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この世の終わりに、
なぜ御使い達の教えは軽視されるのか。

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

WHY THE DOCTRINE OF ANGELS
IS NEGLECTED IN THE LAST DAYS

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2012年1月15日、主の日の朝の説教

“御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。”(テモテへの第二の手紙第4章2-4節)

ビリー・グラハム(Billy Graham)は、“私は未だかって、御使いに関して説教する人を聞いた事がない・・・なぜこの事に関して見落としているのかと、自分自身に尋ねた。 なぜ、私達は御使いに関するすばらしい聖書の教えを軽視したのか?”( Angels: God’s Secret Agents, Doubleday and Company, 1975, p. 17)と言いました。 

そうしてグラハムは、御使い達について説明している箇所のある組織神学の全ての書物を指摘しました。 しかし今日、私達は説教壇からこの教義についての説教を聞きません。 

多くの事に関して私はビリー・グラハムに同意しません、特に“決断主義”に関してです。 しかしグラハムは、“私は未だかって、御使いに関して説教する人を聞いた事がない・・・なぜこの事に関して見落としているのか、なぜ、私達は御使いに関するすばらしい聖書の教えを軽視したのか?”、と正しい質問をしました。  私自身の説教 “御使いは私達と共にいる(ここをクリックして下さい)” の中で、その原因について二つを私は指摘しました。 (1)多くの牧師達は回心していない、そして(2)回心した牧師達の多くは、神から説教するよう使命を受けていない。 そのような状態の牧師達は、霊的な事柄に関して話す必需性を期待できません。 

しかし更に、今は人間中心の時代です。 ほとんどの人達は霊的な事に関して神が聖書であらわされている事柄に興味がないのです。 彼らは神-中心ではなく、人間-中心なのです。 彼らは自分自身だけに、そしてこの物質的な世の中で眼で見え、また感じるられる事柄だけに興味があるのです。 それは、確かに今日の教会内にいる多くの人達も含んでいます。

心を突き刺すような彼の『The Bible World is the Real World』の本の中で、トーザー博士はこのように言っています。

      分別のある人が聖書を読む時、聖書があらわしている世界と今日の宗教家達によって判断された世界の著しい違いを感じる事は確かである。 そしてその相違は私達に好意的ではない・・・ヤコブははしごが地上と神がおられる天に置かれ、御使いがそれで行き来しているのを見た。 アブラハムとバラム、そしてマノアと何人もの人達が御使い達に出会い、彼らと話をしたであろうか・・・御使い達はイエスの来るべき誕生を告げ知らせる為、そしてベツレヘムでの誕生を祝う為に現れた;我々の主がゲツセマネの園で祈られた時に、御使い達は彼を力づけた;御使い達は霊感に満ちた使徒達によって述べられた;そして黙示録では 地と天の出来事に集中した驚くべき、そして美しい御使い達の存在で輝かしい。・・・ 
      その通り、 真実の世界は、実際の世界である。現代のクリスチャンの盲目なる眼は、隠されたものを見る事は出来ない。しかし、それが霊的な創造人物の真実を滅ぼす事はない(A. W. Tozer, D.D., “The Bible World is the Real World,” Of God and Men, Christian Publications, 1960, pp. 116-117)。

唯一私が例外とする事は、“現代のクリスチャン”は真のクリスチャンではない-いかなる有意義な言葉によってでも。 彼らの“分別のつく眼”はまったく開かれていなのです。 それは彼らが新生を経験していない事を示しています。 使徒パウロはそれらの“クリスチャン”と称する人達を私達の今日のテキストの3節と4節で言い表しています。

“人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう”(テモテへの第二の手紙第4章3-4節)。

プロフェシー・スタディ・バイブルは私達のテキストに関してこのように注解いしています。

パウロは、このような最後の教会の時代に対して警告している。“耐える”という言葉は“支持する”と言う基礎的な意味がある。 従って、教会のほとんどの人達が確かな教え、そして健全な教義を支持しない時が来るであろう。“好み”と言う言葉は単に“強固な望み”を意味する、しかしその背景には、否定的な意味が含まれている。 誤った教義の容認は、神の御言に従いたくない人達の願望と感情から起こっている。これらの教会員達は、“耳にまかせて”と言われている、それは単に当たりさわりのない言葉を彼らの説教者に求めているという意味である。彼らは確かな教えによる助言を聞きたがらず、神の御言によって満足しないであろう。従って、彼らは空しさを満たす為の、人間のアイディアと寓話などに引き寄せられるのであろう(The Tim LaHaye Prophecy Study Bible, AMG Publishers, 2000, p. 1304; note on II Timothy 4:3-4)。

“この世の最後”のほとんどの会衆は、出席する事で満足しているような多くで不信者達で占められています。 説教は、“耳ざわりの好い事”のみを話す事が出来ます。 プロフェシー・スタディ・バイブルは、“当たりさわりのない言葉を彼らの説教者に求めている” 言っています。 もし牧師が、彼らは邪悪で誤っていると言うならば、彼は多くの会員を失うでしょう! ですから多くの説教者達は、真実を語る事を恐れているのです! 教会の多くの人達が回心していないので、彼らは、責め、戒め、勧め(テモテへの第二の手紙第4章2節)を聞きたがらないのです。 “健全な教に耐えられなくなり”(テモテへの第二の手紙第4章 3節)。 ですから多くの説教者達は、ポップ-サイコロジー、ポジティブ思考、繁栄をもたらす福音など“作り話”に専念し、“刺激付ける”説教、また、教会員達を“責め”、“戒め”、“勧め” (テモテへの第二の手紙 第 4章 4節)る聖書の言葉に専念しないのです(see Christless Christianity by Dr. Michael Horton, Baker Books, 2008)。

御使い達だけが、今日の説教に抜けている唯一の事柄ではありません。 あなた方は、罪、悪魔、キリストの血、またイエス・キリスト御自身についての一貫した説教を、いつ聞いたことがありますか? 私達は、十字架におけるキリストの贖いについて、一貫した説教をほとんど聞きません。 私達は、ほぼまったく新生について一貫した説教を聞きません。 正に私達はこの世の終わりに生きています!  正に私達は、テモテへの第二の手紙第4章2節から4節で預言された時代に生きているのです!

“御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう”
       (テモテへの第二の手紙第4章2-4節)

自助に関する研究、刺激付ける説教、そして、一句毎の聖書研究などが、私達の生きているこの世の終わりの、私達の説教壇で聞くことなのです。 一句毎の聖書研究は18世紀と19世紀に起こった三つの大覚醒で、私達の先駆者が聞いたような説教ではありません! そのような“解説”から遠ざかりなさい! 私達はそのような説教を40年あまり聞いてきました、そして、それは何の役にも立たなかったのです! 私達は食物、教義の食物、神の聖なる御言からの食物が必要なのです!

聖書には御使いに関しての教えについて多く書かれています、そしてあなた方は今日それを聞く必要があるのです!  フィッツウォーター博士(Dr. P. B. Fitzwater)は、ムーディ・バイブル神学学校で組織神学論の教授として長年勤めました。 私はこの主題に関しての彼の『Christian Theology: A Systematic Presentation』(Eerdmans Publishing Company, 1958 edition, pp. 255-257)から二つの要点を取り上げます。

I. 最初に、御使い達は救いの相続人達に奉仕する。

フィッツウォーター博士は、ヘブル人への手紙第1章13-14節、“神は、御使たちのだれに対して、「あなたの敵を、あなたの足台とするときまでは、わたしの右に座していなさい」と言われたことがあるか。 御使たちはすべて仕える霊であって、救いを受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか”(ヘブル人への手紙第1章13-14節)を引用しています。 フィッツウォーター博士は、“御使い達は、神の味方として奉仕している事がここで直接結び付けられる。 特定の御使いが信者個人に仕えるとは書いていない。 救われた人の味方としてのこの奉仕があるのを知る事で十分である。 御使い達は、若い信者達に 特に関心があるように思える。 ‘あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。 あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである’(マタイによる福音書第18章10節)。 この関心は、未熟な(クリスチャン達)を必要に応じて守ることです。 神が若い信者に対して特に関心を持っている事、そして神が御使い達によって彼に必要な助けを与えられる事を知るのは、何よりもの祝福です。

御使いによる奉仕の明示は、クリスチャン達が彼らの信仰の為に迫害されている所などでも起こっています。 イスラム教の国々、そして共産党の国々で、私達は“救を受け継ぐべき”人々に御使いによる奉仕の話を聞きます。 御使い達はしばしば、艱難時にいるそれらの迫害されているクリスチャン達を助けています。

分離やその他の主題に関して、私はビリー・グラハムに同意しませんが、彼の御使いに関する書物は非常に力づけてくれます。 ビリー・グラハムは、“18世紀と19世紀の宣教者達は、御使い達が彼らの、福音を宣言することを助けている様に思われる、多くのすばらしい出来事を報告している”と言いました(同著、p. 112)。

しかし御使いの助けは過去の出来事だけに限られていません。 今日、福音が制限されている多くの国々でクリスチャン達は、御使い達の奉仕の助けを見出しています。 御使い達の報告は、中国、インド、イラン、パキスタン、インドネシア、北アフリカ、そしてその他の後進国から来ています。 ある現地の中国人の奉仕者は、アメリカ人たちはしばしば御使い達の奉仕に関して盲目である、なぜなら、“あなた方が強く、金銭的に豊富であると思うなら、奇跡はあなたがの周りにはないであろう”といいました。

アメリカ国家が衰え、そして勢力を失う時、艱難や迫害のさなかに、真のクリスチャン達は御使い達の助けを必要とする時がやって来るでしょう。 これから先、邪悪な時にアメリカの真のクリスチャン達の残存者もまた、神のみが彼らを助ける事が出来る事を知るでしょう。

II. 次に、御使い達は、神の敵対者への裁きを果たす。

フィッツウォーター博士は、使徒行伝第12章23節、“するとたちまち、主の使が彼を打った。 神に栄光を帰することをしなかったからである。 彼は虫にかまれて息が絶えてしまった”(使徒行伝 第12章 23節)を引用しました。 フィッツウォーター博士は、“邪悪なヘロデは主の御使いによって打たれた、なぜなら彼は神に栄光を帰さなかったからである。 ‘その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた’(列王紀下第19章35節)。 王の祈りがかない、主の御使いはアッスリア軍を打ち倒し、イスラエルを解放した”と言いました。

フィッツウォーター博士は、更に続けて、“[御使い達は]神の選民を集め、邪悪な者達を裁いた。‘世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使いたちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、そして炉の火に投げこむであろう。 そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう’(マタイによる福音書 第13章 49節)と言いました。 御使い達によって、邪悪な者達は、義人の中から分けられた・・・この裁きの奉仕にあって、間違いはありえない、人間による考案は彼らの奉仕を遅らせ、もしくは妨げる事は出来ない”(同著、pp. 254-259)。

もしあなた方は選民ではないならば、御使い達があなた方を義人の間から分け離すでしょう、そして、あなた方を地獄の火炎へと投げ込まれるでしょう。 そこではあなた方は永遠に泣き叫んだり、歯がみをしたりするでしょう。

あぁ、それがあなた方に起こりませんように! あなた方が今、不信からイエスへと向かいますように。 イエスはあなた方の罪の報いを償なう為に十字架で苦しみ、そして死なれました。 イエスはあなた方を罪から清める為に御自分の血を流されました。 イエスは、神の御座の右に戻られ、今でもあなた方を助けられるのです! 彼に来なさい。 彼を信頼しなさい。 “イエスはあなたを救われるでしょう、イエスはあなたを救われるでしょう、イエスは今あなたを救われるでしょう”。

今のような時には、救い主が必要だ
   今のような時には、力とたのむものが必要だ
確かに、確かにせよ
   力と頼むものは、強固な岩につながれることを
この岩とは、イエスなり、彼は岩なり!
   この岩とはイエスなり、彼は岩なり!
確かに、確かにせよ
   力と頼むものは、強固な岩につながれることを
(“In Times Like These” by Ruth Caye Jones, 1902-1972).

あなたの眼をイエスに向けなさい
   彼のすばらしき御顔を見つめなさい
そうすれば、この世のものは奇妙にもかすんでいく
   彼の栄光と恵みの光のなかに
(“Turn Your Eyes Upon Jesus” by Helen H. Lemmel, 1863-1961).

“あなたの眼をイエスに向けなさい”。 あなたには彼が必要なのです! イエスのみがあなたの罪からあなたを救うことができるのです。 しかし、イエスに拠り頼むことは、あなたは自分自身を信頼することを止めなければなりません。 スポルジョンは言いました、“イエスに拠り頼みなさい、そうすればあなたは救われる。 自分自身を信頼すれば、あなたは失われる”。 あなた方の中には、自分自身を信頼しているひとがいます。 イエスに来て、に拠り頼みなさい。 しかし、あなたはすぐに自分自身をみて、フィーリングが変わったとか、こころの変化が起こったかとか思います。 イエスに拠り頼むかわりに、“正しいフィーリング”か、“正しい変化”が起こったかを思って、自分自身を見るのです。 よって、あなたはイエスに拠り頼む代わりに、自分自身を信頼してしまうのです! 私達は、何年間も救われないで、そうしている人達を知っています。 もしそれがあなたに当てはまるのであれば、この古い歌の歌詞を聴きなさい、

わたしは、幾千ものやり方を無駄に試みた
   わたしの恐れを鎮めるため、わたしの望みを興すため
しかし、聖書は教える
   わたしに必要なのは、イエスのみ
(“In Jesus” by James Procter, 1913).

私がこの説教を書いたとき、小さな黒い鳥が家の書斎の窓にぶつかりました。 その鳥は、何度も何度もそれを繰り返しました。 ついに私は起き上がり、鳥が飛び去るようにしました。 あなた方の中には、その小さな鳥のような体験をしているひとがいるかもしれません。 あなたは何度も何度も繰り返し、未だに失われたままなのです。 あなたは、イエスに拠り頼みましたと言うかもしれませんが、すばやく自分自身を見るのです。 そうして、あなたは何も変わっていない、あるいは新しいフィーリングが興っていない、だから自分は救われていないと言うのです。 自分自身を吟味するのを止めなさい! 自分自身を吟味しないで、イエスを吟味するときがあるのです! イエスに来なさい、決して自分自身を省みてはいけません。 『I’ve tried in vain』を私と一緒に歌ってください。

わたしは、幾千ものやり方を無駄に試みた
   わたしの恐れを鎮めるため、わたしの望みを興すため
しかし、聖書は教える
   わたしに必要なのは、イエスのみ

もしあなたは、自分自身を省みるならば、あなたが見るのは闇と罪だけです。 ロトの妻のように、ソドムで後ろを振り返ったために滅びたようになってはいけません! あなたのこころは、罪と闇に満ちた小さなソドムです。 イエスに来なさい、そして自分自身を省みてはいけません! スポルジョンが言ったように、“イエスに拠り頼みなさい、そうすればあなたは救われる。 自分自身を信頼すれば、あなたは失われる”。 イエスに来なさい、そして自分自身を省みてはいけません。 多くの人達は、長いこのような苦闘の後に救われています。 イエスを見なさい。 イエスに来なさい。 イエスに拠り頼みなさい。 そして、自分自身を見てはいけません。 “正しいフィーリング”無くして、彼に来なさい、そうすれば、あなたは救われるでしょう。 自分自身を見なさい、あなたはロトの妻のように滅びるでしょう。 イエスは言われました、“ロトの妻ことを思い出しなさい”(ルカによる福音書第17章32節)。 イエスを見なさい、彼に拠り頼みなさい、そして後ろを振り向いてはいけません! 自分自身を再び吟味するのを止めなさい! イエスに来なさい、そして自分自身を省みてはいけません! “イエスに拠り頼みなさい、そうすればあなたは救われる。 自分自身を信頼すれば、あなたは失われる”。 その歌をもう一度歌いなさい。

わたしは、幾千ものやり方を無駄に試みた
   わたしの恐れを鎮めるため、わたしの望みを興すため
しかし、聖書は教える
   わたしに必要なのは、イエスのみ

スポルジョンは言いました、“もしあなた方がイエスに拠り頼み、それでも滅びるとしたら、それは非常に悲惨なことであろうと、あなた方は思わないか? それは悲惨なことであろう、しかし、もしあなた方が彼に拠り頼まないならば、あなた方は滅びなければならない。 であるからにして、その危険は大きくはない。

もし行くならば、わたしは滅びるかもしれないが、
   試みることに決めた
なぜなら、もし留まるならば、
   わたしは滅びるだけだから

あなた方には失うものは何もない、なぜなら、あなた方はすでに失われているからである。 であるからにして、急いで[キリスト]に来なさい、そして、あなた方(あなたでさえ)に対する神の御慈悲を信じなさい”(C. H. Spurgeon, Around the Wicket Gate, Pilgrim Publications, 1992 reprint, pp. 50, 51)。 その歌をもう一度歌いなさい。

わたしは、幾千ものやり方を無駄に試みた
   わたしの恐れを鎮めるため、わたしの望みを興すため
しかし、聖書は教える
   わたしに必要なのは、イエスのみ

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: テモテへの第二の手紙第4章1-5節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“In Times Like These” (by Ruth Caye Jones, 1902-1972).

要 綱

この世の終わりに、
なぜ御使い達の教えは軽視されるのか。

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。”(テモテへの第二の手紙第4章2-4節)

I.   最初に、御使い達は救いの相続人達に奉仕する。
へブル人への手紙第1章13-14節;
マタイによる福音書第18章10節。

II.  次に、御使い達は、神の敵対者への裁きを果たす。
使徒行伝第12章23節;列王紀下第19章35節;
マタイによる福音書第13章49-50節;
ルカによる福音書第17章32節。