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エルサレムの教会における伝道 R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 EVANGELISM IN THE CHURCH AT JERUSALEM ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい”(マタイによる福音書第22章9節)。 |
それはキリストが、婚宴のたとえ話を通して彼の弟子達に行うように告げられたことです。 同じように、盛大な晩餐会のたとえ話を通してキリストは、“道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい”(ルカによる福音書第14章23節)と言われました。 “婚宴に連れて来なさい[彼らを招待しなさい]”、“人々を無理やりにひっぱってきなさい”。 これらのたとえ話による言葉は、マタイによる福音書第28章19-20節;マルコによる福音書第16章15節;ルカによる福音書第24章47節;ヨハネによる福音書第20章21節;使徒行伝第1章8節;そして、その他の聖句で記されている、大いなる伝道命令(グレイト・コミッション)の表現です。
しかし、キリストが私達に“人々を無理やりにひっぱってきなさい”と言われたことを、私達はどのように成し遂げたらよいのでしょうか? その答えは、使徒行伝第2章42節並びに46-47節で記されています。 起立してそれらの聖句を読み上げてください。
“そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた” (使徒行伝第2章42節)。
“そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである”(使徒行伝第2章46-47節)。
着席して下さい。
ライス博士は、“エルサレムの教会の成長は、福音を全世界に普及するクリスチャン達への模範である”(John R. Rice, D.D., Why Our Churches Do Not Win Souls, Sword of the Lord Publishers, 1966, p. 25)と書いています。 使徒行伝第2章42節で、エルサレムの“模範”の教会が新しい回心者達を加えるために使った四つの手段を記しています。
1. 十二使徒による説教。 それは今日において、十二使徒たちが使徒行伝で宣べた説教を意味し、主に全ての点、並びに教義における福音の説教です。
2. 親交。 ギリシャ語では、“koinonia(コイノニア)”です。 それは共同、社交、親交[W. E. Vine]、参加[George Ricker Berry]、共有する事、僚友関係、楽しい交わり、教会におけるクリスチャンの交友関係などの意味します。
3. パンをさく。 使徒行伝第2章46節での意味は、主の晩餐以上の意味を指しています。 彼らは、真の楽しい親交の中で、食事を共にしたという事です。
4. 祈り。 使徒行伝で彼らはどれほど祈ったかに注目して下さい。 時間をかけた祈りなしには、教会に加わる人の数は少ないのです。
もし私達がこれら四つの主要な点を絞れば、今日の教会に、回心し教会員として洗礼を受けた多くの人達を目の当たりにするでしょう。
使徒達が常に説教した主題である、十字架でのキリストの死、キリストの死からのよみがえり、新生、そして来るべきさばきを私達は説教する必要があります。
今日の多くの牧師達は、[使徒行伝の中で使徒達が決して宣べなかったような]無味乾燥した各節毎の聖書研究、もしくは、“ハウツー”[使徒行伝での使徒達は決してしなかったような]説教をしています。 今日私達には、“使徒の教え”が 今までになく必要なのです! 私は様々な側面から見たキリストの福音を毎週日曜日に何年も続け、人々の注意力を失うことなく、そしてしばしば日曜日の午後も同じように、説教することが出来る事に気がつきました! 昔からの賛美歌がこのように唱えているように。
かたりつげばや 主なるイエスと
そのみさかえと そのめぐみを
わがたましいを みたすものは
たになきことを さとりえたり
かたりつげばや よをさるひまで
かたりつげばや いえすのあいを
(『かたりつげばや』“I Love to Tell the Story”
by A. Catherine Hankey, 1834-1911).
そしてまた、私たちは常に親交をもつことを強調する必要があります。 何年か前に私が訪ねた教会の牧師が、礼拝参加者を教会から出るよう急き立てているのを見て、私は残念に思いました。 その牧師は文字通り彼らを追い出し、教会の戸を閉じ、孤独な人達を通りの歩道に残して、車で去って行きました!
サン・フェルナンド・バレーにある有名な教会に、毎週日曜日一年間通っていた人が私にこう言いました。 彼に証しをした人は一人もいなく、彼に電話をしたり訪ねてきた人も誰一人いなかった。 一人だけが彼に声をかけてくれたが、それも一年間を通してたったの一回だけで! この彼とは、現在私たちの教会の執事クリストファー・ケイガン先生(Dr. Christopher L. Cagan)です。
ローカルの教会での親交は、伝道が効果をあげる上で主要な事です。 エルサレムの教会は“ひたすら、・・・信徒の交わりをなし”(使徒行伝第2章42節)ていました。 彼らが“すべての人に好意を持たれていた。 そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである”(使徒行伝第2章47節)と言うのも不思議ではありません。 イエスは、教会でのクリスチャン同士の真の愛が、この失われた世界に対して、私たちは彼の弟子であるという事を示す、と言われました。
“わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」”(ヨハネによる福音書第13章34-35節)。
イエスは、私達に互いに愛し合うように命じられました。
“わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい”(ヨハネによる福音書第15章 12節)。
ファースト・チャイニーズ・バプテスト教会の私の以前の牧師、チモシー・リン博士は、この使命を次のように解説しています。
使徒達はこの命令[ヨハネによる福音書第15章12節]を、直接主イエス・キリストから受けた、そして彼らは後にそれを忠実にそして常に行った。その結果として、‘何とクリスチャン達はお互いに愛情を表しているではないか!’それはその当時のクリスチャン達に対する[異端者達]からの、称賛と敬意の注目となった。今日では、‘互いに愛し合う’というのは、教会の単なる機械的に唱えるスローガンであって、まれにしか見られない・・・教会が愛についてその重要性と本質を理解しないならば、・・・神がそこにおられる事はありえない。神の御慈悲が我々にありますように!(Timothy Lin, Ph.D., The Secret of Church Growth, First Chinese Baptist Church of Los Angeles, 1992, p. 33)。
リン博士が牧師であった頃、彼は“コイノニア”(親交)、そして、互いに愛し合うことを常に強調しました。 その結果、その教会は、何年かの間に100人ほどから2千人以上にも達しました。
そしてまたエルサレムの教会では、多くの食事が共に供されました。 彼らは教会の集会後、即、家に帰り、あるいはレストランに行って食事をするなどということをしませんでした。 彼らは、“ひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき”(使徒行伝第2章42節)ました。 “教会の初期の時代には、聖徒達の互いの愛の表現として、主の晩餐と関連させた愛の祝宴が行われた”(William MacDonald, Believer’s Bible Commentary, Thomas Nelson Publishers, 1995, p. 1588; note on Acts 2:42)。
人々がキリストに関して興味を示す時、彼らは、“食事を共にするよう、そして励まされるよう”(MacDonald, 同著)教会の交わりへと加えられました。
最後に、彼らは祈りを非常に強調しました。 “そして一同はひたすら、・・・祈をしていた”(使徒行伝第2章42節)。 五旬節のリバイバルは、合同祈祷会のときに起こりました。
“彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた”(使徒行伝第1章14節)。
“五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると”
(使徒行伝 第2章1節)。
使徒行伝第1章14節での、“心を合わせて、ひたすら祈をしていた”という言葉に注目して下さい。 ティモシー・リン博士は、“中国語の聖書は‘心を合わせて’という言葉を、‘同じ心、同じ思いで’と訳している・・・。 今日の多くの教会の祈祷会は、正に廃れている。 そのような哀れな状態になっているのは、多くの教会が・・・祈祷会を完全に閉ざし・・・現在では、多くクリスチャンは彼らの主よりもテレビを崇拝している・・・それは正に哀れな状態である”(Timothy Lin, Ph.D., 同著, pp. 94-95)と語っています。
“そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた”(使徒行伝第2章42節)。
“そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである”(使徒行伝第2章47節)。
彼らには賛美歌はなく、プロジェクターもなく、教会の建物もなく、トラクトも、そして聖書もありませんでした! なぜでしょうか? なぜなら印刷技術はまだなかったからです! それにもかかわらず、すぐに、エルサレムのその教会は五千人のメンバーを数えるほどになったのです。 しかし、彼らは福音の説教をもち、深い絆をもって、食事を共にし、そして祈りの機会を持ちました。 これらの“手段”をもって、神は彼らをおおいに祝福されたのです。 フェリップ・シャッフ博士(Dr. Philip Schaff)はこう言いました、
クリスチャン、あるいは彼ら自ら呼んでいた弟子達の数は、すぐに五千に上った・・・。彼は十二弟子の教えと親交のもと、変わることなく日々神を礼拝し、食を共にしながら晩餐をもった。彼らはみな、イエス・キリストのもと、神の家族の一員のように感じた(Philip Schaff, Ph.D., History of the Christian Church, Wm. B. Eerdmans Publishing Company, 1975 reprint, volume I, p. 247)。
ライス博士が、“エルサレムの教会の成長は、福音を全世界に普及するクリスチャン達への模範である”(Rice, 同著)D.D., Why Our Churches Do Not Win Souls, Sword of the Lord Publishers, 1966, p. 25)と言われたように、
イエスは次のように言われました。
“だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』”(マタイによる福音書第22章9節)。
私たちは祈りをもち、多くの人を婚宴に招こうではありませんか! 福音の説教を聞かせるために、クリスチャンの親交の愛と暖かさを感じさせるために、私たちと食事を共にさせるために、そしてそれ以上に、彼らの救いのために共に祈るために、彼らをローカルの教会へ連れて来ようではありませんか! ライス博士の美しい歌を聴きなさい、
ほんのつかの間! 収穫のときは過ぎようとし、
われらの刈り入れは終焉し、家路につかん、
その収穫を、収穫の主であるイエスに報告せん。
彼の微笑と“上出来!”との声を期待せん。
今日、われらは刈り入れをし、もしくは収穫を逃さん!
今日、失われし魂を導け、
滅び行く愛するものを助けん、
今日、我らは罪びとを招き入れるために出でん。
(“So Little Time” by Dr. John R. Rice, 1895-1980).
あなた方は伝道に出て行き、罪びとを連れて来ますか? 私はあなた方がそうされることを祈ります! あなた方が、伝道というこの非常に重要な救い主の教えに従うことに、神の祝福があなた方にありますように!
さて、あなた方に福音のことばを与えることなくこの説教を終えるべきではないと私は思います。 神は、あなた方の罪の罰を贖われるために、十字架の上で死なれるイエスを天国からこの地上に送られました。 イエスはあなた方の罰を贖われるために十字架で死なれました。 イエスの死体は墓に納められ、大きな石で塞がれました。 数人の男達でもって動かせるほどの石でした。 しかし、イエスは身体ごと三日目に死からよみがえられました。 そして、イエスは天国へ上げられ、神の右座に座られてあなた方のために祈っているのです。 さて、あなた方はどのようにしたらクリスチャンになれるのでしょうか? あなた方は、懺悔し、信仰でもってイエスに来なければなりません。 あなた方がイエスに来るとき、彼の御血はすべての罪からあなた方を洗い清めるでしょう。 あなた方が彼に来て、彼に寄り頼むこと、そして彼によって救われるよう勇気付けたいと思います。 アーメン。
(説教終了)
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Or phone him at (818)352-0452.
クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: 使徒行伝第2章42-47節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“So Little Time” (by Dr. John R. Rice, 1895-1980)。