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ヤコブはひとり取り残された!

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

AND JACOB WAS LEFT ALONE!
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2010年9月19日、主の日の朝の説教

“ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした”(創世記第32篇24節)。

ヤコブは今日の多くの若者達と同じでした。 彼には十分な食べものが与えられ、上等な服を着ていました。 彼には、“友達 ”と称する人達もいました。 彼は全てのものを持っていたように思えました。 しかしある晩、それら全てのものは彼から取られ、彼はひとり残されました。

今日、それは、あなた方のもっとも大きな問題ではありませんか? 特にあなた方は、多くの楽しんでいる人達が周りにいる時、しばしば孤独を感じませんか?  しばしばひどく、口では表現できないほどに、彼らから切り離されているように感じませんか? サリンジャー(J. D. Salinger)は、『ライ麦畑でつかまえて』のような短編小説と小説を書きました。 多くの若者達は、大学や高校で彼の小説を読みます。 そしてそれは、常に彼らの心の弦を揺さぶります。 なぜならサリンジャーは、大人が完全に理解できないような、そして誰一人として、若者達が克服するのを助ける事が出来ない、彼らのつらい心中の孤独など、若者達の感情を言葉で表現しているからです。 中国人教会の私の長年の牧師は、その現象を“若者の孤独”と呼んでいました。 サリンジャー自身、青春期からの疎外感と孤独に取り付かれるようになり、突然彼は書物を書く事を止めました。 四十年間、彼は全ての人達から孤立し、一人で隠遁者のように生活しました。 彼は四十年間人前に出ず、また新聞のインタビューにも承諾しませんでした。 しかし彼は今日でも20世紀で最も偉大な、最も洞察力のある著者の一人として見なされています。 何故でしょうか? 何故、彼は全てのこの世との交際を避け、全くの隠遁者となったのでしょうか? なぜなら彼は、孤独への克服を諦めてしまったからです!

今朝、私はあなた方の多くが経験している孤独な感情について、四つの見解をあなた方に話しましょう。 注意して聞いてください、なぜなら、私がこの何分かの間で孤独について話そうとしている事は、あなた方の人生の生き方、そして進路を変える事が出来るからです。 

I. 最初に、あなた方が感じている孤独は、今日のほとんどの若者達にとっ
て通常のことである。

さて、ロスアンゼルスのような大都市ほどに若者が孤独を感じる場所はありません。 著者のヘルベルト・プロコノー(Herbert Prochnow)は、“都会は、孤独を感じる人々が共にいる大きな共同体である”と言っています。 それが真実ならば、アメリカの都市はこの世で最も孤独な場所です! 文字道理、ロスアンゼルスのような大都市にいる数百万もの若者達が孤独を感じているのです! あなたはどうですか? あなた方は、誰も真に自分を気に掛けてくれない、誰も自分を理解してくれない、誰も自分に同情してくれない、などと感じた事がありますか? 

あなた方の両親は、離婚しているか、もしくは毎日のように口喧嘩をしています。 他の親は、忙しすぎて、疲れて仕事から戻り、ソファに横たわりテレビを見ています。 あなた方の相手になるような活力は残っていません。 そうではありませんか? あなた方の両親はあなた方をよく理解していない、そうではありませんか? 彼らはあなた方のトラブルをまともに聞いてくれないでしょう? 彼らは、あなた方自身が孤独を克服するよう手助けをする事が出来ません、あなた方はそれを良く分かっています! 私がそう言おうとする前から、あなた方は知っていました、そうではありませんでしたか? 違いますか?   

あなた方の、いわゆる“友達”と称する人達もあなた方を助ける事が出来ないでしょう? あなた方は、自分の心中の混乱や不安を彼らに打ち明けるのを恐れています。 あなた方が非常に悩まされている事を彼らに打ち明けるならば、彼らはあなた方を変人だと思い、彼らとの友人関係を失う事をあなた方は恐れているのです。 ですからあなた方は、自分の友人でさえも心から信頼する事は出来ません、そうでしょう、あなた方の心中なる出来事、そして取り残される事の恐れについて、私は言っています。

あなた方はどこへ向かえばいのでしょうか? 若者達はしばしば、次のように書かかれた詩篇の著者のように感じています。

“わたしは眠らずに/屋根にひとりいるすずめのようです”
       (詩編102編7節)。

若者達はしばしば屋根の上の一羽の鳥のように孤独を感じています! サリンジャーが、隠遁者になり、一人さびしく変人になってしまったのも不思議ではありません! 多くの若者達が孤独で、人生に満足していないのも不思議ではありません! 彼らは真の友人なくしてこの世で生きていく事は出来ません。 彼らは、止め処の無い孤独な世界で生きていく事は出来ないのです!

ですから、多くの若者達はショッピング・モール等で、あてもなくぶらついているのです。 “ぶらつく”以外、彼らは他に何もする事がないのです。 そこには明かりが灯っています。 人々は常に動き回っています。 多少の気晴らしにはいいでしょうが、それだけです! 人ごみの中でただ一人!  何ともひどい状態です! ノーベル賞受賞者の作家、アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)は『灯のよく燈った場所で/“A Clean Well-Lighted Place”』と題した短編小説の中でそのような事を書いています。 それは毎晩のように、明るい電灯の灯ったバーで座った人を描いています、なぜなら彼は家に戻り、孤独を感じる事を恐れていたからです。 

ヤコブはその夜、そのように感じたに違いありません!

“ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした”(創世記第32章24節)。

彼はひとりでした。 その時、誰かが暗がりから飛び出て、彼をつかみました。 誰も彼を助ける人はいませんでした。 ヤコブは、暗がり飛び出てきてその人を地面に倒し、彼と一晩中奮闘したのです!  ひとり取り残され、そのように襲われる事は、恐ろしい事でした!

強盗されいたずらをされ、どうにか逃げ出した二人の十代の女の子達の話題を新聞で読みましたか? ユタ州で誘拐された若い少女の話題を新聞で読みましたか? そうです、ユタ州です! そこは犯罪は余りありませんが、若者達は、驚くような割合で、いたずらをされ、強盗に会い、誘拐されています。 そして誰も彼らを助けてくれるません。 彼らは取り残されているのです。 ヤコブはそれに気がつきました。 今日は、若者達にとって恐ろしく、孤立した世の中なのです。 

ある若者が私に、“どうしてよいか分からない。 どこを辿ったらよいか分からない。 自分が頼れるような真の友達がいない”と私につぶやきました。 そのように感じた事がありますか?

II. 次に、しかし、あなた方が感じている孤独はこのローカルの教会で癒され
る事が出来る。

ですから、神はこの教会をあなた方に与えて下さいました。 人々が楽しく、そして集いを共にする事が出来、孤独にならないように、神はこのローカルの教会をこの世に置かれたのです。 私達の教会はあなた方の孤独を癒す為にあるのです! ですから私達はしばしば、“なぜ一人でいるのですか! 教会の家に来なさい!”と語りかけているのです! 

“ヤコブはひとりあとに残った・・・”(創世記第32章24節)。

他に何もローカルの教会のようにあなた方の孤独を癒す場所はありません! しかし、あなた方はこの教会に来て、永続きするような友達を作らなければなりません。 初期のクリスチャン達は幸せでした、なぜなら教会が彼らの二番目の家庭だったからです。 

“そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである”(使徒行伝第2章46-47節)。

多くの時を教会で過ごす事は、彼らを喜びやうれしさで満たしました。 ローマ人の世界は、陰気で冷酷で孤独でした。 しかし、異教徒達は文字道理、教会へと流れ込みました。 なぜなら彼らは、その教会で優しさ、満足、そして永続きする友人関係を見出したからです。 彼らは、教会の集いがある度に教会に行きました! 彼らを模範としなさい、そうすればあなた方は孤独にならないでしょう! 中国人の私の牧師リン先生は、“教会をあなたの二番目の家庭にしなさい”とよく言われました。 来週もこの教会へ戻ってきなさい! 私達の教会の交わりへより深く参加しなさい。 それはあなた方の孤独を癒してくれるでしょう! しかし時たま、教会に“ひょっこり現れる”だけではいけません。 あなた方の孤独を癒すには、特に“ホリデーシーズン”には、毎週日曜日に教会の集いに出席する事を厳守しなければなりません。

私達は毎週木曜日の晩、土曜日の晩に集まり、日曜日は一日中催しがあります! もしあなた方が毎週この教会に来るようになれば、あなた方は孤独にはならないでしょう。

III. 三番目に、あなた方が感じる孤独さは、より深いレベルで癒され、
永続きしなければならない。

もし私が、孤独の癒しが永続きするものであるならば、あなた方はより深い経験を持たなければならない、と話さないとしたら、私は正直ではないでしょう。 教会に友達を持つことは確かによいことですが、それは始まりに過ぎません。 もしあなた方の目的が新しい友達を持つことだけであるならば、あなた方は回心をせず、いつの日か神から疎外され、他の人達のように地獄へ行くでしょう。 この世で地獄ほど寂しい場所はありません!

あなた方が求めているのが、新しい友達であるならば、あなた方は遅かれ早かれ教会を去り、元の罪深い生活に戻るでしょう。 あるいは、あなた方は最終的に亡くなり、最も最悪な孤独を炎の池の中で経験するでしょう!

そうです、孤独の永遠の癒しのためには、あなた方はより深く、あなた方の内面を見なければなりません。

“ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした”(創世記第32章24節)。

ヤコブの夜を徹しての孤独な取り組みは、イエス・キリストを捜し求める内なる魂の葛藤を描いています。 いいですか、ヤコブが取り組んだその人は、イエス・キリストご自身でした! 人となられ前のキリストはこのように言われました、

“あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば”(エレミヤ書第29章13節)。

さらに、イエスは言われました、

“「狭い戸口からはいるように努めなさい”
       (ルカによる福音書第13章24節)。

あなた方が、キリストからはいるように努めない限り、あなた方は回心を経験しないでしょう、また神との平安を見つけることはないでしょう、

“わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている”(ローマ人への手紙第5章1節)。

あなた方は、罪のゆえに神から疎外されています。 そのため、あなた方にとって神は真実のように思えないのです。 内なる回心をもってのみ、あなた方は、“わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている”(ローマ人への手紙第5章1節)ことができるのです。

IV.  最後に、四番目として、あなた方が救われるためには、
回心の孤独が必要である。

私が言う“回心の孤独”とはどういう意味でしょうか? それは、誰一人としてそれをあなた方のために経験させることが出来ない、という意味です。 あなた方は、この内なる経験をひとりで通らなければならないのです。 使徒パウロは言いました、

“「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう”(エペソ人への手紙第5章14節)。

あなた方は、良心の煩悶の無い人生を歩んでいます。 そのような中で、聖霊はあなた方を眼覚ませます。 あなた方は、自らの罪を考え始めます。 あなた方は、神とさばきについて考え始めます。 それが、あなた方を眼覚ます神の御霊なのです。

“ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした”(創世記第32章24節)。

その“ひとりの人”とは、人となられる前の主イエス・キリストでした。 ほとんどの人達は、彼らが真に回心する時、孤独な、困難な葛藤をキリストと持ちます。 あなた方は、心の内に自の罪と生まれながらの堕落した状態を悟らなければなりません。 あなた方は、心の内にさばきを悟らなければなりません。 あなた方は、神の御子であるイエスに来て彼に拠り頼まなければなりません。 そうした後のみに、あなた方は真の回心を経験し、今後永く、永遠に続くのです。 そうした後のみに、あなた方の神との霊的な疎外感と実存する孤独は癒されます。

いいですか、孤独の癒しは、副産物です。 イエス・キリストがされる主なことは、罪のゆるしです。 あなた方が回心の葛藤と危機を通り越した時、副産物として、ゆるしと共に起こる何かとして、あなた方は、私が呼ぶ“実存の孤独(existential loneliness)”の癒しを受けるのです。 聖アウグスティヌスは、“我等のこころは、汝に平安をもつまでは、安らぎが無い”といいました。

このローカルの教会に入りなさい。 それが、孤独を克服する最初のステップです。 毎週日曜日にはここにいなさい。 もしあなた方が時々にしか来ないのであれば、真の友達はできないでしょう。 あなた方は、毎週日曜日にはここにいなさい。 そして、説教を聞き、その後、その説教を考えて見なさい。 あなた方の代わりに、あなた方の罪の罰のために十字架で亡くなられたイエスを考えて見なさい。 そうして、キリストに来なさい。 彼は天国で神の右座にいます。 信仰でもってイエスに来なさい、そうすれば彼はあなた方を罪から贖い出し、あなた方の孤独と神との疎外を癒すでしょう。 アーメン。

起立をし、ソング・シートの七番目の賛美歌を歌ってください。

イエスに来なさい、食事は調えられた、
晩餐に来なさい、食事を共にしよう、
イエスは我らと共に、
晩餐に来なさい、食事を始めよう!
教会に来なさい、そして食事を共にし、友愛をもちましょう、
椅子にかけ、食事を共にする、それはちょっとしたおもてなし!

親交は甘く、あなたの友はそこに、
食卓に共に着き、こころは楽しさで満ちる。
イエスは我らと共に、
晩餐に来なさい、食事を始めよう!
教会に来なさい、そして食事を共にし、友愛をもちましょう、
椅子にかけ、食事を共にする、それはちょっとしたおもてなし!

大都会の人達は、かまってくれない、
ほんの少しの関心があるだけ、そこには愛は全く無い。
しかしイエスに来れば、分かるでしょう、
テーブルには食べ物があり、友がいることを!
教会に来なさい、そして食事を共にし、友愛をもちましょう、
椅子にかけ、食事を共にする、それはちょっとしたおもてなし!

イエスに来なさい、食事は調えられた、
晩餐に来なさい、もてなしましょう、
あなたの友は待っています、
晩餐に来なさい、食事を始めよう!
教会に来なさい、そして食事を共にし、友愛をもちましょう、
椅子にかけ、食事を共にする、それはちょっとしたおもてなし!
   (“Come Home to Dinner” by Dr. R. L. Hymers, Jr.;
      to the tune of “On the Wings of a Dove”).

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here)
or you may write to him at P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015.
Or phone him at (818)352-0452.

クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:創世記第32篇22-25節.
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Come Home to Dinner” (by Dr. R. L. Hymers, Jr.).

要 綱

ヤコブはひとり取り残された!

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした”(創世記第32篇24節)。

I.   最初に、あなた方が感じている孤独は、今日のほとんどの若者達に
とって通常のことである。詩篇第102篇7節。

II.  次に、しかし、あなた方が感じている孤独はこのローカルの教会で
癒される事が出来る。使徒行伝第2章46-47節。

III. 三番目に、あなた方が感じる孤独さは、より深いレベルで癒され、
永続きしなければならない。エレミヤ書第29章13節;
ルカによる福音書第13章24節;ローマ人への手紙第5章1節。

IV. 最後に、四番目として、あなた方が救われるためには、回心の孤独
が必要である。エペソ人への手紙第5章14節。