これらの説教文書は、毎月221か国以上の約11万6千台のコンピューターへwww.sermonsfortheworld.com
から送られています。他に数百人の人々がユーチューブのビデオを視聴していますが、各々のビデオは、直接私達のウェッブサイトを紹介していますので、すぐにユーチューブを離れ、私達のウェッブサイトにやって来ます。
説教文書は46カ国語で毎月何十万人もの人々へ送られています。また、説教文書は著作権で守られていませんので、説教者の方々は、私達の許可なく使用することが出来ます。
イスラム教圏やヒンズー教圏を含む世界中へ福音を広めているこのすばらしい奉仕への支援に御関心のある方は、
月々の寄付金の送金方法をお知らせしますので、ここをクリックして下さい。
ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国にお住まいかをいつもお知らせ下さい。そうでありませんと、先生はお答えすることができません。ハイマーズ博士の電子メール住所は
rlhymersjr@sbcglobal.netです。
地獄で過ごすクリスマス R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 CHRISTMAS IN HELL ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “子よ、思い出すがよい”(ルカによる福音書第16章25節)。 |
金持ちは死んで葬られました。 彼の魂はすぐさま地獄の炎へと落ちていきました、“そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると”(ルカによる福音書第16章23節)。 金持ちは“はるかに”天国にいるアブラハムを見ました。 彼は、彼の舌を“冷やす”為に少しの水を請いました、なぜなら[彼は]“[この]火炎の中で苦しみもだえて”(ルカによる福音書第16章24節)いたからです。 アブラハムは彼に、このように言いました、
“アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』”(ルカによる福音書第16章25-26節)。
主イエス・キリストは、失われた罪人に地獄の危険を警告する為に、この話をされました。
スポルジョンとかっての救世軍の創始者、ウィリアム・ブース(William Booth)の両者が、19世紀の末に20世紀における説教は地獄についての教えを軽視するであろうと警告しました。 アメリカの新聞社がブース氏に、20世紀を前にして、彼が最も危険と感じる事は何であるかを尋ねた時に、彼は、“地獄なくしての天国”(The War Cry, January 1901, p. 7)と答えました。 ブースの予期は真実となりました。 今日、地獄についての説教はほとんど聞かれません。 しかしそうであってはならないのです。 福音主義神学者パッカー博士(Dr. J. I. Packer)は、このように書いています、
キリスト教伝道者達は、地獄について[述べる]べきである。それは彼らの任務の一部である。・・・伝道者達は彼らの隣人の不信者への救助布教の為にいるのである。そして誠実な者として、キリストから離れたらどのような危険が彼らに伴うかを説明する事を、率直に引き受けるべきある事は、当然な、そして必要な事である。・・・イエスと使徒達によると、個人の命は、身体の死後も継続する、そしてこの世でキリストを信じない人達の将来は、最悪で最も恐ろしいこととなる事、そして全ての人は、その事を告げられるべきである(J. I. Packer, Ph.D., foreword to Whatever Happened to Hell? by John Blanchard, D.D., Evangelical Press, 2005 edition, p. 9)。
パッカー博士のその言葉への私の唯一の批判は、彼は“クリスチャンの伝道者”のみに地獄に関しての説教を任命しているように思える事です。 しかし使徒パウロは、牧師達もまた“伝道者のわざをなし”(テモテへの第二の手紙第4章5節)と言っています。 牧師達も同じく、“地獄について[述べる]べきである。 それは彼らの任務の一部である”(Packer, 同著)。
イエスが私達の模範です、“御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである”(ペテロの第一の手紙第2章21節)。 イエスはしばしば地獄について説教されました。 そのように彼は私達の模範なのです。 キリストに忠実になるには、全ての牧師は、時々地獄について説教するべきです。 キリストが、“金持ちとラザロ”について説教された時のように、明白に、そして率直に述べるべきなのです。 キリストは、その人は死んだ後まっすぐに、火炎の中で苦しみもだえる地獄へと落ちた事を話されました。 その金持ちは、アブラハムに舌を冷やす為に水を請いました。 アブラハムは彼にこのように答えました、
“子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている”(ルカによる福音書第16章25節)。
私はこのテキストからこの言葉だけを取り上げます。
“子よ、思い出すがよい”(ルカによる福音書第16章 25節)。
今はクリスマスの時期です。 私達の教会は、美しく飾られています。 私達はすばらしい昔ながらのクリスマスの賛美歌を歌っています。 来週の日曜日の晩に楽しいクリスマスの晩餐会を私達は教会で催します。 また、私達は教会で来週の土曜日のクリスマス・イブの7時半に、クリスマスの食事も共にします。 しかし、これらの美しく、意味深いキリストの誕生を祝う間も、私達は地獄について忘れないようにしましょう。 地獄は罪の結果なのです。 イエスは失われた者を罪から救い、十字架で死なれる為に、お生まれになりました。 ですから、救われた人達はその恐ろしい火炎へと落される事がないのです。 使徒パウロは言いました、
“キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった”
(テモテへの第一の手紙 第1章15節)。
主の御使いはヨセフに言いました、
“その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである”(マタイによる福音書第1章21節)。
それがクリスマスの本当の意味ではありませんか? クリスマスのメッセージは、イエスが天国から下られ、人の罪を償う為に十字架の上で死なれ、罪人は地獄へ落ちないという事ではありませんか?
しかし、もしあなた方がクリスマスの前に死んだらどうなるのでしょうか? 今晩ここに、この数日間以内に亡くなる人がいるかもしれません。 もしそれがあなたであったならば、12月25日にあなたは地獄で最初のクリスマスを過ごす事になるでしょう。 そしてこの金持ちについて言われた事があなたついても言われるでしょう、
“子よ、思い出すがよい”(ルカによる福音書第16章25節)。
あなた方は今のままでいくならば、今年のクリスマスではなくても、いつか、あなた方が考えているよりも早く、火炎で苦しむその場所で最初のクリスマスを過ごす事になるでしょう。 あなた方が地獄で最初のクリスマスを過ごす時、あなた方は何を思い出すでしょうか?
I. 最初に、あなた方は、軽視した説教を思い出すでしょう。
あなた方が、どのように説教から思いをそらせ、聞こうとしなくなったかを思い出すでしょう。 習慣的にそのようなことを行った事を思い出すでしょう。 最初は、説教があなた方を悩ませ、永遠なる事柄について考えさせたでしょう。 しかし時が立つに連れ、悪魔にあなたの心から説教を“取らさせる ”事が容易になってきたのです。 イエスはこのように言われました、
“悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである”
(ルカによる福音書第8章12節)。
最初は、悪魔がそうする事が困難でした。 しかし何ヶ月も経つ内に、この悪魔のたくらみに慣れてきて、何らあなた方を思い悩ます事はなくなったのです。 そうしてあなた方は毎回説教の合い間に,死への眠りへと眠り始めるのです。 最後には、あなた方の良心は頑なになり、あなた方の心は冷淡になっていくのです。 イエスは彼の敵達に言われました、
“わたしの言葉を悟ることができないからである”
(ヨハネによる福音書第8章 43節)。
私は、あなた方が聞く事に鈍くなり、“なすべからざる事をなすに任せられた”(ローマ人への手紙第1章28節)とあなた方についても言えると思います。
“子よ、思い出すがよい”(ルカによる福音書第16章 25節)。
娘よ、思い出すがよい! 地獄では、あなた方は多くの説教を思い出すでしょう。 あなた方が火炎の耐えない大洞窟で最初のクリスマスを過ごす時、疑いも無くこの説教を思い出すでしょう! 地獄では、あなた方が軽視した説教を思い出すでしょう。
II. 次に、あなた方が拒絶した神の御霊を思い出すでしょう。
あなた方の地獄での最初のクリスマスで、あなた方は疑いも無く、聖霊があなた方の罪を悟らせた時の事を思い出すでしょう。 イエスは言われました、
“それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう”(ヨハネによる福音書第16章8節)。
あなた方の内の何人か、地獄で最初のクリスマスを過ごす時、神の御霊が、あなた方の心を敏感にさせた時の事を思い出すでしょう。 あなた方は、神の御霊があなた方に恐れをもたらせた時の事を思い出すでしょう。 あなた方は、涙を流した時の事を思い出すでしょう。 そしてまた、あなた方が聖霊の、罪を悟らす働きをどんなに拒み、聖霊があなた方から離れて行くまで、あなた方がどんなに拒絶したかをも、思い出すでしょう。 そして神は、あなた方にこのように言われているように思えます、
“エフライムは偶像に結びつらなった。そのなすにまかせよ”
(ホセア書第4章17節)。
ライス博士はこのように彼の歌の中で言っています。
裁きを迎えることは何と悲しいことか、慈悲なくあなたは思い出す
聖霊が立ち去るまで、あなたは躊躇い留まった
あなたが死に対して何ら望みがないのを知る時、何を咎め嘆くのか
あなたはあまりにも長く躊躇い留まってしまった!
(“If You Linger Too Long” by Dr. John R. Rice, 1895-1980).
“子よ、思い出すがよい”(ルカによる福音書第16章 25節)。
あなた方が最初のクリスマスを地獄で過ごす時、あなた方は神の御霊による、罪の自覚をどんなにか拒んだか、あなた方がどんなに“聖霊が立ち去るまで、あなたは躊躇い留まった”(ライス、同著)かを思い出すでしょう。
“子よ、思い出すがよい”(ルカによる福音書第16章 25節)。
娘よ、思い出すがよい! 幕切れが来て、ともし火が消える時、そしてあなた方の魂が火炎へと落ち込む時、子よ、思い出すがよい! 娘よ、思い出すがよい! あなた方が軽視した説教を思い出すでしょう。 あなた方が拒絶した神の御霊の事を思い出すでしょう。
III. 最後に、あなた方は、敬意しなかった救い主を思い出すでしょう。
いいえ! あなた方は、自分はキリストに敬意を称していると言わないでください! 自分にうそをつかないでください! あなた方は彼に対して何ら尊敬の念をもっていません。 何ら持っていません! これがあなた方について聖書が語っていることです、
“彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった”(イザヤ書第53章3節)。
もしあなた方がキリストに敬意を称するならば、あなた方は彼を求めるでしょう。 もしあなた方がキリストに敬意を称するならば、あなた方は“狭い戸口から[最善を尽くして彼に]はいるように努め”(ルカによる福音書第13章24節)ることでしょう。 あなた方が今までに努めたことは何ですか? ルターのように何時間も祈りましたか? ジョン・バニヤンのように魂の葛藤をしましたか? ホィットフィールドのように数週間も断食をしましたか? ウェスリーのように自分自身を駆り立てましたか? スポルジョンのように吹雪にも負けず挑みましたか? 私は言いましょう、あなた方は決して何ら努めてはいないのです。 そしていつか、あなた方が地獄にいるとき、あなた方はキリストを求めることに、何と怠惰であったかを思い出すでしょう!
“子よ、思い出すがよい”(ルカによる福音書第16章 25節)。
娘よ、思い出すがよい! あなた方はそれを地獄で思い出すでしょう! あなた方は、自分がイエス・キリストに敬意を称していなかったので、彼を真摯に追い求めていなかったことを思い出すでしょう。 彼は言いました、
“あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば”(エレミヤ書第29章13節)。
息子よ、思い出すがよい! 娘よ、思い出すがよい! あなた方は永遠の火炎の中で、どのようにあなた方がイエスを侮り、彼の救いの提供を拒絶したかを思い出すでしょう。
あなたは軽薄にも時を過ごし、彼に思いを置かなかった、
あなたは罪を重ね続け、こころは無残なものとなった 、
あぁ、神の辛抱が続き、甘い霊が与えられれば。
もしあなたを二度と呼ばわらないならば、あなた自身、地獄へ落ちる。
裁きを迎えることは何と悲しいことか、慈悲なくあなたは思い出す
聖霊が立ち去るまで、あなたは躊躇い留まった
あなたが死に対して何ら望みがないのを知る時、何を咎め嘆くのか
あなたはあまりにも長く躊躇い留まってしまった!
(“If You Linger Too Long” by Dr. John R. Rice, 1895-1980).
あなたがこの説教の後、カウンセリング・ルームでケイガン先生と話しをするとき、地獄について先生に話しかけてもらいたくはありません。 私は、あなたの罪、そしてイエスについて語ってもらいたいです。 イエスのみがあなたの罪をゆるすことができます。 イエスのみが、彼の尊い御血でもってあなたの罪を洗い流すことができます。 イエスに来なさい、そしてあなたのすべての罪から救われなさい。
あなたがカウンセリング・ルームに行き、イエスについて考えないというのは、何と悲しいことでしょうか。 私が説教で、神の摂理を話すと、あなたはカウンセリング・ルームでその摂理について話をします。 また、神の選びについて話をすると、それについてあなたは話をします。 また、悪魔について話をすると、悪魔についてあなたは話をします。 私が説教で、原罪または有効な呼びかけについて話をすると、あなたはそれについて話をします。 私が地獄について話をすると、あなたが話すことは地獄についてなのです!
私の説教はいつもイエスが主題ですが、人知の限りでは、私達はイエス・キリストその方をあなたに語らせることは出来ません。 私達はイエスをあなたに語らせることは出来ません。 あなたは彼を侮り捨てた(イザヤ書第53章3節)からです。 しかし、あなたを罪から救う他の主題もないし、人もいません。 “イエスのみ、イエスのみ、助け手のない罪びとを救われることがおできになる”(“Come, Ye Sinners” by Joseph Hart, 1712-1768)。
あなたの罪はゲッセマネの園で、イエスに置かれました。 彼はその園で、地に倒れ体から血の汗が滴り落ちるまで、あなたの罪の重さゆえに砕かれました。 彼らはイエスを捕らえ、顔に殴打を加え、彼の頬ひげを毟りました。 ピラトは、イエスの皮膚が肋骨から引き裂かれるまで、彼の背を鞭打たせました。 彼らは、イエスの手と足を十字架に釘づけました。 一人の兵卒が、イエスの横わき腹をやりで刺し、“すぐ血と水とが流れ出た”(ヨハネによる福音書第19章34節)。 イエスは、あなたの罪の贖いのために、あなたを彼の聖なる御血でもって清めるために、これらのぞっとするような痛みと苦悩を耐えられたのです! 聖書は語ります、“キリストが・・・わたしたちの罪のために死んだ・・・”(コリント人への第一の手紙第15章3節)。
あぁ、あなたの罪について考えなさい! あぁ、あなたを罪から救われるために苦悩され、血を流され、そして死なれたイエスについて考えなさい。 あなたを全ての罪からゆるし、清められる唯一のイエスについて考えなさい! あなたの罪について考えなさい! あなたを救われる唯一のその方、イエスについて考えなさい! イエスに来なさい。 彼に今来なさい。 “イエスのみ、イエスのみ、助け手のない罪びとを救われることがおできになる。 イエスのみ、イエスのみ、助け手のない罪びとを救われることがおできになる”。
こころあつくし
なきしずむとも
いかでかつみを
あがないうべき
(“Rock of Ages, Cleft For Me” by Augustus Toplady, 1740-1778).
“イエスのみ、イエスのみ、助け手のない罪びとを救われることがおできになる”。 単に信仰でもって、今晩彼に来なさい!
(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
www.realconversion.com “Sermon Manuscripts” をクリックしてください。
You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here) –
or you may
write to him at P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015. Or phone him at (818)352-0452.
要 綱 地獄で過ごすクリスマス R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 “子よ、思い出すがよい”(ルカによる福音書第16章25節)。 (ルカによる福音書第16章23, 24, 25-26節; I. 最初に、あなた方は、軽視した説教を思い出すでしょう。 II. 次に、あなた方が拒絶した神の御霊を思い出すでしょう。 III. 最後に、あなた方は、敬意しなかった救い主を思い出すでしょう。 |