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青銅のへび

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

THE SERPENT OF BRASS

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2012年2月26日、主の日の晩の説教

“モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた”(民数記第21章9節)。

イスラエルの民が荒野を旅していた時、彼らは堪えがたくなり、反抗しました。 彼らは神とモーセに向かって、“あなたがたはなぜわたしたちをエジプトから導き上って、荒野で死なせようとするのですか。 ここには食物もなく、水もありません。 わたしたちはこの粗悪な食物(神が彼らに送られたマナ)はいやになりました”(民数記第21章 5節)とつぶやきました。 マチュー・ヘンリーは、“彼らはカナン人に対して勝利を得たばかりであるのにもかかわらず、・・・彼らは、神が彼の為になされた事に満足せず、神が成されようとした事へ不信を抱いた。 彼らには十分な食物があったにもかかわらず、彼らは食物がないとつぶやいた”と書いています。 彼らには水もありました、それでも彼らは神に対してつぶやいたのです!(Matthew Henry’s Commentary on the Whole Bible, volume I, Hendrickson Publishers, 1996 reprint, p. 519; comment on Numbers 21:4-9)。

彼らの不信仰と反抗のゆえに、神は彼らに炎のへびを送られました。 彼らをかみ、そして死なせる為です。 そのへびは“火の蛇”と呼ばれました。 へびの色とそのへびのかみ傷は、体に熱烈な炎症を生じさせたからです。 “直ちに高熱を生じさせた”(Henry、同著)。

“民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。 どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください”(民数記第21章7節)。 そこで神はモーセに青銅のへびを造らさせ、さおの上にそれを掛けさせられました。 モーセは民に、さおに掛けたへびを見るならば、彼らは生きるであろう、と告げました。 “モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。 すべて蛇にかまれた者はその青銅の蛇を仰いで見て生きた”(民数記第21章9節)。

ジョン・ライス博士は、“草を滑りぬけている有毒で致命的なへびを見よ! 神はイスラエルの民をエジプトから、この世で最も偉大な奇跡をもって導き出された。 そして神は愛なる行為を示す為に、どのような祝福を示されたであろうか: マナ、岩から流れ出た水、アマレク人からの救い。 しかし我々は、この群集の口から全く賛美の言葉がなかった事を知って驚かされる。 この荒野で、罪と救い主が明白に現されている”と書いています(John R. Rice., D.D., The Bible Garden, Sword of the Lord Publishers, 1982, p. 212)。 

この記述で、三つの事柄を学べます-裁きの原因、クライマックス、そして裁きへの解決。

I. 最初に、裁きの原因。

“神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。 荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます”(民数記第21章5節)。 彼らの不平は、不信仰の結果として生じました。 彼らは、神もしくは神の僕モーセを単に信じなかったのです!  

“また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに対してではなかったか。また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってであったか。不従順な者に向かってではなかったか。こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる” (ヘブル人への手紙第3章17-19節)。

“また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである”(コリント人への第一の手紙第10章9-11節)。

今晩ここに、神に対してつぶやいている人達がいる事を私は知っています。 あなた方のある人達は、神は十分あなた方の為に成して下さらない、もしくは、神は救いを得る事を困難にしている、と考えています。 あなた方は心の中で、つぶやき、そして不満を持っています。 “なぜ見ることも出来ないイエスを信じなくてはならないのか?”と言っています。 “感情もなく、確実な証拠もなく、なぜ私はイエスに来なければならないのか?”。 またある人は、“なぜ誰も知らない自分の罪を止めて、キリストを信頼しなければならないのか?”。  しかし、これらのつぶやきは邪悪であり罪なのです。 それらは不信仰なる邪悪な思いから出ているのです。 使徒パウロは、“また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。 主を試みた者は、へびに殺された”(コリント人への第一の手紙第10章9節)と言っています。

私は今夜あなた方に、もしあなた方がイエス・キリストに来る事を拒否するならば、あなた方自身の罪によってあなた方は死ぬ、という事を警告します。 もしあなた方が、不満を持ち続け、故意に救い主に来る事を拒否するならば、“罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある”(ヘブル人への手紙第 10章26節)。 裁きがあなた方に下るでしょう。 もしあなた方が、頑固にも故意にイエス・キリストを拒否し続けるならば、キリストは突如として現われ、“主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し”(テサロニケ人への第二の手紙第1章8節)。 あなた方は、“主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう”(テサロニケ人への第二の手紙第 1章 9節)。 

それが荒野で反抗し信じる事を拒否したイスラエルの民に、正に起こった事ではないですか? 彼らは炎のへびにかまれませんでしたか? 彼らは死んで地獄に行ったのではないですか? それらは、もしあなた方が頑固に反抗し、キリストに来る事を拒否し続けるならば、あなた方にも起こるという模範として与えられているのではないですか?

“しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである” (コリント人への第一の手紙第10章5-6節).

彼らの裁きの原因は、彼ら自身の罪なる不信仰と神に対する反抗でした。

II. 次に 裁きのクライマックス。

ある定まった日に、そしてある定まった時刻に、神は、彼らをかむよう炎のへびを送られ彼らを殺されました。 マチュー・ヘンリーは、これらの炎のへびによって彼らがかまれた時、“申命記第8章15節で明らかであるように、彼らが通りすがった荒野は、それらの炎のへびではびこっていた。 しかし、彼らがそこでつぶやくまで、[それ以前には]神はそれらのへびによる害から[彼らを]驚くほどに守られた。・・・[それ以前には]彼らの居場所を避けていたこれらの[へび]は、今、そこへと入り込んできた。 神の哀れみを感謝しない者達は、公正に神の裁きを身に受けらされる。 これらのへびは、体に[炎症を起こさせ]、直ちに高熱を発させ、満足する事のない喉の渇きで、体は焼きつけられるようであった。 水の[不足](15節)に対して不当につぶやいた彼らを懲らしめる為に、いくらの水も癒す事のない喉の渇きを彼らに送られているのである”、と書いています(Henry, 同著, pp. 519-520)。

それらの蛇は、神の御手によって、彼らの野営地に寄せつけられないようにされていたのです。 しかしそこでは、彼らの罪と不信仰のゆえに、これらのへびは彼らの真っただ中に入り込み、彼らに突然現れ、彼らを激しい苦痛、死、そして永遠なる苦しみへと送ったのです。 それらのへびは突如として彼らに現れました! 新約聖書では、“突如として滅びが彼らをおそって来る。 そして、それからのがれることは決してできない”(テサロニケ人への第一の手紙第5章3節)、と私達に警告しています。 それが、キリストによって語られた、金持ちの愚か者の事例ではありませんか? 彼は自分自身に、“さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ”(ルカによる福音書第12章19節)と言いました。 “すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう”(ルカによる福音書第12章20節)。 彼は楽しく日々を過ごしていましたが、突如として、彼の魂は彼の体から取り出されました。 その晩、一瞬のうちにして、彼の魂は彼の体から引き裂かれ、永遠の火炎へと投げ込まれました! それがルカによる福音書第16章 での、その人の運命ではなかったでしょうか? 彼は突如として死にました。 “黄泉にいて苦しみながら、目をあげると”(ルカによる福音書第16章23節)。

裁きは徐々にやって来るかもしれません、しかしそれが来る時には、突如に来るのです! 長い期間、イスラエルの民が神に反抗した後に、それらのへびが突如として現れたように、あなた方の裁きは突如としてやってくるでしょう。 そしてあなた方は、それから逃れる事は出来ません!

それらの炎のへびは、サタンと悪魔達の典型、描写である事に注目して下さい。 神は、“悪魔とかサタンと呼ばれ・・・年を経たへび”(ヨハネの黙示録第12章9節)の攻撃から何年もの間守ってくださるかもしれません。 しかし、突如として、ある日、(なぜなら“ある日を「きょう」と定め、”とあるように―ヘブル人への手紙第4章 7節)、その“ある日”に、もしあなた方が、主イエス・キリストに反抗し続けるならば、神は悪魔であるそのへびを、激しい怒りをもって、あなた方の上に放されるでしょう。 それが、サタンと彼の悪魔達が、悔い改め、そしてキリストに来ない罪人達に攻撃する時に起こる事なのです!

“汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」”(マタイによる福音書第12章43-45節)。

ああ、私は何度もその光景を目にして来ました! 人は教会へ来て、生活を改めても、未だキリストと彼の哀れみを拒否しています。 ある定められた日、そして定められた時に、汚れた霊がやって来て、彼を死へと駆り立てます。 “その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである”(マタイによる福音書第12章45節)。 私は、主イエス・キリストに来る事に反抗し、拒否する人達に起こった数々の話を次々に上げる事ができます!

これらは本当に起こった話です。 彼は言いました、「自分は大丈夫です」。 しかし、私が棺おけの中に置かれている彼をのぞき見ると、ショットガンで吹き飛んだ彼の頭半分が見えました。 彼は言いました、「自分は大丈夫です」。 しかし、彼は水の中に飛び込みました。 そこは彼が思っていた以上に浅かったのです。 彼の頭は勢いよく底に打ち付けられました。 首は折れ、その後一生涯車椅子の生活を余儀なくさせられました。 彼はいいました、「自分は大丈夫です」。 しかし、彼は木の下にもぐり、ヤクザに襲われました。 彼らは彼が叫んでいるのを聞きました。 彼らがそこへ着く前に、彼は声を張り上げながら血だらけになって死んだのです! 彼は言いました、「自分は大丈夫です」。 しかし、彼は突然倒れ落ち、のどに物を詰まらせて死にました。 彼女は言いました、「自分は大丈夫です」。 しかし、彼女の運転している車は方向を失って、道の脇に落ちました。 彼がそこに行ったとき、彼女はまだ生きていましたが、彼女の内臓は彼の手に流れ出て、呼吸困難に陥り、苦しみ、彼女の魂は永遠の火炎に落ちていったのです。 数分後に私は彼を見たとき、彼の顔から血の気が引き、手は震えていました。 彼は何度も、“自分は彼女を救えなかった。 自分は彼女を救えなかった。 自分は彼女を救えなかった”と言いました。 これらは本当にあった話です。 神は、私は決して一つたりとも誇張して話していないことをご存知です! ネヘミヤは言いました、

“天の神、・・・大いなる恐るべき神よ”(ネヘミヤ書第1章5節)。

ダニエルは言いました、

“ああ、大いなる恐るべき神”(ダニエル書第9章4節)。

“そこで主は、火のへびを民のうちに送られた。へびは民をかんだので、イスラエルの民のうち、多くのものが死んだ” (民数記第21章6節).

炎のへびが突然彼ら罪びとをかんだように、裁きは突然あなた方に臨むでしょう。 永久に手遅れになる前に、悔い改めキリストを仰ぎ見なさい!

私たちは、彼らの裁きの原因とそのクライマックスを見てきましたが、最後の点に移ります。

III. 最後に、裁きのための解決。

“民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた”(民数記第21章7-9節)。

神はこれらの罪びとたちに救いの道を与えられました、“すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた”(民数記第21章9節)とあります。

もし、ヨハネによる福音書第三章の中に記録されているように、イエスがそれを実例としてニコデモに話されなかったならば、私たちはこの出来事に特別な注意を払わなかったでしょう。 ニコデモはイスラエルでは中心的な教師でしたが、彼は生まれ変わってはいませんでした。 イエスは彼に、モーセと青銅のへびの話をされました。 聖書の教師として、ニコデモは民数記第二十一章の話はよく知っていました。 イエスは彼にこのように話されました、

“そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」”(ヨハネによる福音書第3章14-15節)。

あなた方が裁きから救われるために、青銅のへびがさおの上に掛け置かれたように、十字架の上に掛けられたイエスを、信仰でもって仰ぎ見る以外に何らしなければならないことはないのです。 “すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた”(民数記第21章9節)。 イエスは言われました、

“そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた[十字架に]上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」”
       (ヨハネによる福音書第3章14-15節)。

私は今朝の説教の後、一人の若い女性と話しました。 彼女は言いました、“私は救われたように思います、なぜなら、イエスは私を拒まないことを、私は信じたからです”。 彼女は、“わたしに来る者を決して拒みはしない”(ヨハネによる福音書第6章37節)に言及しました。 私は彼女に、“それは違うでしょう。 あなたは聖書の聖句、ヨハネによる福音書第6章37節を信じたのです。 聖書を信じることは、あなたを救わないでしょう。 あなたは、イエス・キリスト、その方を信じなければなりません”。 イエスは言われました、

“あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない”
       (ヨハネによる福音書第5章39-40節)。

そう、聖書は、イエスは彼に来る者を拒みはしない、と言っています。 しかし、聖書を信じることによっては、あなた方は救われないでしょう。 あなた方は、イエス・キリスト、その方を信じなければなりません! あなた方はイエスを信じなければなりません。 あなた方は彼に来なければなりません。 あなた方は、聖書の聖句ではなく、彼を仰ぎ見なければなりません!

自分自身を見るのではなく、また、自分自身の思いや感情や疑いを見るのではなく、イエスを仰ぎ見なさい! そうすればあなたは救われるでしょう! 彼は言われました、“わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる”(イザヤ書第45章22節)。 あなた自身の反抗する、信じないこころを捨てなさい、そして、あなたの罪の罰の贖いをされるために、あなたに代わって十字架で死なれたイエスを仰ぎ見なさい。 天国で、神の右座におられ、あなたのために祈られているイエスを仰ぎ見なさい! イエスを仰ぎ見て、彼を信じなさい。 イスラエルの民が、青銅のへびを仰いで見て救われたように、私はあなたに懇願します、今夜イエスを仰ぎ見て救われなさい! グリフィス氏が、この説教の前に歌った古い賛美歌“仰ぎ見て、生きよ(Look and Live)”は、20世紀の“決断主義者”たちに、“仰ぎ見て、生きよ、罪びとよ(Look and live, O sinner, live)”が、“仰ぎ見て、生きよ、我が兄弟よ(Look and live, my brother, live)”に代えられているのを見つけました。 しかし、もしあなたがイエスを仰ぎ見ていないならば、あなたは私の兄弟ではありません! あなたは地獄へ落ちる罪びとです。 それゆえ、私達はオリジナルの歌詞“仰ぎ見て、生きよ、罪びとよ(Look and live, O sinner, live)”で、この歌を歌います。 もう一度それを聞きなさい。 イエスを仰ぎ見なさい。 あなたの罪の贖いのために十字架に掛けられたイエスを信じなさい。 彼を仰ぎ見なさい、そしてへびの毒と罪の力から救われなさい。 イエスを仰ぎ見て、生きなさい!

主からのお告げ、ハレルヤ!
   あなたへのお告げ
主の御言葉に記されたお告げ、ハレルヤ!
    “仰ぎ見て、生きよ”
罪びとよ、仰ぎ見て、生きよ
   今イエスを仰ぎ見て、生きよ
主の御言葉に記されたお告げ、ハレルヤ!
   仰ぎ見て、生きよ

いのちはあなたに提供された、ハレルヤ!
   あなたの魂は 永遠のいのちをもつであろう
もし、彼を仰ぎ見るならば、ハレルヤ!
   救うことの出来るイエスのみを仰ぎ見よ
罪びとよ、仰ぎ見て、生きよ
   今イエスを仰ぎ見て、生きよ
主の御言葉に記されたお告げ、ハレルヤ!
   仰ぎ見て、生きよ

どのようにイエスに来たか話そう、ハレルヤ!
   彼が私を救われたとき
彼の御名を信じ、ハレルヤ!
   彼に拠り頼み、彼は私の魂を救われた
罪びとよ、仰ぎ見て、生きよ
   今イエスを仰ぎ見て、生きよ
主の御言葉に記されたお告げ、ハレルヤ!
    仰ぎ見て、生きよ
(“Look and Live” by William A. Ogden, 1841-1897;
     original wording, 1887).

(説教終了)
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You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here) – or you may
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: 民数記第21章4-9節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
      “Look and Live” (by William A. Ogden, 1841-1897; original version, 1887).

要 綱

青銅のへび

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた” (民数記第21章9節)。

(民数記第21章5, 7節)

I.   最初に、裁きの原因。
民数記第21章5節;ヘブル人への手紙第3章17-19節;
コリント人への第一の手紙第10章9-11節;
ヘブル人への手紙第10章26-27節;
テサロニケ人への第二の手紙第1章8, 9 節;
コリント人への第一の手紙第10章5-6節。

II.  次に、裁きのクライマックス。
テサロニケ人への第一の手紙第5章3節;
ルカによる福音書第12章19, 20節;第16章23節;
ヨハネの黙示録第12章9節;ヘブル人への手紙第4章7節;
マタイによる福音書第12章43-45節;
ネヘミヤ記第1章5節; ダニエル書第9章4節;
民数記第21章6節。

III. 最後に、裁きのための解決。
民数記第21章7-9節。ヨハネによる福音書第3章14-15節;
ヨハネによる福音書第6章37節;第5章39-40節;
イザヤ書第45章22節。