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いかに成功するか! 何を聖書では教えているか!

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

HOW TO BE PROSPEROUS! WHAT THE BIBLE TEACHES!
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2006年9月17日、主の日の晩に説かれた説教

A sermon preached on Lord’s Day Morning, September 17, 2006
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

“まず神の国と神の義とを求めなさい。 そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。” (マタイによる福音書第6章33節)


2006年の9月18日発行のタイム・マガジン(TIME)に、“神は、あなたが裕福になる事を望んでおられるか? いくつかの巨大な教会は、そうである、と答えており、他の教会はそれを異教と呼んでいる。 新しい富の福音をめぐっての討論”、というような表紙の見出しで記事が書かれています。 リック・ウォーレン(Rick Warren)はそれについて、「神は、誰もが裕福になる事を望んでおられる、とはばかげた事だ。”(p.55)と主張しており、ジョエル・オスティーン(Joel Osteen)は、“神は、我々が成功する事を望んでおられると思う。”(p.51)と言っています。 どちらが正しいのでしょうか。 実際には、どちらの言い分にも多少は真実に基ずいている、と私は思います。 確かに、新約聖書では、神は全ての者が裕福なることを望んでおられる、とは教えていません。 しかし、その反面、神は私達が成功することを望まれている、と私は思います。 ですから、彼らのどちらもこの主題に関しては、ある程度の真実を述べているように思われますが、両者ともが福音の中心となるべき事を強調していないという事実は、今日のアメリカのキリスト教の不可解な時代にあって、彼らの説教は、私達にとってあまり必要とされていない事なのです。 彼らの教会はどちらも多くの人達を引き寄せていますが、彼らの会衆の中のどれくらいの人達が救われているのでしょうか。 キリストの福音は常に、私達の説教の中心となるべきであり、さもなければ、彼らが成功しようがしまいが、救われる人達は数少ないでしょう!

“成功するための福音”から持ち上がった質問を理解するための一番のよい方法は、新約聖書そのものが教えていることを調べることです。 私達のテキストは、新約聖書のそのメッセージを明白にしています。       

“まず神の国と神の義とを求めなさい。 そうすれば、これらのものは すべて添えて与えられるであろう。” (マタイによる福音書第6章33節)

イエスが、“まず神の国と神の義とを求めなさい”、と言われたことはどう言う事を指しているのでしょうか? これは改心について言及しています。 イエスはこう言われました。       

“心をいれかえて・・・、天国にはいることはできないであろう。”(マタイによる福音書第18章3節)

“神の国”と“天国”と言う言葉は、言い換えることができます。 それらは両方とも救いについて言及しています。 イエスが、あなた方は、天国にはいるには心をいれかえなければならない(マタイによる福音書第18章3節)、と言われたからには、“神の国を求める”ことがあなた方の生涯の主要な目的となるべきです。 そのために、イエスは、“はいるように努めなさい”(ルカによる福音書第13章24節)、と言われたのです。“努める”と訳されたギリシャ語の本来の言葉は“アゴニッツォマイ(agonizomai)”で、それは“奮闘すること、努力すること、熱烈に(熱心に)働くこと”などの意味です。 救いは生涯の中で最も大切な事ですから、キリストは、“はいるように努めなさい”と私達に言われたのです。 そして、これが私達のテキストの中で イエスが言われたことなのです。          

“まず神の国と神の義とを求めなさい。”

そして、イエスはこうも言われました。 もしあなた方がそうするならば、

“これらのものは、すべて添えて与えられるであろう” (マタイによる福音書第6章33節)

マチュー・ヘンリー(Matthew Henry)はこの節についてこのように言っています。

もし、私達が、神の国と神の義、とを自分達の為に確かなものにしようと絶えず努力するならば、生活におけるすべての物を、神が私達の為によい物と御覧になれば、私達が望んでいる以上に備えてくださるのである。(Matthew Henry’s Commentary on the Whole Bible, Hendrickson Publishers, 1976 reprint, volume 5, p.70, note on Matthew 6:33).

しかし、それだけではありません。 “これらのものは、すべて添えて与えられるであろう”ということは、生活における物質的な物は救いに伴って来る事であり、目標ではない、と言うことを言い表しています。 目標は救われることです。 それに伴って来る物、あるいはその成果は、神からの物質的な祝福です。 なぜ、それが真実なのでしょうか? 私達のテキストについて、“不思議な力のように”思ってはいけません。 “これらのものは、すべて添えて与えられるであろう”というのは、不思議な力によるものではなく、改心したこころと生き方による自然の成果によるものです! そして、聖書によると、二つのことが起こりうることを知ってほしいと思います。

Ⅰ 最初に、神の国を求める人達は勤勉になる。

聖書は、クリスチャンの人達は働くべきである、と教えています。 そうです、働くのです! 聖書では、それがどれほど重要視されているかに注目してください。 テサロニケ人への第二の手紙第3章10節を開いてください。 [スコフィールド・スタディー・バイブル(The Scofield Study Bible)では1272ページ] 立って声を上げてその節を読んで下さい。

“また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べ ることもしてはならない」と命じておいた。”(テサロニケ人への第二の手紙第3章10節)

着席してください。

ギル博士(Dr. Gill)はこのように述べています。

弱さ、病気、もしくは老年のために働くことが出来ない人...彼らは世話をされるべきであり、そして教会の役員によって生活に必要な物は供給されるべきである:しかし、働くことが出来るが、その意志がない者達は、飢えるべきである。(John Gill, D.D., An Exposition of the New Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume III, p. 268, note on II Thessalonians 3:10)

ヘンリー・モーリス博士(Dr. Henry M. Morris)は、テサロニケ人への第二の手紙第3章10節に関して、このように述べています。

この世の初めから、神は、人は自分の食べ物のために働くべきであることを命じられた。(創世記第2章15,16節) このことは、罪とその災いに入り込んだ為に、さらに大きな必要性なった。(創世記第3章17‐19節)  私達は、新しい地で、主に奉仕しながら働き続けるべきである。(ヨハネの黙示録第22章3節) 子供でもないのに、怠けており彼らの食物を他の者から供給されることを期待することは、クリスチャンにとってあるまじきことであり、弁解の予知はない。(Henry M. Morris, Ph.D., The Defender’s Study Bible, World Publishing, 1995, note on II Thessalonians 3:10)

マックギー博士(Dr. McGee)は、テサロニケ人への手紙第3章10節についてこのように述べています。

信者は...夢を見ているような者ではなく、労働者である。 働かない者-食べることなし。 それは使徒達によって定められた規則である。(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume V. p. 421, note on II Thessalonians 3:10)

これは、“プロテスタントの労働倫理規範”と一般の社会学者は呼んでいます。 むしろ、それを“聖書による労働倫理規範”と呼んだ方がよりよいように思えます。 聖書は、明白に“働こうとしない者は、食べることもしてはならない。”(テサロニケ人への第二の手紙第3章10節)と教えています。 クリスチャンは、このように命じられています。

“静かに働いて自分で得たパンを食べるように” (テサロニケ人への第二の手紙第3章12節)

若い人は小さい頃から働くべきです。 私は、夜に大学へ行くため、事務員として週40時間働きました。 私は働きながら大学へ行き、神学校の最初の二年間のほとんどの授業料を払えるほど、貯金をため、神学校の三年目は家のペンキ塗りをしました。 一所懸命に働くことは、そんなに楽しい事ではありませんでしたが、それが私にとって打撃になるとは思いませんでした。 私の母が一度、「それは、あなたをいたずらから遠ざけるでしょうよ。」と言ったことがありました。 母は、正しかったと思います。

さて、もしあなたが、両親が学校へ通わせてくれている若者であるならば、あなたの学業があなたの仕事です。 もし、その学業に励まなかったならば、あなたの親は家からあなたを追い出し、あなたに仕事を探させるべきです。 あなたの仕事は、あなたの学業です。 少なくとも一日8時間は勉強に捧げなさい。 全部のクラスを‘優’にするように努めなさい。 聖書はそのように教えている、と私は信じます。 そして、車椅子に乗っているような人達以外は、誰でも何らかの仕事をするべきです。

個人的には、ほとんどの“生活保護”や、“身体障害保護”などは全く不必要な事だ、と私は思います。 中国にはそう言った“保護”はありません。 人々は生きる為に仕事をしており、その結果、彼らは急激に発展しているのです。 他の後進国の多くの地域でも同じことです。 アメリカ人がラスベガスで遊んだり、絶え間なくビデオゲームや他の時間つぶしの様な事で自分達を楽しませているときに、このような人達は仕事に励んでいるのです。 もし、アメリカ人が無駄に時間を過ごしたり、“だらけ”続けるならば、仕事をしようとしている人達に私達の仕事を占められてしまうでしょう。 アメリカは“ナンバーワン”の国ではなくなるでしょう。 私は、そのように感じます。

そして、もし、あなたがクリスチャンになるつもりであり、“まず、神の国を求め”るつもりであるならば、明日にでも仕事を始めなさい! そのことを聖書は教えているのです! 仕事をしない人達と一緒には、大都会の中に教会を建てる事は出来ません。 実際には、どこであってもそういう人達と一緒には、教会を建てる事はできません!

主イエス・キリストの模範に注目してください。 イエスは絶え間なく働かれました。 あなた方がマルコの福音書を読めば、“直ちに”と言う言葉と“すぐに”と言う言葉が、何度も何度も出てくるのに気がつくでしょう。 イエスは一つの行いから、次へと直ちに行ないました。 イエスは決して怠けるような事はなさいませんでした。  イエスが私達の模範です! 使徒行伝を読みなさい。 どんなに使徒達が熱心に仕事に励んだかがわかるでしょう。 彼らが私達の模範です。 ほとんどのテレビ番組やビデオゲームなどはあきらめてしまいなさい―そして、勤めに励みなさい! 昔の賛美歌にあるように、“働けよ、暗闇が迫っているから、人が仕事を終えるときに”(”Work, For the Night is Coming” by Annie L. Coghill, 1836-1907)です。 私達は、今日のつまらない迫力に欠けたコーラスに代わって、「働けよ、暗闇が迫っているから」のような賛美歌を歌うべきだと私は思います!

ですから、神の言葉に従うクリスチャンは、成功するのです。 それには、神秘的なことや不思議な力などはありません。

“まず神の国と神の義とを求めなさい。 そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。”(マタイによる福音書第6章33節)

この“世”の失われた人々が時間を無駄にし、“リラックス”している間に、あなた達は、神の国を求め、仕事に励みなさい! 何もあなたを止める物はありません! “これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。” もし、あなた方が神の国をまず自分の事の先に置き、仕事に励むならば、あなたは、成功し出世するでしょう。 それが新約聖書にある繁栄する為の神のご計画なのです。

Ⅱ 次に、神の国を求める人達は安定した人となるであろう。

コリント人への第一の手紙第15章58節を開いてください。 [スコフィールド・スタディー・バイブル(The Scofield Study Bible)では1228ページ] 起立して、その節を声を上げて読んでください。

“だから、愛する兄弟たちよ。 堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。 主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。”(コリントへの第一の手紙第15章58節)

着席してください。  

クリスチャンは、何において、“堅く立って”、そして、“動かされず”と呼ばれているのでしょうか? “主のわざ”においてです。 ランジ博士(Dr. Lange)の注解書にはこのように書かれていています。

・・・キリスト御自身が引き受けられたわざ・・・そして、彼が御自身に従う者達に、その布告を引き継ぐように命じられ、福音を広めるように命じられたわざ(John Peter Lange, D.D., Commentary on the Holy Scriptures, Zondervan Publishing House, n.d., comment on I Corinthians 15:58)  

肉体的な労働だけを私達は命じられているのではなく、テサロニケ人への第二の手紙第3章10節で私達が知ったように、“主のわざ”をも励むように命じられているのです。 それは、牧師だけではなく、すべてのクリスチャンに対してもそうなのです。 伝道は、“若い人達”だけが行う事だ、と私は思いません。 全てのクリスチャンは、“主のわざ”に励むように命じられているのです。(コリント人への第一の手紙第15章58節) これはランジ博士の注解書に正しく書かれてあるように、第一に、布告する事、そして福音を広める事なのです。 全てのクリスチャンは、出て行って失われたものを弟子にする為、マタイによる福音書第26章19‐20節にあるわざを命じられているのです!

伝道に出て行かないような人は、教会で音楽を指導したり、子供達を教えたりすべきではありません。 伝道に出て行かないような人は、教会内で執事や秘書、または幹事などとなるべきではありません。 私は、ライス博士(Dr. John R. Rice)がこう言った事にまったく同意します。

そうであるから、教会の役員は選ばれる。 最初にまず、彼らは伝道をする人達であること・・・そのような認識が標準とされ、教会の幹事、執事、理事、長老など全ての人達が、おもに伝道に時間を尽くすよう、聖なる圧迫感を保っていく。(John R. Rice, D.D., Why Our Churches Do Not Win Souls, Sword of the Lord Publishers, 1966, p, 152)           

なお、気をつけて見てください。 自分の仕事に熱心に励んでいる人は、教会から伝道に出るときも一所懸命に励んでいます―このようなことに“堅く立って”そして“動かされない”―安定した働き手であるクリスチャンは-人生で大いに成功するでしょう! 成功しないことがあるでしょうか! その人は、他の人達が遊んでいる間仕事に励んでいます。 その人は、他の人達がテレビの暴力番組やビデオゲームで頭をつかっているとき、伝道に出かけます。 その人は“動かされない”のです。 そして、他の人達はある教会からある教会へと移り、離婚をし、ある場所からある場所へと引越しを繰り返すのです! この人のような堅実な働き手が失敗することがあるのでしょうか? その人は、物貰いのいる、ビデオ漬けされた、麻薬中毒者のいる、冗談半分で生きている人の多いい社会で、大いに成功するでしょう!

“まず神の国と神の義とを求めなさい。 そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。”(マタイによる福音書第6章33節)

それはキリストを求めることから始まります。 もし、キリストを知ることなくして、仕事に励むのであれば、他の者と同様な失敗者になるだけでしょう。 あなたは、イエスが次のように話された若い資産家のように、最初の段階から失敗するでしょう。

まず神の国と神の義とを求めなさい。・・・”(マタイによる福音書第6章33節)

“心をいれかえて・・・、天国にはいることはできないであろう。”(マタイによる福音書第18章3節)

分かりますか、キリストは単にあなた方に“労働倫理”を教えに来られたのではありません。 彼は、あなた方の罪の贖いの為に十字架で亡くなられるために来たのです。 彼は、あなた方を罪から清めるために、ご自身の御血を流されました。 彼は死から肉体的によみがえり、天におられる神の右座に上られました。

あなた方はキリストに来なければなりません。 あなた方は改心しなければなりません。 それが、クリスチャンの人生を送り始める道なのです。 それが、この地上においてだけでなく、永遠によりよい人生を送り始める道なのです!

“まず神の国と神の義とを求めなさい。 そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。”(マタイによる福音書第6章33節)

このローカル教会で交友を始め、伝道に出かけなさい。 学業や仕事に励みなさい。 キリストとの改心の体験をもって救いを見出しなさい。 結果として、あなたは人よりも秀でるでしょう。 そして、この世の人生並びに次の世界で繁栄をもたらすでしょう。

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医学博士による説教前の聖書の朗読:
マタイによる福音書第6章25‐33節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏 (Mr. Benjamin Kincaid Griffith)
による説教前の独唱: “Seek Ye First the Kingdom of God”


要 綱

いかに成功するか! 何を聖書では教えているか!

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著


“まず神の国と神の義とを求めなさい。 そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。”(マタイによる福音書第6章33節)

(マタイによる福音書第18章3節:ルカによる福音書第13章24節)

I.   最初に、神の国を求める人達は勤勉になる。
テサロニケ人への第二の手紙第3章10節(cf.創世記第2章
15,16節; 第3章17‐19節;ヨハネの黙示録第22章3節);
テサロニケ人への第二の手紙第3章12節。

II.  次に、神の国を求める人達は安定した人となるであろう。
コリント人への第一の手紙第15章58節;
cf.マタイによる福音書第28章19‐20節。