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私がジョン・ライス博士から学んだ事柄 R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 THINGS I LEARNED FROM DR. JOHN R. RICE ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう”。(詩篇第126篇6節) |
私は十代の頃、ジェイムズ・ハドソン・テイラーの伝記を読みました。 その時、神は私に中国人ヘの宣教師になるよう使命されていたように私は感じました。 私はロスアンゼルスのファースト・バプテスト教会に加わりました。 その年の秋に、私はバイオラ・カレッジ(現在のバイオラ・ユニバーシティ)に通い始めました。 私は、チャールズ・ウッドブリッジ博士(Dr. Charles J. Woodbridge)のペテロの第二の手紙からの説教を聞き、ついに救われました。 そこでは私は、ソウル・ウィニング(魂の獲得)に関する授業科目以外の全ての試験に落ちました。 私は仕事を持っていて、また金曜日と土曜日の夜、そして日曜日は一日中、チャイニーズの教会で奉仕活動をしていました。 ちょうどその頃、私は『Journal of John Wesley(ジョン・ウェスリーの日誌)』を読みました。 そしてリバイバルについて学びました。 いつも私は、このチャイニーズの教会にリバイバルが起こるよう祈っていました。 私は、昼間は週40時間の仕事をしながら、週末にはチャイニーズの教会で奉仕活動をし、夜間大学へ行き始めました。 私はカリフォルニア州立大学を1970年の春に卒業しました。 その数ヶ月前に、リバイバルがそのチャイニーズ教会を席巻し始めました。 数百人の人達がその教会に来て回心しました。 ほぼ1969年から1973年に、教会はティモシー・リン博士(Dr. Timothy Lin)によって先導され継続したリバイブルの最中にありました。
1970年の秋に、私はサンフランシスコ市の近くにあるゴールデン・ゲイト・バプテスト神学校(Golden Gate Baptist Theological Seminary)に行き始めました。 二年目の時に、私はその神学校の二人の友人の手助けを得て一つの教会を始めました。 私達三人は、その神学校で教授されている聖書への非難について悲嘆していました。 しかし、私は二年間の間、その事に関してほとんど口を開きませんでした。 三年目の最後の年に、私はその神学校の学生新聞の編集長に選ばれました。 私が、新聞と教室内で聖書を弁護し始めたのはその頃でした。 私は学長から、悪い評判のために、南部バプテスト教会から雇われづらくなるであろうと言われました。 かなり内面葛藤したあげく、私はそういう事は重要ではないと決心し、聖書の弁護を継続しました。 教授達は、スコーフィールド・スタディー・バイブル、フランク・ノリス博士(Dr. J. Frank Norris)、そしてジョン・ライス博士に対して強く非難していました。 私は、スコーフィールドの聖書は良いものに違いない、そうでなかったら彼らがそんなにも非難するはずがないと思い、それを手に入れ、それ以来私はスコーフィールドの聖書を使って説教しています。 しかし私は、ノリス博士やライス博士は変わり者だと思っていました。 私は彼らの本を読んだこともなく、彼らについて何も知らないがままに彼らを判断していたのです。
卒業後も私は、ゴールデン・ゲイト・セミナリーでのリベラル(自由)主義を大胆に暴露しました。 私は、そのセミナリーでの聖書に対する非難を暴露した郵便物やビデオなどを、カリフォルニア中の全ての南部バプテスト教会の執事の会長の方達に郵送しました。 その結果として、学期の途中でリベラル主義の教授の一人が辞職し、妥協していた学長の一人も辞職しました。 私達の教会は、ビル・パウェル博士(Dr. Bill Powell)が神学的自由主義を暴露した彼の『Southern Baptist Journal』の出版物をアメリカ中の全ての南部バプテスト教会に郵送するのを援助する為に毎月600ドルを送りました。 妻と私は毎年、その刊行物を配る為に南部バプテスト・コンベンションに出て行きました。 人々は私達に向かって声を張り上げ、私達を脅しました。 最後に参加したコンベンションの時、私の妻は妊娠6ヶ月の身重でした。 彼らは彼女の顔につばを吐き、彼女が妊娠しているにもかかわらず、彼女に向かって物を投げつけました。 ホテルの部屋に帰ると、妻は、“ロバート、そのようの人達がどうしてクリスチャンと呼べるの?”と私に言いました。 私は恥かしさのあまり首を垂れました。
私は警告されたとおり、ゴールデン・ゲイト・セミナリーから“除名処分”されました。 彼らは、私を抗議する手紙や郵便物を送り出しました。 そうして、私の南部バプテスト教会の長年の友人達さえも、私に批判的になりました。 私は非常に落胆し、悲嘆に暮れました。 一人の友人が、ロバート・サムナー博士(Dr. Robert L. Sumner)が書いた、ジョン・ライス博士の伝記本『Man Sent from God』を私にくれたのは、私が深く気落ちしていた最中でした。 ある晩、その本の何ページかを読もうと私は椅子に座りました。 しかし読み始めていると止める事が出来ませんでした。 私は一晩中読みふけり、朝の9時にその本を読み終わりました。 私は、ライス博士の体験と、リベラル主義の南部バプテスト派との私の体験に類似する点があることに心を打たれました。 数ヶ月の間に、 私はほぼ全てのライス博士の著作を買い求め、熱心に読み上げました。 そうしてライス博士は、23年間私の牧師であったティモシー・リン博士と並んで、私の指導者ならびに助言者の一人となったのです。
1980年の秋に、私はテネシー州マーフリーズバラ市のライス博士のオフィスに行き、彼とのインタビューを撮影しました。 彼はその数週間後に亡くなられましたが、私は彼の多くの著作物と説教を毎週のように読み続けました。 私はライス博士から有益で役に立つ多くの事を学びました。 私はそれらの幾つかを今晩挙げたいと思います。
説教の最初に、私はライス博士の人生の聖句を読みました。
“種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう”(詩篇第126篇6節)。
それがライス博士の人生ならびに奉仕の主題でした。 彼は偉大な学者であり、聖書研究者でした。 しかし、彼は伝道者、魂を導く者、そして天から送られたリバイバルの支持者としての主要な使命から決して横道へそれる事はありませんでした。 ここに私が彼から学んだ四つの事をあげます。 私は、彼のストアーハウスの十分の一の献金、キリストの来臨の前兆、そしてその他の幾つかの事柄に関して彼には同意しませんが、これらの四つのポイントに関して、彼は私に強い影響を与えました。
I. 最初に、私はライス博士から説教について多くを学びました。
1950年代に私が最初に説教を始めた時、私はビリー・グラハム(Billy Graham)の伝道的説教の方法と説教の構造を意識して手本にしました。 彼は当時偉大な説教者でした。 私の友人、“イエスのためのユダヤ人”(Jews for Jesus)のモイシ・ローゼン(Moishe Rosen)は、当時のビリー・グラハムの説教は“非常に興奮させるもの”であったと言いました。 しかしその後、私は通称“解説的”説教をするよう進められました。 私は7年間それを試みるために奮闘努力しました。 しかし私は、多くの聖句に関して、ポイント、サブポイント、そしてサブ・サブポイントなどで、理解しにくいあやふやな概略から説教しようとする事に抑制され、そして控えているように感じました。 私は、通称“解説的”説教に関して教えられた事によって、抑制され、束縛され、虜の状態に置かれ、そして規制されているように感じました。 そこで私はこの主題に関してライス博士の本を読みました。 ライス博士はこのように書いています、
イエスの説教はどれ一つとして、・・・今日の通称呼ばれる、解説的説教ではなかった。そして使徒行伝のペテロ、ステパノ、そしてパウロによる説教も同じで、解説的説教では全くなかった。 常に、説教者は特定の結果を得る為に立ち上がり、説教し、そして彼はその結果に向かって説教した。そのように、今日の説教者達は聖書自体を単に解説するだけではなく、特定の結末に向かった説教をすべきである(John R. Rice, D.D., Why Our Churches Do Not Win Souls, Sword of the Lord, 1966, pp. 74, 75)。
私は、通称呼ばれる“解説的”説教は、一つもしくは二つの聖句から説教していた私達のバプテスト、もしくはプロテスタントの先駆者から来たものではない事を 学びました。 ライス博士は、現代の“解説的”説教は、プリマウス・ブラザレン(the Plymouth Brethren)から来たものであり、プリマウス・ブラザレンの説教者、ハリー・アイロンサイド博士(Dr. Harry Ironside)によって大衆化されたものです。 ライス博士は、ウェスリー、ホィットフィールド、スポルジョン、そしてトーリー博士は、“大胆で、妥協せず、罪を非難する論議的(説教)”を説いたと言っています。 彼は、私達は“罪を非難し、背教に対抗し、困難から抜け出す道を示し、神の怒りを人々に警告するような説教”が必要であると言っています(同著p77、78)。 ライス博士はこのように書いています、
いつからこのようなひどい崩壊がアメリカの規準となったのか?なぜ至る所でセックスが人々を圧迫し、映画と雑誌などが更に猥褻になり、以前よりも女性は貞節ではなく、男性は不敬となったのか?それは何百万という教会員達のいるアメリカに、強固な説教者達が相対的に少なくなったからである。罪に関して、後に来る裁きに関して、キリストを拒否する人達の恐ろしい地獄に関して、それらを説く説教者達があまりいない。・・・教壇は教会を衰えさせ、教会がアメリカを衰えさせたのである(John R. Rice, D.D., Bible Doctrines to Live By, Sword of the Lord, 1968, p. 311)。
聖書はこのように言っています。
“大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ”(イザヤ書第58章1節)。
ライス博士はこのように書いています、
神によって使命された全ての説教者の最初の目的は、人々を神に導く事でなければならない。 説教者達は、口実として“私は教える牧師として使命されている。私の教会への奉仕として、私は神の民に供給しなければならない”と言うかもしれない。しかし、そのような口実は明らかに神の命令への率直な不従順であること私は強調する。神からの偉大な任務は未だに説教者達に義務付けられているのである。福音は全ての人々に宣べ伝えられなければならない。・・・チャールズ・スポルジョンは、生涯を通して牧師であった。そして自分自身を伝道者と呼んだことはなかった。しかし何千人の人々が彼の奉仕の下で救われた。そして[スポルジョンの教会]は、“魂を捕らえる所”と呼ばれた。教会の説教は、他の場所においても、強硬な伝道的なものであるべきである(John R. Rice, D.D., Why Our Churches Do Not Win Souls, ibid., pp. 67-69)。
私はこれらの説教に関してのポイントでライス博士に同意します。 彼は、私に昔ながらの福音を宣べ伝える為の心を揺さぶる説教方法に従うよう励ましてくれました。 そして、イエスは失われた罪人達を愛しておられ、イエスは彼らを救われると言う福音が全ての教会の集会で宣べ伝えられるべきである事を、ライス博士は信じていました。 ライス博士は言いました、
あぁ、慈悲の泉は流れ出る
十字架につけられた救い主から
我々のために流された尊い御血
我々の全ての罪のための恵みとゆるし
(“Oh, What a Fountain!” by John R. Rice, 1965).
彼は末永く 愛を注がれる
言葉では言い尽くせないほどに 彼はあなたを愛される
彼は末永く 愛を注がれる
あなたの魂を地獄から救うために、彼は死なれた
(“He Loves You Still” by John R. Rice, 1960).
II. 二番めに、私はライス博士から信仰を弁護することについて多くを学びました。
聖書は、“信仰のために戦うこと”(ユダの手紙第3節)と聖書は言っています。 ライス博士は、彼の奉仕を通して信仰の為に強硬に戦いました。 ライス博士はこのように書いています、
多くの魂を導く事を期待しない牧師は、優しい愛などについての聞こえのよい説教などをすることが出来るであろう。しかし、感情を刺激し、揺さぶり、そして意思を聖なる悔い改めにもたらす事を願う説教者は、偉大な聖書の真実について説教しなければならない。・・・人間の心の堕落、キリストによる償いの死、新生の必要性、信仰を通しての恵みによる救い、天国と地獄の実在などの偉大なる主題は、全て福音伝道的な主題である。そして、それらはキリストの神性、イエスの処女降誕、復活などを必需的に含む。そしてそれらがクリスチャンの信仰の根本である。
偉大な伝道者達が信仰の弁護者であった事は全く偶然ではない。 スポルジョンは、今日、現代的思想と呼ばれている“ダウングレイド・ムーブメント”に反対する高潔なキャンペーンを続けた。そしてかなりの非難を犠牲にして、英国とアイルランドのバプテスト・ユニオンから去り、罪から偉大な教会を救い出させた。そうしてスポルジョンはすばらしい説教を成し、聖書の閃きと権威、キリストの神性、そしてその他の信仰の根本を支持した(John R. Rice., D.D., Why Our Churches Do Not Win Souls, ibid., pp. 71, 72)。
更にライス博士は言いました、
神の確実な御言としての聖書の絶対的権威に対して、説教者の思いに、もしくは聴衆の思いに疑いがある限り、彼のメッセージは弱まり、地域社会への影響が弱まり、人々を神へと導く理由が減少されるのである(同著p. 73)。
なぜつぶやき 悲しみから 背を向けるのか
汝の御名のために 財産あるいは友を失うためか
あぁ、危険よ 災いよ 来たれ
もし 御名のゆえならば
我が全ての愛 我が全ての夢
汝のみのために させ給え
我が望み 我が思い
我を導きたまえ 主イエスよ
(“All My Heart’s Love” by Dr. John R. Rice).
私と合唱の部分を歌ってください。
我が全ての愛 我が全ての夢
汝のみのために させ給え
我が望み 我が思い
我を導きたまえ 主イエスよ
III. 三番目に、私はライス博士からリバイバルの主題について多くを学びました。
聖書はこのように、リバイバルの為の祈りを表しています、
“あなたの民が、あなたによって喜びを得るため、われらを再び生かされないのですか”(詩篇第85篇6節)。
ライス博士は、神業なる、神からのリバイバルを信じました。 彼は、“リバイバルは神からの明示であることに決着させよう。 リバイバルは神からの奇跡である。 それは自然のものではなく、神業である。 それはありふれた事ではなく、並外れた事である。 それは人によってではなく、神によるものである。 神のみがリバイバルを下されることが出来るのである”(John R. Rice, D.D., The Soul Winner’s Fire, Sword of the Lord, 1969, p. 79)。
ライス博士の著作『We Can Have Revival Now』 (Sword of the Lord, 1950)の中で彼は、“最も偉大なリバイバルは後に起こる。 この世が今までに体験したもの以上に更に偉大なるリバイバルがやって来る。 それは明白に神の御言の中で示されている。 そして、それが私達の心にすばらしい平安をもたらすであろう! 神が、この世で今までになく更に偉大なリバイバルを約束された事を我々が知る時、それはリバイバルが未だ過ぎ去っていない事を確かに証明するであろう”(p. 29)。
ライス博士は、1950年にそのように述べました。 彼がそのように述べた頃、共産党主義支持者達は、中国から全ての外国の説教者達を追い出しました。 ライス博士がそのように言った時、二十五年以上の拷問と投獄が中国のクリスチャン達を待ち受けていました。 しかし1980年以来、すなわちライス博士が亡くなった年に、世界でも最も偉大な内の一つのリバイバルが中国で勃発しました。 現在、中国には1億2千万人以上のクリスチャンがいると見積られています。 中国では、今現在アメリカ、カナダ、そしてイギリスを合わせた数よりも多くの人達が日曜日に教会へ出席しています! ケイガン先生(Dr. C. L. Cagan)は、中国では日夜24時間、週7日、毎時700人がキリストへ回心していると見積っています! ライス博士が1950年に、“この世が今までに体験したもの以上の更に偉大なリバイバルがやって来る”(同著、p. 29)と言った事は全く正しかったのです。
私自身も、三つの“神業なる”神からのリバイバルを目撃しました。 ロスアンゼルス市にあるファースト・チャイニーズ教会で、1969年から1973年にかけて、奇跡なる神の力が2000人以上の人々を私達の約125人程の小さな教会に引き寄せるのを私は目撃し、カリフォルニア州の最も大きな教会の一つとさせました。 私は、人々が悔い改め、そして奇跡的な回心に涙を流し、集会が日曜日の一日中続いたのを目撃しました。 私自身もそれらの集会の一つで説教をし、46人の若者達が回心しました。 そしてそれは毎晩続いていた集会のうちの一つでした! 私はその晩に救われた若者達のほとんどが40年後現在まで教会に出席している事を知りました! 私の妻と私がその教会の60周年の記念日に呼ばれた時に、多くの中国人の若者達が私に来て、その偉大なリバイバルで私が説教した時に彼らが救われた事を語ってくれました!
1972年に私が始めたサンフランシスコの北のマリーン郡の教会で、私達は約600人のヒッピー族が数ヶ月の間に、邪悪な生活と麻薬を止め救われ、真のクリスチャンになっていったのを目撃しました。 それは私が目撃した二番目のリバイバルでした。
1992年に、私の妻と息子達、そして私はバージニア州バージニアビーチにあるロッド・ベル博士(Dr. Rod Bell)の教会でのファンダメンタル主義派の協議会に出席しました。 最後の日曜日の晩の協議会で、 私は説教をするように予定されていました。 教会員の一人が私に、“何を説教するにしても、伝道的な説教はしないで下さい。 この教会の人達は皆すでに救われていますから”と告げました。 その言葉は私を非常に不安にさせました。 なぜなら、神が私の心に、一つの分り易い伝道的なメッセージを用意されていたからです。 偉大なそして有名な説教者達がその会衆の中にいました。 誰一人として前方に出てこなかったなら、彼らは何と思うだろうか? 私は不安でした。 私は妻に息子達を数時間ホテルの部屋から出すように頼みました。 私は断食をし、祈り、そして午後を通して神を呼び求めました。 教会へ行った時にも私は未だ祈り、そして不安を感じていました。 彼らは賛美歌を歌い、牧師が私を紹介しました。 突如として、私は瞬間的に聖霊で満たされたように感じました。 私はその分り易い明白な説教を全く容易に説教しました。 三人の大人達が前方に出てきました。 その一人は牧師の息子である副牧師でした! 彼は頬に涙を流しながら、救われる為に出てきました! その時、聖霊が雲のように舞い降りてきました。 ある一人の、長い間教会に通っている一人の老人が、“失われている! 失われている!”と泣き叫びながら教会の通路を這いながら出てきました。 合唱隊の女の子達が歌う為に出てきましたが、彼女達は歌う事も出来ませんでした。 涙を流しながら、イエスに救ってくれるよう呼び求めました。 集会は夜中の12時まで続きました。 その夜、“彼らは皆救われている”と思われていた教会の75人の人達が救われました。 イアン・ペイズリー(Ian Paisley)の息子は私の妻に、“このような事はかつて目にしたことがない”と言いました。 その時にリバイバルが勃発しました。 私は数日後に再びそこの牧師に会う為にロスアンゼルスから戻りました。 それから三ヶ月の間に、500人以上の人達が救われ、教会で洗礼を受けたのです!
ロッド・ベル牧師が、“神の奇跡”と呼んだこれらの三つのリバイバルで、神が成された出来事の目撃者達がいます。 人間の業によってリバイバルを“成し上げる”事は出来ない事を私は知っています。 しかしライス博士が、“今、リバイバルを体験する事が出来る”と言った事が真実であるとも知っています。 私達の断食と祈りの時に、私達は神がこの教会にリバイバルを起こしてくださるよう祈っています。 ライス博士による歌の一つは、このように言っています、
今日、収穫をするか あるいは逃すか
今日、我々に失われた魂が与えられん
あぁ、愛するものを火炎から救わん
今日、我らは失われしものを連れて来る
(“So Little Time” by Dr. John R. Rice).
説教者と教会の人々が聖霊に満たされる事の必要性に関しての、ライス博士の信念について時間をかける事が出来ればよいと思います。 ライス博士が言ったように、“変わり者ではなく”、クリスチャンはファンダメンタル主義派であるべきであるという彼の信念について時間をかけられればよいと思います。 キング・ジェイムズ・バイブルが霊感によって書かれ、ヘブライ語とギリシャ語を正しとする、という誤った見解を弁護するべきではないと言うライス博士に私は同意します。 ローカルの教会に喜びをもたらし、そして楽しい場所にする事に関してのライス博士の意見をあなた方に告げる時間があったならと思います。 ライス博士が“大好きなクリスマス”と言った理由をあなた方に告げる時間があればよいと思います。 そして彼のすばらしい著書『The Home, Courtship, Marriage and Children』について語る時間があったならよいと思います。 私は、それらのすばらしい聖書の主題についてライス博士に同意します! しかし、もう一つのポイントでこの説教を終わらせます。
IV. 四番目に、私はライス博士から祈りと断食の主題について多くを学びました。
神は、預言者イザヤを通して言われました、
“わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか”(イザヤ書第58章6節)。
ライス博士の著書『Prayer: Asking and Receiving』の中で、彼はこのように書いています、
我々が神を待つ時、真の断食と祈り、そして心の屈辱は、神が我々に望まれる祝福を我々が得る事を私は知っている。あなた方は、勝利が下されるまで、断食と祈り、そして神を待った事があるか?愛する神の子達よ、それを試みようと感じているか?ならば、神が祝福であなたに応じられるまで断食をし、祈りなさい(John R. Rice, D.D., Prayer: Asking and Receiving, Sword of the Lord, 1970 edition, pp. 230, 231)。
来週の土曜日に、私達は教会として断食をし、祈ります。 もしあなた方に病的な問題があるならば、断食を始める前に医者に相談してください。 老いた人や病気の人は、トマト・ジュースもしくは他のジュース、またはスープなどの一部の断食で私達と共にするのもよいでしょう。 一日を通して水を十分飲んで下さい。 そしてその間に、この秋に神が私達の教会に多くの人達を導き入れてくださるよう、時間をかけて祈ってください。 出来れば、ここ数週間のうちに新しく入って来た人達の名前を挙げて、一人一人の為に祈ってください。 そして、私達が来週もしくはその次の週末に教会へ連れて来ようと計画している人達の為にも祈ってください。 彼らが教会に留まり、救われる事を祈ってください。 そしてジョン・ライス博士の、生涯の聖句を忘れないで下さい。
“種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう”(詩篇第126篇6節)。
起立してソングシートの最後の曲、ライス博士の書かれた“The Price of Revival”を歌って下さい。
リバイバルの代償、魂の導きのための代価
重荷となる長い祈り、そして涙
天上の収穫時に代償される
孤独な見知らぬ罪人への嘆願
収穫、天上の収穫、この世での魂の獲得
この世の宝は 空しく
露のごとく消えうせ、枯葉のごとく落ちる
しかし、我々の涙と嘆願で 勝ちとられる魂
天上の収穫となるであろう
収穫、天上の収穫、この世での魂の獲得
木、藁、そして刈り株をもって
主の裁きの座に現れる悲しさ
我らの主・イエスを拠りどころとせず
天上の収穫時に無し
収穫、天上の収穫、この世での魂の獲得
私達が最後の節を歌う間に、説教壇の前に立って下さい。 クレイトン・チャン先生が、来週の土曜日の私達の断食と祈りの時の為に、そしてこの秋の私達の伝道活動の成功の為にお祈りをします、
永遠の栄光をもって輝く賢きもの
魂の獲得者へ支払われる代償
多くの救いの話をもたらす彼らは
星のように 永遠に輝く
収穫、天上の収穫、この世での魂の獲得
(祈り)着席して下さい。
もしあなた方が今晩未だ回心したクリスチャンでないならば、注意して聞いてください。 主イエス・キリストは天国から降られ十字架に付けられ、私達の罪の償いをする為に死なれました。 彼の体は墓に置かれ、閉ざされ、そしてローマ兵卒が見張に置かれました。 しかし主イエス・キリストは三日目に骨と肉をもって身体ごとよみがえられました。 よみがえられたキリストは40日間彼の弟子達と共におられました。 彼らはイエスに触れ、彼が霊ではない事を目撃しました。 最後にイエスは天国に戻られ、父なる神の右の座に着かれました。 あなた方の邪悪な生活を改めイエスを信じる時、彼の尊き御血が全ての罪からあなた方を清めるでしょう。そして彼はあなたに永遠の命を与えられるでしょう。 私達は、あなた方がイエスに来て彼を信頼し、すぐにも救われる事を祈っています。 そしてどんな事があっても、来週の日曜日にこの教会へ戻って来て下さい! 神の祝福がありますように! アーメン
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:詩篇第126篇1-6節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“The Price of Revival” (by Dr. John R. Rice, 1895-1980).
要 綱 私がジョン・ライス博士から学んだ事柄 R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著 “種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう”。(詩篇第126篇6節) I. 最初に、私はライス博士から説教について多くを学びました。 II. 二番目に、私はライス博士から信仰を弁護することについ III. 三番目に、私はライス博士からリバイバルの主題につい IV. 四番目に、私はライス博士から祈りと断食の主題につい |