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私達が断食をする理由 R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 WHY WE FAST ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて |
聖書のイザヤ書第58章6節を開いてください。 神の御言葉を読むために、一緒に起立してください。
“わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか”(イザヤ書第58章6節)。
着席して下さい。
当時の人々は、ある期間断食をしました。 この聖句の最初の方で、神はイザヤに、神が人々の断食を拒否された理由を告げられました。 神は断食そのものは拒否されませんでした。 聖書には、人々の断食による多くの正当な模範が記されています。 しかしこの時、彼らは不当な理由で断食をしました。 彼らにとってそれは宗教的な見せ掛けの為だけだったのです。 彼らは断食の合間に、口論し争っていました。 彼らは他の人達に対する思いやりと愛しみを軽視しました。 彼らの宗教は冷淡で思いやりのないものでした。 彼らは断食をしましたが、彼らはそれを単に儀式的に行っていました。 彼らが断食をした時、彼らは、彼らの断食が神に受け入れられる事を考えていませんでした。
主イエス・キリストはその様な断食を非難されました。 キリストはこのように語られました、
“断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている”(マタイによる福音書第6章16節)。
彼らの“報い”は、他の人達に見られる事、他の人達に彼らがどんなに正当であるかを証明する事でした。 彼らが断食をした時、彼らは、神からは何も期待していませんでした。 彼らはただ人々に対して彼らが宗教的であることを見せ掛けようとしただけでした。
しかし、キリストは全ての断食を非難されなかった事に注目して下さい。 彼は弟子達に“断食する時には”偽善者達のようになってはならない、と語られました。 そして更に、イエスはこのように言われました、
“あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう”(マタイによる福音書6章17-18節)。
キリストは全ての断食を非難されませんでした。 しかし彼は、“断食をする時に”私達にどのようにすべきかを告げられているのです。 真のキリスト教は、キリストとの個人的な関係によって成り立っているのです。 そしてまた真の断食は、個人的に、そして密かにすべきなのです。 誰も自分達が断食をしている事を自慢して回るべきではありません!
残念ながら、ほとんどのアメリカの教会員達は、断食に関してほぼ何も知りません。 私は断食に関して一言も聞く事無く、六年間南部バプテスト教会に出席しました。 私がチャイニーズ・バプテスト教会の会員となり、生涯始めて断食について聞いた時、それは私にとって新発見となりました。 チャイニーズの教会での私の牧師、ティモシー・リン先生は、しばしば断食に関して話されました。 そして、神がその教会にリバイバルをもたらされた時、ある人達は断食をし祈っていました。 後に私は、断食と祈りは中国のハウス・チャーチでは非常に一般的であることを知りました。 私は、これが今日中国のハウス・チャーチに、神が力強いリバイバルをもたらされた主な理由の一つである事を信じます。 今日、中国では文字道理、何百万人の人々がクリスチャンになっています。 私は彼らが体験しているリバイバルは、彼らの祈りと幾度もの断食によって、神から下されたものであると信じます。 中国での偉大な草分け的宣教者である、ジェイムズ・ハドソン・テイラーはこのように言いました。
上海で、断食をし祈りに時間を費やす事を習慣とした中国のクリスチャン達を私は見出した。断食は、人をか弱く疲れさせるので、多くの人達はいやがるが、神への信仰が要求されるこの断食は、真に神の約束された恵みによる手段である事を彼らは認識していた。
祈りの勇士、アンドリュー・ムライ(Andrew Murray)はこのように言いました。
断食は、神の御国を求める目的の為に、我々は何事をも、我々自身さえも犠牲にする覚悟であるという決意を表現し、深め、そして決定付けることを促せる。
宗教改革者ルター、カルビン、そしてノックスは、しばしば断食をしました。 全ての初期のメソジストの説教者達は、毎週二日の断食を要求されました。 私達のバプテスト教派の先駆者ジョン・バニアンは、説教する前にしばしば断食をしました。 アメリカン・インデアンへの初期の宣教者、デイビッド・ブレイナード(David Brainerd)はこのように言いました、
福音の説教の考察に関して・・・私はひそかな断食と祈りの為にこの日を定めた。
ブレイナードは、彼が説教をした時に、インディアン達の間に非常に力強いリバイバルを体験しました。
私は、リバイバルによる、三つの非常に稀な神の霊のほとばしりの目撃者として、常にはない特権を与えられました。 それらの注目すべきリバイバルの内の二つは、断食と祈りの間に起こりました。 第一次大覚醒(信仰復興運動)はこのようにやって来ました。 そのリバイバルの先導者の内の一人である、ジョン・ウェスリーはこのように言いました、
あなた方は断食と祈りの日を指定しているか? 恵みの御座に突進し、それを耐え抜く。そうすれば、神の恵みが下るであろう。
ウェスリー自身もそのリバイバルの時期に何年もの間、毎週二日断食をしました。
現在、アメリカと西洋の諸国において、私達は非常に無味乾燥した時代に生きています。 私達の教会は苦闘しています。 文字道理、何百万人の人達が教会から去っています。 多くの人達は仏教、東洋の瞑想、そしてその他の誤ったアイデアなどに向かっています。 三年と六ヶ月前にオバマ大統領は、就任式の演説で、アメリカはクリスチャンの国では無いと彼は言いました。 今見える全ての徴候は彼の言った事が正当であるように思えます。
それはどうのようにして起こったのでしょうか? それは主に、非常に多くのアメリカの牧師達が世俗的であるが為なのです。 彼らは価値のない音楽を教会に取り入れました。 彼らは過去の偉大な説教者によるような説教ではなく、漫然とした聖句ごとの“解説”をしています。 彼らの多くは教会の晩の集会をも閉鎖しました。 そして更に、多くの教会は彼らの祈祷会を無くし、週日の集会を聖書の“解説”へと代えていきました。 昔ながらの祈祷会は、ほぼ途絶えています。 彼らは、人々をビーチに行くような格好で教会へ来させています。 ドラム、鼓動する音楽、そしてダンスなどもまた多くのいわゆる“礼拝集会”などでの呼び物とされています。 そして多くの説教者達は人々を回心へと導く術を知らず、彼らの教会へ人を加える唯一のやり方は、人々を他の教会から去るよう導き、彼らの教会へと加入させているのです。 彼らの人々を教会へ加える為の唯一の方法は、他の教会から“羊を盗むこと”なのです。
トーザー博士(Dr. A. W. Tozer)は、生存中に“二十世紀の預言者”と呼ばれました。 トーザー博士が告げた事は、今日更に真実となっています。 彼はこのように言いました、
臆病と道徳的精神の欠乏として特徴とされる宗教的な見方は、今日私達に、軟弱なキリスト教、学問的貧弱、活力のない反復したものを提供しており、多くの人達にとって、ただ単に退屈なものである。私達の祖先の真の信仰と違い、それは物売りである・・・私達は、私達の探究心旺盛な若者達に、[味気のない流動食]この無味乾燥な話を無理やり押し込み、楽しくさせる為に、不信の俗世間からくすねた俗的な娯楽で風味付けている。楽しませることは、指導することよりも容易であり、自分自身のことについて考えることよりも、堕落した一般的な判断に従う事は容易である。非常に多くの福音主義の指導者達は、宗教的巧妙な新案を働かせて、彼らの指を機転させ、好奇心のある群集へともたらしている反面、彼らの思いを退化させている(A. W. Tozer, D.D., “We Need Sanctified Thinkers,” The Set of the Sail, Christian Publications, 1986, pp. 67, 68)。
リバイバルが今日の私達の教会に起るためには、これらの説教者達がしばしばする、浅はかなモダン著者の解釈から切り取った、アイデアに乏しい、ちりのように乾いた“聖句の解説の説教”よりはましなことを、私達はする必要があります。 この世の若者達をイエス・キリストの弟子にするために、彼らを引きつけることの出来ない“無気力なキリスト教”よりはましなことを、私達はする必要があります!
私達がその質問を自分達に投げかけるとき、私達はどのようにしたら効果的に失われている若者達をこの世から導き出せるのか思い煩います。 多大な祈りと思いの後、私は、神ご自信の働きなくしては、若者達をこの世から導き出すことは出来ないと確信しました。 神は、預言者ゼカリヤにこのように語られました、
“これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである”(ゼカリヤ書第4章6節)。
私達が、失われている若者達をキリストへ、そして、私達の教会へ導く唯一の方法は、万軍の主が言われる、“わたしの霊によるのである”、それなのです。
十二弟子は、富んでいる若き権威者がキリストのところを立ち去り、自己中心的な罪の生活へ帰っていくのを見ました。 十二弟子はキリストに、“それでは、だれが救われることができるのだろう”と尋ねました。
“イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。 神はなんでもできるからである」”(マルコによる福音書第10章26, 27節)。
よいですか! 富んでいる若き権威者、あるいはその他の若者を回心させることは、我々の感覚では不可能なのです! “人にはできない”のです。 どんな教会のプログラムもできないのです! どんなに理知に富んだ説教もできないのです! どんな催しもそれをすることはできないのです! “それでは、だれが救われることができる”のでしょうか? “人にはできない”のです。 いいえ、いいえ! 彼は、“人にはできる”とは言われませんでした。 いいえ、いいえ! 彼は、“人にはできない”と言われたのです。 神だけがそれをお出来になるのです! “人にはできないが、神にはできる”のです。
“これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである”(ゼカリヤ書第4章6節)。
神だけが、若者達にこの世のむなしさ、そして望みのなさを知らせることが出来るのです! 神だけが、若者達に毎週日曜日に教会へ来る必要があることを分からせることが出来るのです! 神だけが、若者達の自信過剰を剥ぎ取ることが出来るのです! 神だけが、若者達を罪の悟りに置くことが出来るのです! 神だけが、キリストの御血による義のために、若者達を彼に導くことが出来るのです! 神の御力だけが、若者達を彼の御子へ引き寄せ、彼の思いにかなう生き方を彼らにさせることが出来るのです!
しかし、どのようにしたら神の力を私達の間にもつことができるのでしょうか? その答えは、私達のテキストの中にあります。
“わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか”(イザヤ書第58章6節)。
ここに私達が断食をする理由を神は挙げられています。
1. 悪のなわをほどくため
2. くびきのひもを解くため
3. しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るため
今朝私達とここにいるあなた方の中で、もし、まだ生まれかわったクリスチャンでない人達がいるならば、あなた方にこのことを知ってもらいたいと思います。 あなた方の中に、彼らの名前は挙げませんが、あなた方のために昨日断食をし祈った若者達が多くいます。 しかし、彼らの多くはあなた方のために、ひそかに断食をし祈りました。 彼らは、昨晩教会で一緒に食事を持つまでは、一日中断食をしました。 なぜ彼らはあなた方のために断食をし祈るのでしょうか? なぜなら、彼らはあなた方を大変心配しているからです。 彼らは、あなた方が罪の鎖から解き放たれるのを望んでいます。 彼らは、あなた方が重いくびきとサタンの抑圧から放たれるのを望んでいます。 昨日一日中彼らは断食をし、神が天から下られ、あなた方を罪から解き放ち、私達の教会の親交に引き寄せ、キリストの尊い御血による清めのためにあなた方をキリストに導かれることを祈りました。 リバティー・ユニバーシティー(Liberty University)のエルマー・タウンズ博士(Dr. Elmer Towns)は言いました、
あなた方が断食をし祈るとき、天窓を開け、あなた方を祝福されるよう神に祈る・・・あなた方が天の扉を激しく叩くので、神は、罪に失われているものを悟らせ、彼・彼女をイエス・キリストに導くのである(Elmer L. Towns, D.Min., The Beginner’s Guide to Fasting, Regal, 2001, p. 124)。
私達の仲間のほとんどは、あなた方のために昨日断食をし祈りました。 彼らは、神があなた方の眼を開かれ、キリストをもたない人生が何と無意味なものであるかを分からせるよう祈りました。 彼らは、神があなた方を私達の教会の温かい親交へ引き寄せられるよう祈りました。 彼らは、あなた方が自分の罪を感じ、キリストの必要性を見いだすよう、神があなた方を啓蒙するよう祈りました。 彼らは、神があなた方に、イエスはあなた方の罪の罰のために十字架で死なれ、彼の尊い御血でもってすべての罪からあなた方を洗い清められることを分からせるよう神に祈りました。 彼らは、神があなた方に、もう一つの次元の天国に、穢れのない美しさにいられるイエスを見させるよう、あなた方のために祈りました。 彼らは、あなた方が回心し永遠のいのちをキリストに持つために、神があなた方を私達の教会に引き寄せられ、キリストに導くよう神に祈りました。 この説教の前にグリフィスさんが歌った古い賛美歌は、彼らのあなた方のために祈った思いが表現されています。
すくいぬしにましませど
わがともとなりたまいて
つねにわれをまもりたもう
イエスはまたながともなり
われいのれり われいのれり
われいのれり ながために
もし、まだ救われていない友人のためにあなた方が祈っているのであれば、その歌の合唱の部分を歌いなさい!
われいのれり われいのれり
われいのれり ながために
(『すくいぬしにましませど』“I Am Praying for You”
by S. O’Malley Clough, 1837-1910).
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:マタイによる福音書第6章16-18節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“I Am Praying for You” (by S. O’Malley Clough, 1837-1910).