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ヨセフと彼の兄弟達 (創世記シリーズ、その74) R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 JOSEPH AND HIS BROTHERS ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて |
ヨセフとキリストを比較する事無く、創世記の最後の幾つかの章を説教する人がいることを、私には理解できません。 それらの類似は非常に明白であり、それを見逃がす事は、聖書における貴重な宝の一つを損なうようなものです。
最初の復活祭の日曜日の夜明けに、イエスは死からよみがえられました。 同じ日の午後、彼はエマスへの途路で二人の弟子たちと話しをされました。 その同じ日の晩、イエスは彼の弟子たちが集まっている部屋の天井の間で彼らに現れました。 イエスは、彼らたちとそこで食事をされ、食事が終った時、ご自分に関して旧約聖書で描かれている全ての事柄をご説明されました。 創世記に於いては、彼はヨセフに関して言及された事柄を明確にされました。 すなわち、彼はご自身と聖書の中で最もキリストに似た人物、ヤコブの息子とを比較されました。 今晩私達は、ヨセフと彼の兄弟たちに関して注目していきます。 その間柄を通して、ヨセフは罪人の救い主であるキリストとして予示されているのです。
しかしその前に、私は、ヨセフが彼の兄弟たちに出会った時までの、ヨセフのイエスに似ているあらましを描写します。 イエスのようにヨセフは、彼の父親に愛されました。 イエスのように、ヨセフは彼の兄弟たちから嫌われ、ねたまれました。 また、彼は陰謀をたくらまれ、侮辱され、服を脱がされ、そしてイエスが墓に置かれたように、ヨセフは窪みの穴に落とされました。 イエスの御血が天におられる御父に示されたように、ヨセフの衣には血が振りまかれ、彼の父親ヤコブに持っていかれました。
イエスが名声無き者として、天におられる御父のもとからこの世へ送られたように、ヨセフはエジプトへ奴隷として売られました。 ヨセフのように、イエスがこの世に来られた時、神は彼と共におられ、全てにおいて彼は業を成しました。 ヨセフのように、イエスは誘惑されましたが、罪は犯されませんでした。 ヨセフのように、イエスは不正に非難され、彼はご自分を弁護する事も無く、牢獄へ送られ、非常に苦しまれ、二人の犯罪人と共に置かれ、神の御手によって牢獄なる墓から解き放たれました。 彼はこの世を越えた最高の地位へと上げられました。 イエスがこの世での御奉仕を始められた時、彼は30才でした。 彼は全ての人々の救い主となられ、全ての人の必要に応じられる、無限の源の泉を保持しております。 主イエス・キリストを予示するために、ヨセフは何という言い表せない描写をされていることでしょうか! しかし、ここで私達は、イエスと罪人達との関係を表す、ヨセフと彼の兄弟達との関係に焦点を置きます。 それには、長年ニューヨーク市のファースト・バプテスト教会の牧師を務められた、L. M. ハルドマン博士(Dr. I. M. Haldeman)の書物から、多くのことを私は頼っています。 次に述べる事柄がヨセフと彼の兄弟達、そして、イエスと罪人達の間の幾つかの対比です。
1. 最初に、ヨセフの兄弟達は穀物の無い地に住んでいた。
創世記42章5節を開いて下さい。
“こうして、イスラエルの息子たちは、穀物を買いに行く人々に交じって出かけた。カナンの地にききんがあったからである”(創世記42:5)。
彼らの土地には彼らが生きていく為の食物はありませんでした。 そこに居続ける事は、死ぬこと同然でした。 ですから、イスラエルは彼の息子達に、エジプトへ行って穀物を買うように、“そうすれば、私たちは生きながらえ、死なないだろう”(創世記42:2)と語りました。 そのように、この世に住む全ての罪人は、霊的な飢饉で襲われるこの世で、魂の糧をもつことなく生きているのです。 救いを見い出す全ての失われた人は、放浪息子のように、“その地方にひどいききんがあったので”、“豚の食べるいなご豆”(ルカによる福音書第15章14, 16節、口語訳)以外には、彼が食べる物がそこには何も無いことを最初に気づきます。 失われた人が、この世には自分を満足させ、自分の魂を慰めるものがあると思う限り、彼は、“「わたしが命のパンである。 わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない”(ヨハネによる福音書第6章35節、口語訳)と言われたイエスには来ないでしょう。
2. 二番めに、ヨセフの兄弟達は彼らが受けた物を買い求めた。
創世記42章3節に注目して下さい。
“そこで、ヨセフの十人の兄弟はエジプトで穀物を買うために、下って行った”(創世記42:3)。
“買う”という言葉は、この章の最初の10節までに五回現れています。 それは、値無しに食べ物を得るという思いが、彼らには全く無かった事を示しています。 それは、失われた人達の思いを描写しています。 彼らは、神を喜ばせる事によって、自分達の救いを得なければならないと思っています。 全ての失われた人は、神を喜ばす何かをする事によって、彼が救いを“買う”ことが出来ると思っているのです。 放浪息子は、“どうぞ、雇人のひとり同様にしてください”(ルカによる福音書第15章19節、口語訳)と言いました。 それは報酬を得る為に働く人を表しています。 ほとんどの人には、“金を払わないで、・・・代価を払わないで”(イザヤ書55:1、新改訳)救われる事が出来るとは信じ難いのです。 もし彼らがイエスを単に信じるならば、彼は彼らを救われる、そのことは、彼らにとって不可能に思えるのです。 ヨセフの兄弟達も同じでした。 そして、全ての失われた男性と女性にとっても同じです。 しかし聖書は、“私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに”(テトスへの手紙3:5、新改訳)と書いています。
3. 三番目に、ヨセフの兄弟達は、彼らが癒される前に傷
つけられなければならなかった。
彼らがヨセフの所に来た時、 彼らはヨセフに気がつきませんでした。 彼らはヨセフを奴隷としてエジプトに売り飛ばしたのです。 そこでは彼は頭を剃り、ひげも無く、エジプト人の服装をまとっていました。 そして彼はエジプト全土の総首長でした。 彼らは、その人が彼らの兄弟であるヨセフとは分らなかったので、彼らは恐れていたに違いありません。 しかし、彼らは独善的な態度で彼の前にやって来ました。 そうしてヨセフは、“荒々しいことばで彼らに”(創世記42:7)ふるまいました。 なぜヨセフが彼らにその様に振舞ったかに注目して下さい。 彼らは、“私たちは正直者(真実な者、口語訳)でございます”(創世記42:11)と言いました。 近代の訳では、“私たちは正直者でございます”と訳しています。 そうでしょうか! 真に正直者! しかしヨセフには分っていました! ヨセフは彼らが自分を殺そうとし、彼が死んだと言って、彼らの父親を偽った事を知っていたのです! 真に正直者でしょうか!
そのようにイエスはあなた方についてもご存知なのです! 彼はあなた方の内なる、そしてあなた方の生活上の罪を知っておられます。 彼らがヨセフに偽った以上に、あなた方はイエスに偽る事はできません! “私達は正直者”、“私達は真実な者”。 彼らからその思いを断ち切らなければなりません! そのように、罪人に対して神の業を始められるのです。 神は癒される前に、傷つけらられるのです。 神は律法に従って、“荒々しく”告げられます。 神はあなたの良心に、“あなたは罪を犯した! あなたは罪人である! あなたが真実な者では無い!”と告げられるのです。
罪人はそれに対してどのように答えるのでしょうか? 最初に彼らは、自分達を正当化します。 しかし後に、彼らは自分達の罪を認めます。 起立して21節を声を上げて読んで下さい。
“彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんなに苦しみに会っているのだ”(創世記42:21)。
着席して下さい。 失われた人は、彼の罪を悟らなければなりません。 その人は、“私は罪を犯した”と自覚しなければなりません。 彼は、自分が正直者、真実な者ではない事を、すなわち、自分が罪人である事を悟らされなければならないのです! ですから、聖霊があなた方の罪を悟らせるのです。 あなた方は、癒される前に傷つけられなければなりません。 あなた方は、少なくとも幾つかの罪の悟りが無くてはなりません。 そうでなかったならば、イエスはあなた方にとって、必要がないように思えるでしょう!
数人の人達が、救われるほどの十分な罪の自覚が無いと、私に言いました。 それは非常によくある誤りです。 ジョセフ・ハート(Joseph Hart)はそれに対して正しく答えています。
あなたが好ましくなるのを待つならば、
あなたは決して来ないであろう
(“Come, Ye Sinners” by Joseph Hart, 1712-1768).
あなた方が、自分が好ましくなるのを待つならば、あるいは、あなた方が自覚をもっと感じるまで待つならば、あなた方は決して来ないでしょう! あなた方に必要な全ての自覚は、イエスのみが、あなた方の罪からあなた方を救って下さるという自覚です。 もしあなた方が、イエスへ来ることの必要性を感じるほどの自覚があるならば、あなた方は、今、今晩にも彼に来ることが出来ます! しかし、あなた方が今の状態で満足しているならば、あなた方は救われること無く滅びるでしょう!
4. 四番目に、ヨセフの兄弟達は、しばらくの間監禁所へ入れられた。
私は、その話を詳しく述べる事は今出来ません。 この説教のプリントを家に持って帰り、あなた方の聖書からそれらの聖句を読んで理解してください。 ヨセフは、彼らが自分達の罪を悟るまで、彼らに対して荒々しく振舞い続けた、という事を説明する事で十分でしょう。 その時、彼らはヨセフが兄弟であることを知らなかった事を忘れないで下さい。 17節を見てください。
“こうしてヨセフは彼らを三日間、監禁所にいっしょに入れておいた”(創世記42:17)。
それは彼らに値することなのです。 しばしば神は、失われた人達に対してこのようになさいます。 彼らが罰に値するという事を悟るまで、彼等を投獄された状態に置かれます。 この御業によって、彼らはキリストによってゆるされる事がどんなにもすばらしい事であるかを悟らされます。 従って彼らが上げられる前に、彼らは落とされるのです。 ジョン・ニュートンはこのように言い表しました、
めぐみはわがみの
おそれを消し
(『おどろくばかりの』“Amazing Grace” by John Newton, 1725-1807).
すばらしきニュートンは、彼がイエスによる開放を見い出す以前に、牢獄に閉じ込められたように感じた事を知っています!
5. 五番目に、ヨセフの兄弟達は、救いは恵みによるもである事を学んだ。
彼らが三日の間監禁所に入れられた後、ヨセフは彼等を解放しました。 創世記第42章25節で、“ヨセフは、彼らの袋に穀物を満たし、彼らの銀をめいめいの袋に返し、また道中の食糧を彼らに与えるように命じた”と書かれています。 これは救いが値なしに与えられるものである事のすばらしい描写です! 聖書は、“あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。 それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です”(エペソ人への手紙2:8, 9)と書いています。
私がそれらの要点をハルドマン博士から学んでいる時に、このような体験は、多くの新・福音主義派の人達には理解されないであろうと思いました。 なぜなら、今日の“決断主義”の普及によって、不信者は通常、簡単な“罪人の祈り”を唱えるように言われ、その人は救われたと語るからです! ハルドマン博士は、回心に関して昔ながらの福音主義的な見解を述べました。 そして、私は昔ながらの教えが正しいことであると確信したのです!(参照のこと:Iain H. Murray, The Old Evangelicalism, The Banner of Truth Trust, 2005)。
失われた人が罪の自覚を抱く時にのみに、キリストの値無しの授かる恵みによる救いが重要に思えるのです。 昔の福音主義者達は、“我をも救いし、くしき恵み、”もしくは、“恵み、すばらしき響き”、もしくは、このような賛美歌を大声でもって感情を表すことが出来ました。
ああ めぐみ!
はかりしれぬめぐみ
ああ めぐみ!
われにさえ およべり
(『ああめぐみ!』“Grace Greater Than Our Sin”
by Julia H. Johnston, 1849-1919).
しかし今日の福音主義者達が、このように大声で感情を表す事はまれです! 私は実際に、“何がそんなに驚くべきであるのか?”と言った新・福音主義者達について読みました。 何とも哀れなことでしょうか! 罪の悟りとキリストによる救いは、神の恵みのみによって生じるのです! 罪人は、悔い改め、イエスを信頼する事だけを告げられているのです!
ヨセフの兄弟は何も払いませんでした。 救いを自分の手で獲得する事は出来ません! イエスのように、ヨセフは、“金を払わないで、・・・代価を払わないで”(イザヤ書55:1)とイザヤが言ったように、彼らの金銭を戻し、彼等をゆるしたのです!
6. 六番めに、ヨセフの兄弟達は、自らを“清める”事が出来ないのを知った!
創世記第44章16節を開いて下さい。 彼らは気がつかずにヨセフの所にいました。 彼らはヨセフが与えた物で自分達を養おうと思っていました。 しかし、ヨセフは執事を送り彼等を自分の所に連れ戻させました。 ヨセフの執事は聖霊の典型です。 従って、聖霊は罪を悟った罪人をキリストの所に連れ戻すのです。 では、第44章16節に注目して下さい。
“ユダが答えた。「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎を あばかれたのです・・・・”(創世記44:16)。
前に彼らは自分達を、“真実な者”と呼びました。 そこでは、何と言い訳してよいかわかりませんでした。 神が彼らの罪を暴かれ、彼らは自分達を“弁解”する事が出来ませんでした! 失われた罪人が、自分に何か欠けていると感じ、そして自分自身を神の御前で“弁解”出来ない時にのみ、キリストが彼の唯一の望みであるように思えるでしょう! そうして、これが七番目の要点へと導きます!
7. 七番目に、ヨセフは兄弟達に自らを明かした。
立って45章の1節を読んでください。
“ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった”(創世記45:1)。
着席してください。
彼の兄弟達を除いて、すべての人達がその部屋を出るように命じられたことに注目してください。 これは、あなたがキリストに来るとき、あなたと一緒に行く人はいないことを現しています。 あなたは一人で彼のところに行かなければなりません。 彼らだけだったときに、ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたのです!
では、創世記の第45章15節と16節を声を出して読んでください。
“彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、パロの家に伝えられると、パロもその家臣たちも喜んだ”(創世記45:15-16)。
すべての人が喜びました! ヨセフが喜びました。 彼の兄弟達が喜びました。 パロが喜びました。 彼の家臣が喜びました。 イエスがご自身を罪人に明かされるとき、そのことが起きるのです! イエスはこう言われました、
“よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」”(ルカによる福音書第15章10節、口語訳)。
これは旧約聖書の中に出てくる放蕩息子のたとえ話です。 そう、そうです! これは創世記に出てくる放蕩息子の話です! 罪人達は私達のヨセフ、すなわちイエスによって受け入れられ、和解されるのです! 失われた人が見つかるのです。 死んだ後に、いのちがあるのです!
今晩、ここにいる何方かが、あるいはインターネットでご覧になっている何方かが、イエスに来て彼を信頼することを、私達は祈ります。 あの罪深い兄弟達がヨセフを信頼したように、イエスを信頼しなさい! イエスはあなた方の罪をおゆるしになられます。 イエスは、ご自分の尊い御血でもってあなた方の罪を清められます。 イエスはあなた方の魂を、永久にわたり救われるでしょう。 今晩、あなた方が救い主に拠りどころを見い出すために、私達はどのように祈ればよいのでしょうか! イエスが、ご自身をあなた方に明かされるために、私達はどのように祈ればよいのでしょうか!
もしあなた方の救いについて私達と話したい人は、グリフィスさんが『成したまえなが旨“Have Thine Own Way, Lord!”』を歌っている間に、集会場の後ろに移ってください。 ケイガン先生が、イエスを信頼することについてあなた方と話し、祈る為に静かな場所へ案内します。
なしたまえながむね
すえつくりわが主よ
われはただなが手の
うちにあるつちくれ
ふるゆきのごとくに
わがうちをしろくし
ながむねのまにまに
ねりたまえわが主よ
(『成したまえなが旨』“Have Thine Own Way, Lord!”
by Adelaide A. Pollard, 1862-1934).
チャン先生、ここに来て彼らのためにお祈りをして下さい。
(説教終了)
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アベル・プルードム氏による説教前の聖書の朗読:創世記第45章1-9節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Have Thine Own Way, Lord!” (by Adelaide A. Pollard, 1862-1934).
要 綱 ヨセフと彼の兄弟達 (創世記シリーズ、その74) R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 1. 最初に、ヨセフの兄弟達は穀物の無い地に住んでいた。 2. 二番目に、ヨセフの兄弟達は彼らが受けた物を買い求めた。 3. 三番目に、ヨセフの兄弟達は、彼らが癒される前に傷つけられなけ 4. 四番目に、ヨセフの兄弟達は、しばらくの間監禁所へ入れられた。 5. 五番目に、ヨセフの兄弟達は、救いは恵みによるもである事を学んだ。 6. 六番目に、ヨセフの兄弟達は、自らを“清める”事が出来ないのを 7. 最後に、ヨセフは兄弟達に自らを明かした。 |