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心の中への三つの刺し傷!

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

THREE STABS IN THE HEART!
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2006年10月1日、主の日の晩に説かれた説教

A sermon preached on Lord’s Day Evening, October 1, 2006
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

“ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。”(創世記第28章16節)


先週の日曜日の夜、私はこのテキストで述べられている言葉を語ったヤコブを、彼の祖父アブラハムと比べてみました。 私は、アブラハムはクリスチャンの家庭で育っていない若者を描いていると言いました。 すなわち、その若者が教会に来た時、全てが彼にとって新たな事でした。 しばしば、アブラハムのように、その若者は新しく見い出した自分の信仰を、精一杯の熱意でもって生かせたいと思うものなのです。 アブラハムがそうであったように、その思いは、多くの若い人達が教会に来て改心した時に思うものなのです。

それとは逆に、ヤコブは教会内で育ち、聖書やその日常の決まり事などもよく知っているような若者を描いています。 彼は、長い経験から自分に期待されている事を知っており、そして―非常に機械的ではありながらも-教会での義務も果たしています。

アブラハムのように、クリスチャンの両親から指図される事のない俗世間から改心して来たような人は、そのような環境にもかかわらず、しばしば即時に改心し、神への熱意で満ちています。 しかし、教会で育ったヤコブのような人にとっては、宗教への接近のし方がまったく異なっています。 ですから今夜は俗世間から改心して来たアブラハムにではなく、むしろ彼の孫であるヤコブにもう一度注意を向け、焦点を置くことが適切であるように私は感じます。 ここにいるあなた方の多くのように、ヤコブは今で言う“クリスチャンの家庭”で育ちました。 彼の家族は完璧と言うにはほど遠い家庭でした。 創世記の27章をさっと読むだけでその事が分かるように、時には緊張感で満ちていた家庭でした。 ヤコブの父親の信仰はしばしば弱く、彼の母親は父親に対しときに応じて反抗していました。 そのようにな完璧にはほど遠い家庭ではありましたが、且つ、“クリスチャンの家庭”ではあり、彼らの周囲のぺリシテ人やヒッタイト人の家庭と比べると、当時可能なもっとも望ましい家庭でした。

しかし、ヤコブが自分の家庭環境の望ましさに感謝した事は、何と些細なものだったのでしょうか。 彼が子供の頃から面識のある異教の家庭に育った少年や少女達が経験したこともないような彼の大いに優遇な状況の事がらに対して、何とも軽率にあしらったことでしょうか。

そして尚かつ、幼児の頃から学んだ貴重な事柄は、彼にとってごく平凡な事柄であり、彼はそれらを価値のないもののようにあしらいました。 神について如何なる思いを、わきに退ける彼の姿を想像してみてください! 自分の兄をごまかし、母親と共謀し父親に偽りをついている彼の姿を想像してみてください! 兄の彼への嫌悪を感じてしり込みし、彼の横柄な裏切り行為によりそのような落とし穴を掘っているヤコブの姿を想像してみてください! 自分の命を失う事の恐れのため、幼少のころより育った家から逃げ出す彼の姿を想像してみてください。

ヤコブの話に深入りする必要はありません。 さもなければこの教訓の大切な部分を失ってしまいます。 私達は、主要なポイントに焦点を置かなければなりません。 そうしなければ、表面的な聖書の研究だけに終わってしまい,深い意味が漏れてしまうでしょう。

今晩、私達の中に、教会で育った若い男性もしくは女性で、ヤコブが全てから逃れようと思った、そのような圧迫感を少しでも今感じている人がいるのではないしょうか。 それは、今日、教会内で育った若い人達の間で通常のように感じられている事です。 福音伝道主義の家庭で育った85パーセント以上の若者は、二十代の初期に教会を出て二度と戻って来ないという事が世論調査で示されています。 これが今日、通常の出来事のようになっているという事は、ヤコブが逃れようと思った、そのような多少なりの心の圧迫感-あなたが両親の束縛から自由になり、自分の人生を“自分自身で”生きようというような思いを、あなたは感じているのではないでしょうか。 あなたは、そのように感じているという事を決して認めないのはわかっています。 しかし、ヤコブがそのように感じたのと同様に、あなたにもそういう思いが時には浮かび上がって来るのではないでしょうか。 “どうしたらここから抜け出せようか? どうしたら自分をこの組織、そしてこの教会全体の束縛から逃げ出す事が出来ようか?” などと思ったことがあったのではないかと思います。 このような事について自分に正直になりなさい。 時にはそういう思いを心に抱いたことがありませんか? 悪魔がイエスにささやいたように、あなたにもこのような悪魔からのささやきがあったのではないでしょうか。

“もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう。“ (マタイによる福音書第4章9節)

悪魔が、あなたを“ふさがらせ”ようと、忍び寄って来ていませんか。

“生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、”(ルカによる福音書第8章14節)

そして、もし少しでもそのような事が悪魔によってあなたの心にもたらされたならば、それはあなたに、もしかしてあなた自身と教会の間に距離を置くことが一番よいのではなかろうかと思わせたのではないですか? “ほんのしばらくの間だけ”と悪魔はほのめかすでしょう。 “あなたが自分の自由と自活を得るまで”と悪魔はささやくでしょう。 悪魔は言うでしょう、“ようやく、あなたはもう成人なのだから、子供っぽい意味のない事はやめよ!”などと。 悪魔の魅惑的な言葉にあなたは注意を払うのではないでしょうか。

そして、ある日ヤコブは立ち去ります。   

“さてヤコブはベエルシバ[彼の故郷]を立って、ハランへ向かった” (創世記第28章10節)

彼は寂しい所で一夜を過ごしました。 奇妙な夢を暗闇で見ました。 そして、神の声が闇を通して伝わり、ヤコブはぞっとする恐怖で目が覚めました。       

“ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。”(創世記第28章16節)

ヤコブの体験に関して三つの事に注意してください。 あなたが家に帰ってもそれらの事が頭の中から離れない事を、私は願っています。 そして、神がこれらの事をあなたに“とりつかせ”られる事を、私は望んでいます。 このテキストから引き抜いた要点が、悪魔の狡猾で催眠術的な力によりあなたの中に入れ込まれた痕跡を切りとおしてしまうよう、私は願っているのです。  神の言葉は、

“生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、・・・刺しとおして、(あなたの)心の思いと志とをも[見分ける]ことできる。”(ヘブル人への手紙第4章12節)

このテキストを私達がよく考慮する事により、あなたのまどろんだ心が突き刺されるよう願っています。

“ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。”(創世記第28章16節)

神の言葉による三つの刺し傷は、このテキストからあなたの心を刺し通すことを、私は願っています。

I. 最初の刺し傷は、あなたは眠っていると言う事実。

“ヤコブは眠りからさめて” (創世記第28章16節)

比喩的に言えば、ヤコブは神の事柄に関して生涯“眠って”いました。

このように眠っている人は非常に危機な状態にいますが、そのことをわかっていません。 海は大きな嵐で急変すると、船はその大波でほとんど壊れそうになりました。 ヨナはそれに気づいていませんでした。 なぜ、彼はそのような危険に気がつかなかったのでしょうか?  

“ヨナは船の奥に下り、伏して熟睡していた。”(ヨナ書第1章5節)

それは、今夜のあなたの事を語っていませんか? それはあなたの状態ではないでしょうか? 怒った嵐は荒れ狂っています。 裁きの波はあなたを今にも壊そうとしています。 それでもなおかつ、あなたは眠っています。

水夫達は恐れました。 それでも、ヨナは眠っていました。 船長は来てその嵐の喧騒ごしに大声で呼びかけました。

“あなたはどうして眠っているのか”(ヨナ書第1章6節)

“どうして眠っていられるのか”と彼は叫びました。

聖書では、眠りはしばしば、良からぬ観点で現れてきます。 思慮の浅い 五人の女達は居眠りをしていました。

“彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。”(マタイによる福音書第25章5節)

主はこう言われました。

“わたしはあなたがたを知らない”(マタイによる福音書第25章12節)

キリストは彼らを知っていませんでした。 彼らは用意ができていなかったのです。 それでも、“彼らはみな居眠りをして、寝てしまった”のです。 クルーデン(Cruden)は、“眠りは、聖書の中で、怠惰(ものぐさ)そして魂の鈍感さを現すように使われている。”(Cruden’s Complete Concordance, Zondervan Publishing House, 1968 reprint p.607)

ヤコブは身体的には覚めていました。 しかし、彼の魂は人生を通して眠っていました。 彼はそれを失うような非常に危険な状態にいながらも、なおかつ眠っていたのです。

“なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目を覚まして起きるのか。”(箴言第6章9節)

それが、今のあなたの状態ではないでしょうか? それが今夜、神があなたに尋ねられている質問ではないでしょうか?

“なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目を覚まして起きるのか。“ 

そうです, 私達のテキストの最初の刺し傷は、あなたは眠っていると云う考慮です。 あなたは夢遊病者のように教会の通路を通り抜けています。 眠っていながら歩いている人は、起きているように見えます。 彼の足は動き、彼は手も動かしています。彼の目はしっかりと見開いています。 しかしそれでも、夢遊病者は外見的に眼がさめているように見えるだけです-なぜなら彼は眠りながら歩いているからです。 私は、これが今夜のあなたの描写ではないかと非常に恐れます。 あなたは眠りの中で聖書を読んだのです! あなたは眠りの中で、祈り事をつぶやいたので! あなたは眠りの中で、数え切れないほどの説教を聞き流して来たのです! そして、私はあなたにもう一度この質問をします。

“なまけ者よ、いつまで寝ているのか。いつ目を覚まして起きるのか。”

“ヤコブは眠りからさめて・・・”(創世記第28章16節)

II. 次の刺し傷は、あなたはけっして目覚めないかも知れないという事実。

ヤコブが目覚めたと言う考慮に慰めを得てはなりません。 彼が目覚めたので、あなたもいつか目覚めるであろう云う偽りの望みをもってはいけません。

あなた方の何人かは空想しています。 その空想の中で、あなた方は自分が目覚める事を期待しているのです。 しかし、そのような思いはただのミラージュ(蜃気楼)にすぎません。 それが何であるかあなた方は知っていますか? ミラージュとは砂漠の丘陵あたりで水のたまり場がすぐ近くにきらきらとして見えて来るような現象で、違った温度や密度の空気の重なりを通した光の反射が原因となった光学的な錯覚です。

サハラ砂漠の果てしなく続く広大な地で、途方にくれ、太陽に照らされ、のどが渇ききっている多くの人は―すぐ次の砂丘を越えて-ちらちらとした水のたまり場のような現象を見てきています。 しかし、悲しいかな! それはただのミラージュです! それはただの誤った希望にすぎないのです! 彼が水があるように思われた場所に着くと-そこには、焼かれたような砂のほか何もありません。 彼は水に指を差し伸べようとしますが、手に戻ってくるものは砂だけです。 何年もの後に、キャラバン隊(砂漠の隊商)がその場所にやって来て、彼らはそこで-その人の目に光による錯覚であった水への誤った希望に向かって手を差し伸べている―その人の白い骸骨の骨を見つけ出します。

いつか目覚めるであろうと言うあなたの空想は、自分の思いの中のミラージュであり、光による錯覚であり、誤った望み―他の何物でもないのです、と私は言います!

“わたしはいつか目覚めるでしょう”と、あなたは自分に言い聞かせるでしょう。 馬鹿げています! それはまったくの思い違いで、砂漠のミラージュの何物でもないのです!

“夜はふけ、日が近づいている。”(ローマ人への手紙第13章12節)

“あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。”(ローマ人への手紙第13章11節)

“なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。”(箴言第6章9節)

“ヤコブは眠りからさめて・・・”(創世記第28章16節)

しかし、彼の兄はけっして目が覚めませんでした! 彼の兄は目覚めないまま、墓に埋められたのです! この事を知りながらも、あなたが目が覚めないままで死んで行くことはないと-ヤコブの兄がそうであったように-どうしてそれほどまであなたは確信できるのですか? どうかあなたは失われており、望みの無い者であるという悲惨な事実を知る事が出来ますように。 なぜなら、自分の失われた状態にあなたが今、苦しまない限り、ヤコブの兄のように、あなたに対してもこのように言われるでしょう。

“「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。”(ローマ人への手紙第9章13節)

その恐ろしい節に関して、私はこのこと以上には説明をしません-すなわち、あなたが今のように続けていくならば、あなたに対してこのように言えるのです。

“わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ”

神を知らない家庭から教会へ入ってきた若者を“わたしは愛し”、教会で育った怠けている子供を“わたしは憎んだ”のです。 それは神の言葉であり、私は変えようとしても変えることは出来ません。

“なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。” (箴言第6章9節)

“ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。”(創世記第28章16節)

III. 最後の刺し傷は、あなた方が主の恐ろしさを感じた事がないと言う事実。

“やめよ”と新福音伝道主義者は言うかもしれません。 “十分に彼らを突き刺している、平安と許しを彼らに与えよ!” 私はそのような事はしません! もしその様な事をしたら、前後関係のないテキストを取り出しているのです-そして、昔の 言葉にあるように、“前後関係のないテキストは口実である。” 次の節の17節を見てください。

“そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。・・・」”(創世記第28章17節)

目を上げてください。

それは、あなたがよき古き説教者の話を聞いたときに感じる気持ちなのです。 私はリー先生(R.G. Lee)の説教を自分の耳で聞きました。 彼は、私の筋肉が騒ぎ出すまで説教をしました! 彼は、私の汗が流れ落ちるまで説教をしました! 彼は、主の恐怖を説教したのです。 ライス先生(John R. Rice)がそうしたように。 モルデカイ・ハムがそうしたように。 フランク・ノーリス先生(J. Frank Norris)がそうしたように。

“そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。・・」” それが目覚めることなのです! それがミラージュを横にかなぐり捨てることなのです! それが眠りからさめることなのです!

“なまけ者よ、(あなたは)いつまで寝ているのか、いつ(あなたは)目をさまして起きるのか。” (箴言第6章9節)

一生を通して目を上げることもなく生きた人がいました。 彼はミラージュの中で生活しました。 生涯を通して彼は、夢遊病者で、眠りながら歩き、夢を見ながら、主の恐怖に気づくこともなく、けっしてキリスト・イエスによる救いが自分に必要であることもけっして考えることなく、その人は生涯を送りました。 彼はけっしてこの世では目覚めませんでした。

しかし、ある日、彼は人生の迷路を通り抜け、死に絶えました。

“そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげる”(ルカによる福音書第16章23節)

彼は、炎の中で目覚めるまで、けっして目覚めませんでした、そして、けっして目を上げなかったのです。 これがあなたに起こらなければよいのですが! 永遠の炎の中で目覚める前に、今眠りから覚めるとよいのですが! アーメン

賛美歌の6番、“Have You Counted the Cost(その報いを考えよ)”を開いてください。 起立して考え深くそれを歌いましょう。 この歌があなたの心に語りかけるように。

我々の主を拒絶することで引かれる線がある、
そこでは聖霊の呼び声も聞かれない、
あなたは欲に狂った群集と共に急ぎすすむ、
あなたはその報いを考えたことがあるのか、その報いを?
たとえ、この世があなたの物になったとしても、
もしあなたの魂が失われているのであれば?
あなたはその報いを考えたことがあるのか、
このときに於いて、あなたはその線を越えてしまっているのかも、
あなたはその報いを考えたことがあるのか、その報いを?
   (”Have You Counted the Cost?” by A.J. Hodge, 1923)

もし、ケイガン先生や私とこの説教について静かな場所で話をしたいのでしたら、今、席を立って部屋の後ろにいってください。

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医学博士による説教前の聖書の朗読:
創世記第28章10‐17節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏 (Mr. Benjamin Kincaid Griffith)
による説教前の独唱:  “Nearer, My God, to Thee”(by Sarah F. Adams, 1805-1848)


要 綱

心の中への三つの刺し傷!

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著


“ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。”(創世記第28章16節)

(マタイによる福音書第4章9節;ルカによる福音書第8章14節;
創世記第28章10節;へブル人への手紙第4章12節)

I.   最初の刺し傷は、あなたは眠っていると言う事実。創世記第28章16甲節; ヨナ書第1章5,6節;マタイによる福音書第25章5,12節;
箴言第6章9節。

II.  次の刺し傷は、あなたはけっして目覚めないかも知れないという事実。
ローマ人への手紙第13章12,11節;箴言第6章9節;
ローマ人への手紙第9章13節。

III. 最後の刺し傷は、あなた方が主の恐ろしさを感じた事がないと言う事実。 創世記第28章17節;ルカによる福音書第16章23節。