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大いなる恐るべき神よ-その四 R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 THE GREAT AND TERRIBLE GOD – PART IV ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “大いなる恐るべき神よ”(ネヘミヤ記第1章5節)。 “ああ、大いなる恐るべき神”(ダニエル書第9章4節)。 |
過去三つの説教の中で、私は、聖書の神は大いなる恐るべき神である事を示しました。 これらのメッセージは、ジョン・ライス博士(Dr. John R. Rice)の著作、『The Great and Terrible God(大いなる恐るべき神よ)』 (Sword of the Lord, 1977, pp. 7-38)から翻案したものです。
ライス博士は、“ハリー・エマーソン・フォズディック(Harry Emerson Fosdick)が、彼の著作『The Modern Use of the Bible』の中で、現代の人々は、旧約聖書の神にみなされた道徳的な基準を受け入れる事は出来ない。 何年にも渡り神を嫌った[不信者達]の不平をただ繰返ししているだけである・・・フォズディックは・・・時代を通して、裁きの神、罪を罰する神、悔い改めを要求する神を嫌悪したすべての不信者と不道徳な人々の代表者である”(同著、p. 9)と書いています。 フォズディックは、偉大な中国人の伝道者、ジョン・宋博士が回心した時に、彼を精神病院に閉じ込めたその張本人である事をここで思い出されるべきです。 それはいかにハリー・エマーソン・フォズディックが聖書の神を嫌ったかが示されます!(“ジョン・宋博士の真の回心”ここをクリックして読んで下さい)。
何年もの間、フォズディックのような不信者達は、“屠殺場の宗教”と呼んで、十字架のキリストの贖いの聖書の教えを非難しまた嘲笑しました。 そのような反抗的な罪人達は、キリストが実際に人間の罪のために死なれたと言う見解を嫌うのです。 使徒パウロは、“キリストの十字架に敵対して歩いている者”(ピリピ人への手紙第3章18節)と言っています。 彼は、“十字架のつまずき”(ガラテヤ人への手紙第5章11節)についてガラテヤの教会に書き送りました。 彼は言いました、“十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが・・・”(コリント人への第一の手紙第1章18節)。 今日、聖書を信じると公言する人でさえも、キリストの御血による救いの教義に反対しています!
十字架は、ある言い方をすれば、罪に対する神の怒りの最も恐ろしい証拠でもあるのです。 神がご自分の御子を十字架で血まみれの、非情な、不当な死に渡された時、それは恐ろしい神の非情なる行動を示しています!
何世紀も通して、神はご自分の民に、動物の血を流す事を要求されました。 それは、イエスが人間の罪を贖うために、ご自身の御血を注がれた時の、十字架でのイエスの死を指しています。 1500年の間、エジプト記とキリストの受難の間、毎年平均して少なくとも25万匹の子羊が殺されました。 これらの年を通して、毎年の過ぎ越しの為に殺されたのは、合計で3億匹以上の子羊になります。 しかし、それはその他の犠牲、朝と晩の犠牲、雄牛、雄羊、赤の雌牛、キジバト、そしてハト等の殺された犠牲は含まれていません。 何と多くの血が流されたことでしょうか! それは、聖なる、そして恐るべき神が罪を罰しなければならない事を、人に思い知らせる為に流された、傷のないものの血でした。 それは、血を流す事によってのみに、罪のゆるしがある事を思い出させるものでした。 何世紀も通して流された、そのような大量の血は、罪に対する神の怒りを、全てのイスラエルの民に思い起こさせました。 血による犠牲がなされた都度、それは罪を裁かれる神についてをも示しました。 あぁ、大いなる恐るべき神よ!
最後に、神の御子であるイエスは、旧約聖書の血に染まった典型(タイプ)を成就させるため、ぞっとするような痛みと受難を通ってきました。 邪悪なもの達はイエスの顔につばを吐きかけました。 頬のひげを引き抜きました。 彼らは、イエスが半殺しになるまで殴りつけました。 彼の肉体と骨は打たれ、彼の背からは血が床に流れ落ちました。 彼らは棘の冠を、血が滴り落ちるイエスの頭に無理やり押し被らせました。 彼らはイエスの身に着けているものを剥ぎ取り、十字架の処刑場まで十字架を彼に強引に持たせました。 彼らは、イエスの手と足を十字架に釘付けにしました。 イエスは、大いなる苦悩と痛みをもって、そこにぶら下がりました。 彼らは、血が流れ落ちるイエスの体に見入っていました。 彼らは、イエスを罵りました。 十字架の上では、彼の拷問を受けた体から緩やかに血が滴り落ちました。 ついに彼は、十字架の上で残酷な死を遂げたのです。 あぁ、神よ、なぜイエスは、そのような侮辱を伴う、痛みと苦悩を通らなければならなかったのですか? なぜですか? なぜですか?
イエスをそのように死なせられる計画を立てられた神は、何と恐ろしい神なのでしょうか! それは、全ては神のご計画でした。 不法な人々は、それをしましたが、神はそれをご計画されました。 使徒ペテロは、“このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した”(使徒行伝第2章23節)と言いました。 彼の傷ついた手と足、彼の刺された横腹、十字架の上での呪われた状態、それらは全て神によって計画され決定されたのです、そして、旧約聖書の中で前もって述べられています。 あぁ、私達の罪の贖いのために、そのような苦悩をイエスに経験させた神は、何と恐ろしいのでしょうか!
しかし、それが全てではありません。 イエス・キリストが十字架にかけられたとき、天は暗くなりました。 なぜなら、父なる神は、御子に背を向けられたからです。 イエスは、十字架で死ぬために独り取り残されました。
独り、ただ独りで、彼はその全てを負われた
救うために、身を捧げ
苦しみ、血を流し、死んだ
独りで、ただ独りで
(“Alone” by Ben H. Price, 1914).
詩篇第22篇1節に出てくるイエスの叫び声は、十字架の上の彼の口から、“「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」”(マタイによる福音書第27章46節)と書かれています。 神は、イエスを見捨てられました。 神は御顔をイエスから背けられました。 もし、神がイエスから背を向けられなかったとしたら、救い主は、神の見捨てられた罪びとに代わることはなかったでしょう。
他の者たちを救うために、独り十字架の上で、
神とひとに見捨てられ、
独り、ただ独りで、彼はその全てを負われた
救うために、身を捧げ
苦しみ、血を流し、死んだ
独りで、ただ独りで
合唱の部分を歌いなさい、
独り、ただ独りで、彼はその全てを負われた
救うために、身を捧げ
苦しみ、血を流し、死んだ
独りで、ただ独りで
彼らが、イエスの頬ひげをむしりとったとき、彼は非常な痛みを覚えたに違いありません。 彼らが、棒で打ったとき、イエスはよりひどい痛みを覚えたに違いありません、そして、彼の頭に棘の冠を無理やりに被せたときも、然りです。 彼らが、イエスの背を鞭で切りさいた際の傷は、彼に言葉に言い表せない苦悩と痛みをもたらしたのを私は知っています。 そのような鞭打ちの際に、人は死んでしまうものです。 彼らが、イエスの手と足とに釘を打ち込んだときの彼の痛みは、尋常ではなかった筈です。 十字架の周りで彼を罵っている言葉は、イエスのこころを悲痛なものにしたでしょう。
ユダはイエスを裏切りました。 ペテロは彼を否定しました。 全ての弟子は、彼を見捨てて逃げました。 イエスが癒された人々、食物を与えられた人々は、今では彼を罵っています。 彼が救われるもの達に彼は殺されました。 彼らの恩知らず、イエスに非常な悲しみを与えたことでしょう。
しかし、父なる神が、御子から目をそむけ、御子を十字架の上に置き去りにした事実に勝る痛みはありませんでした。 あぁ、恐ろしい神よ! 私達に代わり、汝の御子を苦悩された、その怒りは何と大いなるものか! あぁ、私達の罪のために、そのような代価を要求される、恐ろしき神かな!
地は揺れ動き、そのような痛み、正しからぬ苦悩、罪に対する恐ろしい代価に戦慄するのは無理もないことです。 イエスが十字架で亡くなられたとき、そのような悲しみが、それ自体の思いを壊したのは、無理もないことです! 戦慄するほどの恐ろしい神! 罪を忌み嫌う神!
しかし、待ちなさい! 力強い神はまた、こころを痛められて泣かれてもいるのです。 神がこころを痛められたのを知っています。 “神はその独り子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。・・・”(ヨハネによる福音書第3章16節)。 私は、どのようにイエスは受難を受けられたかを話してきました。 しかし、父なる神も苦悩されたのです。 御子が受けられた痛みは、神の御こころにも記されたのです。 十字架の描写は、本当であれば地獄へ下る邪悪な罪びとを引き戻される、御こころを痛められた神を描いていると、私は信じます! あぁ、罪に対する神の怒りは何と恐ろしいのか、しかし、彼の慈悲もまた何と偉大なものか!
ネヘミヤは神を“恐るべき神よ”と呼んだのは事実です。 ダニエルも、“恐るべき神”と呼んだことも事実です。 しかし、両方の預言者はまた、“彼を愛するものと彼の教えに従順なものには慈悲を与え”る神とも呼んでいます。 イエス・キリストの死に、私達は、神のさばきを見るだけでなく、神に不正な罪びとのために注がれる神の愛と慈悲をも見ることができます。 神はあなた方のような罪びとを愛されているので、あなた方に代わってあの恐ろしい十字架で、あなた方の罪の贖いのために死ぬために、御子をこの世に送りました!
私は、罪に対する神の怒りについて語ってきた恐ろしいことを軽しめる言葉は一言も言いません。 彼の罪に対する怒りは恐ろしいのです。 そして、あなたの罪に対する神の憤怒を避けることのできる方法は、ただひとつあります。 それは、ゆるしのためにイエス・キリストに来ることなのです。 もしあなたが悔い改め、イエスに向くならば、神はあなたに慈悲をお与えになるでしょう! 神の怒りはあなたから逸れ、あなたの罪のために犠牲となられた神の御子によって、あなたは救われるでしょう。 聖書は、“彼を信じる者は、さばかれない。 信じない者は、すでにさばかれている。 神のひとり子の名を信じることをしないからである”(ヨハネによる福音書第3章18節)と言っています。 あなたがキリストに拠り頼み、信仰でもって彼に来るとき、あなたはもはやさばかれないのです! しかし、もしキリストを拒否するのであれば、あなたは“すでにさばかれている”のです。
イエスは、あなたのような罪びとの救い主です! 彼は、あなたの罪の贖いを十字架で成されました! あなたがイエスに来る瞬間、その瞬間に、あなたは神と平安をもちます。 あなたがイエスに来るその瞬間に、大いなる恐るべき神の裁きから、あなたは逃れるでしょう!
アサヘル・ネットルトン博士(Dr. Asahel Nettleton)の賛美歌の一つに、あなたに助言を与える言葉があります。 グリフィス氏がこの説教の前に歌たった歌です。 彼にもう一度歌ってもらいましょう。 注意深く、その言葉を聴いてください!
卑しい罪びとよ、ためらうこと無く来たれ
無数の思いは 解かれる
罪と重い恐れを持ってきたれ
これを最後に
私はイエスに来る
山のような多くの罪をもって
私は 彼の場に入る
何が起ころうとも
彼の主権の前に横たわり
私の罪を告白す
私は邪悪な罪びとと言おう
彼の至高の恵み無く
もし行くならば、私は死ぬだろう
私はこころみる
もしそうしないならば
私は永遠に死ぬであろう
(“Resolve” by Edmund Jones, 1722-1765.)
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: マタイによる福音書第27章26-35節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Resolve” (by Edmund Jones, 1722-1765).