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キリストと共に御国を支配すること R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 REIGNING WITH CHRIST IN HIS KINGDOM ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。”(ヨハネの黙示録第20章6節) |
バプテスト・バイブル・トリビューン(Baptist Bible Tribune)元編集長ジェイムス・コウムズ博士(Dr. James O. Combs)は、以前、私達の教会で説教されました。 彼は、聖書の予言の大規模な概観について話されました。 未来の事について考えさせられる事は良い事です。 聖書はしばしば、予言的な出来事について私達に告げています。 そして私達が将来について考慮すべき最も重要な事の一つは、私達の主イエス・キリストの御国についてです。
今晩の私のテキストは、後の地上におけるキリストの御国に関する事です。
“この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
私は、この聖句から三つの重要なポイントを指摘します。
I. 最初に、このテキストは空中に引き上げられる事について語っている。
その聖句は、
“この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である・・・”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
と告げています。
ヨハネの黙示録第20章5節について、スコーフィールド・バイブルは、このように注解しています。
“正しい者たちの復活”はルカによる福音書第14章13、14節で記されており、その“命”の復活は、ヨハネによる福音書第5章29節において、“さばきを受けるためによみがえって”と、はっきり区別されている。 私達は、ここ[黙示録第20章5、6節]で、初めて、これら二つの復活を時間的に隔てているのが何かを学ぶ(Scofield note on Revelation 20:5)。
最初の復活は、生きているクリスチャンと亡くなったクリスチャン達が、空中でキリストに会う為に天に引き上げられることです。
“すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう”
(テサロニケ人への第一の手紙第4章 16節、17節)。
それが、私達のテキストで告げられている“第一の復活”です。 スコーフィールド・バイブルのこの聖句についての注解は、このように書いています。
これらの二つの復活は、[救われた人達、そして裁かれる人達の]将来に起こる事である。それらは、一千年の期間で隔てられている。“第一の復活”は・・・[空中で]旧約聖書の時期、そして教会時代における聖徒達が空中でキリストに会うキリストの来臨の際に起こり、第一の復活にあずかる艱難の際の殉教者達もが偉大な艱難の最後で引き上げられる(Scofield note on I Corinthians 15:52)。
ティム・ラヘイ・プロフェシー・スタディ・バイブル(The Tim LaHaye Prophecy Study Bible)は、第一の復活は、“何回にも分けて起こる”(黙示録第20章6節に関する注解)と指摘しています。
“この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない・・・”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
“第二の死”は火の池を示しています。 それは滅びを意味しているのではなく、永遠の苦痛の中で神から引き離されている事を示しています。 聖書は、このように書いています。
“それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である”(ヨハネの黙示録第20章14節)。
II. 二番目に、このテキストはキリストの御国について語っている。
“この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
これは、地上におけるキリストの一千年間の支配に関しての明白な宣言です。 それは全世紀に及ぶクリスチャン達の祈りへの聞き入れとなるしょう。
“御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように”(マタイによる福音書第6章10節)。
キリストは天に上がられ、クリスチャン達は、“空中”(テサロニケ人への第一の手紙第4章16節)でキリストと 会う為に引き上げられるのです。 そして艱難の最後で、イエスが、天に上がられた同じオリブ山へと下って来られるのです、そしてこの世での、彼の一千年の御国を建てられるのです。
では、 ゼカリヤ書第14章4節を開いてい下さい。 ここに、キリストが天から戻って来られる事が記述されています。
“その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ。そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって、東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り、”
(ゼカリヤ書第14章4節)。
キリストの足がオリブ山に立たれる時、地震により、そこは裂けるでしょう。
では5節の最後の文に注意を払って下さい。
“こうして、あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる”(ゼカリヤ書第14章5節)。
キリストの来臨の際に、全ての時代の真のクリスチャン達は、空中から彼と共に下ってくるのです。
では、ヨハネの黙示録第5章10節を開いて下さい。 クリスチャン達は、それゆえに神を崇めるでしょう。
“彼らを国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう”(ヨハネの黙示録第5章10節)。
ティム・ラヘイ・プロフェシー・バイブルの注解は、このように書いています。
艱難以前に救われたクリスチャン達は、艱難を通して救われたクリスチャン達と共に、キリストの一千年の御国を“支配するに至るでしょう” (ヨハネの黙示録第5章10節に関する注解)。
それが、全ての真のクリスチャンのすばらしい望みなのです。 そこへ私達は向かっているのです! 私達は、“国の民とし、祭司と・・・そして地上を支配する”為に備えているのです。
我は約束の地に向かう、我は約束の地に向かう
あぁ、誰が我と行こうか? 我は約束の地に向かう
(“On Jordan’s Stormy Banks” by Samuel Stennett, 1727-1795).
私達は文字通り、“約束の地に縛られて”いるのです! 天が開け、イエスに従って、地上に降りてくるのです。
“あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる”(ゼカリヤ書第14章 5節)。
私達は、その時に、
“彼らを国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう”(ヨハネの黙示録第5章10節)。
彼は再びやって来る、彼は再びやって来る、
人に拒絶された、正に同じイエスがやって来る。
彼は再びやって来る、彼は再びやって来る、
御力と偉大な栄光を携えて、彼が再びやって来る。
(“He is Coming Again” by Mabel Johnston Camp, 1871-1937).
“この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
III. 最後に、このテキストは、クリスチャン達がキリストと共に支配
する事を語っている。
“彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
多くのクリスチャン達は、これがクリスチャンとしての人生の目前のゴールである事を理解しいていません。 私達は、天国に行くだけの為に救われるのではありません、それは当然すばらしい目標ではありますが。 しかし私達には、目前のゴールがあります。 私達は、キリストと共に、彼の一千年の地上における御国を支配する為に備えなければなりません。
キリストと共に御国を支配するには、二つの主要な条件があります。 最初に、あなた方は回心しなければなりません。 それは、些細な条件ではありません。 なぜならイエスはこのように告げられているからです。
“心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう”(マタイによる福音書第18章3節)。
私は、御国に関して様々な表現の相違を指摘する人達がいる事を理解していますが、私はそのような分裂や相違にはさほど興味を示した事はありません。 もしあなた方が、回心を通して天国の御国に入る備えをしていないならば、あなた方はこの地上のキリストの御国にはまったくかかわりが無い事を考慮しなければなりません! 私には、それだけで十分な事に思えます。 そしてイエスはこのように言われました。
“・・・「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」”(ヨハネによる福音書第3章3節)。
もしあなた方が回心していないならば、神の御国に入る事はできません(マタイによる福音書第18章3節)。 もし、あなた方が新たに生まれていないならば、“神の国を見る”(ヨハネによる福音書第3章3節)ことは無いでしょう。 あなた方は地獄にいるでしょう。
ですから、キリストの一千年の御国でキリストと共に支配する為の最初の条件は、あなた方が、回心し、新たに生まれる事です。 それをあなた方の第一の心づかいとしなければなりません。 イエス・キリストを信頼す事によってあなた方が回心する事を確かにしなさい。 もしあなた方が、地上でのキリストの一千年の御国を、キリストと共に支配する事を望むならば、あなた方の罪はイエス・キリストの尊き御血によって清められなければならないのです。
そして、二番目に、あなた方はキリストの弟子として練達されなければなりません。 イエスは私達にこのように命じられました。
“それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」”
(マタイによる福音書第28章19-20節)。
クリスウェル博士(Dr. W. A. Criswell)は、 “すべての国民を弟子として”は“弟子とをつくる”ことであるように指摘しています(Criswell Study Bible, note on Matthew 28:19)。 クリスウェル博士の解釈にならって、
“それゆえに、あなたがたは行って・・・”
(マタイによる福音書第28章19節)。
キリストの使命に従って、新約聖書の教会がなさねば成らない事の一つは、 “すべての国民を弟子と”(マタイによる福音書第28章19節)する事です。
ローカルの新約聖書に則った教会は、人々をキリストに導く事、そしてキリストの弟子として彼らを練達させるように告げられています。 マタイによる福音書第8章20節で私達が告げられた弟子達への練達は、ローカルの教会内で成されます。 それは私達のバプテスト教派の一つの特徴です。 私達はローカルの教会内で、あなた方を練達しなければなりません。 ローカルの教会でのその訓練のプログラムは、エペソ人への手紙第4章の11節と12節で詳しく概説されています。
“そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、”(エペソ人への手紙第4章11節、12節)。
あなた方が毎週日曜日に教会へ来なければならない一つの理由は、キリストの弟子として、聖書を学びそしてクリスチャンとしての生き方を学ぶ事です。
イエスは言われました。
“「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう”(ヨハネの黙示録第 22章12節)。
(昇天とも知られている)第一の復活の後、全ての真のクリスチャン達は、彼らの行いに従って、べーマ・審判で報酬を受けます。
“もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが”(コリント人への第一の手紙第3章14節)。
その報酬は、一千年のキリストの御国でクリスチャン達に授けられます。 ですから、クリスチャンの生き方の目標として、天国に行く為だけではなく、それもすばらしい事ではありますが、後に来るキリストの地上での御国においての報酬を備える事です。
あなた方の回心を確かなものにしなさい。 そしてキリストの為に出来るだけの事を成すようにしなさい。 イエスはこのように語られました。
“むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい”
(マタイによる福音書第6章20節)。
“この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
イエす・キリストはあなた方の罪を償う為に十字架で死なれました。 キリストは葬られた後、三日目に死から身体ごとよみがえられました。 今、キリストは天の神の右座におられます。 キリストに来なさい。 キリストを信じなさい。 キリストは御自分の尊き御血によってあなた方の罪を清めてくださり、地獄からあなた方の魂を救って下さいます。
そうして、地元の教会において、キリストの為に奉仕しなさい。 教会の全ての集会に出席しなさい。 キリストの為に最善を尽くして奉仕しなさい。 後に来るキリストの御国に富を蓄えなさい!
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読: ヨハネの黙示録第20章1-6節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“He is Coming Again” (by Mabel Johnston Camp, 1871-1937).
要 綱 キリストと共に御国を支配すること R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著 “この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。”(ヨハネの黙示録第20章6節) I. 最初に、このテキストは空中に引き上げられる事について語っている。 II. 次に、このテキストはキリストの御国について語っている。 III. 最後に、このテキストは、クリスチャン達がキリストと共に |