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キリストの埋葬のパラドックス (イザヤ書第53章からの説教、その10) R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて THE PARADOX OF CHRIST’S BURIAL by Dr. R. L. Hymers, Jr. A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。 彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかった”(イザヤ書53:9、新改訳)。 |
キリストの埋葬についての説教を、あなた方は何回ほど聞いたことがありますか? 私は55年間説教を続け、59年間教会に通っていますが、一度も聞いたことがありません。 私はキリストの埋葬についての説教を書面で読んだ覚えもありません。 私達は、そのことに関して何度も聞いてしかるべきなのです。 彼の埋葬は重要で無い事ではありません。 実際、それは福音の第二の要点なのです!
“キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと”
(コリント人への手紙第一15:3)。
これは福音の第一の要点です。
“また、葬られたこと”(コリント人への手紙第一15:4)。
それは福音の第二の要点です。
もし私達が、福音の第二の要点をまったく説教しないならば、私達が福音を説教していると、どうして言えるでしょうか? しかし、そうして、最初の要点、もしくは三番目の要点に焦点をあてた説教さえも、今日では数少ないのです! それは、現代の説教の大きな弱点の一つです。 私達は福音を中心とした説教をしなければなりません。 私達はキリストの成された事をより重んじて取り上げ、それを私達の説教の中で重要視しなければならないのです。
多くの人達は今日、偉大な説教は稀であると悲観します。 私はまったく同意します。 今日、すばらしい説教は非常に稀にしか聞かれません。 本当に稀です! しかし、どうしてなのでしょうか? それは主に、福音の説教がほとんど成されていないからです。 牧師は、彼らの教会が文字道理不信者で満ちているにも関わらず、不信者の人達に向かって福音を説教するのではなく、“クリスチャン達を教えている”のです! そのようなものは、偉大な説教ではありません! キリストが中心でないならば、それは決して真の意味ですばらしい説教ではないのです!
福音の知識は、キリストについての事柄を知る事より、はるかにそれ以上のものです。 真の福音の知識は、キリスト御自身を認識することです。 イエスはこのように言われました、
“その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです”(ヨハネの福音書17:3)。
ジョージ・リッカー・ベリー(George Ricker Berry)は、その聖句にある、“知る”と訳された言葉は、“体験によって・・・知ること”の意味である、と言いました(Greek-English New Testament Lexicon)。 真のクリスチャンになるためには、私達は体験によってキリストを知らなければなりません。 単なる事実の知識は、人を真のクリスチャンにはしません。 私達は体験によって、私達の罪のための彼の死を知らなければなりません。 私達は体験によって、彼の埋葬を知らなければなりません。 私達は体験によって、彼の復活を知らなければなりません。 それが救いへの道です。 それが永遠の命への道なのです。
“その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです”(ヨハネの福音書17:3)。
あなた方にそれらの体験が無かったならば、私があなた方を不安にさせている事を望みます。 あなた方が真のクリスチャンでない事に疑いはありません。 なぜなら、あなた方は真の回心を体験していないからです。 あなた方の心が変わり、イエスの足元にひれ伏し、イエス御自身のみに真の救いを見出すまで、あなた方は悩まされ、また失望させられなければなりません。
キリストを知る為には、十字架へ行き、信仰をとおして、私達の罪を贖う為に十字架につけられたイエスを仰ぎ見ることです。 あなた方は信仰によってキリストの墓へ行き、
“死にあずかるバプテスマによって・・・葬られ・・・”(ローマ人への手紙6:4甲)。
なぜなら、彼と共に死ぬことで、私達が“いのちにあって新しい歩みをするため”(ローマ人への手紙6:4乙)によみがえるからです。
ですから、私達は彼の埋葬を学ぶ為にこのテキストに来ます。 そうして私達は、彼と共にそれを体験することが出来るのです。
“彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかった”(イザヤ書53:9)。
私達は、この節にキリストの埋葬のパラドックス、一見矛盾にみえる謎を見出します。 そうして私達はその謎の答えを見出します。
I. 最初に、彼の埋葬についてのパラドクス。
“彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた・・・”
(イザヤ書53:9)。
その“悪者ども”とは強盗達でした。 その“富む者”とは高貴な尊敬されている者達でした。 どうしたら彼の墓が悪しき者と共に設けられ、それと同時に、それは富む者と共にありえるでしょうか? この事は古代のユダヤ教の注釈者達を戸惑わせました。 これは彼らの思いにはパラドクスでした。
しかし、この謎はヨハネの福音書の中で解かれます。 イエスは、彼の右手と左手の二人の強盗達の間で十字架につけられ死なれました。 彼らは、私達のテキストの“悪者ども”を指しています。 イエスが最初に息を引き取られました。 しかし、その二人の強盗達はしばらく生きながらえていました。
“その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った”(ヨハネの福音書19:31)。
兵卒達は二人の強盗達の足を折りました。 それは、彼らが自分の身体を引き上げて息をする事が出来ないように、そうして即座に息を引き取るようにする為でした。 しかし、兵卒達が十字架につるされたイエスに来た時に、彼はすでに死なれていました。 彼らの一人が、イエスの死を確認する為に彼のわき腹をやりで突き刺しました。 水と血がほとばしり、そのことは、心拍が停止し死んだ事を表しています。
彼は象牙の王座にはつかれなかった
彼はカルバリーの十字架につけられ死なれた
彼の、失われた罪人をかぞえられ
十字架より彼の御国をご覧になった。
みすぼらしい十字架が彼の王座となり
彼の御国は心の中のみにあり
彼は御自分の愛を血の赤色で描かれ
そうして頭上に冠をおかれた。
(”A Crown of Thorns” by Ira F. Stanphill, 1914-1993).
しかし、予期していなかった事が起こりました。 非常に重要な二人が現れ、イエスの身体を引き取る事を要求しました。 その二人は、裕福でユダヤの衆議所の議員であるアリマタヤのヨセフと、以前、夜中にイエスのもとに来たユダヤ人の指導者であるニコデモでした(ヨハネの福音書3:1-2、参照)。 彼ら両者は密かにイエスの弟子となり、今ここで、初めて公に現れ出ました。 実際に、命を危険にさらしてまでも、彼らはそうしたのです。 マックギー博士はこのように言っています、
これらの人達に対して、あまり批判的にならないように。彼らはこの時まで公に出てこなかったが、今は主の弟子達はみな羊のように散ってしまい隠れてしまった。それにもかかわらず、これら二人は人前に出てきたのである(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson, 1983, volume IV, p. 494)。
アリマタヤのヨセフとニコデモは、イエスの身体を引き取りました。 金持ちであったヨセフは、イエスの身体を彼の墓に納めました。
“岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った”(マタイの福音書27:60)。
このように、キリストの埋葬についての矛盾と思われた事は、明白にされました。 そうです、強盗達二人の間に置かれた十字架で彼が死なれたことが、彼の墓は悪しき者と共に設けられた、言われる所以です。 しかし、彼は金持ちの人の墓に“富む者とともに”(イザヤ書第53章9節)葬られたのです。 キリストは悪人のような死に方をされましたが、金持ちと共に立派な埋葬をされたのです。 これは、私達の主イエスの屈辱が終わっていった事を示しています。 彼の身体はその二人の強盗達と共に一般の墓へは投げ捨てられませんでした。 彼の身体は、金持ちで高貴な人の墓に、彼に値する尊敬と敬意を払われ置かれました。 そうして、私達のテキストを学んだ古代のユダヤ教の指導者達をしばしば惑わせた、そのパラドクスは明白にされました。
“彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかった”(イザヤ書53:9)。
しかし、キリストの墓が悪者どもと共に設けられ、富む者と共に彼が葬られた事に、もうひとつの理由があります。 イエスがこれらの両方の者達と“彼の墓は・・・設けられ”た事は、古代のラビは、“悪者ども”と“富む者”を分ける事によって、彼らが正当ではなかったことを示しています。 彼らは二つのグループなのではありません。 両方のグループは罪人だったのです。
そして、それは今日でも同じです。 尊敬されている人達も、“悪者ども”と呼ばれている人達と等しく罪人です。 私がこの説教を書いている時、テレ・マーケターから電話がありました。 “保守派の教会”への奉仕・寄付を求めてきました。 その人は、“妊娠中絶、イスラエルへの支持を怠る問題、そして、同姓結婚の問題の内、どれがアメリカに直面している最も重要な問題であると思いますか?”と私に尋ねました。 私は、“それらが問題では無い。 アメリカが直面している最も重要な問題は、今日の牧師達が、彼らの教会の会員達の罪に対して説教していない事です”と答えました。 それはどういうことでしょうか? 妊娠中絶、イスラエルへの支持を怠る事、同姓結婚等は、症候であって、実際の病気ではない。 それらは病気による症候であるという事です。 症候を直そうすることは出来ます、しかし、その病気の原因を直さない限り何の益にもならないでしょう。 その病気は罪なのです。 リベラル主義と保守主義を滅ぼしている罪、民主党と共和党を滅ぼしている罪、“悪者ども”と“金持ち”を地獄に落とす罪、なのです。 罪は心の内に潜みます。 人の心は邪悪であり、外見的な行動だけではありません。 罪は人の思いと願望をコントロールします。 あなた方の邪悪な心は、不当な事についてあなた方を惑わします。 そうして、あなた方の邪悪な、 生まれついてもった思いが、神への反抗を生み、あなた方を惑わす罪を犯すようにコントロールしているのです。 罪はあなた方の心の内を支配し、権威者に反抗し、神に反抗するように仕向けるるのです。 あなた方の反抗心が神に対して強く拮抗し、何らあなた方を変える事もなく、また、あなた方もその支配を打ち壊す事が出来ないのです。 あなた方は、“私は、ほんとうにみじめな人間です。 誰がこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか”(ローマ人への手紙7:24)と、使徒パウロに同意させるところまでもたらされなければなりません。 そうされてのみ、あなた方は、“悪者ども” と共に設けられ、そして“富む者”と共に“葬られた”イエスの重要さを理解するでしょう。 あなた方の育った背景がどうであろうと、キリストは死なれ、そして埋められました。 そうして、あなた方の罪は取り除かれ、ゆるされるのです。 チャプマン博士(Dr. J. Wilbur Chapman)は、彼が書いた賛美歌の中で、“葬られ、彼は我が罪を取り去られた”(“One Day” by Dr. J. Wilbur Chapman, 1859-1918)と訴えました。 キリストのみが、あなた方の罪をゆるすことが出来るのです! キリストのみが、あなた方の罪なる反抗的な心を変えることが出来るのです!
“彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた”
(イザヤ書53:9)。
II. 次に、そのパラドクスは明確にされた。
私達のテキストの後半分は、キリストが強盗達二人と共に不名誉な形で死なれた事、敬意と尊敬を払われた形で葬られた事の理由を示しています。 起立して、“彼は暴虐を行わず・・・”(イザヤ書53:9)の言葉で始まる最初の半分を読んでください。
“彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかった”(イザヤ53:9)。
着席してください。
これは、キリストの立派な埋葬の理由を表しています。 この敬意は彼に向けられました、なぜなら、彼は暴虐を行わず、もしくは、誰も傷つけるような事を行わなかったからです。 彼は、脅迫、強盗、人殺し、そして、どんな無慈悲な罪をも犯されませんでした。 彼は群集を扇動するような事、またユダヤ人達の、そしてローマ人達の支配権に対して暴動を起こすような事もなさいませんでした。 その口に欺きはなかった。 彼は誤った教えをされた事も決してありませんでした。 彼は、偽り者どもの偽証で罪を課せられましたが、人々をだますような事など決してなさいませんでした。 彼は、真実の神を崇拝する事を、誰からも引き離すような事は企てられませんでした。 彼は、常にモーゼと預言者達の律法を支持し守られました。 彼は、彼らの宗教や国家の敵ではありませんでした。 まったく、彼は何の罪も犯されませんでした。 使徒ペテロはこう言っています、
“キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした”(ペテロの手紙第一2:22)。
ヤング博士(Dr. Young)は、“[キリスト]は、彼の不名誉な死の後、彼の完全なる無実のために敬意をもって埋葬された。 彼は、犯罪者達のような行いをされなかった[ので]、彼らと共に、不名誉な埋葬は成されなかった。 むしろ、彼には裕福な者達と共に立派な埋葬がなされた”。
その事は、英国を裏切った、父親の政敵達、そして、ヒットラーとナチ・ドイツへの裏切り行為をとった、彼自身の政敵達のために執り行われたウェストミンスター寺院(彼思うに、名誉に劣る場所)での、国葬級の葬儀をもって自らの亡骸を埋葬されることよりも、むしろ、郊外の教会にある父親の墓地の横で、名誉なる埋葬を選んだウインストン・チャーチル(Winston Churchill)を思わせます。 チャーチルはクリスチャンではなかったけれども、彼は尊敬に値する人でした。 当然の如く、イエスはこの世に生きた最も偉大な方でした。 そうです、彼は、人であられ、今でも人であられます。 “それは人なるキリスト・イエスである”(テモテへの手紙第一2:5)。 彼の偉大なる事は、父なる神の御前で、私達の罪を償う為に、自ら御自分の命を与えられた事にあるのです。 彼が十字架につけられる少し前に、イエスはこう言われました、
“人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません”(ヨハネの福音書15:13)。
みすぼらしい十字架が彼の王座となり
彼の御国は心の中のみにあり
彼は御自分の愛を血の赤色で描かれ
そうして頭上に冠をおかれた。
さて皆さん、キリストと呼ばれるイエスをどのように扱われますか? ルーイス(C.S. Lewis)が指摘したように、可能な対応が二つあります―すなわち、“あなたは、悪霊として彼につばをかけ殺すことができる;もしくは、あなたは、彼の足元にひざまずき、彼を主、そして神と呼ぶことができる”。 あなた方はどちらでしょうか? また、唯一、第三番目の選択肢は、彼を完全に無視して、イエスの痛みと苦悩を無意味なものとして、あなた方の生き方を続ける事です。 私は、救い主をそのように不名誉に扱う人達に対して、非常な哀れみを感じます。 あなた方がそのような人達の一人とならないことを願います。
ゲッセマネを忘れないよう
汝の苦悩を忘れないよう
我が為の汝の愛を忘れないよう
我をカルバリーに導き給え
("Lead Me to Calvary” by Jennie E. Hussey, 1874-1958).
あなた方がイエスに来て、心から彼を信頼し、真のクリスチャンの回心を通して、死から命へと移り変わるよう私はお祈りします。
では起立してください。 イエスによってあなたの罪から清められることについて私達と話したいならば、今あなたの席を立って、この会場の後方へ進み出て下さい。 私達があなたと話しが出来る部屋へ、ケイガン先生が案内します。 リーさん、応答された方の為にお祈りして下さい。 アァメン。
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:イザヤ書第53章1-9節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Lead Me to Calvary” (by Jennie E. Hussey, 1874-1958).
要 綱 キリストの埋葬のパラドックス (イザヤ書第53章からの説教、その10) R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 “彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。 彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかった”(イザヤ書53:9、新改訳)。 (コリント人への手紙第一15:3-4; I. 最初に、彼の埋葬についてのパラドクス。 II. 次に、そのパラドクスは明確にされた。 |