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永遠なる祭司 R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 THE EVER-LIVING PRIEST ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである”(ヘブル人への手紙第7章23-25節)。 |
旧約聖書の時代には多くの祭司がいました。 しかし誰一人として、大変永くは留まりませんでした。 彼ら一人一人、いずれまもなく死んでいきました。 キリストのみが私達の祭司として永遠に留まられています。 キリストのみが、“変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである”(ヘブル人への手紙第7章24節)。 彼は死から身体ごとよみがえられました。 彼は身体ごと天国へ行かれました。 彼は天国の神の右の座で、ご自分の祭司としての務めをなし、今晩あなた方の為に祈っておられるのです!
今日、私達の大祭司としてのキリストについては、ほとんど聞かれません。 この主題に関して私が見つける事の出来た唯一の現代の賛美歌は、チャールズ・ウェスリー(1707-1788)による“『わがたましい』Arise! My Soul, Arise”でした。 私は、スポルジョンの賛美歌から二つの忘れられていた歌詞を抜き取り、それらに音楽を伴わせました。 そうでもしなければ、今日の礼拝集会で歌う賛美歌は何も無かったでしょう。 また、現在この主題に関しての説教はほとんど宣べられていません。 実際ここ数十年もの間、“キリスト・イエスご自身”(エペソ人への手紙第2章20節)については、全くまれにしか説教されていません。 マイケル・ホートンの書物、『Christless Christianity 』の中で、彼は “・・・みんなイエスのなさった事(なさっている事、そしてなさるであろう事)はすでに理解していると仮定している・・・”(Michael Horton, Ph.D., Christless Christianity, Baker Books, 2008, p. 250)からであると書いています。
天国での、キリストのとりなしの働きについて出版されているまれな説教の一つは、スポルジョンの“The Ever-Living Priest”(The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1974 reprint, volume XXXII, pp. 415-426)です。 今晩私は、彼のこのテキストの説教を手短に簡素にし、説教をしたいと思います。
“かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである”(ヘブル人への手紙第7章23-25節)。
このテキストは、永遠なる祭司キリストについて四つの事を私達に告げています。
I. 最初に、キリストは永遠の命を持っている。
第23節と24節を読み上げてください。
“かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである”(ヘブル人への手紙第7章23-24節)。
キリストは、“変らない”祭司として永遠に留まっています、なぜなら彼は永久なる命を持っているからです。 イエスは、旧約聖書でアロンや彼に従った祭司達のようではありません。 彼らみなは終には死んでいきました。 そうです、イエスは十字架で死なれました、しかし、彼は死から身体ごとよみがえられました。 復活されたキリストは、このように言われました、
“(わたしは・・・)生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である”
(ヨハネの黙示録 第1章18節)。
キリストは天国から降りてこられ、人間のからだを保たれ、そして私達の罪をあがなう為に死なれました。 しかし彼は三日目にその同じ人としての身体でよみがえられ、その同じ身体で彼は“いつも生きいて”(へブル人への手紙第7章25節)天国へ上がられました。 死なれる救い主では、十分ではありませんでした。 私達を助け、私達を悪か救い出す生きた救い主が、私達には今だに必要なのです。 私達は、人生が辛く思える時、この真実を覚えているべきです。 私の偉大な救い主は、私の為に生きておられ、全ての満ちた力と栄光と共に生きておられ、そして全ての邪悪から私の魂を保つ為に、御自分の命を捧げられているのです。 私が彼の内に平安を得られないでしょうか? そのように永遠に生きておられる救い主を知り、なぜ恐れるのでしょうか? キリストが私を守る為に御自分の命をささげておられるゆえに、私は確保されているのです。 イエスが御自分の永遠なる命を捧げられる人達に、何とすばらしい祝福があることでしょうか!
目覚めよ、甘い感謝の念、そして歌え
天に昇られた救い主の愛。
彼の民の難儀のために、
どのように天上で生きられているか を語れ。
(“Christ’s Intercession” by Augustus Toplady, 1771;
to the tune of “O Set Ye Open Unto Me”).
歌って下さい!
目覚めよ、甘い感謝の念、そして歌え
天に昇られた救い主の愛。
彼の民の難儀のために、
どのように天上で生きられているか を語れ。
II. 次に、キリストは永遠なる祭司の務めを持っている。
第24節を読んで下さい。
“しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである”(ヘブル人への手紙第7章 24節)。
私達がすでに理解しているように、イスラエルには、死を免れない祭司達がいました。 彼らは自分達の祭司が死んでいった時、非常な悲しみに陥ったに違いありません。 しかし、クリスチャン体制の時代には、永遠に務めを持続される一人の祭司がいます。 ですから、クリスチャンである皆さん、私達は、英国教会、やローマ教会、もしくは、ギリシャ正教、またどのような教会においても、この世に属する祭司を必要としないのです。 私達の必要とする祭司はイエスなのです!
“このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し”(ヘブル人への手紙第8章 1節)。
“彼は、ほかの大祭司のように・・・日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである”(ヘブル人への手紙第7章27節)。
私達は、人なる祭司よって“いけにえをささげる”ミサでの血によらない犠牲は必要としないのです。 イエスが十字架で私達の為に死なれた時、“なぜなら、自分をささげて、一度だけ、(キリストが)それをされたからである”! ペテロ自身が、“キリストも・・・ひとたび罪のゆえに死なれた”(ペテロの第一の手紙第3章18節) と言いました。 ミサで、更に犠牲を捧げる必要はないのです! キリストは、“ひとたび罪のゆえに死なれた”のです!
ひとたび全てのために、罪びとよ受け入れよ、
ひとたび全てのために、兄弟よそれを信じよ、
キリストに来よ、重荷は取り除かれる、
彼は我等を、ひとたび全てのために、贖われた。
(“Once For All” by Philip P. Bliss, 1838-1876; altered by the Pastor).
III. 三番目に、キリストが永遠にとりなしをする。
“彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので”と言う、第25節の終りの言葉に注目して下さい。 イエスは、“わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします”(ヨハネによる福音書第17章20節)と言われました。 使徒パウロはこのように言いました、
“キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである”
(ローマ人への手紙第8章34節)。
“彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので”
(へブル人への手紙第7章25節)。
キリストは常に私達の為に祈っておられます。 スポルジョンは、“我々の罪は、キリストの死によってゆるされている、しかし我々は彼の復活によって義とされるのである。 我々は、彼の死によって救われるのである:しかし救いは、彼が神の右に座しておられるゆえに、我々にもたらされ、確保されているのである”(同著)と言っています。
“我々の本性の弱さや罪からの継続する保存なる我々の望みがあるところ、イエスは我々の為に常に懇願しておられなかったか? 道は荒く、この世は邪悪である、我々の放浪は続き、我々の欲は絶え間ない。 それゆえに我々には永遠なるとりなしが必要なのである。 我々には決して危険がなくなりはしない、それゆえ[彼の]祈りが必要である。 我々は決して虚弱、おろかさに勝ってはいない、それゆえ、[彼の]絶え間のない[祈り]を要求する・・・兄弟たちよ、我々は生まれ持った罪との葛藤、もしくは肉体における苦痛によって、日々悩まされ・・・これら全ての為に、我々は、聖なると所[からの]助けが必要なのである・・・我々は、[とりなし]が必要なのである。 誰の足にて我々は自らの重荷を支えているであろうか、誰の耳に我々は自らの悲しみを告げるであろうか、それゆえイエスは、いつも生きていて我々のためにとりなしておられるのである”(同著)。
ゆえに、私達の暗闇に沈む絶望した思い、
私達の恐れ、私達の過ち。
彼の力強きとりつぎのゆえ、
罪の自責は失せ、恐怖は消える。
(“His Powerful Intercessions” by Anne Steele, 1760;
to the tune of “Just As I Am”).
私と一緒に歌いなさい!
ゆえに、私達の暗闇に沈む絶望した思い、
私達の恐れ、私達の過ち。
彼の力強きとりつぎのゆえ、
罪の自責は失せ、恐怖は消える。
ウェスリーの『わがたましい』を歌いなさい!
わがたましい
おそれをされ
すくいぬしは
みざのまえに
このみのなまえを
みてにかきとめて
あかしをたてたもう
(『わがたましい』“Arise! My Soul, Arise!”
by Charles Wesley, 1707-1788).
IV. 最後に、キリストは永遠の救いを与える。
第25節を読みなさい、
“そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである”(ヘブル人への手紙第7章25節)。
“彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである”。 スポルジョンはこのように言っています、“彼は終わり無く救うことが出来る。 ‘いつも’の言葉は、時の概念を含む。 なぜなら、我らの主イエスは決して死なず、永遠に救うことが出来るから。 彼の救いの御力はいつも留まる。 彼はあなた方の何人とかを救うことが出来た・・・数年前に、しかし、あなたは命を持つために彼には来なかったであろう。 彼は今でもあなたを救うことが出来るが、あなたは悔い改めることなく無視をする。 もしあなたが彼によって神に来るならば、彼はあなたをあなたの罪から救われる”(同著)。
イエスに来る人は全て、この約束を救い主ご自身の口から聞いています。
“わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない”
(ヨハネによる福音書第10章28-29節)。
イエスによって神に来る人は誰でも永遠の命を持ちます、そして、決して滅びることはありません。 なぜなら、神の御子は“いつも生きていて彼らのためにとりなしておられる”からです!
“わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである”
(ローマ人への手紙第8章38-39節)。
あなたがイエスに来ますように! あなたが彼に来るとき、彼はあなたを永遠に救われます―“いつも”―全てのとき、そして永遠に! 起立をして賛美歌シートの6番を歌ってください。
目覚めよ、甘い感謝の念、そして歌え
天に昇られた救い主の愛。
彼の民の難儀のために、
どのように天上で生きられているか を語れ。
天上にて彼が捧げられた嘆願の涙でもって、
地上の彼の謙遜なる叫びをもって、
権威をもって彼は祈る、
今、栄光の中に冠を戴け
彼を通して神に来る全ての人のために、
彼は救いをもたれる。
神のご自身の名を指し、
彼の傷ついた御手を広げる。
彼の願いをもって、永遠の命は
全ての聖人に与えられる。
この地上で、そして死後、
天国の恍惚の思い。
(“Christ’s Intercession” by Augustus Toplady, 1771;
altered by the Pastor; to the tune of “O Set Ye Open Unto Me”).
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読: ブル人への手紙第7章23-28節.
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“His Powerful Intercessions” (by Anne Steele, 1760; to the tune of “Just As I Am”).
要 綱 永遠なる祭司 R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 “かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである”(ヘブル人への手紙第7章23-25節)。 (エペソ人への手紙第20章20節) I. 最初に、キリストは永遠の命を持っている。 II. 次に、キリストは永遠なる祭司の務めを持っている。 III. 三番目に、キリストが永遠にとりなしをする。 IV. 最後に、キリストは永遠の救いを与える。 |