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千年王国 R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 THE MILLENNIAL KINGDOM ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように”(マタイによる福音書第6章9-10節)。 |
ほぼ2千年の間クリスチャンは“御国がきますように”そして“みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように”と祈ってきました。 私達は、毎晩私達の家でのファミリー・デボーションの終りに“主の祈り”を唱えます。 ある人はそれはただの儀式的な祈りにすぎないと言うかもしれませんが、私個人にとっては、それは真の祈りであり、その全てのことばを心から祈ります。 私の母親方の祖母は、私が幼い頃、毎日私と一緒に“主の祈り”を唱えました。 そして私は今まで毎晩、床につく前にそれを続けてきました。バーノン・マックギー博士は、このように述べています、
“御国がきますように”とは、マタイが述べていた王国、キリストがこの地上に建てられる王国である。それは私達全てにとってふさわしい懇願である(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983 edition, volume IV, p. 37; note on Matthew 6:10)。
私がその祈りを唱える際、キリストが再臨される時にやってくる千年の王国について私は祈っています。 “millenniumミレニアム”という言葉は、一千を意味します。 ギリシャ語の“chilia(一千)”は、ヨハネの黙示録第20章2節から7節において6回使われています。 紀元1世紀そして2世紀のクリスチャンは、文字通りのこの世におけるキリストの千年の君臨を信じました。 彼らは、前千年王国説主義者でした。 それは、初期のクリスチャンは、キリストが王国を建国するために地上に再臨される事を予期していたと言う事です。 “前千年王国説の‘pre’は、千年期前再臨説”の“前”と言う意味で、千年王国以前にキリストが千年の間、彼の王国を築かれるために再臨されると言う事です。 パピアス(Papias, A.D. 165死亡)は、“キリストの死からの復活の後に、キリスト御自身の統治がこの地上に設立される時、千年王国が建国されるであろう”と述べました。 ポリカープ(Polycarp, A.D. 70-156)は、キリストと共に統治する[クリスチャン]について、事実として、聖者達がこの世を裁くであろうと述べました(参照: Henry C. Thiessen, Ph.D., Introductory Lectures in Systematic Theology, Eerdmans Publishing Company, 1949 edition, p. 470)。
しかし、時が立つにつれ、指導的なクリスチャン達は、その王国は文字通りの王国ではなく、むしろ寓話的なものであるように教え始めました。 アレキサンドリアのクレメント[Clement of Alexandria](西暦155年ー220年)、特にクレメントのオリゲン[Origen of Alexandria](A.D. 185-254) から始まり、彼らは無千年王国説を説き始めました。 千年王国を寓話にし、また霊的なものとした彼らの教えは普及し、そしてローマ法王ダマサス(Damasus)の支配下にあるローマ審議会は、西暦373年に彼らが称する“Chiliasm”前千年王国の見解を正式に非難しました。 そのように、カトリック教会は、地上での王国を建設するためのキリストの再臨は無いということを教え、さらにローマ・カトリック教会自体が徐々にこの世を変え、そしてカトリックの教義による勝利によって王国が実現する事を約束する、“無千年王国説”を主張しました。 “千年王国”の前の“無”は、地上の王国は無いと言う意味です。
ダニエル・ウィトビー(Daniel Whitby, A.D. 1638-1726)はキリストの神格を拒否するユニテリアン派でした。 ウィトビーは寓話的なオリゲンの教えを復活させ、“新たな仮説”と呼びました。 ユニテリアン派異端者であったダニエル・ウィトビーは、“全ての千年王国の約束は霊的なそして寓話的な観念でとらえられるべきであると教え・・・彼はしばしば、近代における後千年王国説の父として知られた”(Thiessen, p. 471) 。 後千年王国説は、千年の祝福期間の後、教会が世界の大多数を信者とさせた後にキリストが再臨されると教えています。 後千年王国説は実に、無千年王国説の近代における表現形です。 無千年王国説のように、イスラエルの復元は無く、“教会”がイスラエルに取って代わり、キリストはこの地上に彼の王国を建てるために実際に再臨されない、そして“教会”がこの世を変え、最盛期をもたらすであろうという意見を保持しています。 マル・カウチ(Mal Couch)はこのように述べています、
第一次世界大戦、そして最終的に第二次世界大戦が、後千年王国説者達の期待を事実上廃止した。人間の残酷さが明らかになり、(彼らが)教えたように物事は改善されなかった(Mal Couch, Ph.D., Tim LaHaye Prophecy Study Bible, AMG Publishers, 2000, p. 1398)。
奇妙な事に、この寓話とされ、霊的な事とされた見解が、“教会”が“社会を獲得し、義を取り戻す”事が出来、王国を設立する、と主張する“リプレイスメント・セオロジー”[神のご計画により、教会がイスラエルに取って代わる]として復帰して来ているように思えます(Couch同書)。 これは実際には、神の計画によって、クリスチャンの“ある教義を絶対とする見解”そして“教会”によるユダヤ人の“代替”というローマ・カトリックの見解への復帰です。 これは聖書が教えている事ではありません。
ゴールデン・ゲイト・バプテスト神学校(南部バプテスト系)が今日よりも更にリベラルであった頃に、私はその学校へ通いました。 無千年王国説と後千年王国説が真実であるかのように教えていたあるひとりの教授を私は覚えています。 そこでは、彼は前千年王国説をけなし、そして嘲笑して、それを“chiliasm(千年至福説)”そして異端と呼びました。 そして、それをスコーフィールド・スタディ・バイブルで教えているが、神学者達は信じていない誤りの教義として軽視しました。 彼はしばしばこの主題に関してスコーフィールド・スタディ・バイブルを非難しているので、私は教室を出て行きそれを始めて手に入れました、それ以来私はそれを使用しています! 私は、毎週日曜日にしているように、今晩もスコーフィールド・スタディ・バイブルを使って説教しています。 なぜなら、私はスコーフィールド・スタディ・バイブルで教えているように、千年期前再臨説を信じているからです。 聖書では千年期後再臨説、ならびに、無千年王国説は、教えていないと私は確信しています。
先週の土曜日の晩、私達はゼカリヤ書第14章4節から5節、そして9節で、偉大な真実を知りました。 最初に、キリストは突如としてオリブ山へ再臨されます、
“その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ。 そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって、東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り”
(ゼカリヤ書第14章4節)。
キリストは、彼が昇天された同じオリブ山に天から再臨されます。 御使い達はこのように語っています、
“「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある”(使徒行伝第1章11-12節)。
“彼の足が・・オリブ山の上に立つ”(ゼカリヤ書第14章4節)。十字架で釘を貫かれた同じ足が、キリストが天に上げられた同じ山に降りてこられます(使徒行伝第1章9-12節)。 次に、キリストは彼の聖者達と共に再臨されます。
“あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる”(ゼカリヤ書第 14章 5節)。
これはすでに空中に引き上げられた全てのクリスチャン達が、キリストに従って天から降りてくるということです。この出来事は大洪水以前にエノクによって初めに預言されました。
“アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた”(ユダの手紙第 1節)。
使徒ヨハネは、ヨハネの黙示録第19章14節でこれに関して、キリストが反キリストの軍勢を滅ぼすために、そして地上で彼の千年王国を建てるために天から再臨される際、“天の軍勢が・・・彼に従った”と書いています。 三番目に、ゼカリヤ書第14章9節は、キリストがその時に彼の地上での王国を建てられると示しています。
“主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる”( ゼカリヤ書第14章9節)。
最終的に、2千年もの間唱えられてきた祈りが聞かれるのです。
“御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように”(マタイによる福音書第6章10節)。
最後に、私達はヨハネの黙示録第20章を見ました。 そしてもう一度今晩そこを開いてください。ヨハネの黙示録第20章の1節から開いてください。ここでは私達は、王国について二つの重要な真実を学びます。
I. 最初に、サタンは千年の間つなぎおかれる。
“またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、そして底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた”
(黙示録第20章1-3節)。
“千年”が第1節から3節までに二回ほど挙げられ示されている事に気がつくでしょう。その“千年”は黙示録の第20章に全部で6回ほど示されています。マックギー博士はこのように述べています、
その千年のことは一つの章だけに示されているのは確かであるが、神は(その章で)そのことを6回ほど挙げておられる。それが真実となるには、何回ほど神が口に出されなければならないのか。神は人々が強調しそして重要であると思うようなその他の事柄を告げておられ、単にそれらの事が聖書のなかで一度無いし二度ほど現れている。6回ほどその千年は挙げられており、それは、サタンに関することである(McGee, ibid., volume 5, p. 1055; note on Revelation 20:1-3)。
千年王国の間、サタンがこの地上からいなくなると、地上の状態は暗から光に変わります。サタンがこの地上にいる限りに於いては、完璧な王国はありえません。サタンがこの地上に於いて危険な存在である限り、神のみこころは“天に行われるとおり、地にも行われますように”(マタイによる福音書第6章10節)にはならないでしょう。
一人の御使が大きな鎖をもって天から降りてきて、キリストの千年王国の間、サタンをつなぎおきます。
“またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた”
(ヨハネの黙示録第20章1-3節)。
キリストの千年王国の間、サタンは“底知れぬ所に投げ込み(まれ)、入口を閉じてその上に封印”(ヨハネの黙示録第20章3節)がされるでしょう。サタンは“底知れぬ所”、文字通りの“深い穴”の中に閉じ込められるでしょう。これは火の海ではありません。 サタンは、千年の終わりに近づく頃、王国が終焉される後に、火の海に投げ込まれます。 キリストが彼御自身の王国を地上に建てられる時、何とすばらしい世の中になることでしょう。サタンはもうここにはいなく、私達の神と彼のキリストの王国で、私達は試みたり迫害にかけたりすることはないでしょう!古い賛美歌に書かれているように、
サタンの支配はすぐに終るであろう、
あぁ、それが今日であれば!
悲しみと嘆きは、もう起こらない、
あぁ、それが今日であれば・・・!
栄光、栄光!喜びが我が心にもたらされる。
栄光、栄光![神が]彼に王冠を頂かせるとき。
栄光、栄光!その道を急ぎ整えよ;
栄光、栄光!イエスはいつか来られる。
(“What If It Were Today?” by Lelia N. Morris, 1862-1929;
牧師により編詞).
サタンは、千年王国の間、底しれぬ所でつなぎおかれるでしょう!何とすばらしい約束でしょうか!
II. 二番目に、キリストの王国は、それから千年の間地上に建てられる。
私がヨハネの黙示録第20章4-6節を読みますので、それについて来てください。
“また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する”(ヨハネの黙示録第20章4-6節)。
ティム・ラヘイ・プロファシー・スタディー・バイブル(Tim LaHaye Prophecy Study Bible)は、第4節と5節は、苦難の時期に於いて、反キリストの刻印を手もしくは額に捺されることを拒否したために、彼によって処刑される人達について言及していると言っています。 彼らは身体ごとよみがえるので、地上に於いて千年の間、キリストと共に彼の王国を統治することができるでしょう (参照 Tim LaHaye Prophecy Study Bible, AMG Publishers, 2000 edition, p. 1399; note on Revelation 20:4-5) 。 第6節は、
“この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
ティム・ラヘイ・プロファシー・スタディー・バイブルはこの節について以下のように説明しています、
“第一の復活”は信者のためで、三つの順に起こる。(1)初穂としてのキリスト(コリント人への第一の手紙第15章20節)、(2)キリストに属する者たち、(コリント人へ第一の手紙第15章23節;テサロニケ人への第一の手紙第4章13-18節)、(3)苦難期の聖者は王国の前に旧約聖書の聖者と共に上げられる(詩篇第50章1-6節)。この復活はキリストの再臨までに、回心した全ての死人を含む(同書, p. 1400; note on Revelation 20:6) 。
第6節は“第一の復活”にあずかる人達を表しています、
“彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する”(ヨハネの黙示録第20章6節)。
キリストと共に彼の王国を統治する者となることは何とすばらしいことでしょう!しかし、私達はそうするためには勝利を得る者でなければなりません。ヨハネの黙示録第3章21節には、このように書かれています、
“勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である”(ヨハネの黙示録第3章21節)。
キリストと共に彼の地上での千年王国を統治するに相応しい者となるためには、あなたは勝利を得る者にならなければなりません。 そして、勝利を得る者となるためには、あなたは最初にこころを入れかえ回心しなければなりません。イエスは、千年王国に入り統治するために最初にしなければならないことは、真の回心であることを大変明確にされました。 イエスはこのように語っています、
“・・・心をいれかえて・・・、天国にはいることはできないであろう”
(マタイによる福音書第18章3節)。
あなたは真の回心を体験しなければなりません、さもなければ、あなたは“天国”に入ることはないでしょう、そしてもしあなたが“天国”に入れないのであれば、あなたは間違いなくこの地上のキリストの千年王国に入ることはないでしょう!それゆえ、あなたは人生においてまず最初にキリストに於ける真の回心を追い求めるべきなのです!
真の回心は普通最初に罪の悟りがあり、自らを罪から解放することが出来ないことを知るまで、それに対する葛藤が起こります。 そして最後に、自分は完全に堕落した者であり、自分自身で救うことを諦め、キリストの御血でもって自分の罪から自分自身を清めてもらうために彼に来る時に、回心が起こります。 あなたがキリストに来る時、あなたの罪は十字架の上の彼の死によって贖われます。 あなたは、復活され天に上げられたキリストに来て、彼に置く信仰だけによって平安を得る時、あなたは真の回心を体験し、この地上でキリスト共に彼の千年王国を統治するに相応しい勝利を得る者となり始めるのです。 そのために最初にしなければならないことは、キリスト・イエスに真の回心を追い求めることです。 神が、イエス・キリストに於ける回心の体験を、すぐにあなたに与えてくださいますように。 アーメン。
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:
ヨハネの黙示録第20章1-7節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“What If It Were Today?” (by Lelia N. Morris, 1862-1929).
要 綱 千年王国 R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 “だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように”(マタイによる福音書第6章9-10節)。 (ゼカリヤ書第14章4節;使徒行伝第1章11-12節; I. 最初に、サタンは千年の間つなぎおかれる。 II. 二番目に、キリストの王国は、それから千年の間地上に建てられる。 |