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孤独と親交 ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて A sermon preached on Lord’s Day Morning, September 23, 2007 “人がひとりでいるのは良くない。 彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”(創世記第2章18節)。 |
2006年6月号のアメリカン・ソシオロジカル・リビュー(American Sociological Review)に記載されているある調査では、20年前と比べると、現在の若者達ははるかに少ない友達をもっていると報じています。 その報告では“大切な事を相談[出来る]する相手がいないと言う人々の数は、ほぼ三倍に増大している・・・。 もし私達が、それ[親睦]は大切である(ほとんどの社会学者達は同意している)と見なすならば、過去20年の間にかなりの社会的な変化が伴った事であろう。 大切な事に関して話せる相手を持つ人々の数がめざましく減少している” (ibid., pp. 353, 371) 。
この社会学的な報告は、孤独は私達の時代に増大している問題であると示唆しています。 そしてその報告は、18歳から39歳の若者達は“他の年代のグループに比べて”親しい友達をより多く無くしている事を表しています (ibid. p. 371) 。
そのように、若者達は孤独の悲惨さによって最も困難な打撃を受けています。 このような増大している問題に関して、ワシントン・ポスト(Washington Post)は、“明らかに、人々は[テレビ番組の]”友人“を眺めているが、実際彼らには多くの友人はいない”(Washington Post, June 6, 2006) と述べています。 そして、若者達はどの世代以上に最も孤独なグループなのです。 私は、それがグリーンデイズ(Green Day’s)の歌“Boulevard of Broken Dreams”の非常に人気のある理由だと思います。 私はロック・ミュージックは勧めませんが、その非常に人気のある歌の歌詞は、多くの若者達が今日抱いている孤独感を表していると思います。その歌詞はこう言っています。
自分は一人ぼっちの道を歩く、
自分が知っている唯一の道、
どこにたどり着くかも知らない、
しかし、それが自分のホーム、そして一人で歩く、
自分はこの空しい道を歩く、
壊れた夢の大通り、
街はねむり、
そして自分はひとり、一人で歩く・・・、
一人ぼっち、一人ぼっち、一人ぼっち。
(Green Day, “Boulevard of Broken Dreams,” 2004).
そのように感じた事がありますか? 多くの若者達は、今日この歌で表現されている孤独な、悲痛な思いのフィーリングを体験しています。 ですから、この歌はここ3年間ほどもラジオを通して人気があるのです。 この歌は、社会学者がその報告で私達に示唆した事を完璧に反映しています。 孤独は、今日の若者達が直面してる大きな問題の一つです。 あなたも孤独を感じた事がありますか? 多くの若者達はそう感じています。
しかし、神はあなたが孤独でいる事を望んでおられません。 この世の歴史の初めに、神はこのように言われました、
“人がひとりでいるのは良くない、彼のために、ふさわし助け手を造ろう”(創世記第2章18節)。
私達は、聖書のこのテキストから二つの重要な事を学びます。
I. 最初に、神は“人がひとりでいるのは良くない”と言われました。
聖書の初めの章ではこう書いています、
“神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった”(創世記第1章31節)。
神は御自分が造られた全ての物をご覧になり、そして“それは、はなはだ良かった。”と言われました。 堕落の前の世は、完璧なパラダイスでした。 罪はまだ人と環境を滅ぼしていませんでした。 人は、全てが“はなはだ良かった”ところに創造され置かれました。 しかし“エデンの園”と呼ばれる完璧な場所でさえも、何かが欠けていました。 アダムは一人でした。 そして、神は言われました、
“人がひとりでいるのは良くない・・・” (創世記第2章18節)
。オズワード・サンダー博士(Dr. J. Oswald Sanders)は、“聖書の記録は、アダムの元来の状態では、彼は外観そして知能に関して、完璧であった・・・と断言する。 しかし、彼は神の御手により完璧に造られたけれども、彼にはまだ限りがあり、未完成であった”(J. Oswald Sanders, D.D., Facing Loneliness, Discovery House Publishers, 1988, p. 14) 。
ウェブスター辞典(Webster’s Dictionary)は、孤独を“孤立した状態・・・一人ぼっちで寂しい、友達を欲する願望”などと説明しています。 “孤立した”という言葉は悲観的な言葉です。 “孤立した”という言葉は、私達を寂しくさせます。 私達のテキストで“孤独”と訳しているヘブライ語の言葉は、“隔たり”という意味です(Strong’s Exhaustive Concordance, number 905) 。 それは“分裂”を意味するヘブライ語の言葉から来ています(ibid., number 909) 。
“隔たり”は孤独の根本的原因です。 若者達は今日、離婚による彼らの両親の分裂によって、しばしばひどい感情的な激動を体験しています。 多くの若者達は、彼らの両親がある場所からある場所へと引越し、彼らの友達から離された為に、寂しい思いをしています。 多くの両親は常に張り合っています。 これが若者達を孤独へと引きずっていく理由なのです。
孤独は、あなた方が高校または大学などを卒業し、そして、あなた方の同級生と離れる時に、しばしば感じて来ます。 なぜか、E‐メールや“マイ・スペイス”のウェブサイトなどは、真の友達の代わりにはなりません。 それはあなた方が実際の人ではなく機械と話しているように思えます。
あなた方は、スポーツのイベント、映画、または“レイブ・パーティ”、または多くの人々でにぎわうショッピングモールなどに行く事は出来ます―それでもなお且つ、あなた方は寂しさを感じるでしょう。 あなた方と他の人達の間には“隔たり”、“分離”があります。 あなた方の周りには、多くの人達がいるかも知れませんが、それでも、あなた方は寂しさを感じるでしょう、なぜなら、誰もあなた方を知らず、あなた方の事をかまってくれません。 サンダー博士はこのように述べています、
たいていの人々が自分達の全ての願望を満喫する事の出来る, 私達の気ままな、そして豊富な西洋の社会で、説明しがたいが、多くは孤独の報いによる被害者である・・・。 多くの要因が、このことを生じるように伴っている。 世間の社会構成での凄まじい変換・・・地上そして大気の新奇な[動き]がこれらの傾向を促進している。 毎年、市街に住む人達の20パーセントが彼らの居所を変えている。 これが家族の集まりを壊しており、そして集団精神や[継続する]友人関係などの形成の発展を妨げている・・・逆説的に言えば、人々を実際に近づけて住むように仕向けている半面、世の中の急速な都市化―すなわち、1億以上の市民に対して300の都市が成り立っているような近代現象―がより大いなる社会的な孤立として結果を形成している。 1982年に成された国民調査によれば、中国の約20パーセントの人々が中心都市に住んでいた。 1986年には、その人口が35パーセントに達し・・・[大]都市は友好関係よりも恐れと疑念によって特徴付けられた。 (J. Oswald Sanders, ibid., pages 17-18).
イギリスの大都市にある大学に通う為に、アフリカの小さな村を去った一人の若者がこう言いました。
故郷では、私は目を見上げ、近所の人達、家族、友達などの自分のほうに向かって来る人達に視線を合わせて歩く。 名前を呼び合い、互いに挨拶をする。 [しかし]ここイギリスでは、あなた方の通りを歩く。 人々の視線は私の視線に合わせない。 彼らは私の目を避けて過ぎ去っていく。 誰も挨拶をしない。 皆急いでおり、[そして]沈黙しているように思える(ibid. p. 21) 。
あなた方も時々、ロスアンジェルスでそういう思いをしませんか? しかし、神は依然として、あなた方が孤独になるのを望んでおられません。 私達のテキストはこう言っています、
“人がひとりでいるのは良くない・・・” (創世記第2章18節)。
“隔たり”や“分裂”は神の御前に正しい事ではありません。 神はあなた方が孤立し、ひとりぼっちになる事を望んでおられません。
II. 次に、神は“彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”
と言われました。
神はアダムが一人でいる事を望んでおられなかったのです。 創世記第2章18節を声高に読んでください。
“人がひとりでいるのは良くない。 彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”(創世記第2章18節)。
神は、最初の人がひとりでいるのを望んでおられなかったので、神は“彼のために、ふさわしい助け手”を造られました。 ジョン・サイルハマー博士(Dr. John H. Sailhamer)は、 “彼のために、ふさわしい助け手”と訳されたヘブライ語は、“[彼のために]適した助け手という漠然とした意味を持つ”と言っています(John H. Sailhamer, Ph.D., in The Expositor’s Bible Commentary, Dr. Frank E. Gaebelein, general editor, Regency Reference Library, 1990, vol. 2, p. 18) 。 そしてサイルハマー博士は、“その文章の暗示している事は、男は女の助けを必要とすると言うような事である。 人がひとりいるのは良くない。”と言っています(同著)。 ジョン・ギル博士(Dr. John Gill)は、その句“彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”は、このような意味であると指摘しています、
生活の中での全ての事柄において彼を助ける人(John Gill, D.D., An Exposition of the Old Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume I, p. 19) 。
このより深い意味はエペソ人への手紙第5章30-32節に書かれています。
“わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。 「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。 この奥義は大きい。 それは、キリストと教会とをさしている” (エペソ人への手紙だい5章30-32節)。
31節は、使徒パウロによって創世記第2章24節から引用されています。 スコーフィールド・スタディー・バイブル(The Scofield Study Bible)は、創世記第2章23節に関して、“キリストの花嫁としての教会の典型(タイプ)であるエバ・・・エペソ人への手紙第5章25-32節”と書いています。 エペソ人への手紙第5章32節に関して、スコーフィールドの注解では、“エバは、キリストの花嫁としての明白な教会の典型(タイプ)である”と書いています。 ギル博士は、このように言っています、
“この奥義は大きい”。 そこには何か奥義的なことが含まれてる、それはキリストと彼の民の間の奥義的なつながりの典型そして象徴である(同著)。
さて、あなた方のうち聖書にまだ馴染みがない人達に対して、可能な限り簡単明瞭に説明しましょう。 キリストはこの世に一人で来られました。 キリストは、この世でのほとんどの奉仕の際は一人でした。 彼がゲッセマネの園で血の汗を滴らされたときは、一人でした。 彼が十字架で亡くなられたときは、一人でした。 彼が死からよみがえられたときは、埋葬された園で一人でした。
しかし、最初のひとアダムのように、神はキリストを一人にはしておかれませんでした。 神は、彼のために花嫁を用意されました、そして、その花嫁が教会なのです。 各々のローカルの教会は、キリストの花嫁なのです、なぜなら、私達が彼のもとに来て回心するとき、私達は彼と一体となるからです。
あなた方がキリストに来るとき、あなた方は、教会において、キリストの花嫁の一部となるからです。 あなた方は、もはや一人ではないのです、なぜなら、
“それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。 わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである”(ヨハネの第一の手紙第1章3節)。
孤独は、あなた方がキリストに来て、回心をし、教会において“私達と・・・御子イエス・キリストとの交わりに”にあずかるときに、消えます
あなた方はもはや孤独ではありません、なぜなら、あなた方はキリストを知り、彼と共に交わりをもつからです。 あなた方はもはや孤独ではありません、なぜなら、教会において、“私達と交わり”をもつからです。
今までに教会に来たことのないあなた方に対して、そのことを単純明快にするために、私達は、“なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい! なぜ救われないでいるのですか? 神の御子であるイエス・キリストに来なさい!”と言っているのです。 先ほど歌った、私の作詞した歌詞のように、
イエスに来なさい、食卓は準備された;
晩餐に来なさい、食事を共にしよう。
イエスは私たちと共にいらっしゃる、
晩餐に来なさい、そして食事を共にしよう!
教会に来て食事をしよう、
甘い友好を共に;
それはちょっとしたおもてなし
食事のために席に着くとき!
(“Come Home to Dinner” by Dr. R. L. Hymers, Jr.).
さて、この説教を終えるにあたって、もう一つ考えることがあります。 バーノン・マギー博士(Dr. J. Vernon McGee)は、私達のテキストに関してコメントをしています、
“人がひとりでいるのは良くない。 彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”(創世記第2章18節)。
マギー博士(Dr. McGee)はこのように述べました、
神が、ある期間、人をその園で一人にさせたことには目的があった。 彼には必要があること、そして、彼と共に誰かが必要であることを彼に示すためであった (J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1981, volume I, p. 21) 。
神は、あなた方を孤独にさせたのには、同じような目的を抱いていたのだと私は思います。 神は、あなた方の孤独さでもって、あなた方はある必要があることを教えたいのです。 あなた方は、神があなた方を一人にさせ孤独感を感じさせなかったならば、決して教会に来る必要があるなど思ってもいなかったでしょう。 あなた方は、神がイエスのためにあなた方を孤独感に目覚めさせなかったならば、決してイエスに来る必要があるなどと気づかなかったでしょう。 オーガスティン(Augustine)は、“神は己のために人を創造された。 そして、我々のこころは、神に安らぎを見出すまでは平安をもたない”と言いました。 その理由のために、私達はあなた方が信仰でもってキリストに来るように急き立てているのです。 彼は十字架の上であなた方の罪をゆるすために死なれました、だからこそ、あなた方は神との親交をもつことができるのです。 彼は、身体的に死からよみがえられました、だからこそ、あなた方は、彼を通して命をもつことができるのです、そして、完全に教会の一員となり、生涯を通して、すばらしいクリスチャンの友を得ることができるのです。 そのため、私達は再度こう言うのです、“なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい!”、“なぜ失われないでいるのですか? 神の御子であるイエス・キリストに来なさい!”
さあ、席を立って、私が作詞した歌を歌いましょう。 賛美歌シートの最初の歌です。 賛美歌シートを高く上げて、十分に声を上げてそれを歌ってください!
イエスに来なさい、食卓は準備された;
晩餐に来なさい、食事を共にしよう。
イエスは私たちと共にいらっしゃる、
晩餐に来なさい、そして食事を共にしよう!
友好は甘く、あなたの共はここにいるであろう;
食卓に座り、私達のこころは喜びで満ちる。
イエスは私たちと共にいらっしゃる、
晩餐に来なさい、そして食事を共にしよう!
大都会の人々は、無関心;
何ら彼らが提供するものはなく、思いやる愛もない。
しかし、イエスに来なさい、気づくでしょう、
食卓には料理があり、共有する友好がある!
イエスに来なさい、食卓は準備された;
晩餐に来なさい、食事のもてなしがある。
あなたの友は待っているであろう、
晩餐に来なさい、そして食事を共にしよう!
合唱:
教会に来て食事をしよう、
甘い友好を共に;
それはちょっとしたおもてなし
食事のために席に着くとき!
(“Come Home to Dinner” by Dr. R. L. Hymers, Jr.,
to the tune of “On the Wings of a Dove”).
友よ、イエスに来なさい! 教会に来なさい! なぜ、もっと多くのクリスチャン・フェロシップと愉快な友好のために、今夜6時に戻って来ないのですか? 今夜6時にお会いしましょう!
(説教終了)
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要 綱 孤独と親交 (創世記からの説教、その二十二) R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著 “人がひとりでいるのは良くない。 彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”(創世記第2章18節)。
I. 最初に、神は“人がひとりでいるのは良くない”と言われまし
II. 次に、神は“彼のために、ふさわしい助け手を造ろう”と言わ |