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恐れ―欠けている要素 その二 R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 FEAR – THE MISSING ELEMENT #2 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles “彼らの目の前には、神に対する恐れがない” |
使徒パウロがローマ人への手紙第3章9-20節を書いた目的は、すべての人は“罪の下に”(ローマ人への手紙第3章9節)あることを表すためです。 彼が“罪の下に”という言い方でもって意味することを理解する事は大事なことです。 マギー博士(Dr. McGee)はこの意味をこう指摘しました、“ひとは転嫁[アダムの罪の転嫁]によって罪人である・・・ひとは生まれながらにして罪人である。 罪を犯すことはひとを罪人にしない。 我々は罪を犯す、なぜなら我々は罪人であるからだ”(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume IV, p. 662, note on Romans 3:9)。
そうして、使徒パウロは、すべての人は生まれながらにして罪人であり、彼らは“罪の下に”あることを証明するために旧約聖書からいくつかの聖句を引用しています。 彼は詩篇の第5章9節、第10章7節、第14章1-3節、第36章1節等を引用しています。 詩篇の第36章1節が、このローマ人への手紙第3章18節で引用されています、
“彼らの目の前には、神に対する恐れがない”
(ローマ人への手紙第3章18節)
この節に関して、マギー博士はこのように言っています、
パウロはひとの罪のすべてをこの最終の声明の中で要約しているようにみられる。ひとは神に対する恐れがない。 ひとはあたかも神が存在しないかのように生きている・・・これは何という人類の描写なのだ!(同書p. 664, ローマ人への手紙第3章18節のメモ)。
ローマ人への手紙第3章18節で、“恐れ”と訳されているギリシャ語は“phobos(フォボス)”です。 ストロングによる用語索引(Strong’s Exhaustive Concordance)は “phobos(フォボス)”を“突然の恐怖、恐れ―すなわち、恐れる事、非常に、恐れ、怖い”状態と書いています(Strong #5401)。 ウェブスターの辞典(Webster’s New Twentieth Century Dictionary)では、ギリシャ語の“phobos”という単語は、“phobia”という英語の単語になり、その意味は“ある特別なものに対する恐れ”とあります(同書p. 1348, “phobia”を参照)。 そして、それは正に“罪の下に”ある人に欠けている ことなのです。 人は神を恐れない! 回心していない状態では、
“彼らの目の前には、神に対する恐れがない”
(ローマ人への手紙第3章18節)
しかし、御霊が罪人のこころにやって来る時、その御霊は大変注目すべき事をします。 前には“神に対する恐れ”がなかった人は自分の罪を悟るようになり、神に対する恐れを経験し始めるのです。 ヨハネの福音書第16章8節を開いてください。 この節は、御霊の罪人のこころへの働きについて私達に語っています。
“それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。”(ヨハネの福音書第16章8節)。
“目を開く”と訳されたギリシャ語の意味は、“宣告する、叱責する”です(W. E. Vine)。 1599年版ジュネーブ聖書のヨハネによる福音書第16章8節のメモには、“聖霊は、この世のものには弁解する余地がないことを宣告するであろう”とあります。 彼らは自分達の罪を悟らされます。 彼らは自分達自身が不義であることを悟らされます。 彼らは、彼らに臨む審判を自覚させられます。 そこに“phobos(恐れ)”が入ってきます。 彼らは神を“恐れ”始めるのです! ヨハネによる福音書第16章8節は、言葉どおり、世の人は神を“恐れ”させられることを意味する、ことは私には明白です。 神への何らかの恐れを経験することなくして、人はどのようにして、自分は罪深く、不義で、来るべき審判のさばきの対象であることを悟らされることができるのでしょうか!
そのことがペンテコストで起こらなかったのでしょうか? 使徒行伝第2章37節を開いてください。
“人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った”(使徒行伝第2章37節)。
この“強く心を刺され”は、御霊の働きによるものでした、また、罪を悟らすこと、不義ならびに審判もそうです。 “強く心を刺され”の意味は、数節後の使徒行伝第2章43節の最初の半分の中で明白にされています。 その最初の半分の節を声を上げて読んでください。
“みんなの者におそれの念が生じ”(使徒行伝第2章43節)。
彼らの“心が刺され”た時、彼らは神を恐れ始めたのです! キング・ジェームズ・バイブル(King James Bible)と1599年版ジュネーブ聖書(1599 Geneva Bible)の中で“恐れ”と訳された言葉は、ローマ人への手紙第3章18節で“恐れ”と訳されたギリシャ語と正に同じです。
“彼らの目の前には、神に対する恐れがない”
(ローマ人への手紙第3章18節)
すでに言いましたように、そのギリシャ語とは“phobos(恐れ)”です。 それはローマ人への手紙第3章18節と使徒行伝第2章43節の両方の節に出てくるギリシャ語と正に同一の単語です。 そうであるにしても、New International Version(ニュー・インターナショナル改訳)とNew American Standard Version(ニュー・アメリカン・スタンダード改訳)は、使徒行伝第2章43節で、その言葉を“awe(畏れ)”と間違って翻訳しています。 しかし、英語の“awe(畏れ)”はもはや“fear(恐れ)”の意味合いを持っていません。 これらの近代の翻訳が、使徒行伝第2章43節で“phobos(恐れ)”を“awe(畏れ)”と訳している事はひどく恥じ入るべきことです、なぜなら、正に“恐れ”が、まだ回心していない人々が経験する必要のあることだからです。 回心の前には、
“彼らの目の前には、神に対する恐れがない”
(ローマ人への手紙第3章18節)
しかし、回心する時、
“みんなの者におそれの念が生じ”(使徒行伝第2章43節)。
スポルジョン(Spurgeon)の言葉を聞きなさい、
まだ救われていないあなた方の中で、神を恐れている人はいるのだろうか? 罪人よ、聖霊があなた方を神の御前で恐れ慄かせるように!あなた方は恐れるに十分に値するのだ・・・多くのまだ回心していない人間が奴隷が恐れるように神を恐れないのは不憫である。もし彼らが、唯一恐れ始まるならば、それは天国への梯子の最も低い横桟であることを証明し、そして神の子達の一部である神聖な恐れに通じるかもしれない (C. H. Spurgeon, “A Fear to be Desired,” The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1977, volume XLVIII, p. 501)。
まだ回心していないあなたに尋ねます、どちらの節があなたのことを語っていますか?
“彼らの目の前には、神に対する恐れがない”
(ローマ人への手紙第3章18節)
あるいは、
“みんなの者におそれの念が生じ”(使徒行伝第2章43節)。
何度も繰り返し言いましたように、回心とは、あなたが何か学べるようなそんなものではありません。 それはあなたが感じなければならない経験なのです。 人が自分の罪と罰を考えさせられ、罪を忌み嫌う神のさばきを恐れる時のみに、その人は神を恐れます。 そして、彼が、神を、また地獄を恐れる時のみに、御霊によってその人は、キリストのみによる、彼の御血のみによる救いのために彼に来る準備がされるのです。 そうして、回心は、次の言葉を語られたキリスト・イエスの内に平安をもって終ります、
“すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう”(マタイによる福音書第11章28節)。
あなたは罪の自覚の下、そして、それが生み出す恐れの下で、重荷を背負って苦労しています。 しかし、あなたがイエスに来る時、すべての恐れは去り、あなたは神の御子によって自分の罪から清められるのです!
(説教終了)
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