これらの説教文書は、毎月221か国以上の約11万6千台のコンピューターへwww.sermonsfortheworld.com
から送られています。他に数百人の人々がユーチューブのビデオを視聴していますが、各々のビデオは、直接私達のウェッブサイトを紹介していますので、すぐにユーチューブを離れ、私達のウェッブサイトにやって来ます。
説教文書は46カ国語で毎月何十万人もの人々へ送られています。また、説教文書は著作権で守られていませんので、説教者の方々は、私達の許可なく使用することが出来ます。
イスラム教圏やヒンズー教圏を含む世界中へ福音を広めているこのすばらしい奉仕への支援に御関心のある方は、
月々の寄付金の送金方法をお知らせしますので、ここをクリックして下さい。
ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国にお住まいかをいつもお知らせ下さい。そうでありませんと、先生はお答えすることができません。ハイマーズ博士の電子メール住所は
rlhymersjr@sbcglobal.netです。
真の肉!真の骨!真の血! (その一) R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 REAL FLESH! REAL BONES! REAL BLOOD! – PART I ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。 彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた” (ルカによる福音書24章41-43節)。 |
この説教の主題は何人かの説教者達の心をかき乱すであろう事は承知しています。 しかし彼らはおそらくその主題に関して完全に習得しておらず、キリストの復活に関する聖句を十分に瞑想していないのでしょう! 説教者は、キリストの身体ごとの復活を含め、クリスチャンの信仰の主要なる教義について熱心に、そして明白に宣べ伝えなければなりません。
今日の教会には、“グノーシス的な”、 霊なるキリストを信じている多くの人々がいる、というマイケル・ホートン博士(Dr. Michael Horton)に私は完全に同意します。 私は、英語圏の国々の全ての説教者達が、彼の短本、『Christless Christianity: The Alternative Gospel of the American Church (Baker Books, 2008)』を読む事が出来ればと望みます。 彼が、多くの伝道者達は新約聖書における、肉身を以ってよみがえられたキリストではなく、霊なる“グノーシス的な”キリストを信じている、と述べている事はまったく真実です。 誰も、“異なるイエス”(コリント人への第二の手紙 第11章4節)を信じる事によって救われる事は出来ません。 肉身を以って復活されたキリストのみが、人間の魂を救う事が出来ます。 なぜなら、“グノーシス的な”キリストは、“異なるキリスト”だからです。
しかし私は、単にキリストは肉身を以ってよみがえられたと言うだけでなく、更にもっと深く追求できればと思います。 私は、イエスがこのように言われた事はよく理解しています、
“わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ”(ルカによる福音書 第24章39節)。
しかしイエスのその発言は、明白ではありませんでした。 イエス御自身の復活した身体については、はっきりと詳しくは説明されませんでした。 キリストのよみがえられた身体は肉や骨だけでなく、血も含んでいたと言う事をなぜ私が信じるか伝えましょう。
私はキリストが真の骨肉と血を以ってよみがえられた事を信じます、なぜなら聖書の教えがそう信じるように要求しているからです! 私は何年もの間、聖書の言葉に聞き従う事を学んできました。 私の長年の牧師また教師であった、ボブ・ジョーンズ・ユニバーシティの、神学と聖書における専門用語の元教授ティモシー・リン博士は、聖書を信じ、聖書に基づき、忠実に従う事を教えて下さいました。
聖書は、墓に葬られ、死からよみがえられたイエスの身体について明白に教えています。 墓からよみがえったのは幻像もしくは“亡霊”ではありませんでした。 それは十字架で死なれ、三日目間そこで葬られていた、正に同じイエスでした。 イエスは、葬られた同じ身体で死からよみがえられたのです。
イエスが死からよみがえられた時、肉身を以ってよみがえられたのです。 イエスは最初の日曜日に弟子達にこのように言われました、
“わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕”(ルカによる福音書第24章39‐40節)。
肉身なる身体には、必然的にまだ多量の血が含まれていたに違いありません。
私は、骨髄に関する医学書を読んでいます。 骨髄は、身体の中で二番目に大きな器官です。 医学博士チャン先生は、ここロスアンゼルスで医師を務めています。 彼は、人間の血についての医学書『Hoffman: Hematology』を私にくれました。 その医学書には、ダニエル・ライアン博士(Daniel H. Ryan)とハービー・コーエン博士(Dr. Harvey J. Cohen)によって書かれた“骨髄考察”と題した章があります。 ライアン博士とコーエン博士は、この医学書でこのように書いています、
体の中で、骨髄は皮膚の次に最も大きな器官である。我々の骨髄には、ほぼ2千億の赤血球、1千億の白血球、そして4千億の血小板が[伴い]、約1兆の細胞が含まれている(Hoffman: Hematology, Churchill, Livingstone, Harcourt, Brace and Co., 2005, p. 2656)。
その医学書は2005年に出版されており、多くの大学で医学研究に関する教材として、現在もなお使用されています。
復活されたキリストの骨について、人間の骨髄の中の血液に関する医学的事実は何を告げているでしょうか? よみがえられたキリストが、弟子達に言われた事を思い出して下さい、
“わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ”(ルカによる福音書第24章 39節)。
ここが重要点です―すなわち、受難の際に、イエスの身体からほとんどの血は 流れ出ましたが、イエスの骨には、彼の骨髄に残っている多量の血が伴っていたのです。 キリストが死からよみがえられた時、キリストの骨髄の内に、2千億の赤血球、1千億の白血球、そして4千億の血小板がまだ残っていたのです! それに加えて、キリストが死からよみがえられた時、キリストの骨の血液と、肉の細胞と皮膚も含めて、キリストの身体の器官にも多量の血液が残っていました。 ある一人の医者が、キリストの葬られた身体には、血液の20パーセントが残っていたと推定しました。
サーザン・エバンジェリカル・セミナリーの学長、ノーマン・ガイスラー博士(Dr. Norman L. Geisler)は、このように述べています、
伝統的な見解は、イエスのよみがえった身体は、肉身を以っていたが、肉血はそうではなかった、と主張する事によって、無視される事はない(Norman L. Geisler, Ph.D., The Battle for the Resurrection, Wipf & Stock Publishers, 1992, p. 122)。
ガイスラー博士は、よみがえったキリストは“有形の肉と血”を以っていたと信じます。
“肉と血とは神の国を継ぐことができないし”(コリント人への第一の手紙第15章50節)の聖句は、文語関係からして、人間の肉と血を指しています。 ガイスラー博士によると、この聖句は、復活していない肉と血を示しています。 ガイスラー博士は、このように記しています、
このテキストによる誤解は、過去六十年間の新約聖書の神学において被害を及ぼしている。コリント人への第一の手紙第15章50節の聖句は、よみがえっていない血を指している(同著p123)。
したがって、ガイスラー博士によると、コリント人への第一の手紙第15章50節は、キリストのよみがえった状態での肉と骨を証明するために用いる事は出来ず、よみがえった血を含んでいませんでした(同著)。 ですから、キリストの肉と骨は、20パーセントの血液を保持していたので、私達は、キリストのよみがえった身体は、まだ幾らかのよみがえった血が含まれていたと完結します。
これは、“真新しい”主題ではなく、不重要な事とみなされる主題でもありません。 私達の祖先は、キリストの文字道理の“肉身なる”復活の意見に関する、根本主義/近代主義の論議において論争しました。 しかし、私達は、この偉大な教義については見逃していました。 私達は、フラー・セミナリー(Fuller Theological Seminary)の元教授、ジョージ・エルドン・ラッド(George Eldon Ladd)のような自由主義者に、キリストの復活は、“死骸の生き返り、肉身のよみがえりではない”(Geisler, ibid., pp. 93-94)と主張させて来ました。 なぜ彼は、「復活“resurrection”」とは言わず「新生命を吹き込む“revivification”」と言ったのでしょうか。 それらは同じ意味です! しかし彼の本を読む素人達から自分の信条をあらわにしない為に、彼はとっぴな言葉を用いたのです。 簡単な英語で言えば、ラッド博士は、キリストは死からよみがえった事は、“死体のよみがえりではない”と言ったのです。 それは誤りです! 聖書ではそのようには教えておらず、それは何百年もの間、クリスチャン達が信じていた事ではありません! それは正に、私達のクリスチャンの祖先達が、イエスの“肉身による”復活として意図したことです! キリストの死骸は、実際の肉身を以ってよみがえったのです!
この主題に関して、ジョン・ライス博士が述べた事を割引して聞かないで下さい。 ライス博士は聖書を信じ、そして常に御言葉の文字道理の意図に、ベストを尽くして従うよう非常に心を配った思慮深い人でした。 ルカによる福音書第24章36節から45節にかけてのライス博士の注解の中で、彼はこのように記しています、
イエスは、彼らが食べる前に食べられて、彼らの疑いを証明された。これが肉身を以って死からよみがえられたイエスであった・・・なぜならイエスは、ここで彼らに御自分の肉と骨を触る事が出来ると言われたが、血については話されなかった。ある人達は、我々の[クリスチャンとしての]復活した身体は血を保持しないであろうと考えていた。実際、コリント人への第一の手紙第15章50節は、“肉と血とは神の国を継ぐことができない・・・”と書いている。しかしその聖句は更に、“朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない”と言っている・・・よみがえった身体で神の国を継ぐ事が出来ないという意味ではない・・・イエスが文字通り食べ物を食べられた上で、身体的な消化のプロセスは継続し、肉と骨を伴う身体もまたそれらの平常のプロセスを継続する為に血液があった・・・復活後のイエスの身体は通常のプロセスを伴う肉身なる身体であった。それは、食物を食べ、消化する事の出来る身体、感覚のある身体であった(John R. Rice., D.D., The Son of Man: A Verse-by-Verse Commentary on the Gospel According to Luke, Sword of the Lord Publishers, 1971, pp. 556-557)。
“彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた”(ルカによる福音書第24章 41‐43節)。
そして、これらの聖句から二つの非常に重要な要点が持ち上がります。
1. イエスの肉と血が復活したように、 全て真のクリスチャンの肉と血は復活する。 使徒パウロはこう言いました、
“しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう”(ピリピ人への手紙第3章20‐21節)。
ですから、使徒パウロは私達の“卑しい”身体が、“ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう” と私達に語っているのです―すなわち、それはイエスの“栄光のからだ”と同じように、私達は肉、骨そして血を伴う身体で復活すると言う事です。私達は“亡霊”また“霊魂”となるのではありません。 そうではなく、真のクリスチャン達が、“変わり”、彼らが“朽ちない”、そして“死なない”身体へと復活する時に、キリストの復活した身体のように変わるのです(コリント人への第一の手紙第15章51‐53節参照)。 私はそうなる事をうれしく思います。モーゼとエリヤが変容した時に、お互いに認識したように、私達も亡くなった愛する人達を認識する事が出来るのです。私達は亡くなった愛するクリスチャン人達を認識する事が出来るのです。なぜなら、イエスのように、同じよみがえった身体で、彼らはよみがえったからです!
使徒ヨハネは、この主題について更にこう語っています、
“彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである”
(ヨハネの第一の手紙第3章2節)。
復活の際には、クリスチャン達は、キリストが最初の日曜日に弟子達と共におられた時のように“彼に似るものとなる”のです。 イエスはこのように言われました、
“イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた”(ルカによる福音書第24章41-43節)。
ルカによる福音書の中で、 イエスは、“神の国で”彼らと共に食べ、そして飲まれるであろうと言われました、
“「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」”(ルカによる福音書第22章15‐18節)。
ですから、最後の晩餐で、キリストは弟子達に、彼らと共に神の国が来る時、食事をし飲むと言われました。 再び、ルカによる福音書第22章30節で、イエスは、彼らは“わたしの国で食卓について飲み食い”するであろうと言われました。それは、彼らの復活した身体は、ライス博士が述べたように、“平常のプロセスを継続する為の血液”が無くてはならないと言う事です。ライス博士は、“復活したクリスチャンの身体には、キリストの身体のように、液体が伴うであろう。なぜならイエスは‘神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない’と言われた”(Rice, ibid., p. 558)。
キリストの御国において、私達が“亡霊”または“霊魂”とはならない事をうれしく思います!キリストの肉と骨、そして血による身体のように、キリストがこの世を支配する為に戻って来られる時に、私達がキリストと共に、神の御国で据わり飲み食いする事が出来、キリストと使徒達と共に神の国での食事に参加する事が出来、そして全ての他の真なるクリスチャン達と食卓について“飲み食い”(ルカによる福音書 第22章30節)出来るような、真の復活した身体を持てる事をうれしく思います! それは全ての真なるクリスチャンにとってすばらしい希望ではありませんか!
“「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた”(ルカによる福音書 第24章41‐43節)。
しかし、しばしば私達が考えるべきである、もう一つの偉大な教えがあります。
2. イエスの御血は今天国にあります! 少なくとも、彼の骨と肉の中にある御血は復活しなければなりませんでした、そして、彼と共に天国へもどっていったのです。ライス博士や多くの他の人達は、私も含め、イエスは彼と一緒に十字架で流された御血をも天に持っていかれたと語っています。 ライス博士は、“イエスは、天国で宗教的な血を携えていかれる途上であった”と言われました (John R. Rice, D.D., The Son of God: A Verse-by-Verse Commentary on the Gospel According to John, Sword of the Lord Publishers, 1976, p. 393)。
もし私達が、聖書を真摯にとるならば、少なくともイエスの身体と骨髄に残っていた御血は、今天国にあることは確かなのです。彼の身体ごとの復活を信じる人にとっては、それは問題のないことなのです。しかし、現代の教師たち、例えばジョージ・エルドン・ラッド(George Eldon Ladd)やキリストの御血は天国に無いと語るジョン・マッカーサー(John MacArthur)達にとっては理解しがたいのです。 彼らは間違っていると思います、なぜなら、聖書は特に、イエスの御血は天国にあると語っているからです、
“しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である”(ヘブル人への手紙第12章22-24節)。
ヘブル人への手紙第12章22-24節で、聖書は私達に、イエスの御血は天国にあるものの一つであると教えています。エノクの身体と血がそうであるように(ヘブル人への手紙第11章5節)、また、エリヤの身体と血がそうであるように(列王記下第2章11節)、彼の骨肉の身体と共に、それは、天国へ復活されるのです。 スポルジョンは言いました、
我々が昇天するとき・・・そそがれた御血を超えていくことはないであろう;いや、我々はそれを他の場所で見る以上に真にそれをみるであろう。“何ですか!”とあなたは言うでしょう、“イエスの御血が天国に?” そうです! 尊い御血を軽く見る人たちに、彼らの見方はそれを中傷するもので、罪であると正しなさい・・・!私にとって、この偉大なテーマを除いては、何ら考える、そして説教する価値はない。 キリストの御血は、福音の生命である (C. H. Spurgeon, “The Blood of Sprinkling,” The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1975 reprint, volume 32, p. 121)。
スポルジョンは、他のいくつかの説教の中で、キリストの御血は天国にあると言っています。 その一つに、“その血は、我々をとりなす為に永久にそこにある”(“The Saviour’s Precious Blood,” MTP, #3,395)。
天国のキリストの御血に関して、『Preaching to a Dying Nation by R. L. Hymers, Jr., D.Min., and Christopher Cagan, Ph.D.』の中で、十五の証言が挙げられています。 $15を下記の場所へ私宛に送っていただければ、その本を送付します。 送り先:P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015。 キリストの御血は今天国にあると言った人たちの中には、五世紀のクリュソストモス(Chrysostom)、十六世紀のジョン・カルヴィン(John Calvin)、十八世紀のマチュー・ヘンリー(Matthew Henry)、チャールズ・ウェスリー(Charles Wesley)、二十世紀のスコフィールド・スタディー・バイブル(The Scofield Study Bible)、ジョン・ライス博士(Dr. John R. Rice)、そして、ヴァーノン・マクギー博士(Dr. J. Vernon McGee)がいます。 マクギー博士は言いました、
彼の御血は、キリストが我々を贖うために払った驚愕の犠牲を我々に思い出させるために、今でさえ天国にあり、そして永遠の月日を通して、そこにあるのだ (J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, vol. 5, p. 560)。
私は、今朝あなた方に説教するために、本当の福音を持っている事をうれしく思います! キリストは、あなた方の罪のすべての罰を贖うために、本当に十字架で死なれました。 キリストは本当に肉体的によみがえりました―すなわち、彼の肉がよみがえったのです! 彼の骨がよみがえったのです! 彼の骨の髄と細胞の中の御血がよみがえったのです! 彼は本当に死からよみがえりました! そして、彼は神の右座で本当に生きられているので、あなた方は彼に来ることができます。 そして、あなた方が彼に来る時、彼は本当にあなた方の罪をゆるし、あなた方に本当の新生を与え、本当の回心を与え、本当の永遠の生を与えるのです。 それはすべて本当なのです、皆さん! 本当のイエスに来なさい、そうすれば、彼はあなた方に本当の回心を起こさせるのです!
“こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた”(ルカによる福音書第24章36-43節)。
その方が本当のイエスなのです! 彼に来なさい、そうすれば彼はいつでも、また永遠にあなた方を救われるでしょう! 起立して『あなたのつみあやまち』の合唱の部分を歌いなさい、
つみを くいて
だれもすがれイエスに
イエスは十字架の
ちしおでつみをきよめたもう
(“Are You Washed in the Blood of the Lamb?”
by Elisha A. Hoffman, 1839-1929).
(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
www.realconversion.com “Sermon Manuscripts” をクリックしてください。
アベル・プルードホーム氏による、説教前の朗読:ルカによる福音書第24章36-43節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Alive Again” (by Paul Rader, 1878-1938) 。