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ノアは神の恵みを見出した! NOAH FOUND GRACE! ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて A sermon preached on Lord’s Day Evening, August 26, 2007 “主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。 あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである”(創世記第7章1節)。 |
ノアは正当であったから救われたのではありません。 神が“わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである”(創世記第7章1節)と言われたので、彼は救われたのです。 神はノアを正しい人として御覧になりました。 なぜでしょうか? 答えは簡単です。 創世記の第6章、8節に示されています。 聖書のその節を開いて下さい。
“しかし、ノアは主の前に恵みを得た” (創世記第6章8節)。
ノアは神の恵みを見出したのです。 そして、神は“あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めた”(創世記第7章1節)と言われました。
これは、帰負された義について表しています。 へブル人への手紙第11章7節は、ノアが信仰によって救われた事を明白に伝えています。
“信仰によって、ノアは・・・その家族を救うために箱舟を造り・・・”
(ヘブル人への手紙第11章7節)。
ノアは多くの面で正当な人でしたが、彼が正当であったから救われたのではないと言う事を、私は繰り返して言わなければなりません。 しかし、聖書が明白に、彼は大洪水の後ぶどう酒を飲んで酔い、と私達に語っているように、彼は完全な人ではありませんでした(創世記第9章20-21節、参照)。 私達はノアを寛大に見る事が出来ます。 彼は恐ろしく、厳しい体験を経てきており、おそらく彼はぶどう酒を飲む事で、大洪水による彼の震えるような恐れや悪夢を晴らそうとしたのでしょう。 あるいは、大洪水の際に地球を取り巻く天蓋の水が落ちて来るその前までは、発酵作用などが無かったので、それはただの誤りであって、ぶどう酒が彼にどんな影響を与えるか知らなかったのかもしれません。
どちらにせよ、聖書はノアが完全な人であったようには描写していません。 しかし彼は、清教徒達が言ったように“罪を犯したながらも義とされた”のです。 彼は完全ではありませんでしたが、神の御前に、顕現化される前のキリストに信仰をもつことによって正しいとされたのです。 ノアは、神の恵みによって、彼に与えられた、キリストへの信仰をもっていました(創世記第6章8節、参照)。 ノアがキリストに信仰を置いた時、神はキリストの正義を彼の記録に帰負され、あるいはそれを義と見なされたのです。 新約聖書には、この主題に関してとてもすばらしい事が書かれています。 ローマ人への手紙第4章5節を開いて下さい。 注意を払ってこれらの節を聞いて下さい。
“しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められる[帰負される]のである。 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている”(ローマ人への手紙第4章5-6節)。
神がノアに、“あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである”(創世記第7章1節)と言われたとき、神はノアの罪を見なかったと言われているのです、なぜなら、キリストの義が信仰によってノアの記録に置かれていたからです。 それは、宗教改革のスローガン―“信仰のみ”―キリストのみにおける信仰による救い、の言葉そのものなのです! ノアは、正当であったから救われたのではありません。 彼は、顕現化される前のキリストに置ける信仰によって救われたのです!
では、箱舟自体を考慮してみて下さい。 私が今朝言ったように、箱舟は船ではありませんでした。 それは航海の為に造られたのではなく、それは単に端が細長く黒い箱のような物でした。 それは全体が黒い樹脂で覆われていました。 マックギー博士(Dr. McGee)は、この箱舟についてこのようなコメントを挙げています。
多くの人達の箱舟についての印象は、彼らが日曜学校で教えられた平型の屋形船のように見える小さな絵からくる印象だ。 それは私にとって、非常に途方もない戯画化したようなものである。 それは実際の箱舟のような描写ではなく、箱舟の風刺画 らしき物である。
初めに、その 箱舟の建物の造り方の指図は相当大きなものであった事を表している。 “箱舟の長さは300キュビト”。 もし1キュビトが18インチ(45cm)であるならば、どれほどこの箱舟が長かったかという着想は与えられる。
彼らがその当時、どのようにそれを実在化させることが出来るか、というようことである。 友よ、我々は穴居人を対象にしているのではない。 我々は非常に知能の高い人を対象にしているのである。 分るように、今日の人類にある知能は、ノアを通して至って来た、そして、彼は非常に知能の高い人であった。
ノアは50フィートの波にもちこたえるような外洋航行船を造っているのではない。 彼が造っているのは、かなりの長い間に渡って留まる為―嵐を経るためではなく、ただ大洪水がおさまるのをもちこたえる為に、ただ動物と人間の住む場所なのです 。 そのような理由の為に、その箱舟はあなた方が外洋航行船に見るような多くのものには欠けるかもしれないが、それゆえに、それはさらに多くの空間を与えるであろう。(J. Vernon McGee, Thru the Bible, Thomas Nelson, 1983, vol. I, p. 39).
ホウィトコウム氏とモリス氏(Whitcomb and Morris)は 、バビロニア人達は19.8インチを1キュビトとし、エジプト人達は20.65インチを1キュビトとしている事を指摘しています。 ホウィトコウム氏とモリス氏は、へブル人達は20.4インチを1キュビトとしたと私達に語っています。(John C. Whitcomb and Henry M. Morris, The Genesis Flood, Presbyterian and Reformed Publishing Company, 1993, p. 10)。 それによると、箱舟は501フィートの長さになるでしょう。 ロスアンジェルスの近くのロング・ビーチ港につながれているクイーン・メリー号は1018フィートの長さであり、箱舟の約二倍の長さです。 しかし、クイーン・メリー号の多くの空間は、エンジンや他の機械などで占められています。 箱舟には機械的な装置などはありませんでした。 それは全体を通して空洞です、と言う事は、箱舟の人や動物の為の実際の居場所は、おそらく非常に大きな客船であるクイーン・メリー号と同等ないしは、より大きかったかもしれません。
ホウィトコウム博士とモリス博士は、箱船の巨大な大きさは世界規模の大洪水を指摘する、と言っている事に関して正しいのです。
そのような巨大な規模の箱舟が、限られた地域での洪水に必要ではなかっただけでなく、そこには箱舟など必要なっかたであろう! 単に限られた場所での洪水を逃れる為に、そのような一世紀以上の計画と苦役を必要とする船を建造することは、どう見ても意を成さず、まったく愚かでふさわしくない事である。 ロトが天からの炎が落ちて来る以前にソドムから出されたように、単に、後に到来する破滅についてノアを警告し、彼が大洪水によって影響されない場所に動けるようにする事は、神にとって、どれほど賢明な事でより意味のあったことであろうか。 それだけではなく、全ての種類の多くの動物や鳥にしても、箱舟の中に一年の間置かれ、そして世話をされる事もなく、簡単に動けたか! もし大洪水が東方のある地域に限定されていたならば、その話全体がほぼ馬鹿げた有様である(John C. Whitcomb and Henry M. Morris, The Genesis Flood, Presbyterian and Reformed, 1993, page 11) 。
今日、私達が箱舟に関して非常に興味をそそぐべき幾つかの事があります。 今朝それらの三つの事に私達は注目しました。 そしてもう三つの事に関して考慮したいと思います。
I. 最初に、箱舟はあなたが救われるには、キリストによってでなければならない事を示しています。
私達の最初のテキストはこのように言っています。
“主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい・・・」” (創世記第7章1節)。
では、創世記第7章16節に注目して下さい。
“そのはいったものは、すべて肉なるものの雄と雌とであって、神が彼に命じられたようにはいった。 そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた” (創世記第7章16節)。
そして7節にも注目して下さい。
“ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱舟にはいった”(創世記第7章7節)。
ノアと彼の家族は神が彼らに告げられた事を成しました(創世記第7章1節)。 彼らは箱舟の中に入りました。 そのようにあなたもキリストに来なければなりません。 聖書はこう言っています。
“彼[イエス]を信じる者は、さばかれない・・・”
(ヨハネによる福音書第3章18節)。
“を”と訳されている言葉は“eis”から来ており、ゾディアテス博士(Dr. Zodhiates)によると、それは“場所もしくは事柄への動作の主要なもくろみ”という事を意味しています。 あなたは信仰によって、天の、神の右座におられるイエスへ来なければなりません。 ノアが箱舟に入ったように、あなたはキリストへ来なければなりません。“彼を信じる者は、さばかれない・・・”(ヨハネによる福音書第3章18節)。 聖書では何回も“キリストにある”人達の事を語っています。 これらは二つのよく知られた聖句です。
“こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない・・・” (ローマ人への手紙第8章1節)。
“だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である・・・” (コリント人への第二の手紙第5章17節)。
パウロは、“キリストを”信じた人々について語っています(ローマ人への手紙第16章7節)。
あなたはキリストにある者ですか? あなたはノアが箱舟に入ったように、信仰によってキリストに来なければなりません。 イエスは言われました、
“わたしは門である。 わたしをとおってはいる者は救われ・・・”
(ヨハネによる福音書第10章9節)。
私は明確にそれを説明する事は出来ませんが、聖職の中で最も困難な事の一つは、キリストに来るという、この本当であれば簡単な概念を人々に把握させる事です。 キリストへと来なさい!
このように例えてみましょう。 あなたがノアの時代に住んでいたとして、そして大洪水が迫っている、という彼の説教を聞いたとします。 そこで彼が、あなたは救われる為に箱舟に入らなければならない、と言うのをあなたは聞きました 。 あなたは、“はい”“それは真実です。 裁きがやって来る。 そのとおり、真実です、箱舟のみが私を救ってくれる。 私はそれを信じる”と答えるでしょう。 あなたはその大洪水から救われたでしょうか? 当然救われません! 救われる為には、あなたは実際に立ち上り、箱舟に入らなければなりません。 それがあなたを救う事が出来るという事を信じるだけではなく、それに入る事です! それが、私があなたにしてほしいと懇願している事なのです! ただじっと座って、キリストがあなたを救って下さるという事を信じる、そのことをしないように! 信仰によって、キリストへ来なさい! イエスはこう言われました。
“わたしに来る者を決して拒みはしない”
(ヨハネによる福音書第6章37節)。
そうです、箱舟はあなたがキリストに来なければならない事を表しているのです。
II. 次に、箱舟はあなたがキリストの体、教会へ来なければならない事を表しています。
私は、多くの人達が私に同意しない事は心得ています。 今日、多くの人達はローカルの教会の価値を下げており、控えめに見ています。 しかし、彼らは間違っています。 箱舟はキリストの典型であるだけでなく、それはまた、新約聖書に基づくローカルの教会の典型あるいはイメージでもあります。
では、どのようにして教会にあなたは来るのでしょうか? コリント人への第一の手紙第12章27節で、私達はこのように読み取ります、
“あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。 そして、神は教会の中で、人々を立てて・・・” (コリント人への第一の手紙第12章27-28節)。
ここでストップします。 私は“キリストのからだ”という表現は、教会、すなわちイエスにある信者達のローカルのからだに言及している事を認識してほしいと思います。 13節を聞いて下さい。
“なぜなら、わたしたちは皆・・・一つの御霊によって、一つのからだとなるように・・・”(コリント人への第一の手紙第12章13節)。
あなたは清められ聖霊によってローカルの教会へと入会させられました。 それが、教会の真の、そして現存する会員になる方法なのです!
さて、それがどのように起こるかは、あなたが心配することではありません。 イエスの来ることが、あなたがしなければならないことなのです。 あなたがキリストに来るとき、聖霊は自動的に教会の中へあなたをバプテストします!
創世記第7章16節を開いて下さい。 ノアが箱舟に入ったとき、聖書は、“そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた”(創世記第7章16節)と言っています。 それは、あなたを霊的にそのからだの中にバプテストすることにより、あなたを教会の中に閉ざす、神の聖霊について語っているのです。 そうです、箱舟はキリストとの融合で、ローカルの教会との融合を語っています。 もし、あなたが主によってキリストとローカルの教会に“閉ざされ”ないならば、あなたは裁きで滅びます。 もし、あなたは“閉ざされ”るのであれば、あなたは安全です。 これは、回心した人達への永遠なる安全を意味します。 キリストに聞く者は、決して滅びません!
III. 最後に、箱舟はあなたは狭い門より入らなければならないと語っています。
ノアはどのように箱舟に入ったのでしょうか? 創世記第6章16節を開いて下さい。
“・・・箱舟の戸口をその横に設けて・・・” (創世記第6章16節)。
イエスは、“わたしは門である。 わたしをとおってはいる者は救われ・・・”(ヨハネによる福音書第10章9節)と言われました。 ノアは箱舟の門(戸口)をとおってはいりました。 あなたはキリストをとおって救いに入らなければなりません。 イエスは、“狭い門からはいれ”(マタイによる福音書第7章13節)と言われたのです。
再び、キリストはこう言われました。
“そこでイエスは人々にむかって言われた、狭い戸口からはいるように努めなさい。 事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから” (ルカによる福音書第13章24節)。
それが、正にノアの時代に起きたのです。 創世記第7章4節を見て下さい。 神はこう言われました。
“七日の後・・・わたしは地に雨を降らせて・・・” (創世記第7章4節)。
10節にも注目して下さい。
“こうして七日の後、洪水が地に起こった” (創世記第7章10節)。
ノアは箱舟にはいりました。 神は彼を中に閉ざされました。 戸口は閉められました。 七日間は何も起こりませんでした。 そして、裁きが始まりました。 他のだれもが箱舟に入れませんでした! 遅すぎたのです!
人々が“中に入れてくれ! 中に入れてくれ!”と泣き叫ぶのが聞こえるようです。 しかし、遅すぎたのです!
“そこでイエスは人々にむかって言われた、狭い戸口からはいるように努めなさい。 事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから” (ルカによる福音書第13章24節)。
イエス・キリストに今来なさい―永遠に手遅れとならないうちに!
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: 創世記第6章5-8節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“If You Linger Too Long” (by Dr. John R. Rice, 1985-1980).
要 綱 ノアは神の恵みを見出した! (創世記からの説教、その十九) R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著 “主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。 あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである”(創世記第7章1節)。 (創世記第6章8節;へブル人への手紙第11章7節;
I. 最初に、箱舟はあなたが救われるには、キリストによってでなけれ
II. 次に、箱舟はあなたがキリストの体、教会へ来なければならない事
III. 最後に、箱舟はあなたは狭い門より入らなければならないと語って
います。 |