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枯れた骨の谷 R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 THE VALLEY OF DRY BONES ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす”
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スポルジョンは、この聖句から三つの説教を出版しています。 それらのうちの一つは、非常に有名です。 それは“The Restoration and Conversion of the Jews(ユダヤ人達の返還と回心)”(The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1991 printing, volume X, pp. 425-436)と称されています。 スポルジョンは摂理主義者ではなく、聖書の預言に関してはわずかな観点しかありませんでしたが、彼は聖書には常に忠実でした。 第11節から14節は、この聖句が、当時“パレスチナ”と呼ばれていた彼らの母国へイスラエル人が復帰する事を明白に告げています。 それが明白に表明されているので、1864年に、それはスポルジョンが説教した 事そのものなのです。 彼は言いました、
イスラエルは現在地図から消されている、彼女の息子達は遠く、そして広範囲にかけて散在している・・・しかし、その国は返還されねばならない。イスラエルは、“死から”返還されねばならない・・・その国は認められなければならない。イスラエルの散在した骨は、一箇所に戻されなければならない。 そこには再びその土地の統治権が成り立つであろう、再びそこには・・・国家が成り立つであろう(Spurgeon, ibid., p. 428)。
この約束に関するスポルジョンの見解は、1948年5月14日に、近代イスラエル国家の設立が、パレスチナのユダヤ国民評議会によって宣言された時に、文字通り成就しました。 その新たな国家は、デイビッド・ベン‐ガリオン(David Ben-Gurion)を総理大臣とし、チャイム・ワイズマン(Chaim Weizmann)を大統領とした政権を設立しました。 それ以来、世界各国からユダヤ人達がイスラエルに戻ってきました、そしてこの預言の前半が文字通り成就し始めました。
“それゆえ彼らに預言して言え。主なる神はこう言われる、わが民よ、見よ、わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓からとりあげて、イスラエルの地にはいらせる”(エゼキエル書第37章12節)。
アメリカのバプテスト教信者の元大統領、ハリー・トルーマンを始めとし、 バプテスト教信者達、そして他の聖書を信じるクリスチャン達は、常にイスラエルを支持してきました。 アメリカの聖書を信じるクリスチャン達は、イスラエルにとって最も強固な、そして最も堅実な支持者です。 今日、反ユダヤ人達が何と言おうとも、私達がそうする事は正当であり聖書にかなっているのです。 イスラエルの返還はエゼキエル書第37章の文字通りの成就です。
しかし、スポルジョンはこの聖句に関して、1882年にもう一つの説教をしています。 この二つ目の説教で、 スポルジョンはこれらの聖句は、
国家の死からのイスラエルの救いの著しい描写・・・我々は、同等な正確さで、神の恵みなる力によって霊的な生命へと刺激される全ての人々の心に、恵みによる働きの明瞭な表示を、その中に知るであろう(C. H. Spurgeon, “Despair Denounced and Grace Glorified,” The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1973 edition, volume XXVIII, p. 469)。
したがって、 第3節と下記の事項は、失われた罪人達の回心を描写しています。
“彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす”(エゼキエル書第37章3-5節)。
立って“我に息をかけよ(Breathe On Me)”のコーラスの部分を歌ってください。
我に息をかけよ、我に息をかけよ
聖霊よ、我に息をかけよ
我がこころの隅々を清めたまえ
聖霊よ、我に息をかけよ。
(“Breathe On Me” by B. B. McKinney, 1886-1952).
着席してください。 私達のテキストで神が語られている三つの事はこれらです。
I. 最初に、“これらの骨は、生き返ることができるのか”と神は言われる。
“主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」”
(エゼキエル書第37章1-3節)。
マックギー博士は、これは教会の中にいる不信者を描いている、と述べています。 彼は、このように言いました、
説教者が向かって話している全ての会衆は、救われている人達とそうでない不信者達を含む・・・救われていない者達は、罪と罪悪により死んでいる、彼らはまだ贖われていない。 説教者はエゼキエルと同様に無力である、なぜなら失われた人達の真の状態と境遇を理解する説教者は、彼らに向かって話すことに彼自身の無力さを認めている(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1982, volume III, p. 509; note on Ezekiel 37:4)。
説教者が説教壇から臨む時、そのように彼は感じるのです。 多くの人はただの骨同然なのです。
“罪過と罪とによって死んでいた”(エペソ人への手紙第2章1節)。
“罪の中にあり・・・死んでいた”(コロサイ人への手紙第2章13節)。
“皆いたく枯れていた”(エゼキエル書第37章2節)。
それが今朝のあなた方の状態ではないですか? あなた方は、それほどにも死んでおり、あなた方を動かせるものは何もないのですか? あなた方の心は、神の御前に“非常に枯れた骨”ですか? “我に息をかけよ(Breathe on Me)”のコーラスの部分を歌ってください。
我に息をかけよ、我に息をかけよ
聖霊よ、我に息をかけよ
我がこころの隅々を清めたまえ
聖霊よ、我に息をかけよ。
それでは、エゼキエル書第37章3節を朗読して下さい。
“彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」”(エゼキエル書第37章1-3節)。
神はエゼキエルを“人の子”と呼ばれました。 これは、 説教者は単なる人間である事を示しています。 説教者は“人の子”であり単なる人間なのです。 説教者には、あなた方を助けるような力はありません。 私は、あなた方に向かって説教する事は出来ます、しかし私が説教するそれらの言葉は死人の耳に向けられるだけなのです。 しばしば、神が、“人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか”と私に尋ねておられるように私は感じます。 神が、“これらの骨は、生き返ることができるのか”と尋ねられる事は、説教者にとって最も恐れを感じさせ、探り入れられる質問なのです。
私は、ある日曜日の晩にある教会で説教するように頼まれました。 私は何を説教してよいものか、その教会の状態を知っている人に尋ねました。 彼は、“福音だけは説教してはならない、彼らは常時それを聞いています。 彼らは皆救われています”と答えました。 私は戸惑いました。 神は、私にただ福音を説教するように告げておられように思えました。 しかし、教会の状態を知っているその人は、すでに皆救われているので、そうしてはならないと言いました。 私は非常に戸惑い、その午後は祈りにふけりました。 私は福音の説教だけを用意していました。 私は恐れながら説教壇に向かいました。
“彼はわたしに言われた、「これらの骨は、生き返る事ができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」”(エゼキエル書第37章3節)。
神は、“これらの骨は、生き返る事ができるのか”と言われました。 エゼキエルは、“主なる神よ、あなたはご存じです”と答えました。 マックギー博士は、“言葉を変えて言うと、彼は、「私はどのようにしたら彼らが生き返るか私には理解できません。 それは私にできる事ではありません、それらの骨が生き返るかどうかは、あなたのみがご存じです”(McGee, 同書)というように説明しています。 私は、恐れながら手に汗をかき説教壇へ向かいました。 私は説教し始めました。 すると聖霊が会衆に降りかかりました。 立ってその賛美歌を歌ってください!
我に息をかけよ、我に息をかけよ
聖霊よ、我に息をかけよ
我がこころの隅々を清めたまえ
聖霊よ、我に息をかけよ。
今朝聖霊がここに訪れてくれるよう祈ってください! (皆で祈る)。 もう一度歌って下さい!
我に息をかけよ、我に息をかけよ
聖霊よ、我に息をかけよ
我がこころの隅々を清めたまえ
聖霊よ、我に息をかけよ。
着席してください。
II. 次に、“これらの骨に預言して、言え”と神は言われる。
第4節を朗読して下さい。
“彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け” (エゼキエル書第37章4節)。
神は、“預言して、言え”! 枯れた骨に、死んでいる骨に説教せよ、と言われているのです! 彼らに向かって、“枯れた骨よ、主の言葉を聞け”と伝えなさい。 説教者は、“どうしたら枯れた骨が主の言葉を聞くでしょうか? どうしたら彼らにそう出来るでしょうか? どうしたら彼らにそう出来るでしょうか?”と思い巡らすでしょう。 神よ、私は彼らには出来ない事がわかっています。 彼らの思いはうわの空です。 彼らは変わらぬ無感覚な心的な行動を何度も何度も繰り返しているのです。 彼らは私の説教を聞く事は出来ません!
“すると人々は、耳が聞えず口のきけない人を、みもとに連れてきて、手を置いてやっていただきたいとお願いした。そこで、イエスは彼ひとりを群衆の中から連れ出し、その両耳に指をさし入れ、それから、つばきでその舌を潤し、天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった・・・彼らは、ひとかたならず驚いて言った、「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい。耳の聞えない者を聞えるようにしてやり、口のきけない者をきけるようにしておやりになった」”(マルコによる福音書第7章32-35, 37節)。
立って福音を閉ざす耳を開いて下さるように神様に祈ってください! (皆で祈る)。 歌を繰り返し歌って下さい!
我に息をかけよ、我に息をかけよ
聖霊よ、我に息をかけよ
我がこころの隅々を清めたまえ
聖霊よ、我に息をかけよ。
“彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け” (エゼキエル書第37章4節)。
これは主の言葉です。 すなわち、イエス・キリストはあなた方の罪の報いを償う為に十字架で死なれました! イエス・キリストはあなた方の罪を清める為に十字架で御自分の血を流されました。 イエス・キリストは死からよみがえられました! イエス・キリストは、神と共に天国で生きておられます! これは、主の言葉です! “十字架の側に(Near the Cross)”を歌いましょう。
十字架に、十字架に
常に我が栄光あれ
我が昇天の魂が
河の向こう岸に安らぎを見つけん。
(“Near the Cross” by Fanny J. Crosby, 1820-1915).
もう一度!
十字架に、十字架に
常に我が栄光あれ
我が昇天の魂が
河の向こう岸に安らぎを見つけん。
キリストは、その十字架の上であなた方の罪の為に死なれました。 その十字架の上で、主はあなた方の罪を清める為に御自分の血を流されたのです!
十字架に、十字架に
常に我が栄光あれ
我が昇天の魂が
河の向こう岸に安らぎを見つけん。
着席してください。
私は恐れました。 多くの高名な説教者の方々がそこにいました。 その男性は、“福音だけは説教してはならない! 彼らは常時それは聞いています。 彼らは皆救われています”と私に語りました。 彼は正しかったでしょうか? 私は胸をドキドキさせながら、手から汗を滴らせながら、説教壇へと向かいました。 そして説教を始めました。
“枯れた骨よ、主の言葉を聞け” (エゼキエル書第37章4節)。
もし誰も私の説教を聞かないならば? もし誰も前に出てこないならば? もし私が失敗するならば? 彼らが、私について何と言うだろうか?
“彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け” (エゼキエル書第37章4節)。
“そして捕囚の人々、あなたの民の人々の所へ行って、彼らが聞いても、彼らが拒んでも、『主なる神はこう言われる』と彼らに言いなさい」”(エゼキエル書第3章11節)。
キリストの福音を述べ伝えなさい、彼らが聞こうと聞くまいと! 彼らが耳をふさごうが開こうが、
“「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け”
(エゼキエル書第37章4節)。
それが私への使命です! それが私の任務です! それが万能の神が私に告げられた事です!
III. 最後に、“わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あな たがたを生かす”と神は言われる。
第5節を声を上げて読みなさい。
“主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす”
(エゼキエル書第37章5節)。
神は言われます、“わたし”(私ではなく神)“わたしは”(あなたではなく神が)“わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす”と言われます。 そうあるべき事なのです! 聖霊なる神があなたのうちに入らなければならないのです。 そうして、あなた生きるのです! 神はこう言われました、
“わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて”
(エゼキエル書第36章27節)。
立ってそれをもう一度静かに歌いなさい、
我に息をかけよ、我に息をかけよ
聖霊よ、我に息をかけよ
我がこころの隅々を清めたまえ
聖霊よ、我に息をかけよ。
私はあの晩説教をするために立ち上がりました。 高名な説教者達がそこにいました。 彼らは皆私を見ていました。 あのひとはこう言いました、“あなたが何をするにしても、福音だけは説教してはならない、彼らは常時それを聞いています。 彼らは皆救われています!” 私の心臓はドキドキしました。 手から汗が滴りました。 私は説教を始めました。 私は福音を説教しました! それを受けるか、受けないか! あなたが聞こうとするのはこれです! あなたは失われているのです! あなたは失われているのです! あなたはキリストを知らないのです! あなたは宗教家ですが、失われているのです! キリストに来なさい! 彼の御血でもって清く洗い流されなさい! “席を立って、今ここに来なさい”と私は言いました。 私達は賛美歌を歌い始めました。 “誰も来ないだろう”と私は思いました。 私達は2番目を歌いました。 三人の年配の男性が前に出てきました。 彼らを別の部屋に連れて行きました。 私達は3番目を歌いました。 誰かが叫びました、“先生、たった今救われました!” その人達の内一人は説教者でした! 聖霊が雲のようにその集会に下りてきました! 歳のいった男性が、手と足ではいつくばって前に出てきました。 彼が手と足ではいつくばって前に出てくる時、彼は精一杯の声で“自分は失われた者! 自分は失われた者!”と叫んでいました。 それは、神の働きでした! それは、回心でした! それは、現実の出来事でした! それが3時間ほど続きました。 75人以上の人達が前に出てきました。 彼らは、泣き叫びながら、絶叫しながら、自分達の罪を神に告白しながら、前に出てきたのです。
“・・・わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす”
(エゼキエル書第37章5節)。
イエスは言われました、
“肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない” (ヨハネによる福音書第3章6-7節)。
“十字架に(In the Cross)”をもう一度歌いましょう!
十字架に、十字架に
常に我が栄光あれ
我が昇天の魂が
河の向こう岸に安らぎを見つけん。
あなたは罪人です! あなたは失われた者です! イエスの他にあなたを救うことの出来る人はいません! 彼が十字架の上で死なれたのはその理由のためなのです。 彼はあなたの罪を贖うために十字架で死なれました、そして彼の御血でもってそれを洗い流すのです! もう一度、私達はそれを歌います。 私達が歌っている間に、ここまで出てきて、“自分は失われた者! 自分は失われた者!”といいなさい。 たった今、あなた、そうです、あなたです! 席を立って、ここに来なさい! “私は失われた者! あぁ、神よ、あなたがあの十字架で流された御血でもって私の罪を洗い清めたまえ! もう一度“十字架に”を歌いましょう。
十字架に、十字架に
常に我が栄光あれ
我が昇天の魂が
河の向こう岸に安らぎを見つけん。
我に息をかけよ、我に息をかけよ
聖霊よ、我に息をかけよ
我がこころの隅々を清めたまえ
聖霊よ、我に息をかけよ。
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読: エゼキエル書第37章1-14節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Breathe On Me” (by B. B. McKinney, 1886-1952).
要 綱 枯れた骨の谷 R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著 “彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす”(エゼキエル書第37章3-5節). (エゼキエル書第37章12節)
I. 最初に、“これらの骨は、生き返ることができるのか”と神は言 われる。
II. 次に、“これらの骨に預言して、言え”と神は言われる。
III. 最後に、“わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがた
を生かす“と神は言われる。
エゼキエル書第37章5節;第36章27節; |