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バベルの塔 (創世記シリーズ、その60) R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 THE TOWER OF BABEL ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」”(創世記第11章4節)。 |
大洪水の後、神はノアの息子達の子孫達に、“生めよ、ふえよ、地に満ちよ。”(創世記第9章1節)と告げられました。神は彼らに子孫でもって地上を満たすよう告げられました。 マックギー博士はこのように解説しています、
神は地上に広がり、地上を満たすよう人に告げられた。しかし人は真から“動かない。 我々は出て行かない;我々は共に留まる。我々はあなたと縁を切る”と反論した。バベルの塔は神に対する反発である・・・この塔は、神に対する人の横柄さ、反抗的な謀反なる態度を表している(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1981, volume I, p. 53; note on Genesis 11:4)。
二ムロデ(創世記第10章8-10節)は、チグリス―ユーフラテス川流域に、できる限り高い塔を建てるよう人々を引率しました。 そのあたりにはそのような古代の遺跡が残っています。 それらには、全て頂上に導く昇降用の通路があります。 彼らがその頂上に達した時、彼らは太陽、月、そして星を拝みました。 それは、バビロニア人達が後に、彼らの神マルドゥクを拝む場所として造られた塔に似ているように思えます。 それらの“塔”は中央アメリカの古代文明マヤの寺院、マヤ人達が、面前に階段のある彼らの神々に、人間のいけにえを捧げた高い建物にも非常によく似ています。 使徒パウロはローマ人への手紙の最初の章で、これらの古代人の偶像崇拝をこのように言い表しています、
“なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン”
(ローマ人への手紙第1章21-25節)。
バベルの塔は、彼らの目的を達成させる事は出来ませんでした。 彼らはそれを“天に届かせよう”と願いましたが、それは天には届きませんでした。 彼らはそれを自分達の文明の中心とし、神が彼らに告げられた“散る”事を免れるよう望みました。 しかし彼らの理想は果たされること無く、逆にその全てのもくろみは混乱と帰しました。 “これによってその町の名はバベルと呼ばれた”(創世記第11章9節)。 “バベル”という言葉は、“混乱”という意味です。 それは正に“混乱の塔”でした、なぜなら、それは彼らの言葉をいろいろな言葉へと混乱させる事によって、神が彼らをさばかれた場所だったからです。 神が彼らの言葉を混乱させられ、彼らを散らされた時、そこでこの地上の全ての言語が始まりました。
今日、神は裁きとして私達に混乱を下されています。 私達の大学を見てください。 横柄で困惑している教授達は、神の面前に向かって彼らのこぶしを投げかけています。 政治家達を見てください。 彼らは互いに責め合い、攻撃し合い、互いに指摘しあっていますが、彼らの誰もが、私達の経済の危機を解決する事は出来ません。 彼らは皆、完全に混乱状態に陥っています。 今日の若者を見てください。 仕事も無く、困惑し、将来に向けての希望さえも持ち合わせていません。
“この世の中で希望もなく神もない者であった”
(エペソ人への手紙第2章12節)。
私達の家庭をみてください。 完全に混乱しており、ばらばらになっています。 私達の国家をみてください。 私達の目前で徐々に崩壊しています! 毎日の新聞で読む、世界中の混乱をみてください!
人間は今日混乱状態に陥っています。 世界中で私達が目のあたりにする大いなる混乱は、心理学的に、または社会学的に説明できません。 聖書のみがその根拠を説明する事が出来ます。 人の混乱の根源は、神に対する高慢さと反抗心です。
“彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全 地のおもてに散るのを免れよう」”(創世記第11章4節)。
私達を創造された神に対する高慢さと横柄さ、それは反抗以外の何物でもありません。 人間の生まれ持った本性は変わっていません。 人間の一番の問題点は、高慢さと神に対する反抗心なのです。 それがサタンの天からの落下の原因でした。
“あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』”
(イザヤ書第14章13-14節)。
悪魔の高慢さは、この世における最初の罪でした。 しかし神は彼を天から地球を取り巻く空中へと落とされました。 高慢さと反抗心が彼を地に落とす原因となったのです。
そして、それはアダムの罪でもあったのです、
“ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされた”
(ローマ人への手紙第5章19節)。
全ての人類は、アダムが横柄さと反抗心によって神にそむいた時に、彼らは罪人とされました。 私達は皆、アダムが罪を犯した時の、罪なる性質を受け継いでいるのです。 その堕落以来、人間の本性には何ら変化はありません。 人間の横柄さと反抗心は同様に留まっています。 彼らが皆共に一緒になってバベルの塔で唱えた事に注目して下さい。 私はバベルの設立者二ムロデが、それを率いたのだと思います。
“彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」”(創世記第11章4節)。
彼らは何度も何度も唱え、何千人もの人々が一度に唱えました。 しかし、誰もこの反逆に対し立ち上がらなかった事に注目して下さい。 彼らは皆共に集まり、そして唱えたのです。
“彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」”(創世記第11章4節)。
誰もそれに対して抗議をしませんでした。 彼らは皆共に、神に対しそれを唱える事に、そしてこの反逆に加わったのです!
これは罪における人類の統一性を示しています。 マーティン・ロイド・ジョーンズ博士は、バベルの塔についての説教の概略でこのように書いています。
人の最悪なる問題点はプライドである。これが人の元来なる堕落の原因である。[人は]それ以来同様である。罪なる人は常に、彼は神と同等で、神に取って代わる事が出来ると信じている。[人は]更に自らの努力によって、安全、幸福、そして保安をもたらす事が出来ると信じている。 それは常に災難と混乱に陥る。このような(人に潜む)悲惨なる愚かな考えは、神の偉大さを知る事が無ぃ;自分自身についてのトラブルを理解せず;神がキリスト[による救いを提供される]事を理解する事が無い。 天国への唯一の道はキリストである(Martyn Lloyd-Jones, M.D., quoted by Iain H. Murray in Lloyd-Jones: Messenger of Grace, The Banner of Truth Trust, 2008, p. 89)。
ロシアの偉大な作家ドストエフスキーは、“遠く以前から今日までの社会機構の中心人物は、皆・・・空想家、おとぎ話の語り手、自分自身に矛盾しているばか者達であり・・・何も理解していない・・・人間と呼ばれる奇妙な動物である”( Dr. Lloyd-Jones, quoted by Iain H. Murray, 同著)と正確に言っています。 全ての社会機構の中心人物、二ムロデからマルクス、レーニン、毛沢東、バラック・オバマに至るまで、“空想家、おとぎ話の語り手、自分自身に矛盾しているばか者達であり・・・何も理解していない・・・人間と呼ばれる奇妙な動物である”(Murray、同著)。 “全ての社会機構の中心人物”は、全人類は堕落によって滅ぼされたという事を理解していません。 人は“新たな”社会組織によって救われる事は出来ません。 人はキリストによってのみ、救われる事が出来るのです。
救いへの唯一の道は、神の永遠なる御子キリストを通してです、なぜなら、
“キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった”(テモテへの第一の手紙 第1章15節)。
聖書を拒絶する人たちは、プライドと反抗心をもって、“もし神が‘フェアー’であるならば、彼はすべての人を救う筈だ”というかもしれません。 “フェアーであること”という概念はすごく現代的です。 “フェアーであること”の代わりに、聖書は“正義”を語っています。 すべての人はプライドがあり神に対して反抗心を抱いています。 今まで生きたすべての人達を永遠なる地獄の火炎に落とすことは、神にとっては義となるのです。 それは完璧に“義”なのです。 盲目の心をもった、麻薬付けの現代のリベラルな人達にとっては、“フェアーでない”と映るかもしれませんが、神がすべての救いがたい罪びとを地獄の火炎に送ることは完璧に“義”なことなのです。 そして、聖書ではすべての人間は救いがたい罪びとであると教えているのです。
これが、自分は神の驚愕する怒りを受けるに値し、神の恵みを受けるに相応しくないと心の中で認める人に、回心が始まる理由なのです。 神の御霊により心が謙るときのみに、その人は真の回心の準備ができるのです。 “わたしの罪はいつもわたしの前にあります”(詩篇第51編3節)と感じた人のみが、神の目には真の回心の候補者と映るのです。 引き継がれた罪と実際の罪の罰のさばきを感じない限り、その人にとって“福音は単なるおとぎ話に過ぎない”(Dr. J. Gresham Machen)。 人の霊が、その人の生まれつきの罪と実際の罪の重さゆえに砕かれたときのみ(その前ではなく)、その人は神の御手の中で柔軟になり、イエスへと導かれるのです。
あなたが今の自分に満足している限り、あなたは決して御霊によって救い主へは導かれないでしょう、そして、あなたは決して永遠のさばきから逃れることはないでしょう! あなたの罪の事をよく考えてみなさい。 地獄のことをよく考えてみなさい。 これは、あなたがキリスト・イエスに救いを求める下準備となるでしょう。 他のすべてのやり方は、結局のところ失敗するでしょう。 自分自身を変えようとしても失敗するでしょう。 聖書を学ぶことにによって救われようとしても失敗するでしょう。 “自らの努力によって、安全、幸福、そして保安をもたらす”試みは、“常に災難と混乱に陥る”(ロイド‐ジョンズ、同著)のです。 バベルの塔のときのように、それはあなたに起こるのです。 混乱! 混乱! 混乱の人生、そして永遠なる混乱は、神に対するプライドと反抗心を持つすべての人を待ち受けているのです! 神の御霊があなたを罪の悟りに置き、あなたが神の御子であるイエスを必要と感じない限り、破滅と混乱はいつでもあなたに付きまとうことでしょう!
イエスはあなたの罪の贖いのために十字架で死なれました。 彼はあなたの代理として、あなたに代わり苦難を受けられました。 彼は死から復活されあなたに新生を与えるために天に召されました。 彼の尊い御血は、あなたの罪を永久に洗い流します! しかし、あなたが自分の罪の重さを感じ、自分のプライドと神への反抗心を恥じるまでは、あなたはイエスの必要性を決して感じないでしょう。 そうして、あなたは神に導かれて心の中でこの歌を歌うことでしょう、
神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、
わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。
わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。
わたしに悪しき道のあるかないかを見て、
わたしをとこしえの道に導いてください。
(“神よ、どうか、わたしを探って”、詩篇第139篇23-24節) 。
起立してそれを歌ってください。 賛美歌シートの8番にある“神よ、どうか、わたしを探って”(詩篇第139篇23-24節)です。
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: 創世記第11章1-9節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“神よ、どうか、わたしを探って”(詩篇第139篇23-24節) 。