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私達はアメリカのキリスト教の終りを立証している R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 ARE WE WITNESSING THE DEATH OF AMERICAN CHRISTIANITY? by Dr. R. L. Hymers, Jr. ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて “主をおのが神とする国はさいわいである”(詩篇第33章12節)。 |
このテキストは、元来、この世において取り消される事の出来ない神との永遠なる契約を持つイスラエル国民に適用されます。 しかし、応用の仕方によっては、このテキストは神の統治の下に自らを置く異邦人達にも適用されます。 ギル博士(Dr. Gill)は、それを“彼ら[ユダヤ人]だけに限ってはならない、なぜなら、神は異邦人の神でもあるからであり、この民とは、選民であり、聖なる民であり、特別の民、ユダヤ人と異邦人である、そして主は、これらの人々の神だからである”と言っています(John Gill, D.D., An Exposition of the Old Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume III, p. 664)。
ですから、アメリカ人達は、かつてこの聖句は私達の国について述べていた事を誇りにすることが出来ました。
“主をおのが神とする国はさいわいである” (詩篇第33章12節)。
しかし、現在、私達についてそのような事が言えるでしょうか?
アレックス・デ・トクビル(Alexis de Tocqueville、1805-1859)は、アメリカ民主主義の分析で有名になったフランスの歴史家であり、政治理論家でもありました。 1830年代初期にアメリカ国内を旅行した際、彼はアメリカの社会を観察記録し、それを彼の書物、Democracy in America (1835-1840).(アメリカに於ける民主主義、1835-1840)に収めました。 その有名な本の中で、アレックス・デ・トクビルはこのように書いています、
私は、アメリカの偉大さと国家としての才を、アメリカのゆったりとした十分な水量をもつ川の中に求めたが、それはそこには無かった、アメリカの肥沃な地と限りない大草原にそれを求めたが、それはそこには無かった、そしてアメリカの豊かな鉱脈と巨大な世界通商にそれを求めたが、それはそこには無かった。アメリカの教会へ行き、正義で満ちた熱烈な説教を聞くまでは、私はアメリカの才と力の秘訣を知ることは無かった。アメリカは偉大である、なぜならその正当さによる、そしてもしアメリカが正当であることを途絶えるならば、アメリカは、偉大ではなくなるであろう。
“教会へ行き、正義で満ちた熱烈な説教を聞くまでは、私は[アメリカの]才と力の秘訣を知ることは無かった”と言うアレックス・デ・トクビルの言葉は、私の心中に恐怖感をもたらせます。 彼は今日そのように言う事が出来るでしょうか? レナルド・レイベンヒル(Leonard Ravenhill)はそうは考えませんでした。 彼はこのように述べています、
ほんの数日前に、あるりっぱな説教者が私に、「この国にはもはや偉大な説教者はいない」と言った。私は彼の言った意味がわかるような気がする。すなわち、聖霊でもって聖別された、厳しい口調でもって“主がそのように言われる”と説教するような、際立った人がいないということである。優れた才能のある説教者、有能な説教者、雄弁な説教者、有名な説教者、組織的な説教者達はいるけれども、ではどこに預言的な厳しい口調で国民を刺激するような説教者がいるのか?偉大な説教の欠乏・・・良心を咎めるような説教の欠乏、心を刺すような説教の欠乏、魂を裂くような説教の欠乏、人が地獄へ行く事のないように一晩中覚醒させる事を知っていた我々の祖先がしたような説教の欠乏がある。繰り返すが、「主の言葉の欠乏がある」(Leonard Ravenhill, America is Too Young to Die, Bethany Fellowship, 1979, p. 79) 。
アメリカの歴史の中で、この危機的なときに、我々には預言者がいない! 福音エンターテイメントが非常に幅を利かせているのである(同書、p. 81)。
トーザー博士(Dr. A. W. Tozer)はこのように語っています、
福音伝道の運動が罪を犯し過ぎたかどうか、霊的な健全さに戻るには神から離れ過ぎているかどうかは未解決な問題である。私自身、悔い改めるには遅すぎないと思う・・・。そのもし、が大きな問題である。 そうするであろうか? もしくは、彼らは宗教的な戯れに満足しているがために、新約聖書での彼らの哀れな信仰からの逸脱を認めることができないのであろうか?もし後者が真実であるならば、さばきの他には何も残っていない (A. W. Tozer, D.D., Of God and Men, Christian Publications, 1960, pp. 18-19) 。
誰が大胆に話すでしょうか? どこで、そしていつ私達の説教が再び“正義で満ちた熱烈”なものとなるでしょうか? トーザー博士はこのように述べています、
この時に、何と、今日の教会は人の勇気を必要としている事か・・・おびえが、何か古代ののろいのように教会を覆っている。我々の生活における恐れ、我々の仕事上の恐れ、評判を失う恐れ、お互いへの恐れ、これらは、今日、教会の指導者の立場にいる人達につきまとう死人の亡霊である (A. W. Tozer, D.D., The Best of A. W. Tozer, Baker Book House, 1978, p. 83) 。
更に彼は、こう述べています,
今日我々は下降に導くこの恐ろしい階段に自らを見出す。(1)罪の自覚が無い(2)人を変えさせる回心が無い(3)神に直面する事が無い(4)崇拝の目的が無い。 では我々はここからどこへ行こうとするのか?(A. W. Tozer, D.D., The Price of Neglect, Christian Publications, 1991, p. 31) 。
そして、バーノン・マックギー博士(Dr. J. Vernon McGee)はこのように語っています、
教会は私が罪人である事を伝えられなかった。 教会は失われた者として、私を扱う事が出来なかった。 教会はイエス・キリストのみによる救いを私に提供しなかった。 教会は、罪による恐ろしい結末、地獄の確かさ、そしてイエス・キリストのみが救ってくださると言う事実を、私に伝える事が出来なかった (J. Vernon McGee, Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume V, p. 924) 。
私はレナルド・レイベンヒルとトーザー、そしてマックギー博士の言った事に全く同意します。 アメリカの教会は1835年にアレックス・デ・トクビルが観察した時からはるかに堕落しています! これらがアメリカのキリスト教が堕落して行った12の理由です。
1. ドイツの“高等批評”が19世紀の後半にアメリカのプロテスタント派の聖書の心髄を虫食い始め、その結果、多くの牧師達は聖書の真実さと誤りの無さに、それらの確かさを失った。 スポルジョン(Spurgeon)は、“格下げの議論“に於いて、その出だしでこれらに対立した(see Harold Lindsell, Ph.D., The Battle for the Bible, Zondervan Publishing House, 1976; Harold Lindsell, Ph.D., The Bible in the Balance, Zondervan Publishing House, 1979; W. A. Criswell, Ph.D., Why I Preach that the Bible is Literally True, Broadman Press, 1973) 。
2. 同じ時代に、“決断主義”が“従来の伝道主義”に取って代わり始めた。 約1835年から進んで、“キリストへの決断”が従来の聖書に沿った回心の見解を、変えてしまった(see Iain H. Murray, The Old Evangelicalism: Old Truths for a New Awakening, The Banner of Truth Trust, 2005; Iain H. Murray, Revival and Revivalism: The Making and Marring of American Evangelicalism, The Banner of Truth Trust, 1994; and C. L. Cagan and R. L. Hymers, Jr., Today’s Apostasy: How Decisionism is Destroying Our Churches, Hearthstone Publishing, Ltd., 2001 edition, available online. Click here to read the whole book in English) 。
3. この同じ時代に、男女同権主義が、徐々に支配を占め、我々の最も保守的な教会をも、次第に女性の支配下へともたらした―そしてその結果として、男性と若い人達は教会を離れた。 男性の牧師による教会であっても、教会の雰囲気を影響する女性に支配された。 このことは、ほとんどの保守的な教会の間で、また他の教会においても真実である(see David Murrow, Why Men Hate Going to Church, Thomas Nelson Publishers, 2004; Leon J. Podles, Ph.D., The Church Impotent: The Feminization of Christianity, Spence Publishing Company, 1999) 。
これらの三つの傾向は、西洋の教会と特にアメリカで、回心していない人々で教会を満たし、同時に88パーセントの教会で育った若者達が25歳に達する前に教会を去り、二度と戻って来ず、女性の数が三人に一人の割合で男性にまさり、そして十年間ごとに全ての主要な教会で礼拝主席数が減っているという結果をもたらしました。 たとえば、南部バプテスト・コンベンションではこのような報告をしています、
南部バプテスト教会で洗礼を受けた人達の数が、1987年以来の南部バプテスト・コンベンション最低のレベルで、2007年に3年連続して減っている・・・ライフウェイ・クリスチャン・リソース(Lifeway Christian Resources)の社長トム・レイナー(Thom S. Rainer)は、南部バプテストの会員達は、かつてほど、多くの人々をキリストへと導いていないと言う事実から逃避する事は出来ない、と述べている (“SBC, California Baptism Statistics Show Decline: National Baptisms Drop to Lowest Level Since 1987,” by Rob Phillips, Baptist Press, reported in The California Southern Baptist, June 2008, p. 3) 。
ですから、かつて栄えていた南部バプテストでさえも、20世紀の初頭以来、全ての主要なプロテスタントやバプテストの宗派と同様、会員の数の衰えを体験しているのです。
私はアメリカのプロテスタントやバプテストにおいてのこの悪化は先に私が取り上げた(1)聖書に誤りが無いという事実への放棄、(2)聖書に基づく回心を浅はかで、まるで無意味な“キリストへの決断”へと代えた決断主義、そして(3)主要な宗派から男性、そして若者達を避けさせる主な原因となる教会の女性化、の三つの傾向による直接の結果であると思います。 しかし、この増している問題に直接的もしくは間接的に関係している他の傾向があります。 穏やかに話される“聖書研究”が、昔ながらの説教を完全に置き換えており、その結果、教会がむしろ、大胆な福音伝道的な説教、そして全会員による伝道の拠点ではなく、性質的に教会を女性化させているのです。 今日の多くのファンダメンタルなバプテストの教会に於ける”説教”でさえも、リベラルのメソジスト、長老教会、またエピスコパル教会で聞くようなものとほぼ変わりはありません。 それは事実です! 確かめて御覧なさい! 私達はその事を悟ることができないほど、ひどく陥っているのです!
4. 穏やかに話される“聖書研究”が、昔ながらの説教を完全に置き換えており、その結果、教会がむしろ、大胆な福音伝道的な説教、そして全会員による伝道の拠点ではなく、性質的に教会を女性化させているのです。 今日の多くのファンダメンタルなバプテストの教会に於ける”説教”でさえも、リベラルのメソジスト、長老教会、またエピスコパル教会で聞くようなものとほぼ変わりはありません。 それは事実です! 確かめて御覧なさい! 私達はその事を悟ることができないほど、ひどく陥っているのです!
5. 祈祷会は多くが特定の興味のあるグループによって水曜日に置き換えられている。 昔ながらの祈祷会は急速に忘れられている。
6. 現代的な音楽がむしろ福音伝道の説教よりも優勢なアトラクションとなっている。 音楽が福音伝道の説教に置き換えられるにつれ、説教自体がバックグランドへと押しやられている。 人々は、かつては福音伝道の説教が中心となっていた集会に代わって、“崇拝の体験”らしきものに出席するように誘われている。 “何千ものアメリカの教会では、福音伝道の説教はまったく見捨てられている。” このような接近の仕方は幾つかの“巨大な教会”では通用するように思われるが、一般の集会では、通用しない。
7. 教会外の若者達への伝道の強調は、少なくとも何人かの教会で育った若者達を維持する為の無駄な試みによるエンターテイメントなどによって置き換えられている。 しかし、調査によると、この接近の仕方は失敗である事を示している。 にもかかわらず、教会外の若者達は従来の、力強い福音伝道の説教を通して引き寄せられなければならないと言う事に誰も気が付いていないように思える。 ある人が、“教会外の人達をキリストへ導かなければ、我々の教会は無くなってしまうであろう”と言った。 多くのエンターテイメントは役に立つと考えられるけれども、結局は同じ事であり、調査によると、それは役に立っていない事が表されている。 若者達と男性達は挑戦を求めており、エンターテイメントではない。 この状況が徹底して裏返されなければ、神のいない社会に対して、精力旺盛で個人的な、そして説教壇からの伝道を通しての接戦なる闘争でもって立ち向かうような挑戦を望んでいる若者達や男性達のより多くの教会離れを予期しなければならない。
8. 彼らに面と向かい挑戦し、すたれつつある精神文明に伝道する事よりも、むしろ年老いた人達を維持し若者達の集まりの減少に満足する事が、昔ながらの説教者による徹底した伝道に置き換えられてしまった。
9. 真の回心が、回心をさせるであろう熱のこもった伝道的説教を聞かせるために、教会外の人達を連れてくる熱心な伝道者を育てない無意味な“決断”に置き換えられてしまった。
10. かつて伝道的説教の拠点であった日曜日の晩の集会が、目を見張る数の教会でキャンセルされた、その結果、男性達ならびに若者達が、日曜日の夜に何も意味のあることをすることを見出せない状況を呈した。 教会は、日曜日の晩の伝道的集会を持たない限り再び多きくはならないであろう。今日多くの教会が行っているように、昼食の後の“聖書研究”でもって日曜日の晩の集会にとって代えることは、福音の説教を聞かせるために日曜日の晩に失われた人々を教会に連れてくる機会を奪うだけである。 日曜日の晩の集会を持たないことは、教会に人を導く助けにはならない。 それは教会の出席者が減っている理由の一因である。
11. 十字架への挑戦が、タフな十字軍的精神でもって教会の若者達や男性達を私達の死に掛けている文化に立ち向かわせる機会を少なくする、軟弱な聖書研究と効果のないプログラムに代わってしまった。 もし彼らにその機会を与えれば、彼らはそれによく答えるが、今日与えられている軟弱なプログラムには対処しない。
12. 牧師自身、“伝道者のわざ”(テモテへの第二の手紙第4章5節)をなすよりは、しばしば会社の社長のように振舞う。 牧師は失われた人を伝道する“わざ”の代わりに、すでに教会に出席する数人の年長の女性や小さな子供達に注意を払う。
私達が好意をよせる唯一のことは、ほとんどの保守的教会が神の契約の民であるイスラエルをサポートすることです。 神はこれを以下のように明白にされました、
“あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう”(創世記第12章3節)。
もしほとんどの福音主義的クリスチャンがユダヤ人の国家であるイスラエルのために祈り、サポートしないならば、私達の教会と国はより厳しい危機に陥るでしょう。 そして、今日の私達の教会は弱いですが、私達は一般的に言ってユダヤ人と共に堅く立ち、特にイスラエルの国と共に連帯しているので、神は私達の国に恵みを与えてくれたのです。
もしイスラエルをサポートしない新しい大統領がワシントンに登場したならば、偉大な国家としての私達の時代は終わりを告げるでしょう、なぜなら神はこのように語っています、
“あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう”(創世記第12章3節)。
私達の保守的な教会は一般にイスラエルをサポートします。 悲しいことに、これは私達を古代のテキストに結束する残された紐のようです、
“主をおのが神とする国はさいわいである” (詩篇第33章12節)。
結 論
今日、そのテキストを私達以上に主張できる他の国家があるのでしょうか? そうであると私は懸念します。
1. 小さな国である韓国は、数週間前に外国に送り出した宣教師の数で、アメリカとカナダを足した数(割合ではなく実際の数)を越えました。 今日彼らは世界を通して私達が送り出している宣教師の数以上の宣教師が伝道に励んでいます!
2. インドネシアは今日力強いリバイバルを経験しています。 それは、アメリカが1859年以来経験していないものです!
3. 中国自身、近代に於いて他の如何なる国家が経験した事のないようなリバイバルの真っ只中にいます。 フランク・グラハム(Franklin Graham)は、“少なく”見積もって1億3千万人のクリスチャンが中国にいる報告をしました(Decision Magazine, July/August 2008, p. 13) 。 しかし、中国でのキリスト教の爆発を研究している多くの人は、もっと多くの数を指摘しています。 毎時間昼と夜を問わず、千人の中国人がキリスト教に回心し、その数は一日2万4千人に上ります! これは1859年以来アメリカでは聞いた事のないリバイバルです。 中国は近代に於いて他の如何なる国家が経験した事のないような偉大なリバイバルの真っ只中にいます(see David Aikman, Jesus in Beijing: How Christianity is Transforming China and Changing the Global Balance of Power, Regency Publishing, 2003; available from The Voice of the Martyrs, P.O. Box 443, Bartlesville, OK 74005, (918)337-8015; website at www.persecution.com.) 。
4. アフリカの教会は、道徳性と伝道主義に関して西洋をリードしています。 カナダの著名な神学者であるパッカー博士(Dr. J. I. Packer)を含む多くの米国並びにカナダ聖公会(エピスコパル)員は、教会の道徳性の乱れで自分達の聖公会を離れ、アフリカの主教に席を置いています。
5. 中南米の教会は、アメリカの教会ではできない、中絶や他の社会的逸脱を非合法化にする国家の法典を守っています。
“主をおのが神とする国はさいわいである”
(詩篇第33章12節)。
私からしてみれば、“第三世界”と呼ばれる国々は、歴史上この時点でアメリカ以上にそのテキストを自らに語られたものと主張できると思います。
アメリカが“死の文化”に通じる坂を滑り落ちる時、神はそのテキストが語りかける新しい国々を興します。
“主をおのが神とする国はさいわいである” (詩篇第33章12節)。
私達が知るように、アメリカを救うには一つや二つのリバイバル以上のものが必要です。 それは、新しい宗教改革かもしれません! 私達はプロテスタントの宗教改革者の精神“solas”に戻らなければならないでしょう、そしてそれらを積極的に私達の説教や教会そして伝道に応用しなければなりません。 私はそのことがアメリカに起こっているとは思いません。 そのことが起こるであろうとも私は思いません。 今日、多くの人達は伝道主義は私達の国では死んでいると言います、そして西洋文明の終焉は近いとも言っています。 私達は、“ひとたび伝えられた信仰”(ユダの手紙第3節)を拒絶するその高価な報いを払わなければならないでしょう。 私達は、真摯な、キリスト中心の、回心を中心にした、私達の信仰上の父の信仰から離れる時、きびしくさばかれるでしょう。
第二次大戦の初期の暗黒の時代に英国の首相に就任した時、チャーチルは頬から涙を流しながら、“遅すぎなかったことを願う。 私はそれを非常に心配する。 我々は最善を尽くすだけである”とボディーガードに語りました(John Lukacs, Ph.D., The Duel: 10 May – 31 July 1940, The Eighty-Day Struggle Between Churchill and Hitler, Ticknor and Fields, 1991, p. 7) 。
そして、結局のところ、それが正に神が、今日の不確実な時代に於いて私達各自がそうする事を予期していることなのでしょう。 “私達は最善を尽くすだけです。” それは、この2008年の7月4日に、私が思いめぐらしたことで、あなた方に対する私のチャレンジです。 私達の愛する国に何が起ころうとも、“私達は最善を尽くすだけです。” ロスアンゼルスを伝道し続けようではありませんか。 エレミヤがしたように、私達の教会を、そしてこの時期に私達の国を破壊しようとする事ごとに対して、叫び続けようではないですか。 神ご自身が私達がそうすることを助けてくださるように。 アーメン。
(説教終了)
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ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“In Times Like These” (by Ruth Caye Jones, 1944).