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主の御言葉を聞くことの飢饉! R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 A FAMINE OF THE WORD! ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。 彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。 その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う”。(アモス書第8章11-13節) |
アモスは死海の近くの小さな村、テコアの牧者でした。 彼はユダの南部の王国の荒野から来ました。 しかし、神は彼を遠く北方へ、ユダから分かれたイスラエルの王国に送られました。 彼らの王ヤラべアムはべテルに偽の祭壇を築いていました。 アマジヤはその偶像礼拝の祭司でした。 アモスは神のさばきがすくにも下される事を告げました。 彼の熱烈な説教は、祭司アマジヤを怒らせ、彼を非難させました。 チャールズ・ファインバーグ博士(Dr. Charles L. Feinberg)はこのように書いています、
その様な神の率直な意図と目的は、常に回心していない、不信心な人を不愉快にさせる。その様にアモスの時代もそうであった。神の御言葉は不挑戦に終わることはなかった。べテルの金の牛の祭司であったアマジヤは、ヤラベアム[王]の目前で預言者アモスを非難した。・・・不信心なアマジヤは、根拠の無い反逆罪に対し非難し始め、預言者アモスの言葉によって革命、もしくは謀反が起りうる可能性の不安を訴えた。アマジヤはアモスの言葉を曲解させ、それらは王に対する個人的な挑戦のように思わせた。・・・そこでアマジヤは、・・・預言者アモスにユダの地に逃げて行くよう・・・べテルで二度と預言しないよう・・・なぜならここは王の聖所であり、王宮のある所であるから、と助言した(Charles L. Feinberg, Th.D., Ph.D., The Minor Prophets, Moody Press, 1982 edition, pp. 113, 114)。
アモスは不信心なアマジヤに答えました、
“「わたしは預言者でもなく、また預言者の子でもない。わたしは牧者である。わたしはいちじく桑の木を作る者である。ところが主は群れに従っている所からわたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と、主はわたしに言われた。それゆえ今、主の言葉を聞け。あなたは言う、『イスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かって語るな』と。それゆえ、主はこう言われる、『あなたの妻は町で遊女となり、あなたのむすこ、娘たちはつるぎに倒れ、あなたの地は測りなわで分かたれる。そしてあなたは汚れた地で死に、イスラエルは必ず捕えられて行って、その国を離れる』」”(アモス書第7章 14-17節)。
その当時、その預言は信用し難く思われました。 その国は繁栄と力の最盛期でした。 しかしアモスは主の御言葉を告げました。 彼は神からの四つのさばきが下るであろうと説教しました。 イスラエルへの神の最初のさばきは、彼らが捕らわれの境遇となって行くであろう、という事でした。
“それゆえわたしはあなたがたをダマスコのかなたに捕え移す」と、その名を万軍の神ととなえられる主は言われる”(アモス書第5章27節)。
イスラエルへの二番目の神のさばきは、国が廃墟となるであろう、という事でした。
“イサクの高き所は荒され、イスラエルの聖所は荒れはてる。わたしはつるぎをもって、ヤラベアムの家に立ち向かう」”(アモス書第 7章 9節)。
三番目のイスラエルへのさばきは、至る所に死が見られるであろう、という事です。
“その日には宮の歌は嘆きに変り、しかばねがおびただしく、人々は無言でこれを至る所に投げ捨てる」と主なる神は言われる”(アモス書第 8章 3節)。
至る所に死が見られるであろう。 残った者達は、それらのしかばねを無言で投げ捨てるでしょう。 しかし神からの四番目のさばきは、どの他のさばきよりも非常に異なったものでした。 四番目のさばきを再び聞きなさい。
“主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う”(アモス書第8章11-13節)。
考えてください! 捕らわれの身になる事、廃墟、死の警告の最後に、神のさばきの頂点は主の御言葉を聞くことの飢饉がある事でした。 しかし実際には、それは正に全てのさばきを凌ぐ最悪のさばきなのです。 捕らわれの身、廃墟、そして死は耐えられます。 しかし神の御言葉を失う事は全ての希望を取ってしまう事なのです。
リチャード・ウォームブランド牧師(Pastor Richard Wurmbrand/1909-2001)は、ルーマニアの共産主義政権の刑務所に14年間監禁されました。 彼は拷問を受け、全てを失いました。 主の御言葉以外の、全てを失いました。 そして神の御言葉はそれらの全ての苦痛と拷問を通して彼を貫かせたのです! ウォン・ミンダォ牧師(Wang Mingdao/1909-1991)は、中国の共産主義政権の刑務所に20年間監禁されました。 監禁中彼にとって最も大切であった事はと聞かれた時に、彼は“御言”と答えました。 それらの人達は聖書の言葉を心に留めていました。 そしてそれが彼らの信仰のゆえに刑務所での長年の監禁を通して彼等を力付けたのです。 “主の言葉を聞くことのききん”(アモス書第 8章 11節)を下される事以上に、神がさばかれる個人または国への大いなるさばきはありません。 それがこのテキストで描かれているさばきなのです。
“主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う”(アモス書第8章11-12節)。
その様に私達はこのテキストの背景、そしてそのテキストの短縮した説明を見てきました。 しかし、それに関して私が語らなければならないことが二つあります。
I. 最初に、このテキストから習う教え。
神は“わたしは、この地にききんを送る。・・・主の言葉を聞くことのききんである”と言われました。 それは偶然に起るものではありません。 神は、“私が・・・送る”と言われたのです。
私達は、この御言の飢饉は、聖書の読む事のみを示していると思ってはなりません。 彼らには言うまでも無く、モーセによって書かれた最初の五つの書物(トーラー)がありました。 彼らの個人の家にはありませんでした、なぜならそれは手書きされた巻物だったからです。 しかし彼らは、安息日にそれを読む事が出来ました。 この飢饉は、説教の飢饉、熱烈な預言的な説教の飢饉でした。 ファインバーグ博士はこのように書いています、
イスラエルに対する豊かな愛のゆえ、神はイスラエルを神の選らばれた道へ、そしてイスラエルに対する神の意向へと戻す為に、御自分の僕たちを通してメッセージを送られた。しかしそれらの預言者達は・・・対抗され;彼らのメッセージは非難され;そして彼らは[説教する事を止める様]告げられた。そこで主は、[ユダ]にイスラエルが預言者を通して神の御言をさげすんだゆえに、御言がイスラエルに送られたとき、その地は、全ての預言による通知の[終止]を知るべきであった。 主の御言はイスラエルから退かされるのである(Feinberg, 同著, p. 118)。
人々が霊に満たされた説教を聞こうとしない時に、公正な罰として神はそれを取り去られます。 聖書の中には、その様な例が多く挙げられています。 サウル王はサムエルの預言的な言葉を拒否しました。 そして神はそれ以上に、彼に告げようとされませんでした(サムエル記上第28章 6節)。 エゼキエル書にはこのように書かれています、
“滅びが来るとき、彼らは平安を求めても得られない。災に災が重なりきたり、知らせに知らせが相つぐ。その時、彼らは預言者に幻を求める。しかし律法は祭司のうちに絶え、計りごとは長老のうちに絶える”(エゼキエル書第7章25-26節)。
更に、ミカ書第3章6節と7節は、神が説教を通しての預言を途絶えられる事で、神はユダをさばかれるように述べています。 ファインバーグ博士は、“その様な真実への抵抗に対する神の報い”(同著)として、神は預言的な説教の終止をもたらされた、と述べています。
不信心な祭司アマジヤは、アモスに、“ベテルでは二度と預言してはならない。 ここは王の聖所、国の宮だから」”(アモス書第7章13節)と言いました。 それゆえ神は、イスラエルに“主の言葉を聞くことの”(アモス書第8章11節)飢饉を送ることによってさばかれたのです。
新約聖書では、主イエス・キリストはエルサレムの町の為に嘆かれ、言われました、“ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。 それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。・・・イエスが宮から出て行こうとして・・・”(マタイによる福音書23章37, 38節;第24章1節)。 他の節では、イエスがガダラの悪霊に疲れた人を癒された後で、“すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。 そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ”(マタイによる福音書第8章34節)と書いています。 イエスはそこから立ち去られ、二度と戻られませんでした。 彼らはイエスを拒否しました。 そしてイエスは彼等を自らの罪の内に留められました。 使徒行伝では、“パウロは御言を伝えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちに力強くあかしした”(使徒行伝第18章5節)と書いています。
“しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」” (使徒行伝第18章6節)。
歴代志下の最後の章で、私達はこのようなさばきについてまた読み取れます。
“その先祖の神、主はその民と、すみかをあわれむがゆえに、しきりに、その使者を彼らにつかわされたが、彼らが神の使者たちをあざけり、その言葉を軽んじ、その預言者たちをののしったので、主の怒りがその民に向かって起り、ついに救うことができないようになった。そこで主はカルデヤびとの王を彼らに攻めこさせられたので、彼はその聖所の家でつるぎをもって若者たちを殺し、若者をも、処女をも、老人をも、しらがの者をもあわれまなかった。主は彼らをことごとく彼の手に渡された”(歴代志下第36章15-17節)。
ですから私達は、聖書を通して、預言的な説教を拒否する時、さばきとして神はしばしば熱烈な説教を取り去られる事を理解する事が出来ます。 それは神による公正なさばきなのです。 それが、私達のテキストで学ぶ教えです。
II. 次に、このテキストの応用。
“主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う”(アモス書第8章11-13節)。
クリスチャン・ミッショナリ・アライエンス本部の秘書、キース・ベイリー博士(Dr. Keith M. Bailey)はかってこのように述べました、
私はトーザー博士(A. W. Tozer)は預言者であると見なす。彼の世代のほとんどの人達をはるかに凌ぎ優れた理解力をもった。彼は教会の本質を衰えさせている物事を見分け、解明することが出来た。預言的な認識において、彼は指名された能力と知力で真実を語る事に勇敢な人であった(Dr. Keith M. Bailey in the preface to I Call It Heresy! by Dr. A. W. Tozer, Christian Publications, 1974 edition, p. 6)。
これはトーザー博士による二つの預言的な言葉です。 まず初めに、
悪魔は会衆をひどく恐れ、説教を30分間の “正しい行いがあなた方を健やかにする”と言ったような概要に一定させるような説教者に対して、何の問題も生じさせないであろう。あなた方がどんなに正しく振舞う事は出来ても、イエス・キリストに信頼を置かなければ、あなた方は地獄に落ちていくであろう!悪魔は単に“正しく振舞いなさい!”と告げるような説教者に対して、彼の時間を無駄に費やすことはしない(A. W. Tozer, D.D., “Who Put Jesus on the Cross?” in The Best of A. W. Tozer, compiled by Warren W. Wiersbe, Baker Book House, 1986 edition, pp. 230, 231)。
再び、トーザー博士は言いました、
聴衆者を単に満足させ、彼らに注意を払わない、それなりの説教をすることの素質を与えられているものは、平均的な教会にはいる。聴衆者に対して彼らが誤っていることを暗示ではなく客観的な真実でもって彼らに語れ、そうすれば彼らは満足するであろう。一方、真実を説教し、それを聴衆者に応用する者は、とげと針を感じるであろう。彼の人生は困難なものとなるであろうが、栄光に富むであろう。神がそのような預言者を多く興されるように。教会は彼らを必要としているのである(同著, p. 142)。
レオナルド・ラベンヒル博士は、トーザー博士の親友でした。 事実、トーザー博士は、ラベンヒル博士のすばらしい著書『Why Revival Tarries』の紹介の文面を書きました。 彼の著書 『America is Too Young to Die』の中で、ラベンヒル博士はこのように言いました、
偉大な説教の飢饉がある。人の内面を睨みつける説教の飢饉がある。こころを砕く説教の飢饉がある。 魂を引き裂く説教の飢饉がある。我々の父親が知っている、地獄への恐怖のゆえに夜どうし目を覚まさせるような説教の飢饉がある。繰り返して言うが、“主の御言葉の飢饉がある”。荘厳な福音の説教の飢饉があるのである(Leonard Ravenhill, America is Too Young to Die, Bethany Fellowship, 1979, p. 80)。
私はトーザー博士とレオナルド・ラベンヒル博士は全く正しいと思います。 “我々の父親が知っている、地獄への恐怖のゆえに夜どうし目を覚まさせるような説教の飢饉がある”。 そうです、今日では、例え非常に保守的な教会でも、その種の説教の飢饉があります。
しかし、もしあなた方がまだ回心していないのでしたら、これがあなた方にとって聞く必要のあることなのです。 この説教壇の後ろに私と一緒に立っている人達、チャン先生、ケイガン先生、グリフィスさん、リーさん、プルードムさん、ソングさん、そしてメンシーアさんが、真実なこと、本当に正しいことを話す犠牲、罪に対する神のさばきの真実、あなた方は生まれかわらなければならないという真実、そしてあなた方は回心しなければならないという真実、さもなければあなた方は地獄に下るという真実を話した人達です。 それは今日ではあまり聴かれません。 しかし、それは真実なのです! 主イエス・キリストは言われました、
“そして彼らは永遠の刑罰を受け、・・・悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ”(マタイによる福音書第25章46, 41節)。
私達はあなた方に真実を語らなければなりません。 私達は預言者アモスのように、あなた方に真実を語るよう呼ばれています。 私達は真実を隠してはいけません。 私達はあなた方に真実を語るよう神からしむけられています。 私達は、聖霊によって真実を語るよう強制されています! 私達はあなた方に、非常に聖なる神の御目には、あなた方は失われているということを宣言するよう、主イエス・キリストによってしむけられているのです! あなた方は失われています! あなた方は失われています! あなた方は失われているのです! キリストは言われました、“のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ”(マタイによる福音書第25章41節)と。
笑いたい人達にはそうさせましょう。 私達の説教をあざけりたい人達には、そうさせましょう。 アマジヤが預言者アモスの警告を拒絶したように、彼らに私達が言うことを拒絶させましょう。 私達は躊躇うことなく、アモスがその罪深い人に言ったことを言わなければなりません、“あなたは汚れた地で死に、イスラエルは必ず捕えられて行って、その国を離れる』」”(アモス書第7章17節)。 あなた方が思っているよりは早く、死が訪れるでしょう。 そしてあなた方の魂は下っていき、永遠に続く火炎へと落ちていくのです! 偽りの祭司がアモスにしたように、私達を馬鹿にしたり、嘲笑したり、中傷したりしたい人達にはそうさせなさい。 しかし私達は主の御言葉を隠すことはできません。 主の御言葉! 主の御言葉! 主の御言葉はあなた方に語りかけています、あなた方は“永遠の裁きに遭い・・・永遠に燃える火炎に行く”と。 それが、主イエス・キリストの御言葉なのです!
あぁ、御言葉を考えてみなさい! あぁ、御言葉を聞きなさい! あぁ、御言葉を恐れなさい! あぁ、イエス・キリストに逃れなさい。 彼だけが、あなた方を救うことがお出来になります! 彼だけが、彼の尊い御血でもってあなた方の罪を取り除くことがお出来になります! 彼だけが、彼の義でもってあなた方を包むことがお出来になります! 彼だけが、あなた方を天の御国へと連れ、あなた方を永遠に燃える火炎から救うことがお出来になります! 悔い改めなさい、イエスを信頼しなさい、そうすれば彼の御血はあなた方の罪を清め、あなた方は救われるでしょう!
私は歌を歌います。 もし私の言葉があなた方のこころに語りかけたならば、私が歌っている間に席を立ってこの集会場の後ろに行ってください。 ケイガン先生が救いと救い主の御血でもって罪から清められることについて、あなた方と話すため静かな場所へ案内します。 私が歌っている間に行ってください。
とうときいずみあり そのうちより インマヌエルの血ぞ あふれながる つみになやむもの くぐりいらば けがれはあらわれ しみはけされん (『とうとき泉あり』“There Is a Fountain” by William Cowper, 1731-1800).
チャン先生、お祈りをお願いします。
(説教終了)
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アベル・プルードム氏による説教前の聖書の朗読:アモス書第7章10-17節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Saved By the Blood” (by S. J. Henderson, 1902).
要 綱 主の御言葉を聞くことの飢饉! R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 “主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。 彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。 その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う”。(アモス書第8章11-13節) (アモス書第7章14-17節;第5章27節; I. 最初に、このテキストから習う教え。 II. 次に、このテキストの応用。 |