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エジプトへの逃避 R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著 THE FLIGHT INTO EGYPT ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて A sermon preached on Lord’s Day Evening, December 17, 2006 “「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。 そしてあなたに知らせるまで、そんこにとどまっていなさい。 ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そううとしている」。 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、”(マタイによる福音書第2章13-14節) |
聖書全体を通して中心となる主題は、キリストによる救いです。 キリストのこの地上での生涯、そして彼の奉仕は、救いに通づる真実で満ちています。 特に、福音が語られている全ての箇所は、伝道的なメッセージとして心に留めながら読まれ、また学ばれるべきです。
キリストが復活された後、弟子達の幾人かに次のように語られました、
“聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。”(ルカによる福音書第24章27節)
ですから、キリスト、ならびにキリストの福音は、聖書全体を通して、典型として、預言により、また御自身の言葉によって表されている事を私は確信しています。 このことは、特にマタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネによる福音書の中で真実です。
この“エジプトへの逃避”の一節の中には、この俗世界からの離脱という非常に重要な、伝道についての納得させられる教えがあります。 イエスがベツレヘムでお生まれになった時、博士達が来て拝みに来ました。 ヘロデ王はこの事に不安を感じ、メシアと思われている人の誕生により、自分の王座を失う可能性を疑いながらも恐れていました。 それでヘロデは博士達を遣わし、その幼な子を見つけ、その幼な子がどこで見かけられるかを帰って来て伝えるように命じました。 ヘロデは、博士達に自分がイエスのところに来て拝みたいのだと言いました。 しかし、彼の本音はその幼な子を殺す事で、自分の王としての権利を脅かす者としてイエスを探し求めていました。 博士達はベツレヘムに来て、牛房で幼な子イエスを見つけ、その幼な子をひれ伏して拝み、金の高価な贈り物、乳香、そして没薬などを捧げました。 しかし、神より、博士達はヘロデに戻りその幼な子がいた場所を告げないようにと警告されました。 ですから彼らは、ヘロデのところには戻らずに彼らの国へと去りました。 博士達が出て行った時、主の御使いがヨセフに現れて言いました。
“「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。 そしてあなたに知らせるまで、そんこにとどまっていなさい。 ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そううとしている」。 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、”(マタイによる福音書第2章13-14節)
この節には、三つの伝道的な教えがあります。 もしあなたがまだ改心していないならば、このテキストに十分注意を払ってください。
Ⅰ. 最初に、彼らがそうしたように、あなたもこの俗世間から離れなければならない。
主の御使いは、ジョセフにこう言いました。
“立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。”(マタイによる福音書第2章13節)
今日のような“決断主義”の時代には、罪人から離れる事は救いの為の準備ではないように見なされています。 私達は、このようなとても重要な教えに関して、はっきりとした言及を読むために清教徒の教えに戻るべきです。 私は、1657年に、この主題について、清教徒の説教者リチャード・バックスターが言った事を簡単にまとめた注釈を上げます。 彼の本、改心についての論文(A Treatise on Conversion)の中で、バックスターはこう言っています。
改心への第二の妨害は邪悪な仲間である。 邪悪な人達と仲間または友達になる事は、危険な事である。 彼らが直接聖書の教えについて反対はしないとしても、彼らは、あなたの思いや会話をほかの事に向かせる事によって、そしてまるで永遠なることは不必要な事のように、あなたに邪悪な模範をして見せるなど、あなたの救いを妨げようと多様な事をするであろう。 世俗的な話や罪なる行動は、人々の思いを神聖なる事から遠ざけてしまい、 また、クリスチャンではない友人達は、聖霊の働きの逆の事をあなたに仕向け、あなたを破滅させるような罪に誘い込むであろう。 彼らの愚かな笑いの騒音やばかげた話は、あなたの良心や御霊のささやきを抑圧してしまうであろう。 人がクリスチャンではない人々から感化されれば、その人にとってクリスチャンになろうと努力する事は困難なことであろう。
世俗的で、また快楽を好み、そして信心深い人達に敵対する人達を友とする事は、何と危険な事であろうか。 聖書では“知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。 愚かな者の友となる者は害をうける。”(箴言第13章20節)
あなたの改心を妨げるような者達と共にすることを、努力して避け、そして、あなたの救いに関して助けとなるような真実のクリスチャン[のみ]と親しく友人関係をつくることである。 私が言わんとしている事は、誰も、よいクリスチャンではない人達と親しい友となる事を望むべきではない、と言う事である。 最もよいと思われるようなクリスチャンを友人として選びなさい。 あなたが天国で共に過ごしたいと思うような人達とこの世で過ごしなさい。 “不信者と、つり合わないくびきを共にするな。”(コリント人への第二の手紙第6章14節) “だから、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、・・・わたしはあなたがたを受けいれよう。 そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。 全能の主が、こう言われる」。”(コリント人への第二の手紙第6章17-18節) (Richard Baxter A Treatise on Conversion, adapted to modern English by R.L. Hymers Jr., Th. D., in A Puritan Speaks to our Dying Nation, Hearthstone Publishing, Ltd., 2002, pp.100-101)
私は、バックスターが書いた事とヨセフと彼の家族がベツレヘムからエジプトへ逃避した事との類似点を見てほしいと思います。 その“聖なる家族”は、ヘロデ王と彼の領土から離れなければならなかったのです。 そうでなければ、その幼な子は殺されてしまっていたでしょう。 そして、もしあなたが改心していなければ、あなたも世俗的なクリスチャンでない人々から出来るだけ離れなければ、彼らはあなたの思い、そして心の中からキリストを“奪って”しまい、また、彼らはキリスト・イエスによる救いから、あなたを隔離してしまうでしょう、と私は、今晩言いましょう!
それが、偉大なバプテストの著者であるジョン・バニヤンが、他に比類のない書物、The Pilgrim’s Progressの中で私達に語っている教えではないですか? この本はキリストによる救いを求めた青年の話です。 その青年は、「破滅の地」から逃げ出しました。 そして、彼がその街にいる邪悪な人達から逃げる時に、彼は、“命! 命! 永遠の命!、と叫び声を上げました。 彼はうしろを振り返って見ずに(創世記第19章17節)、 [救い]へと逃れました”(John Bunyan, The Pilgrim’s Progress Banner Of Truth Trust, 1999 reprint, volume III, p.90)。 バニヤンは続けてこう言っています、
近くの者達もまた、彼が逃げて行くのを見て、ある者は彼をあざけり、ほかの者達は脅し、ある者は戻るように叫んだ;そして、そうした者達の中に、力ずくで彼を連れ戻そうと決意した者が二人いた。(同著)
しかし、ヨセフとマリアのように、彼は“破滅の地”に戻る事を拒否しました。 彼は、その邪悪な地にいた以前の友人から自分を引き離し-そして、そこから出て行き-このように告げられた神に従っていました。
“わたしの民よ、彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。”(ヨハネの黙示録第18章4節)
そして、もしあなたが、キリストによる真の救いを見出すことに真剣であれば、あなたも同じようにしなければなりません。
“わたしの民よ、彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。”(ヨハネの黙示録第18章4節)
クリスチャンではない友達から離れなさい! ヘロデ王から去り、イスラエルの司祭や律法学者から離れなさい! 彼らに近よらないように、そして、ローカルの教会の中で新しいクリスチャンの友達を作りなさい。 そうすれば、よき昔の清教徒達、リチャード・バックスター、そしてジョン・バニヤンなどが、そのように強固に、そして感銘的に助言したように、あなたの心をキリストへと、完全に向ける心構えとなる大きなステップとなり、イエスに救いを見出すでしょう!
“わたしの民よ、彼女から離れ去って、”(ヨハネの黙示録18章4節)
ヨセフ、マリア、そして幼な子イエスが、ヘロデ王の邪悪な支配下の地から離れ去ったように、あなたも離れ去りなさい! もしあなたがキリスト・イエスにより救われる事を望むならば、まず最初に、あなたは俗世界から離れなければなりません。
Ⅱ. 次に、彼らに離れる事を召された神の理由。
なぜ神は、“聖なる家族”に、ヘロデの領地から離れるように命じられたのでしょうか? このテキストがそれを明白に示しており、
“ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている。”(マタイによる福音書第2章13節)
ここで誤解をしてはなりません! どんなにこの俗世間が好意的に見えていようとも、彼らの意図は同じです。 ヘロデは博士達に微笑んで都合よく話しました。 しかし、ヘロデの真の目的には邪悪で悪意がありました。 彼は、主イエス・キリストを“滅ぼすこと”に努めました!
今日、あなた方の大学や高校のクラスの中は、そうではありませんか? あなた方の世俗的な教師達は、クリスチャンの価値をけなし、キリスト教をあざけり、そして常にイエスへの見解を酷評してはいませんか? 彼らは聖書をののしっており機会があるたびに、救い主に対して嘲笑してはいませんか? 彼らは未だに叫んではいませんか?
“十字架につけよ、彼を十字架につけよ”(ルカによる福音書第23章21節)
また、教室の他の生徒達はどうですか? 彼らは神の御子を守っていますか? あるいは、ローマ兵のように、
“嘲笑して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。”(マタイによる福音書第27章29節)
今日のそのような境遇の中で、沈黙を守る事がベストであり、さもなければ、彼らはあなたをますます酷評するしょう! 彼らは、あなたが神の御子を信じているが為にあなたの成績を実際よりも低く評価するでしょう! 今は沈黙していなさい。 彼らから卒業証書を受け取り、その後で、私がしてきたように、そのような偏見をもち、キリストを嫌悪している大学の教授達を、暴露しなさい!
では、真のクリスチャンではないような“友達”はどうでしょうか? 彼らは救い主を愛しているでしょうか? 彼らは聖書を日々読んでいますか? 彼らは祈りますか? 彼らは福音が正しく語られている教会の礼拝に、毎週出席していますか? それとも、彼らはキリストに対し、口先だけで真のキリストの栄光を思う事はなく、キリストの戒めも真に守る事もないような生活を送っているただの偽善者なのでしょうか? 彼らはキリストの真の友でしょうか? そうでしょうか? そうでしょうか? そうでしょうか? 当然そうではありません! そして、もしあなたがキリスト・イエスにより改心させられる事を望むならば、キリストの友ではない人はあなたの友であってはなりません!
“だから、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。”(コリント人への第二の手紙第6章17節)
ヨセフとマリアの模範に従いなさい。 ヘロデの冷笑、キリストを否定している顔 から逃れなさい、そうすれば、確かに、イエスの血、そして、正義を通して、
“世の罪を取り除く神の小羊。”(ヨハネによる福音書第1章29節)
による救いにより、命を見出すでしょう。
Ⅲ. 最後に、ヨセフの従順は隔たりを表している。
起立して、マタイによる福音書第2章14節を声を上げて読んでください。 私達のテキストの二節目をはっきりと声を上げて読んでください。 これはヨセフについていっている事です。
“そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、”(マタイによる福音書第2章14節)
着席してください。 私は、妻と一緒に、ヨセフとマリアがヘロデ王の怒りから逃れる為にイエスを連れて行ったエジプトのカイロの、その伝統的な場所へ行ったことがあります。 今日、そこには古代からの教会の建物があります。 私達は、何年か前にエジプトへ行った時に、それを見ました。
ヨセフは神に従いヘロデ王から、そして彼の支配下の邪悪な人々から離れ去りました。 マチュウ・ヘンリーはこのように言っています。
さて、ヨセフは彼の祖先アブラハムと同じように、神への絶対的な信頼により“行く先を知らないで出て行った。”(へブル人への手紙第11章8節)(Matthew Henry’s Commentary on the Whole Bible, HendricksonPublishers,1991 reprint, volume 5 page 12)
これは重要な指摘です。
“信仰によって、アブラハムは、・・・、それに従い、行く先を知らないで出て行った。”(ヘブル人への手紙第11章8節)
彼の祖先であるアブラハムのように、ヨセフは神に従い“出て行った”のです。
そして、これはあなたにとって、見習うべきことなのです。 神に従いなさい。 “彼らの間から出て行き”(コリント人への第二の手紙第6章17節)なさい。 イエスと一緒に一人で歩むことを恐れてはなりません。
“したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。 この地上には、永遠の都はない。 きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。”(ヘブル人への手紙第13章13-14節)
アブラハムとヨセフがしたように、あなたもこの世から出て行き、“営所”の外で、主イエス・キリストと共に歩むことを、私は祈ります。 彼は、アブラハムとヨセフに恵みをほどこしたように、あなたにも恵みをほどこすでしょう。 彼は、ご自分の尊い血でもって、あなたのすべての罪から、あなたを清めてくださるでしょう。 彼は、あなたを罪の罰から救い出し、あなたに永遠の命を与えるでしょう。 この説教の前に、グリフィス氏が歌ったファニー・クロスビーの賛美歌のように、あなたは彼女に見習うことを、私は祈ります。
この世界を取りなさい、しかし、イエス様をわたしに、
すべてこの世界のよろこびは過ぎ去り、しかしその御名だけは;
彼の愛はいつもとどまる、
変わらぬ永遠の年を経て。
ああ、慈悲のなんと高き深きことか!
ああ、愛のなんと長きひろきことか。
ああ、あがないの満ちたり、
御国での終焉のない生命の誓い!
("Take the World, But Give Me Jesus” by Fanny J. Crosby, 1820-1915)
起立して、賛美歌の19番を歌いましょう。 心を込め、その一語一語を考えながら歌いなさい。
ひとつの弁明もなく、今のままのわたしで、
汝の御血はわたしのために流されし、
汝はわたしに、来たれと命じられし、
おお、神の小羊、わたしは来る!わたしは来る!
待つことなく、今のままのわたしで、
わたしの魂を汚点から除かれし、
おのおのの汚点は、汝の御血で清められし、
おお、神の小羊、わたしは来る!わたしは来る!
こころ移りしが、今のままのわたしで、
多くの矛盾、多くの疑い、
内と外での、葛藤と恐れ、
おお、神の小羊、わたしは来る!わたしは来る!
貧しき、惨めな、盲目、今のままのわたしで、
[わたしは、人類の救い主を信頼する]、
わたしが必要なすべてのものは、わたしは汝に見つけたり、
おお、神の小羊、わたしは来る!わたしは来る!
汝は受け入れられし、今のままのわたしで、
迎え入れ、許し、清め、放たれし、
なぜならば、わたしは汝の御約束を信じ、
v おお、神の小羊、わたしは来る!わたしは来る!
("Just As I Am” by Charlotte Elliott, 1789-1871,
stanza four altered by Dr. Hymers)
もしあなたが、私達の主イエス・キリストによる救いについて執事の一人か私と話をしたいのであれば、後ろに今いきなさい。 ケイガン先生が部屋に案内してくれます。 神がこの説教にこころを置かれ、あなたのために使われますことを祈ります。 ‘イエス’の御名において、アーメン。
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医士による説教前の聖書の朗読:
マタイによる福音書第2章1-15節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏 (Mr. Benjamin Kincaid Griffith) による説教前の独唱:
“Take the World, But Give Me Jesus” (by Fanny J. Crosby, 1820-1915)
要 綱 エジプトへの逃避 R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著 |
“「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。 そしてあなたに知らせるまで、そんこにとどまっていなさい。 ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そううとしている」。 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、”(マタイによる福音書第2章13-14節) (ルカによる福音書第24章27節
I. 最初に、彼らがそうしたように、あなたもこの俗世間から離れなければならない。
II. 次に、彼らに離れる事を召された神の理由。
III. 最後に、ヨセフの従順は隔たりを表している。 |