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真の回心者が、苦難を避ける事が出来ない原因! R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 WHY REAL CONVERTS CANNOT AVOID TRIBULATION! ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った”(使徒行伝第14章22節)。 |
アメリカやヨーロッパにおいて、このテキストに関しての説教は非常にまれです。 しかし、これは非常に重要な聖句です。 このテキストを知り、そのようにふるまう事無しには、今であろうと、またあなた方が後に死ぬ時であろうと、あなた方が神の御国へ入れるとは、私は思いません。
使徒パウロはリストラの町で石投げにあい、放られました。 しかし弟子達が彼を囲んで、疑うことなく祈った後に、パウロは起き上がりました。 神が彼らの祈りを聞かれたのです。 彼は、瀕死状態から、あるいはおそらく死そのものから起き上がりました(聖書ではその事に関して明白ではない)。 彼は起き上がると直ぐに、再び説教し始めました。 何という私達への模範でしょうか! パウロは、力を振り絞って立ち上がり、彼の弟子であるバルナバと共にデルべの町へ行きました。 そこから彼らは、キリストの受難と復活による福音を失われた群衆に向かって説教しながら、リストラへ、イコニオムへ、そして最後にアンテオケへと旅しました。
そしてまた、これらの町々でパウロとバルバナは、つい最近キリストに従いたいと言った弟子達に向かって説教しました。 しかしパウロは、彼らが真の回心の体験をした事を確かにしたかったのです。 パウロは、彼らの信仰が強いものであることを、彼らに“確かめて”もらいたかったのです。 パウロは、彼らが単に福音の事実を信じただけではなく、彼らが真の回心の体験をした事を確かにしたかったのです。 どのように彼は成したのでしょうか?
I. 最初に、パウロは、新たな弟子達を力づけ、強くし、そして彼らが信じた事を公言したその信仰を持ち続けるようにと奨励した。
私達のテキストは、このように言っています。
“弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し”
(使徒行伝第14章 22甲節)。
パウロは、それらの新しい回心者達の“心”が真に回心した事を確かにしたかったのです。パウロは彼らが名ばかりのクリスチャンではなく、また福音の教えを学んだだけではなく、彼らが真のクリスチャンとして信仰を持ち続ける事を確かにしたかったのです。パウロは彼らに、このように願いました、
“ ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい” (ペテロの第二の手紙第1章10節)。
そのようにパウロは、彼らが“信仰を”持ち続ける事によって、彼らが後に経るであろう苦難について理解している事を明確にし、彼らを力づけました。 もし彼らが、真のクリスチャンである為に経なければならない苦難を理解していないならば、彼らは教会から去って行き、キリストを捨て、そして神の御国に入る事はないでしょう。 “彼らはキリストを受け入れた”という単なる言葉だけでは、パウロにとって十分ではなかったのです。 パウロは、彼らが、生涯の最後までキリストと教会の為に耐え忍ぶ、真の揺らぐ事のないクリスチャンになる為には犠牲が掛かるであろうと言う事を彼らが知らされることによって、彼らを力づけなければならない事を知っていました。 パウロは彼らが次のようになる事を望んでいませんでした、
“自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう”
(マルコによる福音書第4章17節)。
そしてルカは、困難がやって来る時、多くの真の回心者ではない者は信仰から離れるであろうと付け加えています。
“根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである”(ルカによる福音書第8章13節)。
苦しみ、迫害、誘惑などによって多くのにせクリスチャンは、彼らの教会から、そして自称するキリストへの“信仰”から去って行くであろうとキリストは語られました。
彼らの信仰はそれ以上に強く、そして深くなければならなかったのです。 そうであるため、パウロは熱心に、
“[これらの新たな]弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し”(使徒行伝第14章 22甲節)。
そのように、パウロは新たな回心者達に向かって、まず行いました。 彼は、
“[彼らを]力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し”
(使徒行伝第14章22甲節)。
パウロは、もし彼らの回心が確固としたものでないならば、彼らは罪に戻り、後々にはキリストと教会から去っていく事を知っていました。
しかし、そうしてパウロは彼らが確固とした、忠実で、不動な回心者となる為に必要な二番目の事を彼らに語りました。
II. 次に、パウロは彼らが神の国へ入るには、“多くの苦難を”経なければならないであろうという事を認識させました。
“弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った”(使徒行伝第14章22節)。
ジュネーブ聖書はそのテキストに関してこのような注解をしています。
教えるだけではなく、[苦痛や苦難の]十字架を[かつぐ]ことを彼らに教え、そしてそのための訓練を彼らに施す事は、聖職者としての任務である:(The 1599 Geneva Study Bible, Tolle Lege Press, 2006 reprint, note on Acts 14:22)。
アメリカやヨーロッパのどこで、そのような説教が聞かれるでしょうか? 私達は、第三諸国のクリスチャン達が、神の国へ入る為に、そのような苦難、そして“多くの苦しみ”(Geneva Bible)を経ることを予期しています。 しかし ここ西洋の国々では、私達は苦難また苦しみなしで、天国へ“容易な乗車”をあまりにもしばしば期待しています。 私にとって、それは悲惨な事のように思えます―なぜなら、そのような事は聖書に真実ではないからです。 真のクリスチャン達は、困窮、困難、苦痛を経なければならない、そうでなければ真のクリスチャンとなる事は出来ないと、聖書には、幾つかの聖句を通して明白に私達に語っています。 聖書は、あなた方が、大いなる困窮、苦しみ、また多くの困難を耐えることなく、“神の国にはいる”事は出来ないと教えています。 私達のテキストが言っているように、
“弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った”(使徒行伝第14章 22節)。
それは西洋諸国の私達の日曜学校で教えられている事でしょうか? 私達の福音伝道の説教で教えられている事でしょうか? 彼らがクリスチャンになる事に興味を示す際に、私達は、彼らが困窮また困難を経なければならないと伝えるでしょうか? 彼らがイエスを信じたと告白する時、彼らは多くの苦しみと困難を経なければならないとパウロが語ったように、私達はすぐさま彼らに語るるでしょうか? 多くの場合、そうしません。 そしてそれが、ここアメリカとヨーロッパにおいて、真の回心者、真のクリスチャンが哀れなほどに数少ない―すなわち、キリストの為に苦しむ事を望むクリスチャンが数少ない事の主要な原因の一つなのです。
あなた方は、“神の国に入る”為には多くの苦痛と多くの困難を経なければなりません。 そしてもしあなた方がそれを信じないならば、ジョン・バニヤンが、何度もこの事を非常に明白にしている『天路歴程』を読むべきです。
もしあなた方が、真のクリスチャンになりたいならば、あなた方は非常に困難な人生の道へ入ろうとしています。 そして私は、もしあなた方が“神の国へはいる”事を望むならば、あなた方が経なければならない多くの“艱難”について考えてほしいと思います。
1. あなたは俗的な友人を失う“苦痛”を経なければなりません。パウロは、コリント人への第二の手紙第6章17節でそれを明白にしています。
“だから、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ”
(コリント人への第二の手紙 第6章17節)。
救われていない人達が教会に来る時、彼らに親切にする事は正しい事です。しかし聖書では、コリント人への第二の手紙第6章11-18節で、あなたは、キリストそして教会に興味を示さない失われた友人から離れなければならないと教えています。
“世を友とするのは、神への敵対であることを”
(ヤコブの手紙第4章4節)。
マッカーサー博士(Dr. MacArthur)は、ヤコブの手紙第4章4節は、“ある種の強い感情的な結びつきの愛を示している。この世のものを求める深い密な思いを抱いている人達は、贖いに与ることがない人達である事を証明している” と正しく語っています (The MacArthur Study Bible, Word Bibles, 1997; note on James 4:4)。 もしあなたが真の回心したクリスチャンになりたいならば、あなたは“破滅の街”とそこにいる人々から離れなければならない、とジョン・バニヤンの『天路歴程』は語っています。
“わたしたちが神の国にはいるのには、[多くの苦悩、1599年版ジュネーブ聖書]を経なければならない”(使徒行伝第14章22節)。
教会で育った若い人達でさえ、回心をしない人達と友人関係を持ってはいけません。コリント人への第二の手紙第6章17-18節は全ての人に応用されます。あなたがもし“神の国にはい”(使徒行伝第14章22節)りたいのであれば、あなたは俗的なまだ救われていない友人を失うという“苦痛”を経なければなりません。あなた方若い人達の何人かは、もし真の回心をし真のクリスチャンになりたいと望むならば、俗的な友人を諦めなければなりません。
“わたしたちが神の国にはいるのには、[多くの苦悩]を経なければならない”(使徒行伝第14章22節)。
2. あなたはまた、自己欺瞞と自己非難の“苦悩”を経なければならない、なぜなら、
“生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない”(コリント人への第一の手紙第2章14節)。
“なぜなら、肉の思いは神に敵するからである”(ローマ人への手紙第8章7節)。“そして、肉によってはひとは再生することができない”(ジュネーブ聖書のローマ人への手紙第8章7節の注解)。
回心しない、再生していない思いは“神に敵する”のです。そのことが、あなたがクリスチャンになる事を“学ぶ”ことが出来ない理由なのです。あなたが単に“学んだ”こと全ては、あなたの思いを混乱させただけなのです。それゆえ、あなたは救われ方を見出す自分自身の能力に疑いを持ち、自己欺瞞と自己非難の“苦悩”を経なければならないのです。そして、あなたは自分自身が“生れながらの怒りの子であった”(エペソ人への手紙第2章3節)と判断し認めなければなりません。
自分自身を非常にプライドのある者と認めることは、大いなる“苦悩”なのです、
“心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている”(エレミヤ書第17章9節)。
あなたのこころははなはだしく悪に染まり、救いに関して自分自身に寄り頼むことができない、ということにあなたが同意する時まで、あなたはその苦悩を経なければなりません。
“わたしたちが神の国にはいるのには、[多くの苦悩]を経なければならない”(使徒行伝第14章22節)。
3. あなたは、罪の悟りの“苦悩”を経なければならない。
“それ[御霊]がきたら、[あなたの]罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう”(ヨハネによる福音書第16章8節)。
聖霊の最初の働きは、この世の罪を暴くことです。これは、神があなたが過去に犯した罪をあなたに悟らせるという意味です。しかし、それにはそれ以上の意味が含まれています。それは、神はあなたは生まれながらにして罪の中に“死んでいた”、罪の状態を持っているという意味です(エペソ人への手紙第2章1, 5節)。あなたは“生れながらの怒りの子であった”(エペソ人への手紙第2章3節)のです。 あなたは、正直に“わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている”(ローマ人への手紙第7章18節)と言えるまで、この“苦悩”を経験しなければなりません。 その聖句について1599年版のジュネーブ聖書は、“この悪、あるいは罪、あるいは罪の律法は、再生[生まれ変わること]する事のない人々を完全に掌握する”と述べています。 あなたは、生まれながらにして完全に堕落したものであり、信頼を寄せる事の出来ないものであることを確信させられなければなりません。自分自身の悪に染まった心を信頼できなくなる、その状態にまで辿り着かなければなりません。
“わたしたちが神の国にはいるのには、[多くの苦悩]を経なければならない”(使徒行伝第14章22節)。
そして、あなたが神の国に入るためにあなたが経なければならない“苦悩”がもう一つあります。
4. あなたは、“努める”という“苦悩”を経なければならない。イエスはこう言われました、
“狭い戸口からはいるように努めなさい”
(ルカによる福音書第13章24節)。
“努める”と訳されている言葉は、ギリシャ語の“agōnizomai”からきており、文字通り“奮闘する”(Strong)の意味です。キリストは言いました、“はいるように努めなさい[奮闘しなさい]。”これは、あなたに“自分には何もする事ができない”と言わしめません。そうです、キリストは、あなたに出来ることがあると言いました。 あなたは、努める、奮闘する、力を尽くして戦う、キリストに来るために苦闘することが出来るのです。内面の痛みで挫けそうになろうとも、あなたは全力を尽くしてキリスト・イエスに来なければなりません。“はいるように努めなさい”(ルカによる福音書第13章24節)。そのような苦闘には痛みが伴いますが、あなたが最終的にキリストに来る時、両手を広げてあなたを迎えているキリストに気づくでしょう。イエスは、このように言われました、
“わたしをとおってはいる者は救われ(る)”
(ヨハネによる福音書第10章9節)。
それゆえ、全力をつくして、彼に入る努力をしなさい。そうして、あなたは次の聖句を知り、身近に感じるでしょう、
“御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである”(ヨハネの第一の手紙第1章7節)。
(説教終了)
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要 綱 真の回心者が、苦難を避ける事が出来ない原因! R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 “弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った” (使徒行伝第14章22節)。 I. 最初に、パウロは、新たな弟子達を力づけ、強くし、そして彼ら II. 次に、パウロは彼らが神の国へ入るには、“多くの苦難を”経 |