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ノアの大洪水、からす、そして、はと R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著 THE FLOOD, THE RAVEN, AND THE DOVE ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて A sermon preached on Lord’s Day Morning, November 5, 2006 “はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。 水がまだ全地のおもてにあったからである。 彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。”(創世記第8章9節) |
よろしいですか、聖書にある大洪水の記述は文字通り正確である、と私は信じます。 地上の地質が世界規模の豪雨によってできた痕跡を帯びている事に関して論じている本、創世記の大洪水 (The Genesis Flood) の著者であるヘンリー・モーリス博士 (Dr. Henry M. Morris) とジョン・ウィッコム博士 (Dr. John C. Whitcomb)に私はまったく同意します。 ノアの時代の創世記の大洪水の話を含め、聖書は文字通りすべてに渡って真実である事を、私は確信しています。
そしてまた、そこには多くの予型(予表)論が携わっているという事を理解しないで創世記の7章と8章を読むことはできません。 ウェブスタ-辞典(Webster’s Dictionary)では予型とは“他の物、特に後に来る他の物;象徴;表徴;前兆などを表現あるいは象徴する人、物または出来事”であると書いています。
私達の執事の一人である、医師クレイトン・チャン先生が、少し前に創世記の8章1節から9節までを読み上げましたが、私はその聖書の節の中で重要であると私が思う幾つかの予型をあげて見ましょう。 ウォルター・ウィルソン(Dr. Walter L. Wilson) は彼の聖書の予型辞典Dictionary of Bible Types (Hendrickson Publishers, 1999 reprint, p. viii )で“予型についての研究は啓蒙する事である。 なぜなら、聖霊は見えない事に関しての事柄を私達に教える為に、目で見える物を用いているからである。 予型についての研究は、神の真実を示す為の一つの手段と方法で、私達に知識を身につけさせる”(同著)。それは特にこの創世記の8章では事実です。
Ⅰ 最初に、大洪水は全世界への裁きを象徴している。
それは、この世の罪の裁きを表しています。 ウィルソン博士は創世記の大洪水は、“キリストの内にいない者達へ押しかかる神の大いなる裁きを表象している。それはまさに、その洪水が、箱舟の外にいる者達に押し寄せてきたようにである。” (同著、p. 170) 対型またはその予型の実現は詩篇の90章5節に見出す事ができます。
“あなたは人を大水のように流れ去らせられます。”(詩篇90章5節)
新約聖書のペテロの第二の手紙3章6-7節では、ノアの大洪水を火炎として、後のこの世の裁きの預言的な予型として挙げています。
“その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。”(ペテロの第二の手紙第3章6-7節)
大洪水は使徒ヨハネの第一の手紙の中でこのように示唆しています。
“全世界は悪しき者の配下にあること”
(ヨハネの第一の手紙第5章19節)
“世と世の欲とは過ぎ去る。 しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。”(ヨハネの第一の手紙第2章17節)
ノアの時代の大洪水は、全世界が神からそれており、そして罪に対する神の復讐や怒りによる恐ろしい裁きの下にいた事を現しています。 その大洪水は、罪深いこの人類は、現在でも神の怒りの下にあり、神による後の非常なる火の害によって裁かれる事を現しています。
この不信の世は、ノアの時代と同じく、今もなお、同じ神の非常なる怒りの下にあるのです。
“全世界は悪しき者の支配下にあること”
(ヨハネの第一の手紙第5章19節)
そして、神の裁きを待つばかりです。 その大洪水は、今朝にでも私達の上にかかって来る裁きを典型し象徴しています。
Ⅱ 次に、ノアの箱舟はキリストそしてローカルの教会を象徴している。
キリストそしてローカルの教会は、創世記の7章と8章にあるように変換出来る象徴でもあります。 創世記の7章では、箱舟はキリストを象徴しています。
“ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱舟にはいった。”(創世記第7章7節)
スコーフィールド・スタディー・バイブル (The Scofield Study Bible)で、“箱舟:御自分の民の裁きからの隠れ家としてキリストの予型とされている”(創世記6章14節についての注解)と書いています。 そして、箱舟は確かに主イエス・キリストを象徴しています。 あなた方が“キリストの内”にいる時、あなた方は神の裁きを体験する事はありません。 新約聖書では、
“あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。”(コロサイ人への手紙第3章3節)
ノアと彼の家族が箱舟の中に“キリストと共に隠されている”のと同じように。
“そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた。”(創世記第7章16節)
主がキリストに来るものを“閉ざされる”時に、こう言われました、
“わたしは、彼らに永遠の命を与える。 だから、彼らはいつまでも滅びる事がなく、”(ヨハネによる福音書第10章28節)
箱舟の中で、ノアと彼の家族が完全に安全であったように、あなた方も同じように完全に安全なのです。
“キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。”(ローマ人への手紙第3章24節)
キリストに来なさい、そうすればあなた方も
“聖霊の証印をおされたのである。”(エペソ人への手紙第1章13節)
神御自身がキリストの内へとあなた方に“証印をおされる”でしょう。 創世記の7章16節でノアについて語られているように、
“そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされ”
彼を救いの箱舟へと入らされたのです。 そのように、あなた方も入り閉ざされ、そして、あなた方はキリスト・イエスのうちに永遠なる安全を確保することでしょう。
しかし8章では、私たちのテキストに近づくにつれて、予型論は少々移り変わったように見えます。 ここでは、箱舟はローカルの教会の予型とされています。 このことは聖書を学んでいる学生たちにとっては驚くべき事ではないでしょう。 エペソ人への手紙の章の中で、使徒パウロは夫と妻の結婚による完全なる結合について話しています。
“ふたりの者は一体となるべきである。”(エペソ人への手紙第5章31節)
そして、彼は私たちに注目すべき洞察を与えています。
“この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。” (エペソ人への手紙第5章32節)
使徒パウロは、クリスチャンの夫と妻が結婚で結ばれ、離れる事が出来ないように、キリストと教会は分けることが出来ないと語っています。
ですから、創世記の7章で、箱舟はキリストの予型であり、創世記の8章9節では、ローカルの教会の予型である事意外ではありません。 私たちのテキストでは、
“はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。 水がまだ全地のおもてにあったからである。 彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。” (創世記第8章9節)
Ⅲ 三番目に、そのはとは、キリストへそして教会へと連れてこられた失われた罪人を象徴している。
私たちのテキストの中のはとは、聖書の他の節にあるような、聖霊を表しては いません。 ここ、創世記8章9節では、そのはとは“この世、汚れが殺到している ような世の中に、足をとどめる所そして信頼できる所、また満足感を見つける事ができず、箱舟にそしてノアに戻ったようにキリストに戻る心やさしい人を象徴しています。”(Matthew Henry’s Commentary on the Whole Bible, Hendrickson Publishers, 1996 reprint, volume I, p.53).
ここでスットプしてそれをあなた方に応用してみましょう。 そのはとは、ノアにより箱舟から放されました。
“はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとにかえってきた。 水がまだ全地のおもてにあったからである・・・。”(創世記第8章9節)
もし神があなたに恵みを授けておられるならば、あなたは救われる者達のひとりであり、そのはとと同じような体験をするでしょう。 あなたが教会を出て学校あるいは 仕事場へ行くとき、あなたの周囲の堕落した、罪深い世を目にし、あなたもそこに何の休息や平穏を見つける事が出来ないでしょう。 もしあなたが救われるように神により選ばれたひとりであるならば、あなたは、けっしてこの罪深い世の中に休息を見出すしことはないでしょう。 偉大な説教者であり、また神学者であったオーガスティン(Augustine)は、彼の有名な言葉の中でキリストについてこのように言っています。
そなたは、我々を御自身のために創造されました。
しかし、我々の思いはそなたの内に安息を見出すまで、
不安に満ちている。
あなたの思いはこの世に休息、そして満足感を得ていますか? あなたの周囲を見て、“この世には真実、重要さ、そして永続するものは何も私にはない。” などと感じた事がありますか? もしあなたがこのような思いを抱いた事がまったくないならば、トーザー博士(Dr. A. W. Tozer)はこう言っています。
そのような人に対しては、私は何のメッセージももたない。 私の発言は神の知恵によってひそかに教えられた者達(のみ)に対してである。 神により触れられる事で目覚めさせられる、望みを持つ切実な思いに(のみに)私は語りかける。 そして、それは理由付けする必要がないのである。 彼らの休息のない思い自体が彼らの必要としている証拠を備えるのである。(A. W. Tozer, D.D. The Pursuit of God, Christian Publications, 1982 reprint, pp.33-34).
あなたの思いはむなしく、不安を感じていますか? たとえば、あなたが教会に入って来た時、孤独のようなものを感じましたか? あなたはここであなたの心に潜んだ孤独を補ってくれる何かを見出すかもしれないなどと感じましたか。 この世の中はとても孤独な所であり、教会のみ、そしてキリストのみが不安で孤独な思いを補う事が出来る、などと感じなかった若者が、救われるに十分なほど教会に来るとは思いません。 ほとんどの若者はそういう事は感じません。 彼らは一回か二回、あるいは数週間は来るでしょうが、12月の幾つかの“ホリデー”がやって来ると、出て行き、二度と戻ってきません。
彼らは聖書の節の中のカラスのようであって、はとではありません。 ノアがからすを放った時、それは、
“地の上から水がかわききるまで、あちらこちらへと飛びまわった。” (創世記第8章7節)
聖書の中でからすは清くない鳥と例えられています。 もしあなたが、そのからすのようであるならば、12月の“祭日”などがやって来ると、あなたも去って行き、二度と戻って来ないでしょう。 毎年からすのような人達には同じ事が起こります、なぜなら彼らは清くない鳥だからです! 幾つかの俗的なパーティや教会外の行事などは、彼らを教会から引き出すに十分な事なのです。 彼らは“あちらこちら”へと飛び回りますが、なぜかしら、この世が祝っている“冬のホリデー”が終わっても彼らは二度と戻って来ようとしません。
あなたはどうでしょうか? あなたもからすのように何週間かでこの教会から飛び去っていくのでしょうか。 それとも、真実の愛のない、真の友人もいない、真実の神もいない世に“休息を見出せない”はとのようでしょうか?
もし、あなたがトーザー博士が話しているような敏感な、求めている人であるあらば、ノアがしたように私はあなたに呼びかけます! 立って創世記の8章9節をはっきりと声を出して読んで下さい。
“はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。 水がまだ全地のおもてにあったからである。 彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。” (創世記第8章9節)
着席して下さい。
Ⅳ 四番目に、この節でノアは神を象徴している。
特にこの節では、ノアは、失われさ迷っている人を救われる神の行いを象徴し現しています。 ノアは、神の聖職者として箱舟の窓際に立ちます。 そして、神は彼を通して、あなたを救われるように、はとを救われる働きをされました。
北アフリカのヒポーのオーガスティンは、4世紀の後半に生まれました。 先に引用したように、彼はキリストについてこのように語っています。
そなたは、我々を御自身のために創造されました。
しかし、我々の思いはそなたの内に安息を見出すまで、
不安に満ちている。
しかし、多くの人達はオーガスティンが言っている“不安”をまったく感じません。 彼らは、そのからすのようにキリストそして教会から飛び去り、それでも満足しているのです。 彼らはこの世がくれるような、ひどく、悪臭の漂った死肉を食べる事で十分に満足しているのです。 彼らは事実、キリストや教会に興味を持っていないのです。 ですから、彼らはすぐに飛び去って行き、二度と戻ってこないのです。
しかし、もしあなたは、もっと心の繊細な人であれば、もしあなたの思いに不安または多少なりとも孤独を感じているならば、そして、もし神のお恵みにより、あなたが霊的な事にもっと感応しやすくさせられているならば、ノアが哀れで、孤独な、そして疲れきったはとに施したように、神もまたあなたにされるでしょう。
“彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。” (創世記第8章9節)
神は、御自分の手を伸べて、あなたの魂を捕らえ、あなたをキリスト-すなわち、箱舟の内に入れられるでしょう!
この説教は、スポルジョン(Spurgeon)から引用したのではありません。 しかし、この偉大な説教者は、一度だけこのテキストに関して話しました。 彼の説教の一段落を引用してこの説教を終えたいと思います。 スポルジョンはこう語っています、
私は、このはとは穢れ[そして汚い]翼で戻って来たのか、と思っている。 それは、ノアがその日の朝に放ったときのような美しさは、もちろんなかったはずだ。 しかし、ノアはそのはとを箱舟に入れるのを拒否はしなかった。 はとはひどく[疲れはて]まさに水の中に落ちようとしていた。 だが、ノアは拒絶をしなかった。 彼は、はとが戻ってきたときに迎え入れようと、開けられた窓際に立った。 あなたは、自分はたいへん穢れ、それに値する価値のない者、それにふさわしくない者、そして、平安をもたない者のように思うであろう。 そうであるにもかかわらず、イエス・キリストは[あなたを拒まず、彼は]あなたを拒否しないであろう。 あなたの状態が何であれ、彼は彼に来るものを拒まないのである。 今のままで、たとえ来ることができないと思っていても、とにかく来なさい。 なぜなら、彼はあなたを拒否しないのだから。(C. H. Spurgeon, “The Weary Dove’s Return,” The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publishers, 1975 reprint, volume XL, p. 377).
キリストは御自分の手を伸べて、あなたを捕らえ、そしてあなたを御自分の中に、箱舟の中に、入れられるでしょう。
あなたのために、キリストにそうしてもらいたいですか。 彼は十字架の上で死なれてそれを確実なものにされたのです。 あなたの罪を洗い流すために御自分の尊い血を流されたのです。 彼は死からよみがえり、天の神の右座にお座りになって、あなたを平安に引き込もうと手を差し伸べているのです。 彼にそうしてもらいたいですか。 信仰でもってキリストに飛んできませんか、あのはとがノアの手の平安の中に飛び込んできたように。 神の聖霊が、あなたが今そうすることを助けてくださるように!
起立して賛美歌集の最後の歌を歌いましょう。 力を込めて歌いましょう。
罪で疲れ果てた魂よ、来たれ、
主のあわれみがある。
彼はあなたに休息をお与えになるであろう、
彼の御言を信じることによって。
主のみを信頼せよ、主のみを信頼せよ。
今、主のみを信頼せよ。
なぜなら、イエスは御自身の血を流された、
尊い御加護がおかれた、
今、その深紅色の流れに入れ。
主のみを信頼せよ、主のみを信頼せよ。
今、主のみを信頼せよ。
主はあなたを救われるであろう、主はあなたを救われるであろう、
今、主はあなたを救われるであろう。
(“Only Trust Him” by John H. Stockton, 1813-1877).
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医士による説教前の聖書の朗読:
創世記第8章1-9節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏 (Mr. Benjamin Kincaid Griffith)
による説教前の独唱:“Only Trust Him” (by John H. Stockton, 1813-1877).
要 綱 ノアの大洪水、からす、そして、はと R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著 |
“はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。 水がまだ全地のおもてにあったからである。 彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。”(創世記第8章9節)
I. 最初に、大洪水は全世界への裁きを象徴している。詩篇第90章5節;ペテロ
II. 次に、ノアの箱舟はキリストそしてローカルの教会を象徴している。
III. 三番目に、そのはとは、キリストへそして教会へと連れてこられた失われた罪人 IV. 四番目に、この節でノアは神を象徴している。 創世記第8章9節。 |