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パウロ―回心の模範

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

PAUL – THE MODEL CONVERT
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2009年11月15日、主の日の朝の説教

“しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである”(テモテへの第一の手紙第1章16節)。

多くの人達は、使徒パウロのような回心は非常に稀で、今日そのような回心を予期することはできないと考えています。 その間違った考え方は、特に西洋諸国において、たいへん少ない数の教会がパウロのような回心を持っていないという事実から来ているように私には思われます。 それゆえ、彼の回心は例外で、通常外であると、彼らは考えているのです。 しかし、私のテキストは完全に彼らの考え方と正反対です。 テキストは明白に、“わたしが今後、彼[キリスト]を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。”と言っています。 “模範(pattern)”と訳されているギリシャ語は、“模倣のための典型・・・”(ストロング)です。 ですので、スポルジョンは、パウロの回心は、“彼に続く者たちの実例・・・他の者たちが追随するモデル・・・パウロは回心の理想[描写]であった・・・すべての[真の]回心はこの模範となる回心に非常に似たものである。 タルソスのサウロが使徒パウロに変わる経緯は、こころの中で起こる恵みの働きの典型的な例である”(C. H. Spurgeon, “Paul as Pattern Convert,” The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1979 reprint, volume LIX, p. 385)。

言葉を変えて言えば、もしあなた方が真のクリスチャンになりたいのであれば、あなた方はパウロが体験したような回心を体験しなければならないのです、なぜなら、パウロの回心は、“わたしが今後、彼[キリスト]を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである”(テモテへの第一の手紙第1章16節)。

パウロの救いの証が新約聖書の中で六回(テモテへの第一の手紙第1章15-16節;使徒行伝第9章;第22章;第26章;ガラテヤ人への手紙第1章2節;ピリピ人への手紙第3章1-14節)繰り返されているのは、そのためであると私は思います。 神は新約聖書の中で六回、パウロの救いの証をあなた方に聞いてほしいのです、ですから、あなた方は回心する必要があることが理解できるでしょう。 真のクリスチャンになる道はただ一つです、それはパウロの例に続くことなのです。 回心の詳細は違うかもしれませんが、パウロの回心の主要な“模範”の意味は、いつの時でも誰かが真に回心をし真のクリスチャンになるときに繰り返し見られるのです。

“しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである
      (テモテへの第一の手紙第1章16節)。

それゆえ、私はあなた方にパウロの回心の概要を四点これからお話します。

I. 最初に、パウロは伝道主義的説教を聴いた。

ここで間違わないでください。 パウロはステパノの側に立って彼が与える強い伝道主義的説教を聴きました。 使徒行伝第7章58節と使徒行伝第22章20節の二箇所で、パウロが“わたしは[そこに]立ち合っていて”と言っています。

ステパノは何を説教したのでしょうか? 彼はそこに立ち会っている人たちの罪に対して説教しました。 彼は、“あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている”(使徒行伝第7章51節)と言いました。 彼はイエスに関して、“今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった”(使徒行伝第7章52節)。 また、彼は、“「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」”(使徒行伝第7章56節)と言いました。

パウロは、キリストを拒絶していることの彼の罪、そして十字架のキリストの死に対して彼が関わったことを糾弾するステパノの説教を聴きました。 パウロは、ステパノが、彼は神の御霊を拒絶して神の律法を守ることをしなかった、と言うのを聞きました(使徒行伝第7章53節)。 パウロは、キリストは死からよみがえり、今天国の神の右座にいるというステパノの言葉を聴きました。

それらの言葉は伝道主義的に真実で、もしあなた方がパウロが体験した“模範”となる回心を予期するのでしたら、あなた方もまた聞かなければならない言葉なのです。 あなた方は、反逆のこころの中で聖霊を拒絶しているのです。 あなた方は、あなた方の罪でもって、十字架のキリストの死に関わっているのです。 あなた方は、教会を何度も何度も休むことによって、日曜日を神を礼拝するよりも、勉強の方をより大事なものとしてキリストを裏切っているのです。 今朝ここにいるほとんどの人たちは大学を卒業しているのを知っていますか? 私たちは時間配分をして、日曜日には神のために時間をとっていることを知っていますか? 七年間かけて、私は一週40時間働いて、夜大学に行き卒業しました。 しかし、一度も教会活動を休んだことはありません。 それ以上にまして、毎週日曜日には中国人の子供たちに日曜学校で教え、その後彼らに説教しました。 教会へ子供たちをクルマで送迎し、晩にはまた彼らに教えました。 私はそれらのことを自分のためにしたのではありません。 私は中国人の子供たちのためにしたのです。 そして、夜には大学に通い、一日8時間一週で40時間働きました。 あなた方は私に教会へ行く時間がありませんと言うのですか? 恥を知りなさい! 本当の意味は、あなた方には神のための時間がないだけなのです! あなた方はいつも聖霊を拒絶しているのです! あなた方は、神を無視する自己主義的な生活を送り、あなた方の自己主義でもってキリストを十字架にかけているのです! それが、正当な理由なのです! それが、正にパウロが聴いたことなのです、そしてそれが、正にあなた方が聴く必要のあることなのです! あなた方は罪人です! あなた方は神の罪の宣告のもとにあるのです! あなた方は神の怒りのもとにあるのです! そして、あなた方はすぐに神のさばきを受けるのです、

“そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると・・・”
      (ルカによる福音書第16章23節)。

あなた方の中には、“あなたは私にそのようなことを言うことはできない! 私は教会に戻って来ない!”と言う人がいるかも知れません。 分かりました、それでは戻って来ないでください! しかし、私があなた方に話したことは真実です―すなわち、パウロがステパノの説教を聴いたのと同じです。 それを取るか、捨てるかはあなた方自身です! パウロの回心は、すべての回心の模範です。 それゆえ、パウロのような真の回心を体験するためには、強く厳しい福音の説教を聴かなければならないのです。

“しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである
      (テモテへの第一の手紙第1章16節)。

それを取るか、捨てるかはあなた方自身です! 私はあなた方に聖書から真実を話しました。 それを取るか、捨てるかはあなた方自身です! あなた方は、このような説教を聴かなければなりません、そうでなければ、あなた方は決して真のクリスチャンにはなれないでしょう。 あなた方はパウロの“模範”に続かなければなりません。 これが、パウロが聴いた説教なのです。 そして、これが、あなた方が聴かなければならない説教なのです! あなた方は罪人です。 それを取るか、捨てるかはあなた方自身なのです!

II. 次に、パウロは罪の悟りをもった。

イエスが彼に説教したとき、パウロは地面に崩れ落ちました。 彼は、“地に倒れ”(使徒行伝第9章4, 6節)たのです。 彼はそのような強い罪の悟りにあったので、彼は三日間暗い部屋の中で断食をし、祈りました(使徒行伝第9章9-11節)。

“しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである
      (テモテへの第一の手紙第1章16節)。

当時17歳の少年は、一人の男性が通りで説教するのを聴きました。 その男性はその少年に罪人であることを語り、火炎の地獄へ行くことを説教しました。 その男性はその少年にキリストに来なければならないこと、そうでなければ永遠に火炎の中にとどまることを言い聞かせました。 ちょうどパウロの回心の“模範”のように、その少年は家に走って帰り、キリストを見出すまで家の屋根裏にこもり、涙を流しながら悟りのために床に身を投げ出しました。 それが、パウロが体験したことなのです。 そして、それが当時17歳のトゥザー(A. W. Tozer)が体験したことでした。 彼は後に20世紀における偉大なクリスチャンの著者になりました。 彼は、パウロがクリスチャンになったのと同じようなやり方で、パウロを模範としてクリスチャンになりました。 そして、それがあなた方が体験しなければならないことなのです! 神の御霊があなた方に来たとき、“罪と義とさばきとについて、[あなた]の目を開くであろう”(ヨハネによる福音書第16章8節)なのです。

もしあなた方が罪の悟りを体験しなければ、あなた方は決して真のクリスチャンになることはないでしょう。 あぁ、あなた方は日曜日の朝、教会へ行くでしょう。 しかし、あなた方は単なる名ばかりのクリスチャンでいるままでしょう。 あなた方は決して真の回心を体験しないでしょう。 もしあなた方が、パウロがしたように自らの罪深さを悟らない限り、あなた方は決して懺悔することなく真のクリスチャンになることはないのです!

“しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである
      (テモテへの第一の手紙第1章16節)。

III. 三番目に、パウロは生まれ変わった。

三日間に渡る、嘆き、断食、祈り後、パウロは深い罪の悟りにおかれ、聖霊を受け生まれ変わりました。

“するとたちどころに・・・元どおり見えるようになった”
      (使徒行伝第9章18節)。

新生は、瞬時の出来事です。 あなた方は、長い間定まりなく揺れ動くかもしれません。 また、あなた方は、時には自分の罪を感じ、回心を疑うかもしれません。 しかし、あなた方が真に回心するその瞬間、パウロがそうであったように、あなた方は素早く救われるでしょう。

ジョセフ・ハートはキリストを拒絶しました。 自分の罪を暴く説教を聴くのが嫌だったのです。 彼は、自分が火の池に投げ込まれるであろうことを聞くのが嫌だったのです。 彼は、自分の罪を洗い清めるためにキリストの御血が必要であることを聞くのが嫌だったのです。 しかし、神はジョセフ・ハートをつかみ、彼を揺すり起こし、彼を地獄の口元で留めました。 ジョセフ・ハートは自分の罪を悟らされました。 彼はキリストに来ました。 その瞬間、彼は十字架につけられた神の御子イエスに救われたのです。 ジョセフ・ハートは、美しい賛美歌を書きました。 その中の一つの賛美歌の中で、彼はこう言いました、

罪びとが十字架につけられた神を
   信じ、より頼む瞬間、
彼は神のゆるしを直ちに受ける、
   イエスの御血による完璧なあがない。
(“The Moment a Sinner Believes” by Joseph Hart, 1712-1768).

もしくは、ロバート・ローリーがこう記したように、

つみのけがれを
   あらいきよむるは
イェス・キリストの
   ちしおのほかなし。

合唱の部分を歌いなさい!

イェスのちしお
   ほむべきかな
われをあらい
   ゆきのごとくせり。
(“Nothing But the Blood” by Robert Lowry, 1826-1899).

IV. 最後に、パウロは生まれ変わった後、人生に新たな目的を見出した。

パウロが真のクリスチャンになった後、彼はこのように言いました、

“しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり”(ピリピ人への手紙第3章7-8節)。

さて、パウロは生まれ変わりました、そして、彼の今までの野心と人生の目的は何物でもないと思うようになったと彼は言いました。 パウロが回心したその瞬間、彼はキリストのために生き、キリストのために奉仕をし、そしてキリストに仕えたのです。 キリストはすでにパウロを救われていました。 そして、今キリストは彼の師であり主となられました。

パウロの回心は聖書の中で六回語られています、“わたしが今後、彼[キリスト]を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである”(テモテへの第一の手紙第1章16節)。 あなた方もパウロが体験したのと同じような回心を持つように―なぜなら、それが、地獄の火炎から逃れ、永遠のいのちを得、そしてあなた方の罪がゆるされる唯一の道だからです!

“しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである
      (テモテへの第一の手紙第1章16節)。

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:テモテへの第一の手紙第1章12-16節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Ye Must Be Born Again” (by William T. Sleeper, 1819-1904).

要 綱

パウロ―回心の模範

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである”(テモテへの第一の手紙第1章16節)。

(テモテへの第一の手紙第1章15-16節;使徒行伝第9章;第22章;
第26章;ガラテヤ人への手紙第1章2節;ピリピ人への手紙第3章1-14節)

I.   最初に、パウロは伝道主義的説教を聴いた。
使徒行伝第22章20節;第7章51, 52, 56, 53節;
ルカによる福音書第16章23節。

II.  次に、パウロは罪の悟りをもった。
使徒行伝第9章4, 6, 9-11節;ヨハネによる福音書第16章8節。

III. 三番目に、パウロは生まれ変わった。 使徒行伝第9章18節。

IV. 最後に、パウロは生まれ変わった後、人生に新たな目的を見出した。
ピリピ人への手紙第3章7-8節。