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実存的な孤独!
(創世記からの説教、その二十八)
R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

EXISTENTIAL LONELINESS!
(SERMON #28 ON THE BOOK OF GENESIS)
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2007年10月21日、主の日の朝の説教

“また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」”(創世記第2章18節)。

イギリスの詩人ジョン・ミルトン(John Milton)は、「孤独は、神の目に正しくない事と指摘された最初の事柄である」と言っています。 多くの近代の著者達は、今日の世代における孤独の病について語りました。 タイムマシーン(The Time Machine)アウトライン・オブ・ヒストリーThe Outline of History)の著者であるウェルズ(H. G. Wells)は、「私は65歳で、孤独であり心の平穏を感じた事がない」と述べました。 ピューリツァー賞受賞者である作家アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)は、「自分は電池が無くなったラジオの真空管のように孤独な孤立状態に生き、それに流す電流がない」と述べました。

ユージン・オニール(Eugene O’Neill)は彼のLong Day’s Journey Into Nightの脚本の中で、「人生の唯一の意義は死である」と言いました。 その劇のテーマは人に実在する孤独です。 サリンガー(J. D. Salinger)は、私達の精神文化に生きる若者達の自己疎外そして孤独について、劇や小説を書く事によって成功しました。 ウェルズは孤独で、希望をもつこともなく、年を老いて死んでいきました。 アーネスト・ヘミングウェイは自分の頭を散弾銃で撃ち自殺しました。 オニールの劇の主人公は、麻薬により自分の孤独を癒そうとした絶望的な中毒者でした。 サリンガーは、若者達の間の孤独に非常に取り付かれてしまい、自ら世捨人となり、ほぼ半世紀に渡り隠遁生活を送りました。

孤独は今日、若者達の間で主要な問題なのです。 群集の中にいても孤独を感じる事があります。 あるウェブサイトでは、“孤独とは空虚、もしくは空しさを心に感じる事である。 この世から孤立もしくは隔離され、自分が近づきたいと思う人達から引き離されたように感じる”と言っています(www.counsel.ufl.edu/brochure.asp?include=brochures/how_to_deal_with_loneliness.brochure) 。 神はこのようにそれをわかりやすく表されました。

“人がひとりでいるのは良くない”(創世記第2章18節)。

しかし、多くの高校や大学の年頃の若者達は、今日孤独を感じています。 ですから、あなた方がどのように孤独に対処するかを身につけるように、今朝私は三つの意見を与えます。

I. 最初に、孤独には異なった種類がある。

そのウェブサイトではこのように述べています、

孤独には異なった種類そして度合いがある。あなたは、若干空しいような、何か正しくない、あいまいなフィーリングとして孤独を経験するかもしれない。もしくは、非常に強烈な欠如、そして鋭い心痛として孤独を感じるかもしれない 。一つの孤独のタイプは、ある特定の人が死んでしまった為、もしくはその人が非常に遠くにいる為、その人の不在を寂しく思う事に関係しているかもしれない。もう一つのタイプは、あなたが夜の勤務で働いていたり、または人が余り寄り付かないような建物のある場所にずっと一人でいるような、実際にあなたのような人々から隔離されている状況の為、人々からの接触が途絶えている時に感じる孤独と関係しているかもしれない。あなたは人々に囲まれていても、彼らに対して達し難く感いている時、あなたは感情的に隔離されているように[そして孤独を]感じるかもしれない (同ウェブサイト)。

幾つかの心理学的な調査によると、大学生は特に孤独に敏感です。 大学は人々をお互いに永続する関係へと引き付ける所のようには思えません。 大学に通っている若者達は、しばしば、自分達のまわりの全てが彼らの側を通過し、誰も自分達を理解してくれず、彼らに対して無関心であるように感じています。 そして、彼らには尋ね行く人がいないのです。 

クルマ、飛行機、テレビ、宇宙遊泳を造り出した文明が、あなたを孤独から引き離す術を何も供給していないのは皮肉な事です! あなたの両親は仕事から疲れて戻って来てテレビの前に座ります。 彼らにはあなたと話す時間もなく、聞いてもくれません。 そしてあなたの多くはブロークン・ホームから来ています。 離婚した家庭の子供達は特に最悪の孤独を強いられています。 私が話をしたほとんどの若者達は、そのように感じた経験があります。

ある少女は、“私はとても孤独です。 近所の人達も私にまったく声をかけてくれない”と言いました。 一人の若者は、“自分は友達をつくれないように感じる、なぜなら後先、友達と思っていた人達は私を去っていくから”と言いました。 そのように感じた事がありますか? 神はこのように言われています、

“人がひとりでいるのは良くない”(創世記第2章18節)。

且つそのように、多くの若者達は孤独を感じています。 今日、孤独は多くの若者達が自殺を犯す一つの主な理由であると、私は思います。 自殺は15歳から24歳までの若者達の間での三番目の死の原因である事を知っていましたか? 交通事故が第一の原因です。 殺人行為が二番目です。 そして自殺は三番目なのです! アメリカでは、朝晩2時間と6分ごとに一人の若者が自殺をしています。 その数字は、ほぼ一週間で84人、月に340人、年間では4000人あまりの若者達が自殺をしているのです。 そして心理学者達は、彼らの自殺の主要な理由は孤独であると言っています。 神は正にこのように告げられています、

“人がひとりでいるのは良くない”(創世記第2章18節)。

II. 次に、あなたが自分自身の孤独の一因 でありうる。

その通り、自分自身に孤独をもたらしている最も責任のあるのはあなたかもしれません。 孤独についてそのウェブサイトは正確に述べています、

孤独は受動的な状態である。つまり、我々が受身的にそれを持続させ、その状態を変える事を怠ることによって孤独は維持される。我々は、いつかそれが去って行くであろうと望んでいる、結局のところ[しかし]我々は何もせず、孤独によって自分達を覆わせている。奇妙にも、我々はその感情を甘受さえしている時もある。しかし、孤独を甘受する事、そしてそれに関連するような感情にのめり込む事は 、通例として、憂そして無力感に導き、それはより受動的な状態、そしてより深い憂[そして非常な孤独]へと導いて行く(同ウェブサイト)。

“孤独は受動的な状態である。 つまり、それを持続させる事によって維持される。” それは正当です。 あなたがその状態を変えるように何らかの行動を起こさない限り、あなたは孤独を感じていくと言う事です!

ある日曜日の朝に、私はヤコブの孤独に関して創世記第32章24節から説教しました。 その説教の途中である若者が立ち上がり教会から飛び出していきました。 出て行く際、彼が最後に私から聞いたことは、“あなたは教会から飛び出しても、常に孤独はあなたにつきまとうでしょう”という言葉でした。 あなたは、孤独を感じる事無しには逃げられません。 カインはそれを経験しました。 神は彼にこう言われました、

“あなたは地上の放浪者となるでしょう” (創世記第4章12節)。

教会から逃げ去っていく人達は、カインのように、さ迷う、孤独な若者となります! 聖書はこのように言っています、

“彼らはわざわいである。 彼らはカインの道を行き”
       (ユダの手紙11節)。

多くの若者達が今日そうであるように、カインがしたように、人生を一人でさ迷う事は恐ろしい事です! 

ですから私達は“なぜ孤独でいるのですか? 教会へ来なさい!  なぜ失われているのですか? イエスへ来なさい!”と主張するのです。 神は言われました、

“人がひとりでいるのは良くない”(創世記第2章18節)。

ですから神はアダムにエバと言う妻を与えたのです。 そのように、スコーフィールド・スタディバイブルThe Scofield Study Bible)によると、アダムの妻は教会を描いています。 創世記第2章23節についての注解です。

エバ、キリストの嫁としての教会の典型[タイプ]
       (創世記第2章23節の注解)

これはアダムの妻はローカルの教会のイラスト、もしくは描写であると言う事です。 神はこう言われました、

“人がひとりでいるのは良くない。 彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”(創世記第2章18節)。

神はアダムにコンパニオンまた助け手を与えられました。 そのように、彼女はローカルの教会の描写、イラスト、“典型”なのです。 神はアダムに彼の孤独を癒すようにエバを与えられました。 そのように、神があなたの孤独を癒すようにこの教会をここに置かれたのです! この教会はあなたの孤独を癒すためにここにあるのです。

“人がひとりでいるのは良くない。 彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”(創世記第2章18節)。

そして、神があなたの孤独を癒すために与えてくださった“助け手”は教会なのです! あなたが孤独に克服するのを助けるために私達はここにいます!

教会から離れて、あなた自身の孤独に貢献するのはやめなさい! 今晩教会に戻って来なさい。 来週の日曜日に教会に来なさい! 日曜日の晩も来なさい! 私達は若い人達の為に毎週何回かの模様し事を行っています。 あなた自身の孤独を癒しなさい! 教会に来なさい!

III. しかし、三番目に、あなたにはさらに深刻な孤独があります。

ヘミングウェイがこのように語ったのは、孤独に関してでした、

自分は電池が無くなったラジオの真空管のように孤独な孤立状態に生き、それに流す電流がない。

教会の一人の若者が、大学の授業でヘミングウェイの小説を読んでいた事を私に言いました。 それは“A Clean, Well Lighted Place ”と呼ばれる小説です。 それは人の実存なる孤独について書いています。 ヘミングウェイはそれについて知り尽くしていました。 彼は、神に対する、悩まされ続ける広大無辺な孤独を語っています。 彼は決してそれを克服しませんでした。 数年後に、彼は自らの命を絶ちました。 哲学者のニーチェ(Friedrich Nietzsche)は、“神は死んでいる”と言いました。 彼は無神論者になりました。 数年後に、彼は精神錯乱に陥りました。 彼は、神のない、意味のない、ゆるしもしくは希望のない世界に生きることが出来なかったのです。

分かりますか、この教会に来ること、そして毎週来ることは、あなたの孤独を友人のためにいやす助けとなるのです。 しかし、あなたの孤独を神のためにいやすことについてはどうでしょうか? 二十一世紀の最大の悲劇の一つに、多くの若者達は神を実際に知らないことがあります。 そして、神なくしては希望はありません!

そうです、私はあなたにここの教会に戻って来て友人をつくってもらいたいです―また、あなたに神を見つけてもらいたいのです。

“人がひとりでいるのは良くない”(創世記第2章18節)。

あなたは神が必要です! アウグスティヌス(Augustine)は、“我らの心は汝に休息を見い出さない限り、安らぎがない”と言いました。 フランスの哲学者のパスカル(Blaise Pascal)は、我々の心には“神の形をした真空”があると言いました。 彼が言っていることは、全ての人の心には空っぽの部分があり、それは神によってのみ埋まるということです。

聖書は、あなたは自分の罪の為に神との関係を断絶されていると教えています。 聖書はこう語っています、

“ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。 またあなたがたの罪が主の顔をおおった・・・”
      (イザヤ書第59章2節)。

あなたと神との間には、罪による隔たりがあります。 アダムとエバは、自分達の罪のためにエデンの園から追い出されました。 彼らの罪が彼らを神から引き離したのです。

聖書は、神はあなたの罪のために、あなたに対して怒りを抱いていると教えています。 そしてまた、同時に、神はあなたを愛しています。 神は罪の為にあなたに怒りを抱いているが、同時に彼はあなたを愛しているのです。  それが、神の御子であるイエス・キリストが十字架で死なれた理由なのです。 彼は、あなたを神と和解させるためにあの十字架で亡くなりました。 神は単にあなたの罪を見過ごすことはしません。 神は、あなたの罪の罰を償うためにイエス・キリストを十字架に送られ、“神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである”(ローマ人への手紙第3章26節)。 怒りの神は、十字架でのキリストのいけにえを通してのみなだめられるのです!

イエス・キリストは、あなたの罪を御自分の身に負い十字架に行かれました(ペテロの第一の手紙第2章24節参照)。 彼が十字架で死なれた時、非常に大きな地震が地を揺るがしました。 聖所を覆っていた厚での幕は二つに引き裂かれました。 十字架でのキリストの死は、怒りの神があなたの罪を“過ぎ越”し、あなたが彼の聖所に入ることをゆるされることを可能にしました。 聖書はこう語っています、

“兄弟たちよ。 こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ”
      (へブル人への手紙第10章19節)。

あなたは、神の御子であるキリストの御血でもって、自分の罪が洗い清められることによってのみ神のみもとに来ることができるのです。 あなたは、キリストの御血でもって、自分の罪が洗い清められることによってのみ神と和解ができるのです。 

“しかし、まだ罪人であった時に、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう”
      (ローマ人への手紙第5章8-9節)。

聖書は正しいです。

“人がひとりでいるのは良くない”(創世記第2章18節)。

それが、神がエバを典型(タイプ)としたこのローカルの教会を造られた理由です。 教会は多くのことであなたを助ける為にここにあります。 私達は、あなたの実際の孤独をいやす助けをするためにここにいるのです。 私達は、あなたをイエスに導き、あなたが回心するのを助け、あなたの神からの疎遠をいやす為にここにいます。 それが、私達が“なぜ孤独でいるのですか? 教会へ来なさい!  なぜ失われているのですか? 神の御子であるイエスへ来なさい!”と主張している理由なのです。

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:ローマ人への手紙第5章6-10節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Come Home to Dinner” (by Dr. R. L. Hymers, Jr.).

要 綱

実存的な孤独!
(創世記からの説教、その二十八)

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

“また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」”(創世記第2章18節)。

I.   最初に、孤独には異なった種類がある。
創世記第2章18節。

II.  次に、あなたが自分自身の孤独の一因 でありうる。
創世記第4章12節;ユダの手紙11節。

III. しかし、三番目に、あなたにはさらに深刻な孤独があります。
イザヤ書第59章2節;ローマ人への手紙第3章26節;
ペテロの第一の手紙第2章24節;へブル人への手紙
第10章19節;ローマ人への手紙第5章8-9節;
テモテへの第一の手紙第2章5節。