これらの説教文書は、毎月221か国以上の約11万6千台のコンピューターへwww.sermonsfortheworld.com
から送られています。他に数百人の人々がユーチューブのビデオを視聴していますが、各々のビデオは、直接私達のウェッブサイトを紹介していますので、すぐにユーチューブを離れ、私達のウェッブサイトにやって来ます。
説教文書は46カ国語で毎月何十万人もの人々へ送られています。また、説教文書は著作権で守られていませんので、説教者の方々は、私達の許可なく使用することが出来ます。
イスラム教圏やヒンズー教圏を含む世界中へ福音を広めているこのすばらしい奉仕への支援に御関心のある方は、
月々の寄付金の送金方法をお知らせしますので、ここをクリックして下さい。
ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国にお住まいかをいつもお知らせ下さい。そうでありませんと、先生はお答えすることができません。ハイマーズ博士の電子メール住所は
rlhymersjr@sbcglobal.netです。
断食をするとき R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 WHEN YOU FAST ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “断食をする時には” (マタイによる福音書第6章16節). |
イエスご自身、この世での奉仕をされる前に四十日間の断食をされた。 イエスは、彼の弟子達は、彼が天国へ上げられた後に断食をするであろうと言われました。
“その時には断食をするであろう”
(マタイによる福音書第9章15節)。
ジョン・ライス博士(Dr. John R. Rice)は、この聖句は聖霊降臨祭のリバイバルが起こる前の10日間、彼らは断食をし祈ったことを示していると言いました。 これは全く正解だと私は思います! 使徒パウロは、彼が回心する前に三日間断食をし祈ったとあります(使徒行伝第9章9, 11節)。 アンテオケの教会の会衆は、神の意思を知るために断食をしました(使徒行伝第13章2節)。 再び彼らは、パウロとバルナバを宣教師として送り出す時、“断食と祈とを”しました(使徒行伝第13章3節)。 使徒パウロは、“たびたび・・・飢えかわき”(コリント人への第二の手紙第11章27節)したのです。 そして、私達のテキストの中で、イエスは私達は断食をすべきだと語っています。 彼はこう言われました、“断食をする時には”(マタイによる福音書第6章16節)。
私はバーノン・マックギー博士を非常に尊敬しています。 1960年代に、私は彼の詳細にわたる聖書注解のラジオ番組を聴きながら、聖書の始から終わりまで研究をしました。 私達のテキストである“断食をする時には”に関してマックギー博士は、“断食をすることは今日において信者にとって価値のあることで、私はそれを確信している”と言われました(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume IV, p. 38)。
多くの人達は、この聖句の中でイエスは断食をすることに反対していると考えていますが、彼らは間違っています。 スコフィールド聖書のメモにあるように、彼は“形式尊重主義(externalism)”に反対していました。 彼は偽善的に断食をすることに反対していたのです。 しかし、イエスは決して断食をすることに反対しているのではありません。 全く逆なのです―彼は言われました、“断食をする時には”どのようにするのか、そして何故彼らは断食をしなければならないのかを教えました。 イエスは、“もし断食をするならば”とは言われなかったのです。 いいえ違います! “断食をする時には”とイエスは言われたのです。
断食をすることは、今日価値のある事です。 しかし、その当時の著名な聖書注解者であるマチュー・ヘンリー(Matthew Henry)は、“一般に言って、それは・・・クリスチャンの間で無視されている”と嘆きました(マタイによる福音書第16章16節のメモ)。 マチュー・ヘンリーが他界した後、25年程して、ジョン・ウェスリー(John Wesley)は、彼の仲間達に、週2回断食をした初期のクリスチャンに倣おうではないかと、それを復興させました。 最初の大覚醒が起こったのは、断食と祈りに新たな興味が起こったそんな時でした。 この再度認識された断食をすることへの強調は、このキリストのメッセージに根を張っています、
“その時には断食をするであろう” マタ
(イに書第よる福音9章15節)。
今日、私達が祈りを上げるその時々に断食をすることの多くの理由を、聖書は教えています。 今晩、それらの内三つの事を私は語りたいと思います。
I. 最初に、私達はサタンの力に打ち勝つために断食をし神に祈らなければならない。
マルコによる福音書第9章28-29節を開いてください。 立ってこれらの二つの節を声を出して読んでください。
“家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」”(マルコによる福音書第9章28-29節)。
着席してください。 今年の6月14日の朝の“祈りと断食によらなければ”と題した説教で私が言ったように、マルコによる福音書第9章29節の中の“祈り(と断食)”の言葉が、近代のほとんどの翻訳から消えていることは、間違いであると私は信じます。 これが起こったのは、偽りの原典批評が基になっていると私は思います。 悲しいかな、第29節はこれらの近代の翻訳から消えてしまったのです。 それらは、 第29節を取り除いたグノーシス主義的に感化された司祭達に書き写された二つの写本に影響を受けています。 よって、断食をすることの最も重要な理由の一つが、今日、問題のある写本の影響を受けたこれらの翻訳を読む西洋の国々のクリスチャンの思考から取り除けられてしまったのです。 私達の教会には、サタンに対する力がほとんどないのは理解出来る事ではないでしょうか! ジョン・ライス博士は、“この子は、文字どおり悪魔にとりつかれていることを疑うべきではない。 悪霊は我々の間に潜んでいるのである”(Commentary on the Gospel According to Matthew, Sword of the Lord Publishers, 1980 edition, p. 364; comment on Matthew 17:14-21)。 聖書はこのように語っています、
“わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく・・・天上にいる悪の霊に対する戦いである” (エペソ人への手紙第6章12節)。
今日、福音伝道によって教会を興すことは非常に困難です。 ある人は、アメリカの福音伝道主義は終わりを遂げた、とさえ言っています。 サタンの力は、今日非常に猛烈であるように私には思えます。 私達には、“天上にいる悪の霊”を打ち負かすために、神の力が必要なように私には思えます。 サタンの束縛を断ち切るために、断食と神への祈りを上げようではないですか! 私達がキリストへ導こうとしている人達をサタンが覆いこむ、今日の背教と冷めた教会がはびこるこの時代に、それは完璧に理由のある事だと思います。 賛美歌シートの6番目の“我に祈りを教えよ(Teach Me to Pray)”の二番目を歌いなさい!
主よ、祈りの中に力を、祈りの中に力を、
今ここに、‘この世の罪、嘆きそしてわずらいの中“
絶望し、失われ、死してゆくひとの魂
あぁ、我に力を、祈りの中に力を!
(“Teach Me to Pray” by Albert S. Reitz, 1879-1966).
祈りの中の力は、直接断食に通じているように私には思えます。 なぜなら、イエスはこのように言われました、
“その時には断食をするであろう” マタイによる
(福音書第9章15節)。
II. 次に、私達は神がリバイバルを送ることによって介在するように断食をし神に祈らなければならない。
いいえ、すべてがリバイバルに依存するとは私は考えていません。 しかし、1859以来アメリカには国家的なリバイバルは起こっていないのです―また、地域ごとのリバイバルは非常に稀で、ほとんどアメリカでは見られません。 ケン・コナリー博士(Dr. Ken Connolly)が、“私達は、リバイバルを決して知らない世代に生きている”と言われたのを私は覚えています。 しかし、使徒パウロはリバイバルを知っています! 神は、使徒行伝を通してパウロが催した説教集会を訪れ、祝福されました。 パウロがたびたび断食をしたことを驚くべきではないと思います。
“たびたび・・・飢えかわき”
(コリント人への第二の手紙第11章27節).
クリスチャンであり歴史家でもあるスカッフ博士(Dr. Schaff)は、初期の“クリスチャンは水曜日と特に金曜日を(断食の日)”と指定した(Philip Schaff, Ph.D., History of the Christian Church, Eerdmans Publishing Company, 1976 edition, volume II, p. 379)と言いました。 第一大覚醒の時に、ジョン・ウェスリーはこれを復興しました。
いいえ、断食と祈りが自動的にリバイバルをもたらすとは私は考えていません。 また、断食をするのに適した日があるとも私は思っていません。 聖書に書かれているとは思いません。 しかし、断食と祈りをする日を設けること無くして、今日リバイバルを体験することが出来るとは思いません。 ジョン・ライス博士はこのように言われました、
聖書を通して、神の最も偉大な聖人達は断食をした。断食をはしばしば全霊をこめてする祈り、すなわち、嘆きを伴い、懺悔し、敵からの解放を求め、もしくは敵以上の英知を請う祈りと関連する。シナイ山でモーゼは40日間断食をした。 我々の救い主は荒野で40日間断食をされた。ヨシュア、ダビデ、エズラ、ネヘミヤ、ダニエル、バプテスマのヨハネの弟子達、アンナ、使徒達、パウロとバルナバ、そして他の信者達は断食と祈りを上げた。神の聖者達は、断食と祈りの中で、神が彼らの祈りに答えられるのを待った。聖書の時期の偉大な祈りのもの達は、しばしば断食もした。断食と祈りをするクリスチャンは正しい・・・救い主は[ご自身]断食をされただけでなく、彼の弟子達に断食をするように教えられた。彼らは救い主が[天に上られ]召された後にした(John R. Rice, D.D., Prayer – Asking and Receiving, Sword of the Lord Publishers, 1970 edition, p. 215)。
ライス博士はまた、“祈りと断食によるリバイバル”(同著、p. 227)についてもはなされました。
しかし、断食と祈りはリバイバルを“起こす”とは考えるべきではありません。 イアイン・ムレー(Rev. Iain H. Murray)は正確にこのように言っています、
神は祝福の手段として祈りを選ばれた。 彼の目的の成就が我々に依存するのではなく、彼に完全に依存する事を知る手助けをする。 祈りをそのように捕らえる事は、休止もしくは運命論にははるかに通じず、神を思う霊を生じさせ、現代の作者が呼ぶ、“過激な・・・祈りと断食”を産する(Rev. Iain H. Murray, Pentecost Today? The Biblical Basis for Understanding Revival, The Banner of Truth Trust, 1998, p. 69)。
“神は、神の人々を祝福されようとなさる時、彼は彼らに祈りをする事を最初に仕向ける”とはよく言われています。 ジョン・ウェスリーは、この事に関して別の言い方をしています、
神への思いを込め、主へ断食をなせ。我々の断食の目的を、天にいます我々の父に栄光を帰すためだけとせよ (The New Encyclopedia of Christian Quotations, Baker Books, 2000, p. 360)。
断食と祈りはリバイバルの“原因”ではありません。 神がその原因なのです。 断食と祈りの中で、神により近づき、神がよしと見られる時、彼はリバイバルを送られるでしょう。 それはすべて神の手の中にあるのです。 また、リバイバルの際、断食と祈りをすることにより、人々の祈りは速く、深く、そしてより充実されることも真実です。 ジョン・ウェスリーが次のことを望んだ時、神はすでにリバイバルを送っていました、
断食と祈りの日を指定したか? 恩恵の御座の嵐、その中に忍耐と哀れみは訪れる(Letters of John Wesley, p. 340)。
しかし、経験から私達は、神が最初に私達に祈りの中の力を与えてくださるまでは、ウェスリー氏が指摘しているように、祈りと断食のための集会を設けることはできません。 神ご自身が、“哀れみが下るまで、恩恵の御座”が吹きまく祈りの主役なのです。 神が、リバイバルの断食と祈りの主役なのです。 神がその主役であり、完了者であるときのみ、私達は神がリバイバルを送られるような断食と祈りを上げられるのです。 さもなければ、我々の断食と祈りは何の益にもならないのです。 神の御顔を望もうではないでしょうか、そして、彼に私達の魂を委ね、教会で神の栄光が称えられるような断食と祈りをしようではありませんか。 そのような神中心の祈りと断食のみが、真実のリバイバルをもって神に祝福される道なのです。 立って、賛美歌シートの6番目の“我に祈りを教えよ(Teach Me to Pray)”の二番目を歌いなさい!
主よ、祈りの中に力を、祈りの中に力を、
今ここに、‘この世の罪、嘆きそしてわずらいの中“
絶望し、失われ、死してゆくひとの魂
あぁ、我に力を、祈りの中に力を!
(“Teach Me to Pray” by Albert S. Reitz, 1879-1966).
III. 最後に、私達はひとが回心するために断食をし祈らなければならない。
イエスは言われました、
“断食をする時には” (マタイによる福音書第6章16節)。
神は、預言者イザヤにこのように語られました、
“わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか”(イザヤ書第58章6節)。
弟子達が助ける事の出来なかったその少年は、“悪のなわ”にとりつかれていたのです。 彼らは少年を助けられませんでした、なぜならば、
“「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」” (マルコによる福音書第9章29節)。
教会に来ている人で、同じような状態の人はいませんか? サタンが“・・・この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしている”(コリント人への第二の手紙第4章4節)のではないでしょうか? 神が預言者イザヤにこのように語ったことは、私達にも語っているのではないでしょうか、
“わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか” (イザヤ書第58章6節)。
チャールズ・ウェスリーがこの賛美歌を書いたとき、イザヤ書のこの聖句が頭にあったのではと私は思います、
ああ、ことばのかぎり
うたわまほし
主イエスのさかえと
あいとめぐみ
(『ああことばのかぎり』”O For a Thousand Tongues”
by Charles Wesley, 1707-1788).
立って、その賛美歌を“我に開けたまえ(O Set Ye Open Unto Me)”のメロディーで歌ってください。
ああ、ことばのかぎり
うたわまほし
主イエスのさかえと
あいとめぐみ
着席してください。
あぁ、まだ回心していないここにいる幾人かの人達に回心するよう、私達はどのように断食をし、キリストに祈らなければならないのでしょうか! あぁ、サタンとこの世の手にある彼らを縛り付けている罪の力を断ち切るよう、私達はどのようにキリストに祈らなければならないのでしょうか! あぁ、私達はどのように断食をしキリストに祈りを捧げなければならないのでしょうか、
“・・・悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ・・・” (イザヤ書第58章6節)。
救われる必要のある人のために祈りなさい!(全員の祈り) さて、チャールズ・ウェスリーの賛美歌をもう一度歌いなさい!
ああ、ことばのかぎり
うたわまほし
主イエスのさかえと
あいとめぐみ
チャールズの兄であるジョン・ウェスリーは、リバイバルの最中、このようにうまく言いました、
断食と祈りの日を指定したか? 恩恵の御座の嵐、その中に忍耐と哀れみは訪れる(同著)。
次の土曜日に正にそうしましょう! 出来る人は、家で断食と祈りをしなさい。 私達の間でまだ失われている人達のために、名を上げて祈りなさい! もちろん、あなた方のすべての人が断食を出来るわけではありません。 しかし、健康で、状況がゆるされるのであれば、そうしなさい。 来週の土曜日の夜7時半に教会に戻ってきなさい、そして、30分ほど祈り食事をとって断食を終えましょう。 神に喜びを持って家路につきましょう! 実際に、チャールズ・ウェスリーの賛美歌は正しいです! それを再び歌いなさい!
ああ、ことばのかぎり
うたわまほし
主イエスのさかえと
あいとめぐみ
そして、私達の祈りに、断食をする時に、そして来週の土曜日の祈祷の時に、祈りの中に力を神が下さる事を覚えて置いてください! たって、もう一度歌いなさい!
主よ、祈りの中に力を、祈りの中に力を、
今ここに、‘この世の罪、嘆きそしてわずらいの中“
絶望し、失われ、死してゆくひとの魂
あぁ、我に力を、祈りの中に力を!
(“Teach Me to Pray” by Albert S. Reitz, 1879-1966).
今晩ここに失われている人はいますか? あなたのために私達は祈ります。 あなたはサタンの手から自由になるためにイエス・キリストが必要です、そして彼の尊い御血でもって罪から清められることが必要です。 イエスに救われることについて、私と私達の執事のケーガン先生と話をしませんか? あなたが来る前に、チャールズ・ウェスリーの賛美歌をもう一度歌いましょう。 チャールズ・ウェスリーの賛美歌をもう一度歌いなさい。
ああ、ことばのかぎり
うたわまほし
主イエスのさかえと
あいとめぐみ
もし、あなたがの中で私や教会の執事の人とキリストにおける救いについて話がしたい人は、席をたって後ろへ行ってください。 執事の人がカウンセリング・ルームへ案内します。 皆さん、彼らのために祈りを上げてください。
(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
www.realconversion.com “Sermon Manuscripts” をクリックしてください。
クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読: マタイによる福音書第16章16-18節。
ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“Teach Me to Pray” (by Albert S. Reitz, 1879-1966).
要 綱 断食をするとき R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 “断食をする時には” (マタイによる福音書第6章16節). (マタイによる福音書第9章15節; I. 最初に、私達はサタンの力に打ち勝つために断食をし神に祈ら II. 次に、私達は神がリバイバルを送ることによって介在するよう III. 最後に、私達はひとが回心するために断食をし祈らなければな |