心の中に来るのです。 あなた方の心は、あなた方自身の正に中心なる物です。 聖書は、“人は心に信じて義と認められ、”(ローマ10:10)と言っています。
あなた方が神の子となる時、あなた方は、平和と自分自身を神に近づけさせる、また、神との親睦をもたらす、聖霊によって、証印を押されるのです。 長子のように家の外に立つのではなく、後に回心した放蕩息子のように、あなた方は神との親睦へと来るのです。 クリスチャンと口先だけで自称し、決してその体験をした事の無い人達がいます。 子では無い“人達は、聖霊の宿りについて何も知りません。 彼らはそれは如何いう事かと不思議がります。 時々彼らは、彼らに無いものを私達が持っていると言った事で、私達に対して立腹します。 私はそれが、カインがアベルを殺した一つの理由だと思います。 ですから、彼の放蕩息子の弟が、彼の父親による受け入れを喜んだ時に、長子が怒った理由だと私は思います。 “すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった”(ルカ15:28)。 ですから、父が出て来て、“なだめてみた”-頼みました(ルカ15:28)。 神は、あなた方がキリストへ来るよう、そして神の養子としての特権を喜ぶように懇願しておられるのです。
“汝のこころを我に”と天におられる神は言われる
神にとって尊い贈り物はあらじ
どこにいようとも 神は優しくささやかれる
“我を信頼し、汝のこころを我に”
“汝のこころを、汝のこころを我に”
どこにいようとも、こころは優しくささやかれる
この暗黒の世から、彼は汝を引き出される
“汝のこころを我に”とソフトに言われる
(“Give Me Thy Heart” by Eliza E. Hewitt, 1851-1920).
あなた方が、あなた方の心をイエスに服従させる時、あなた方はこの歌を歌う事が出来るのです。
我は 神の子なり、神の子なり
我が救い主イエスと共に 我は 神の子なり
(“A Child of the King” by Harriet E. Buell, 1834-1910).
III. 最後に、このテキストは、神への新たな親密さと愛について告げている。
“そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました”(ガラテヤ4:6)。
最後の三つの言葉、“アバ、父」と呼ぶ”に注目して下さい。 “アバ、父”と呼んでいるのは御霊である事に注目して下さい。 それは非常に興味を引かれる事です。 使徒パウロもまた、ローマ人への手紙の中でこのように語っています、
“あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます”(ローマ8:15)。
最初に、御霊は“アバ、父”と呼びます。 そうして私達自身が“アバ、父”と呼ぶ事が出来るのです。 聖霊が呼び、そして私達が―“アバ、父”と呼ぶのです。 私達が回心によって神の子となる時に、聖霊が私達に、そのように呼ぶよう私達の中に吹き込むのです!
“アバ”は、子供が“父”を呼ぶ時の呼び方です。 “アバ”という言葉は、アラム語の父親に対する愛称です。 それは幼い子供達による、彼らの父親への愛しさを表す言い方です。 それは“パパ”もしくは“ダディ”とも訳されてもよいでしょう。 スポルジョンは、アバは、神の幼子である人にふさわしい温かい、自然的な、愛情に満ちた言葉であると言いました。 イエスがゲツセマネの園で苦しまれた時、彼は地面に伏して、“アバ、父よ、・・・この杯をわたしから取りのけてください”(マルコ14:36)と叫びました。 イエスは、彼が十字架に行く前に、ゲツセマネの園で死ぬ事を恐れていました―ですから、彼の天なる父に叫ばれたのです―“この杯をわたしから取りのけてください”と。 その叫びは御子なるイエスがどんなにも父なる神に身近でいたかを示しています!
そして、神の子供となる身分として、あなた方が回心する時、イエスが‘アバ、父よ“と叫ばれたように、あなた方は祈る事が出来るのです。
罪を悔い改め、イエスを信頼しなさい。 その瞬間に、イエスの御血があなた方の罪を清め、そして彼の復活の力があなた方の心を開き、神によってあなた方は子とされるのです! あなた方は永遠に神の子とされるのです! そうして、あなた方はこの讃美歌『神の子(“A Child of the King”)』を歌えるのです。
我はかって地上の放浪者
自らのおもいで罪びとに、そして生まれながらにしてよそ者
しかし、子として受け入れらし我 わが名は書きとめられし
家、ガウン、そして冠を相続せり
我は 神の子なり、神の子なり
我が救い主イエスと共に 我は 神の子なり
(“A Child of the King” by Harriet E. Buell, 1834-1910).
そうしてあなた方はチャールズ・ウェスリーと共に、この賛美歌を歌う事が出来るのです。
わがたましい おそれをされ
すくいぬしは みざのたまえに
このみのなまえを みてにかきとめて
あかしをたてたもう
(『わがたましい』“Arise! My Soul, Arise!” by Charles Wesley, 1707-1788).
信仰を通して今イエスに来なさい。 彼を信頼すれば、あなた方は瞬時に神の子となるのです。 キリストはあなた方の罪を彼ご自身の血によって清め、彼の復活を通してあなた方に命を与えて下さいます。 もしあなた方が真のクリスチャンになる事について、私達と話をされたいならば、席を立って集会場の後方へ歩み出て下さい。 ケイガン先生があなた方を他の部屋へ案内し、そこで私達はあなた方の質問に答え、祈る事ができます。 今、席を立ち上がって下さい。 チャン先生、今朝、誰かがイエスを信頼するようお祈りして下さい。 アァメン。
(説教終了)
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ガラテヤ人への手紙第4章3-7節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“A Child of the King” (by Harriet E. Buell, 1834-1910).
要 綱 子としての身分を受ける事! R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 “そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。”(ガラテヤ人への手紙第4章6節、新改訳) I. 最初に、このテキストはアドプションの教義を言い表している。 II. 次に、このテキストは、回心した人達に、聖霊が宿る事を告げている。 III. 最後に、このテキストは、神への新たな親密さと愛について告げている。 |