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模範なる教会 R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 THE MODEL CHURCH カリフォルニア州サンディエゴ市のメトロ・バプテスト教会にて “パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように”(テサロニケ人への第一の手紙第1章1節)。 |
使徒パウロはこの手紙をテサロニケの教会に向けて書きました。 多くの人達はそれを“模範なる教会”と呼んでいます。 使徒パウロは、“テサロニケ人たちの教会へ”(テサロニケ人への第一の手紙第1章1節)と書きました。 教会と訳されたギリシャ語は“エクレシア(ekklesia)”です。 それは、この世から選び出され、ローカルの会衆へと形成された“ある特定の地理的場所にいる一定の人々の集まり”を示しています(Jim Gent, The Local Church, Smyrna Publications, 1994, p. 129)。
ジム・ジェント(Jim Gent)は、この引用を彼の著作の中でローカルの教会にあてはめています。
使徒達は、教会以外の何をも設立していない・・・彼らが労働したそれぞれの場所で、彼らは回心者達をローカルの集会へと形成した・・・新約聖書では、ローカルの教会以外何の組織体も現われていない・・・(同著p. 84)。
教会は単なる神との後知恵の場ではない・・・初期のクリスチャンにとって、ローカルの教会は、神が働く為に選ばれ、神によって定められた一団、それのみである(同著pp. 83-84)!
“教会”という言葉は新約聖書で100回ほど使われています。 ほとんどの場合、その言葉は、ローカルのクリスチャンの集まりを表しています。 テサロニケ人への第一の手紙のような多くの使徒書簡は、これらのローカルの教会に向けて書かれました。
使徒達は人々をキリストへ導き、そしてそれらの回心者達をローカルの教会の集会へと作り上げました。 “使徒達は、教会以外の何をも設立していない”(同著p. 84、)。 テサロニケ人への第一の手紙第2章1節から20節は、どのように使徒パウロが、テサロニケの都市で教会を設立したかが語られています。 テサロニケ人への第一の手紙第2章14節によれば、このローカルの教会はユダヤのローカルの教会の模範に“従い”もしくは“手本にした”(スコーフィールド・スタディ・バイブルのセンターマージン)とあります。
パウロはこの教会を非常に愛しました。 彼が、19節から20節の二つの聖句でこの会衆について語っていることに注目して下さい。
“わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである” (テサロニケ人への第一の手紙 第2章19-20節).
使徒パウロはこのローカルの教会を愛し、喜びとしました。
使徒パウロがこのローカルの教会をそれほどまでに愛した理由が四つあります。
1. それは会員制の教会であった。
2. それは働く教会であった。
3. それは回心した教会であった。
4. それは伝道主義の教会であった。
I. 最初に、その教会は信者である会員による教会であった。
使徒パウロはこれらの人々をよく知っていました。 テサロニケ人への第一の手紙を読むならば、パウロが彼らをよく知っていた事に気がつくでしょう。 彼らは、何度か通い他の教会へ行くようなことはしませんでした。 今日、南カリフォルニアに住む多くの人々は、しばしば教会の会員制度の重要性を軽視するような自由主義の教会に影響されています。 しかし、このような事は使徒達の時代には知られざることでした。 新約聖書時代のクリスチャン達は、彼らがローカルの教会の会員であった事を当然のように考えていました。 テサロニケ人への第一の手紙第1章1節に注目して下さい。
“パウロとシルワノとテモテから、・・・テサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように”
(テサロニケ人への第一の手紙第1章1節)。
これらの聖句は、教会が建物ではない事を明白に表しています。 初期の教会には建物はありませんでした。 彼らは家々で集会をもちました。 使徒パウロは、“教会”に向かって話し、そして“恵みと平安とが、あなたがたにあるように”と言いました。 それは、テサロニケの都市の教会が、共に集まり、その会衆の会員であった人々によって形成されていた事を明白にしています、なぜなら、使徒パウロはエペソで“わたしたちは、お互に肢体なのであるから”(エペソ人への手紙第4章25節)と言っているからです。 更に使徒パウロは、ローマ人への手紙で教会の会員制について語っています。 それらの聖句で、彼はローカルの教会を“体”と呼んでいます。 彼は言いました、
“なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである”(ローマ人への手紙第12章4-5節)。
そして、ローマ人への手紙の後方で、パウロは多くの教会員の名前を挙げています。
“また、彼らの家の教会にも、よろしく。わたしの愛するエパネトに、よろしく言ってほしい。彼は、キリストにささげられたアジヤの初穂である。あなたがたのために一方ならず労苦したマリヤに、よろしく言ってほしい。わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。キリストにあるわたしたちの同労者ウルバノと、愛するスタキスとに、よろしく。キリストにあって錬達なアペレに、よろしく。アリストブロの家の人たちに、よろしく。同族のヘロデオンに、よろしく。ナルキソの家の、主にある人たちに、よろしく。主にあって労苦しているツルパナとツルポサとに、よろしく。主にあって一方ならず労苦した愛するペルシスに、よろしく。主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある。アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよび彼らと一緒にいる兄弟たちに、よろしく。ピロロゴとユリヤとに、またネレオとその姉妹とに、オルンパに、また彼らと一緒にいるすべての聖徒たちに、よろしく言ってほしい”
(ローマ人への手紙第16章5-15節)。
これは人々が教会に加入した事を明白にしています。 彼らは教会の会員でした。 彼らの名前は教会の名簿に記されていたのです。
II. 次に、それは働く教会であった。
テサロニケ人への第一の手紙第1章3節に注目して下さい。 立ってその節を声を上げて読んでください。
“あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している” (テサロニケ人への第一の手紙第1章3節).
着席して下さい。 “信仰の働き”、“愛の労苦”、“望みの忍耐”、これらの三つの言葉に注意して下さい。 この教会の人々は、働く人達でした。 彼らは教会で週に何回も神への奉仕を行いました。 彼らは熱心なクリスチャンであり、彼らはこのローカルの教会を通して働きました。
フランク・ゲイベリイン博士(Dr. Frank E. Gaebelein)は、このように書いています。
パウロと彼の仲間達がテサロニケ人について覚えている本質は、これらの三つの言葉、“働き”、“労苦”、そして“忍耐”に概要される・・・実際、誠実な信仰があるところに生じる(Frank E. Gaebelein, The Expositor’s Bible Commentary, Zondervan, 1978, volume 11, p. 241)。
今日でもローカルの教会で働き、忍耐をもって労苦する事は当然の事でしょうか? もっともです! 中国での神の御業のほとんどが、ローカルの教会の忍耐なる働きを通して成されました。 彼らは“ハウス・チャーチ”と呼ばれています。 中国にはクリスチャンのラジオやテレビの番組などといったものはありません。 中国にはパラ・チャーチ団体やミッション団体などはありません。 中国でのほぼ全ての働きは、それらの“ハウス・チャーチ”を通して成されています。 そして彼らはそれらのローカルの教会を通して、何ともすばらしい働きを成している事でしょうか! 彼らの行っている事を聞く時、それは使徒行伝を読んでいるようです! なぜでしょうか? なぜなら、使徒行伝の初期のクリスチャン達のように、中国でのクリスチャン達の奉仕は、“ハウス・チャーチ”を通してほぼ全ては成されているからです。 あなた方は、デイビッド・アイクマンの著作『Jesus in Beijing』(Regnery Publishing, Inc., 2003、 The Voice of the Martyrs’ website at www.persecution.comから注文できます) から、中国のローカルの教会を通して神様が成されている御業について読む事が出来ます。
現在中国では、一時間に1000人、1日2万4千人、年間900万人の、キリスト教へ回心した者の数が推定されています。 現在中国には、おおよそ1億3000万人もしくはそれ以上の数のクリスチャンがいます。 今後20年以内に、更に中国の人口の約30パーセントの人達がクリスチャンに回心することが推定されています。 それらの奉仕は、ほとんどローカルの教会による独力の働きによって成されているのです。
“ユダヤの・・・神の諸教会”(テサロニケ人への第一の手紙第2章14節)に習った、テサロニケのローカルの教会の模範に習いましょう! 中国のローカルの教会の模範に習いましょう!
III. 三番目に、それは回心による教会であった。
テサロニケ人への第一の手紙第1章4節から6節を開いて下さい。 その三つの聖句を声を上げて読んで下さい。
“神に愛されている兄弟たちよ。わたしたちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っている。なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか、あなたがたの知っているとおりである。そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり”
(テサロニケ人への第一の手紙第1章4-6節)。
使徒パウロは彼らを“兄弟たち”と呼びました、なぜなら、彼らは彼の福音の説教を聞いて回心したからです。 彼らはキリストを信頼し、パウロと彼の仲間達の模範に従いました。 彼らは、回心した瞬間から彼らの都市の不信な異端者達から迫害を受けました。 それでも彼らには、聖霊によって下さられたすばらしい喜びがありました。
では9節を読んで下さい。
“わたしたちが、どんなにしてあなたがたの所にはいって行ったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり” (テサロニケ人への第一の手紙第1章9節).
そのローカルの教会のクリスチャン達は、偶像を捨てて神に立ち帰りました。 彼らは真に回心しました。 そのローカルの教会を通しての真の神の働きは、罪からキリストへ立ち帰った人達によってなされました。 彼らがみせた“忍耐”(3節)と“迫害への忍耐”(9節)は、真の回心の結果の何ものでもありません。
あなた方は、自分が回心していることを確かなこととしなさい。 あなた方は、完全にイエス・キリストに立ち帰っていることを確かなこととしなさい。 もう一度最初の節に注目しなさい。 このローカルの教会のメンバー達は、“父なる神の中にあり、そして主なるイエス・キリストの中に”あったのです。 あなた方はキリストに来なければなりません。 あなた方は“キリストの中に”いなければなりません。 それが、救われるための唯一つの道です。 イエスは言われました、
“だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない”(ヨハネによる福音書第14章6節)。
キリストに来なさい。 彼はあなた方の罪のために十字架で死なれました。 彼は、あなた方の罪を洗い流すために、ご自分の御血を流されたのです。 彼は身体ごと死からよみがえりました。 今彼は、天国の父なる神の右座にいます。 “主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたも・・・救われます”(使徒行伝第16章31節)。
IV. 最後に、それは伝道主義の教会であった。
テサロニケ人への第一の手紙第1章8節を見てください。 これを声を出して読みましょう。
“すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである” (テサロニケ人への第一の手紙第1章8節)
彼らの信仰は鳴り響きました! 彼らが行くすべてのところで、彼らから主の言葉は出て、響きわたりました。 彼らは救いについて熱心でした。 彼らは、話をする人すべてにキリストについて話ました! “このことを忘れてはいけない、この教会は、パウロがこの手紙を書いた時はまだ一年にもなっていなかった。 それは、小さな迫害を受けた教会であった。 それであったにしても、彼らの信仰はどこにでも知られた!”(The Applied New Testament Commentary, Kingsway Publications, 1997, p. 828) 。
彼らが、福音の言葉を伝道的熱意でもって広められたのであれば、私達もそうすることができるでしょう! 中国のハウス・チャーチのクリスチャン達が、福音の言葉を伝道的熱意でもって広められるのであれば、私達もそうすることができるでしょう! “主の言葉はあなたがたから出て”の言葉を、私達自身の言葉としませんか。 福音の言葉を広めなさい! まだ回心していない家族の者や友人達を教会に連れて記なさい! クラスメートや職場の同僚を教会に連れて来なさい!
“道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい”(ルカによる福音書第14章23節).
それが、キリストに従い、クリスチャンとしての偉大な奉仕を満たす道なのです!
(説教終了)
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要 綱 模範なる教会 R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 “パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように”(テサロニケ人への第一の手紙第1章1節)。 (テサロニケ人への第一の手紙第2章19-20節) I. 最初に、その教会は信者である会員による教会であった。 II. 次に、それは働く教会であった。 III. 三番目に、それは回心による教会であった。 IV. 最後に、それは伝道主義の教会であった。 |