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最初の福音の叙述 THE PROTEVANGELIUM ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて A sermon preached on Lord’s Day Evening, October 21, 2007 “主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。 おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。 彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」”(創世記第3章14-15節)。 |
神はアダムとエバが罪を犯した後、エデンの園に下りてこられました。 彼は次の質問をもって、彼らと対峙されました、
“食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか”
(創世記第3章11節)。
アダムは、食べてはならない木の実を彼に与えた事で彼の妻を責めました。 しかし、エバはより率直にこう言いました、
“へびがわたしをだましたのです。 それでわたしはたべました”
(創世記第3章13節)。
依然として、彼らのどちらも自分達の罪に対しゆるしを請い求めませんでした。 ヘンリー・モリス博士(Dr. Henry M. Morris)はこのように述べています、
彼らは、見つかった事を残念に思ったが・・・真の悔い改めの気配はなく、自分達を正当化しようとしただけであった。したがって、主には罰を授ける以外には何の策もなかった(Henry M. Morris, Ph.D., The Genesis Record, Baker Book House, 1986 edition, p. 117)。
それゆえに、神は、へびへののろい、出産におけるのろい、アダムとその子孫へののろい、そして被造物それ自体へののろいを含む、のろいの数々を下されました。 今晩の私達のテキストは、これらののろいの内最初ののろい、すなわち、へびへののろいを取り上げます。 第14節で、私達はへびへののろいを見ます。 第15節では、神と悪魔との衝突、そしてキリストによる悪魔の克服を見ていきます。
I. 最初に、そののろいはへびに降りかかった。
第14節を見てください。
“主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。 おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう”
(創世記第3章14節)。
注目してください。
アダムが罪を犯した時、彼は霊的には死にました、そして実際の死が彼の身体に生じました。 モリス博士はこのように述べています、
アダムがこの地上を統治するように命じられて以来、そしてアダムに死が生じ始めて以来、彼の統治もまた“死”を生じ始めるであろう。その時以来、“今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている”(ローマ人への手紙第8章22節)。この状態は、使徒パウロによって“滅びのなわめ”・・・“被造物が虚無に服したのは・・・”と語られている(ローマ人への手紙第8章20,21節)(同著、page 117)。
“悪魔にとって、それは最終であり、取り返しのつかないことであった。 彼は天の神に反抗しただけではなく、彼は自分の反攻をもって人間にも影響を及ぼした”(同著)とあるように、その呪いは初めに悪魔へ、次にエバへ、そしてアダムへと降りかかりました、
へびは“すべての家畜、野のすべての獣のうち、最も”(創世記第3章14節)のろわれました。 この生き物は、サタンが人を試み、そして彼の堕落をもたらす為の手段であった事を、人に思い出させるために、神はへびをのろわれました。 モリス博士は、“以前には、その美しさ、そしてその状態がどうであったとしても、それ以降は、その腹面で這い動き、すべての人々によって、恐れそして嫌悪の対象とされたのである”(同著、pp. 117-118)と言っています。 クリスウェル博士(Dr. W. A. Criswell)は、“神はへびを非難した、なぜなら、この生き物それ自体が、最初の二人の人間の堕落を設定した悪魔に利用させた。 神はそのへびをすぐさま裁くようには引き渡されず、最も低度な卑下された生き物として長期間苦しむようにされた” (W. A. Criswell, Ph.D., The Criswell Study Bible, Thomas Nelson, 1979, note on Genesis 3:14) 。 ライリー博士(Dr. Ryrie)は、“すべての動物界は、人の堕落に影響された(エレミヤ書第12章4節、ローマ人への手紙第8章20節参照)、しかし、へびの正にその形と動きは変えられ、彼は卑しくされた”(Charles C. Ryrie, Ph.D., The Ryrie Study Bible, Moody Press, 1978, note on Genesis 3:1)。
II. 次に、そののろいは悪魔に降りかかった。
立って創世記第3章15章を、声を上げて読んでください。
“わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。 彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう”(創世記第3章15節)。
着席し下さい。 この節は-最初の福音の叙述-“プロトエバンジェリウム(protevangelium)”と呼ばれています。 デハーン博士(Dr. M. R. DeHaan s)はこのように述べています、
我々は、これは間違うことのできない預言であり、そして救い主キリストの描写であることをあなた方に思い起す (M. R. DeHaan, M.D., Portraits of Christ in Genesis, Zondervan Publishing House, 1966, p. 62) 。
これらはこの重要な節からの幾つかの要点です。
1. 最初に、それは神の敵である悪魔に語られた。 それは悪魔について、彼が最後にはその女の“すえ”によって打ち負かされるであろうという事に注目させる為である。
2. 次に、それは悪魔の“すえ”と女の“すえ”とが、後の時代に絶え間なく対立するであろうという事を示している。 すなわち、“わたしは恨みをおく・・・おまえのすえと女のすえとの間に”。 マックギー博士(Dr. McGee)の意見では、
最も重要な考慮は、後の[女の“すえ”に]生じる最終的な勝利ではなく、長く継続される奮闘である・・・。この節は、ヨハネが・・・この対立に関して、ヨハネの第一の手紙第3章10節で“神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない”と述べているように、善と悪との間には長い間の奮闘があるであろうという事実を表している。したがって、そこに対立があり、また奮闘があり、世の中には二組のすえがあるという事実を、我々の目の前に至らせた (J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson, 1981, volume I, p. 26) 。
クリスチャンになる事を考えている全ての人は、この対立において自分の立つべき側を決めなければならない、という事を理解しなければならない。 その人は、悪魔の“すえ”の側につくか、女の“すえ”、すなわちキリストの側のどちらかにつかなければならない。 その中間はあり得ない。 この継続する戦いの中で、あなたは、キリストの側か、もしくは、悪魔の側である。 中立にいる人はいない。 悪魔に従う者とキリストに従う者との間の、この継続している奮闘の中で、今晩あなたはどちらの側にいるかを、正直に、自分自身に尋ねてみなさい。 どちらの側にあなたはいるのか?
3. 三番目に、キリストは“女のすえ”であることに注目する事。 “おまえのすえ[悪魔のすえ]と女のすえとの間に” これは聖書の中で、女は“すえ”をもつであろうことについて書いてある唯一の箇所である。 これは“女のすえ”と呼ばれた、キリストの処女降誕についての最初の預言である。 イザヤは後にこのことをこう預言した、“見よ、おとめ[旧約聖書にはヘブライ語で‘almah’がこの意味にいつも使われ、マタイによる福音書第1章23節ならびにルカによる福音書第1章27節では、霊感によりギリシャ語で‘virgin’がそれを意味する]・・・おとめがみごもって男の子を産む。 その名はインマヌエルととなえられる”(イザヤ書第7章14節)―“神われらと共にいます”―キリスト、神の人、人の体となってこられた方の叙述である。 “神は御子を女から生れさせ”(ガラテヤ人への手紙第4章4節)。 キリストは“女のすえ”である。 全ての著名な注解者達は、この点に同意する。
4. 四番目に、女の“すえ”が結果的にキリストとなったように、へびの“すえ”は反キリストとしてその絶頂に達する。 創世記第3章15節で予言されている争いの結果は、キリストと反キリストとの間で生じる。 反キリストは、キリストの再臨の際に、火の池に投げ込まれるであろう(ヨハネの黙示録第19章20節)。 反キリスト に宿る悪魔(へびに宿ったように)は、神の統治(ヨハネの黙示録第20章2-3節)の初めに火の池に投げ込まれるであろう。
5. 最後に、創世記第3章15節の戦いの初めと、ヨハネの黙示録第20章にあるその戦いの最後との間では、その対立は悪魔に優勢であるように思える。 その節には二つの“傷”がある事に注目する事。 1599年版のジュネーブ聖書は、“彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう”とへびについて神の御言葉を訳している (The Geneva Bible, 1599, Tolle Lege, 2006 reprint, Genesis 3:15) 。 へびのすえは女のすえのかかとを傷つけるであろう。 しかし最後には、女の“すえ”であるキリストは、悪魔のかしらを“砕く”であろう。 デハーン博士はこのように述べている、
これらの傷[砕き]の一つは過去の出来事である―救い主が最初に来られた時、それは敵の勝利のように思えた。なぜなら救い主は十字架につけられたからである。 ここでは、‘われわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ’(イザヤ書第53章5節)とあるように、我々の救い主の苦悩そして死を象徴するよう、彼のかかとは砕かれた。この創世記第3章15節の予言・・・この部分は過去の出来事である。それはほぼ二千年前に起こった事でり、砕かれたのは[キリストの]かかとのみであった。もう一つの、へびのかしらの‘傷’[もしくはジュネーブ聖書による‘砕き’]は、まだ後のことである・・・救い主のかかとは、彼が最初に来られた時に砕かれたが、悪魔のかしらは[キリストの]再臨の時に‘砕か’れる。これは、創世記第3章15節における予言の唯一可能な解釈である・・・。[キリストの]かかとの傷は、[最終的には]致命的なものではなかったが、[悪魔の]かしらの傷[砕き]は致命的なものである・・・それは[キリストが]人となられ、力を持って再臨される時に起こり、そして‘悪魔であり、サタンである、かの年を経たへびである龍が、千年の間つながれかれ、そして、底知れぬ所に投げ込まれる’時に、それは起こる(DeHaan, ibid., pp. 64-65) 。
ライス博士(Dr. John R. Rice)はこのように語っています、
さて、神は、罪のゆえに、この世自体がのろいの下にある事を示す為に、そして、かの年を経たへび、そして龍である、サタン彼自身が、いつかは底知れぬ所に投げ込まれることを我々に思い起こさせる為に、のろわれたへびをその象徴とされた!へびは、すべての人間にとって、罪の象徴となり、罪に対する神の裁きの象徴となる (John R. Rice, D.D., In the Beginning, Sword of the Lord Publishers, 1975, p. 138) 。
“わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。 彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう”(創世記第3章15節)。
では、私は、応用として三つの要点を上げます。 このテキストから三つの主要な点を学びます。
1. 最初に、あなたの魂にとって奮闘がある。
“わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に・・・”(創世記第3章15節)。
今日全体として、この世はサタンの支配の下にあります。 彼は現在“この世の神”と呼ばれています(コリント人への第二の手紙第4章4節)。 彼の支配の下で、この世はキリストに反抗しています。 あなたがサタンの“すえ”か、もしくは、キリストの“すえ”のどちらに属そうかと、あなたの心中に葛藤が生じます。 あなたはどちらかに属さねばなりません。 中立はないのです。 神は“彼らの間から出て行き・・・わたしはあなたがたを受けいれよう。 そしてわたしは、あなたがたの父となり・・・”(コリント人への第二の手紙第6章17-18節)と言われます。 あなたの魂には、内部の葛藤があります。 あなたはこの世と共に行きますか-それともこの世から出て、キリストへと来ますか? どちらかの一方でしかありません、なぜなら“おまえのすえと女のすえ”(創世記第3章15甲節)の間には絶え間のない戦いがあるからです。
2. 次に、罪は裁かれる。
“彼はおまえのかしらを砕き”(創世記第3章15乙節、ジュネーブ聖書、1599年)。
神はへびのかしらを傷つけ砕くだけでなく、彼はまた、もしあなたが罪の中にこのまま居続けるならば、あなたのかしらをも砕くでしょう。 神はあなたの心と生活の中で犯したすべての罪をご覧になられていることを思い起こしてください。 “神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪とともにさばかれるからである”(伝言の書第12章14節)。 最後の審判の時に、あなたは、神の“この書物に書かれていることにしたがって、さばかれ”(ヨハネの黙示録第20章12節)るでしょう。 もしあなたの罪が、キリストの御血でもって覆われ、清められていなければ、あなたは、“火の池に投げ込まれ”(ヨハネの黙示録第20章15節)るでしょう。
3. 最後に、救いは、究極の女の“すえ”であるキリストと通してのみ、やってきます。 キリストは処女生誕したので、アダムの罪によって、彼には何も汚れませんでした。 サタンは、キリストが十字架へ行くのを拒むために、何度も彼を殺そうとしました。 悪魔的霊感を受けたヘロデ王は、赤子であったキリストを殺そうと試みました。 パリサイ人は、丘からキリストを投げ落として殺そうとしました。 ある人は、サタンはゲッセマネの園でキリストを殺害しよう試みたと言います、そして、それには真実なところがあるかもしれません。 なぜなら、それは、深く多くの考察を要する疑問だからです。 サタンに霊感された者達は、女の“すえ”を破壊しようという考えの基、キリストを十字架に釘付けにしました。 しかし、彼らは、反対の側を理解しませんでした、すなわち、私達の罪を贖うために、神がキリストをそのようにされたと言うことです。
“このキリストが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。 イエスが死に支配されているはずはなかったからである” (使徒行伝第2章23-24節)。
神の裁きから逃れる道は一つだけです。 あなたの罪が神の“書物”の中で覆われ清められる道は、ただ一つだけです。 その唯一の道とは、女の“すえ”である、あなたの罪の裁きからあなたを救うために十字架で死なれた、キリストの御血を通しての道です。
ジョン・ブラッドフォード(John Bradford, 1510-1555)は、キング・エドワード六世のプロテスタント牧師でした。 彼は、英国における最も重要なピューリタン説教師の一人となりました。 その後、プロテスタントのキング・エドワードが亡くなり、カソリックの“血のメリー”と呼ばれた女王が位を継ぎました。 彼女は、恵みによる救い、キリストのみによる救いを説いたが為、ジョン・ブラッドフォードを18ヶ月の間、ロンドン塔に監獄しました。 結局のところ、彼はプロテスタントの信仰の故に異端者扱いされ、クイーン・メリーは彼を火刑に処し、彼は生きたままで火あぶりにされたのです! 創世記第3章15節に関して、ジョン・トラップ(John Trapp, 1601-1669)は、“私は、[ジョン・ブラッドフォードの]記憶されるべき聖なる殉教をもってこう結論付けよう。 すなわち、‘もし我々がへびの毒を感じたならば、我々は、へびのかしらを砕いた、我々の主である[キリストに]喜びを見い出すであろう’”(John Trapp, A Commentary on the Old and New Testaments, Transki Publications, 1997 reprint, Volume I, p. 20) 。
私は、あなたが心を尽くしてキリストを受け入れ、彼の御血でもって洗い清められることを節に望みます! ジョン・ブラッドフォードや他の歴代の聖なる殉教を遂げた者達に加わりなさい! キリストを受け入れ、全ての罪を清めるキリストの御血でもって、神の怒りと裁きから救われなさい!
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: 創世記第3章8-15節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Yes, I Know!” (by Anna W. Waterman, 1920).
要 綱 最初の福音の叙述 “主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。 おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。 彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」”(創世記第3章14-15節)。 (創世記第3章11,13節)
I. 最初に、そののろいはへびに降りかかった。
II. 次に、そののろいは悪魔に降りかかった。 |