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パウロの確実な言葉

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

PAUL’S FAITHFUL TESTIMONY
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2009年11月8日、主の日の朝の説教

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである”(テモテへの第一の手紙第1章15節)。

これは、非常に理解しやすい聖句です。 それはキリスト教の正に真髄、核心そのものを表した明白なテキストです。 この聖句を理解する事によって、あなた方は新約聖書の主要なポイントを把握するでしょう。 

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである”(テモテへの第一の手紙第1章15節)。

I.   最初に、このテキストは受け入れられるべき真実の言葉である。

“・・・と言う言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである”(テモテへの第一の手紙第1章15甲節)。

パウロが言っている事は信頼できます。 それは寓話や作り話ではありません。 それは、キリストによって明らかにされ、そして聖書を通して宣言された、神の真実なのです。 後に、テモテへの第二の手紙の中で、パウロはこのように語っています、

“・・・それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物である・・・”
      (テモテへの第二の手紙第3章15節)。

そしてペテロはこのように述べています、

“・・・人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである”
      (ペテロの第二の手紙 第1章21節)。

ですから、聖書が、私達のテキストにおける確実な言葉の原典なのです。 使徒達はキリストについて語った時、“巧みな作り話を用いることはしなかった”。 “そのご威光の目撃者なのだからである”(ペテロの第二の手紙第1章16節)。 彼らが実際に出会った、キリストについて語ったのです。 

“初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――”
       (ヨハネの第一の手紙第1章1節)。

これらは使徒達でした。

“イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて・・・”
      (使徒行伝第1章3節)。

ですから、パウロが私達に伝えている事は、聖書の真実に正に忠実で、信頼できる言葉であり、受け入れられ、信じるに値するのです。 しかし、サタンはあなた方がそれを信じるのを好ましく思わないのです。 スポルジョンは言いました、

[サタン]は、こっそりと群衆に入り込み、ある人の心に“それを信じるな!”、ある人には“嘲笑せよ!”そしてある人には、“そういうこと に耳をかすな!”などとささやく。 [そしてある哀れな罪人に、悪魔はこうささやく]“それを信じるな、話がうますぎる”と。 “・・・と言う言葉は確実で・・・”という、神ご自身の御言葉から悪魔に返答する。 それは、正しく、間違いなく、そして真実である・・・。私はあなた方のうちからサタンを追い出し、話がうますぎる、などと思い巡らす事の無いように望む。(C. H. Spurgeon, “The Glorious Gospel,” The New Park Street Pulpit, Pilgrim Publications, 1981 reprint, volume IV, p. 158)。

ですから、サタンがあなた方の思いにつぶやくような疑いを耳にしてはなりません。

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである”(テモテへの第一の手紙第1章15節)。

“うたえうれしく/Jesus Saves”を歌ってください。

うたえうれしく こえもたかく
ひとにひろめよ いえすのすくい
うたえひとびと うけよくにぐに
ゆきてつたえよ いえすのすくい
   (“うたえうれしく/Jesus Saves” by Priscilla J. Owens, 1829-1907).

II. 次に、私達のテキストは、救い主、罪、そして救いについて真実の言葉である。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである”(テモテへの第一の手紙第1章15節)。

最初に、それは救い主について述べています。 マックギー博士(Dr. McGee)はこのように語っています、

これは非常に大切な聖句である、なぜなら、それは“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」”という事を断言している。 キリストは、世界的に最も偉大な教授として来られたのではなく、確かに、そうではあられるが。 キリストは道徳的に模範を示す為に来られたのでもない、そのようなこともされたが。 しかし、キリストは罪人を救う為に来て下さったのである(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume V, p. 434; note on I Timothy 1:15)。

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」”、キリストは、天から“この世に来られた”のです。

“しかし、時の満ちるに及んで、・・・おつかわしになった”
      (ガラテヤ人への手紙 第4章4節)。

“そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った・・・”
      (ヨハネによる福音書第1章14節)。

なぜキリストはこの世に来られたのでしょうか? “・・・ 罪人を救うために・・・”(テモテへの第一の手紙第1章15節)。 このように、イエスは御自分について語られました、

“人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである”
      (ルカによる福音書第 19章10節)。

ですから、イエスはあなた方の罪を、御自身に負われたのです。 ですから、イエスはゲツセマネの園で御自分の血を流されたのです。 ですから、イエスは鞭打ちに耐え、血まみれとなられたのです。 ですから、イエスは十字架に行き、彼の手足を釘付けられたのです。 ですから、イエスは、“罪人を救う為に”十字架で苦しみ、痛まれ、そして血を流され、残酷な死を遂げられたのです。 “うたえうれしく/Jesus Saves”をもう一度、歌ってください!

 

うたえうれしく こえもたかく
ひとにひろめよ いえすのすくい
うたえひとびと うけよくにぐに
ゆきてつたえよ いえすのすくい

私達のテキストは、キリスト・イエスは、“罪人を救うためにこの世に来て下さった ”と語っています。 あなた方は、なぜ私がここ数週間の間、ダーウィンの進化論に反した説教に時間を費やすのかと思っていたかもしれません。  あなた方は、“なぜ彼はそれに関して時間をかけて話すのだろうか?”と思ったかもしれません。 答えは簡単です。 ダーウィンは、人間は動物に過ぎず、生命の下位の形成から進化してきた大いなる猿人に過ぎないと教えています。 しかし、もしダーウィンが正しいのならば、なぜキリストが、この世に来られなければならなかったのでしょうか? もし人間がただのもう一つの動物の種類に過ないのであれば、なぜキリストは天からこの世に来て、十字架で死ななければならなかったのでしょうか? それに答えましょう―なぜなら、人は神の特別な創造物だからです。 人は生命の下位の形成から進化してきたのではありません。 “神は自分のかたちに人を創造された”(創世記第1章27節)。 しかし、始めに人は誤りを犯したのです。 彼は罪を犯し、彼の罪によって全ての彼の子孫は、生まれつき罪を行う事によって、罪なる者となったのです。 聖書は、人は神によって創造され、しかし彼は罪なる者となったと教えています。 ですからキリストは、―罪から人々を救う為に―この世に来られ、十字架で死なれ、死から復活されなければならなかったのです!

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」・・・” (テモテへの第一の手紙第1章15節)。

聖書はあなた方は罪人であると教えています。 パウロはこのように言いました、 

“次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない”(ローマ人への手紙第3章10-12節)。

あなた方が罪人であるからには、いかにあなた方が努めようとも、あなた方は神を喜ばすことは出来ません。 あなた方の罪は、十字架につけられたキリストによって贖われなければなりません。

“・・・十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた・・・” (ペテロの第一の手紙第2章24節)。

“われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた
      (イザヤ書第53章6節)。

“イエスはすべてをあがなわれし/Jesus Paid It All”のレフレインの部分を歌って下さい。

イエスはすべてをあがなわれし、
   われはかれにすべてを負い
ふかべにいろのしみなりしつみを
   ゆきのしろさに洗い流す。
(Jesus Paid It All” by Elvina M. Hall, 1820-1889).

“十字架のかげに”レフレインの部分を歌って下さい!

おらせ たまえ
   このみを 主よ
十字架のかげに
   とこしえまで
(“十字架のかげに/Near the Cross” by Fanny J. Crosby, 1820-1915).

このように言える人は多くはいません。 しかし、あなたもその一人になれるかもしれません。 あなたも「私の罪は、イエスが救ってくださるにはあまりにも大きすぎる」などと言う一人かもしれません。 しかし、もう一度そのテキストに注目してください。

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである”(テモテへの第一の手紙第1章15節)。

パウロは、自分が真っ先の罪人、罪人のかしらであったと言っています。 彼は真実を述べています。 彼は、主イエス・キリストを冒涜しました。 彼はクリスチャン達を殺害しました。 しかしキリストは彼を救われたのです! もしキリストがパウロのような邪悪な罪人を救う事が出来るなるならば、彼はあなたも救う事が出来るのです。 もしキリストがパウロのような邪悪な人を御自分の使徒とされる事が出来るならば、キリストはあなたの罪を許し、あなたの心を再生し、そしてあなたを真実なるクリスチャンと変える事が出来るのです!

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである”(テモテへの第一の手紙第1章15節)。

イエスは、罪人を救う為に来られました。 もしあなたが罪人であると感じるのであれば、キリストはあなたを救う事が出来るのです。 しかし、もしあなたが罪人であると感じないならば、あなたがキリストによって、救われることは出来ない事を、あなたに警告します。 なぜなら、

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」”

そして、他の誰もが救う事は出来ません! イエスのみが罪人を救う為に来て下さったのです。 ですから、もしあなたが罪人ではないと言い張るのであれば、キリストはあなたを救ってくださらないでしょう。 神があなたの罪を悟らせて下さいますように。 神があなたをイエスに近づけて下さいますように。 あなたがイエスの死によって正しくされ、そしてイエスの御血によってあなたの罪が清められますように! ソングシートの賛美歌7番を歌って下さい!

ほふられ たまいし
   かみの こひつじよ
みこえに したがい
   われゆく ただちに

ありのまま ゆく身
   など ていいわけせん
たのむは きよむる
   なが血の あるのみ

うたがいは うちに 
   たたかいは たえず
おそれは おおえど
   われゆく ただちに
(“ほふられたまいし/Just As I Am” by Charlotte Elliott, 1789-1871).

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読。テモテへの第一の手紙第1章12-16節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Oh, What a Fountain!” (by Dr. John R. Rice, 1895-1980).

要 綱

パウロの確実な言葉

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである”(テモテへの第一の手紙第1章15節)。

I.   最初に、このテキストは受け入れられるべき真実の言葉である。
テモテへの第一の手紙第1章15甲節;
テモテへの第二の手紙第3章15節;
ペテロの第二の手紙第1章21, 16節;
ヨハネの第一の手紙第1章1節;使徒行伝第1章3節。

II.  次に、私達のテキストは、救い主、罪、そして救いについ
て真実の言葉である。テモテへの第一の手紙第1章15乙節;
ガラテヤ人への手紙第4章4節;
ヨハネによる福音書第1章14節;
ルカによる福音書第19章10節;創世記第1章27節;
ローマ人への手紙第3章10-12節;
ペテロの第一の手紙第2章24節;イザヤ書第53章6節。