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世の終り R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著 THE END OF THE WORLD |
A sermon preached on Lord’s Day Morning, August 6, 2006 “「どうぞお話しください。 いつ、そんなことが起るのでしょうか。 あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。”(マタイによる福音書第24章3節) ある日の午後、いつものように私はジムに水泳に行きました。 ヘスボラがロケットでイスラエルを攻撃した日でした。 その出来事は、新聞の第一面に載りました。 私がジムに入っていくとき、よく知っている人に出くわしました。 “どうなるのだろか?”、と私は尋ねました。 私は一般的な意味合いでそう聞いたのですが、彼は、“世界の終焉が来たようだ”、と答えました。 この男性は、福音伝道主義クリスチャンではありません-しかし、世界の出来事は彼にとって、そして多くの人にとって、完全に手に負えないものになってしまったようです。 ニュースでは、次から次えとこのような怖い出来事が報道されています。 私はジムで話しをしてみると、多くの人達はこの男性のように、“世界の終焉が来たようだ”、と言っていました。 それはまた、使徒たちにも興味のあったことでした。 彼らはイエスと一緒にオリーブ山の頂に立ち、エルサレム市街を見渡していました。 すると、彼らはイエスに振り向き、彼に尋ねたのです。 “あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか。”(マタイによる福音書第24章3節) 私は、皆さんとご一緒にその質問についてちょっと考えてみたいと思います。 そして、イエスがどのようにそれに答えられたのかを考察してみましょう。 Ⅰ 最初に、この世は終わるでしょう。 使徒がイエスに次のことを尋ねられた時、 “あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか。” キリストは、聖書を通して教えられている歴史について、基本的な見解を彼らに教示しました―すなわち、この世には始めがあり、そして終わりがある、ということです。 そのことは、キリスト教をヒンズー教や仏教と際立たせる違いなのです。 これらの宗教は、歴史はサイクル的で、始めがなく終わりもない円の中で起こっている、と教えます。 しかし、聖書は私達に、歴史はリニア的で、明確な始めと終わりを持つ直線の中で起こっている、と教えています。 聖書は、次のように言っています。 “はじめに神は天と地とを創造された。”(創世記第1章1節) 不朽の神が、この地球をも含む宇宙を創造された時、明確な始めがありました。 聖書はまた明確な終わりがあることも教えています。 聖書は次のように語っています。 “しかし、主の日は盗人のように襲って来る。 その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。”(ペテロの第二の手紙第3章10節) この世は、正確な始めがありました。そして、明確な終わりがあります。 それが、聖書的な歴史の見方です。 そして、それがキリストが、次のような言われた時、私達に教えたかったことなのです。 “そしてそれから最後が来るのである。”(マタイによる福音書第24章14節) マチュー・ヘンリーは次のように言っています。 この世は、神の選民がまだ呼ばわれていない間は、存続するであろう。 しかし、彼らすべてが召された時、この世は火炎の中に放置されるのである・・・(Matthew Henry’s Commentary on the Whole Bible, Hendrickson Publishers, 1996 reprint, vol. 5, p. 285). “あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか。”(マタイによる福音書第24章3節) 私達の主イエス・キリストによれば、私達が知っているこの世は、明確な終焉があります。 それは、14節で彼が言っているように、 “そしてそれから最後が来るのである。”(マタイによる福音書第24章14節) Ⅱ 次に、終わりに近づいている前兆が多くあります。 彼らはイエスにその前兆を尋ねました。 彼らにその前兆を一つ教えるのではなく、多くの、特に4節から14節を通して、前兆を与えました。 スコフィールド・スタディー・バイブルは、きわめて正確に言っています。 4節から14節は、二通りの解釈ができる。 (1)その時代の特徴―すなわち、戦争、国際的な争い、飢饉、流行病、迫害、そして偽のキリスト・・・(2)しかし、その同じ答えは、時代の終焉ということに、明確な方法でもって応用される。・・・その時代を特徴づける全てのものは、終焉時には、ものすごい強烈さの中に集められるのである。(The Scofield Study Bible, Oxford University Press, 1917, note on Matthew 24:3). 4節から14節で、イエスはそれらの前兆を与えられました。 今日の世の中を見てみると、それらの前兆をすべて身近に私達は見ます。 彼は、惑わしについて語りました。 “人に惑わされないように気をつけなさい。”(マタイによる福音書 第24章4節) 今日、精神的惑わしが顕著にみられます。 もっともひどい惑わしの一つに“決断主義”がある、と私は信じます。 それは、あなたは“キリストのために決断”ができ、この人的行動が、あなたを救うということです。 それ以上にひどい惑わしを私は知りません。 救いとは、人的決断という何かよいことをして、あなたが得られる、というものではないのです! 救いはギフトなのです。 聖書は次のように語っています。 “あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことをも賜っている。”(ピリピ人への手紙第1章29節) キリストは、“信仰の導き手であり・・・”(ヘブル人への手紙第12章2節)、 “わたしたちの行った義のわざ「人の‘決断’という類」によってではなく、ただ神のあわれみによって、・・・わたしたちは救われたのである。”(テトス第3章5節) “彼がわたしたちをお救いになった。”(テトス第3章5節) 私達は自分達を救わなかった、もしくは、私達の救いに対して、何ら寄与はしなかった。“彼がわたしたちをお救いになった。”(テトス第3章5節) そのことは真実です。 “人に惑わされないように気をつけなさい。”(マタイによる福音書第24章4節) それから、彼は5節で偽キリストについて話しました。 “多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。”(マタイによる福音書第24章5節) マチュー・ヘンリーは次のように言いました。 サタンは弱みをついて彼らに押し付ける。 すなわち、彼らは言うであろう。“見よ、ここにキリストがいる。”、あるいは、“そこにいる”、と。 しかし、それらに気にかけるな(同書) マチュー・ヘンリーが暗示したように、“(キリストの)名で、やって来て、自分はキリストである。”と言うような者は、最初からして、サタンに送られた悪魔であると私は信じます。 これらの悪魔は、自分達はキリストである、と言い、多くの人達は彼らを信じるのです。 彼らはキリストの名でやって来て、“自分がキリストであると言い、多くの人達を惑わすであろう。” 今日、多くの人達は、彼らが“感じる”“聖霊”がキリストであると考えています。 これは、サタンの惑わしです。 多くの人達は、キリストは自分達のこころの中にいる、と言っています。 しかし、聖書は明白に、彼(キリスト)は霊ではないと 言っています。 キリストが死からよみがえった後、彼はこう言いました。 “さわって見なさい。 霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ。”(ルカによる福音書第24章39節) そして、その“同じイエス”が“天に”上げられた。(使徒行伝第1章11節) “天にあげられ、神の右にすわられた。”(マルコによる福音書第 16章19節) “上にあるものを求めなさい。 そこではキリストが神の右に座しておられるのである。 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。”(コロサイ人への手紙第3章1‐2節) 唯一本当のキリストだけが、肉や骨があるよみがえられたキリストで、天で神の右に座しておられます! 他のすべてのものは、偽ったキリストなのです。 それから、キリストは世界的なテロリズムと戦争について、6節から8節にかけて語っています。 起立してこれらの節を声を上げて読んでください。 “また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。 注意していなさい。 あわててはいけない。 それは起こらねばならないが、まだ終りではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。 またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。”(マタイによる福音書第24章6‐8節) 着席してください。 これは、世界的な動揺、飢饉、疫病、地震、テロリズム、そして戦争について話しています。 これは、新聞の第一面のニュース、もしくは晩のテレビのニュース番組の“トップ記事”のようです。 “すべてこれらは産みの苦しみの初めである。”(マタイによる福音書第 24 章 8節) “苦しみ”という言葉は、言語のギリシャ語で、“赤ちゃんを産むときの激痛”を意味します。 飢饉、地震、流行病、そして戦争は、キリストがご自身の千年王国を築くために戻られる前に来る、“赤ちゃんを産むときの激痛”のようなものであります。 Ⅲ 三番目に、本当に改心した者だけが最後まで耐えられます。 9節から12節は、クリスチャンに対するこの世からの憎悪が書かれています。 歴史を見れば、このことが真実であることが分かります。 しかし、この時代が終焉に近づくことにより、それは頂点に達します。 起立をして9節から13節を声を上げて読んでください。 “そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。”(マタイによる福音書第24章9‐13節) 着席してください。 これら五つの節は、増加したキリスト教に対する憎悪は、この世の終わりには、世界中に広まることを示しています。 イエスはこう言いました、“またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。”(マタイによる福音書第24章)。 私達の時代でも、これは文字どおり真実であると言えます。 インドネシア、東南アジア、アフリカの一部諸国、中国、北朝鮮、イスラム教諸国-そして、他の世界中の諸国では、クリスチャンは、憎まれた少数グループなのです。 ここ西洋諸国、米国、英国、そしてヨーロッパ諸国でも、本当のクリスチャンは、大学のクラスルームで卑下され、仕事場においても、偏見な目で見られ、迫害を受けていることに気づくのです。 私のこれまでの人生において、今日の世界的なキリスト教迫害をいままでに経験したことはありません。 それはまさにクリスチャンにとって、“批判される時期”なのかもしれません。 世界は、“偏見のない”世の中、そして、“多様性”の必要を語るかもしれませんが、聖書を信じるクリスチャンのことになると、彼らは、自分達が声高に言っている美辞麗句を忘れ、クリスチャンを-しばしば、かなり意地悪く―米国や西洋諸国でも、攻撃するのです。 “政治的に正しく”排斥してよい唯一のグループは、クリスチャンのように見えます。 今日、このクリスチャンに対する偏見は、世界中で広がっているように見えます。 毎週刷新される世界中のクリスチャンの迫害に関して、ウェブサイトの“The Voice of the Martyrs” at www.persecution.com しかし、イエスは私達にすばらしい約束をされました。 “しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。”(マタイによる福音書 第24章13節) ジョン・マッカーサー博士(Dr. John MacArthur)は、キリストの血については間違った見解をもっていますが、この節について正確に語っています。 これは、われわれの忍耐は、われわれの救いを保証「獲得」するものではない。 聖書はすべてのところで正確にその反対を教えている。 本当の信者は、“神の御力に守られている。”(ペテロの第一の手紙第1章5節) われわれの忍耐の保証は、新しい契約の中に設けられている。・・・キリストから離れ去る人達は、最初の段階からして、彼らは決して改心していなかったことの確固たる証拠を示しているのである。(The MacArthur Study Bible, Word Bibles, 1997, note on Matthew 24:13, p. 1439) この世の霊の中にあり、キリストにある信仰を手放す人達は、ルカによる福音書第8章13節に描写されています。 “御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試練の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。”(ルカによる福音書第8章13節) 彼らはキリストにあって、本当に根が張って地面についたのではありません―本当に改心したのではありません。 それが、試練と“困難や迫害が起ってくると”(マタイによる福音書第13章21節)、彼らはキリストと教会から離れ去る理由です。 彼らは辛抱せずに離れ去ってしまうのです。 ですから、迫害は誰が本当のクリスチャンで、誰がそうでないかを証明するのです。 私達は、それを迫害の下にある中国や多くの他の場所で、しばしばみます。 これにより、イエスの言葉は、私達にとって希望となるのです。 イエスはこう語られました。 “最後まで耐え忍ぶ者は救われる。” イエスは、実際に何か希望となるものを私達に語られました。 本当の改心者は、最後まで耐え忍びます。 なぜなら、彼は、“神の御力に守られている”(ペテロの第一の手紙第1章5節)ので。 事実、キリストによって預言された悪の時代には、本当の改心者だけが、最後まで耐え忍ぶことのできる力を神から与えられるのです! “神の御力に守られている。”(ペテロの第一の手紙第1章5節) 今日、ちょっとした不便さや計画の変更で、多くの人は教会に行くことを止め、信仰から離れます。 将来の困難な日々に、彼らはすばやく背を教会とイエスに向けます。 しかし、本当の改心者は最後まで耐え忍びます。 なぜなら、“神の御力に守られている”からです。 家庭で、教会で、そして世の中の自分の回りで、どんなに悪いことが起こっても、その人は留まるでしょう。 “堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。”(コリント人への第一の手紙第15章58節) なぜなら、彼は“神の御力に守られている”からです! アーメン! そして、ハレルヤ! Ⅳ 最後に、本当の改心者は福音を広めるこころを持つでしょう。 14節を見てください。 それは、偉大な勝利の節です。 起立してそれを声を上げて読んでみましょう。 “そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。 そしてそれから最後が来るのである。”(マタイによる福音書第24章14節) 着席してください。 それは、私達が知っているように世界の終焉に近づいていることを示すもう一つの前兆です。 教会の崩壊の最中、失われた世界からの迫害の中にあっても、多くの熱心な若者達は、“全世界に”キリストの救いの知らせを今この時に広めているのです! 私達の教会にいる20人ほどの若者達は、他の人達と一緒に、人々を教会に招待し、福音の言葉を聴いてもらおうと、伝道に出かけます。 今朝ここにいる多くの人達は、初めて今日ここにいます。 なぜなら誰かがあなたをここに連れてきたからです。 そのことは、たとえ差し迫った審判が下されようとするこの時において、世界中の熱心な若者達についても言えることです。 私達の若者の一人が、先週かなり腕利きの弁護士と昼食をとる機会がありました。 その弁護士は、その若者のキャリアを助ける地位にあります。 彼は大学を卒業したばかりです。 しかし、昼食の最後に、その若者はその弁護士にキリスト教を擁護する本をプレゼントしました。 かれにとって、そうするには勇気のいることでした。 14節で語られている精神でもって、そうしました。 “そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。 そしてそれから最後が来るのである。”(マタイによる福音書第24章14節) 私達すべては、イエスの言いつけに従う時に、その勇気が必要なのです。 “道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。”(ルカによる福音書第14章23節) それが、私達が今朝あなた方を、教会に連れて来て福音の言葉を聞いてもらうために招待をした理由です。 私達はモールや大学のキャンパス、そしてこの街の通りへ出て行き、キリスト・イエスの不思議な豊かさを説く説教を聞いてもらうために、あなた方を招待したのです。 彼は、あなたの罪のすべての罰を払うために十字架に行きました。 彼は身体的に死からよみがえり、天に上げられました。 そこでは、彼は神の右座にすわり、あなたの救いを祈っています。 シンプルな信仰でもってイエスに来なさい。 そうするには勇気が必要です。 弁護士にキリスト教についての本を与えたあの若者のように、恐れを乗り越えなさい。 それは本当に勇気がいることです。 私は、イエス・キリストその人に来る勇気を、あなたが持つようにお願いしています。 信仰でもってキリストを信頼しなさい。 そして、救われなさい―今そして永遠に。 そのために、私達はこう言っています。 “なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい! なぜ失われているのですか? 神の一人子であるイエス・キリストに来なさい!” 彼は、今あなたをお救いになるでしょう。 そして、あなたは永遠に、“神の御力に守られている”(ペテロの第一の手紙第1章5節)のです。 これらの悪に満ちた日々において、なんというすばらしい約束なのでしょうか! アーメン! |
(説教終了)
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クレイトン L. チャン医学博士による説教前の聖書の朗読:
テモテへの第二の手紙第3章1-5節
要 綱 世の終り R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著 |
“「どうぞお話しください。 いつ、そんなことが起るのでしょうか。 あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。”(マタイによる福音書第24章3節) I. 最初に、この世は終わるでしょう。
II. 次に、終わりに近づいている前兆が多くあります。 III. 三番目に、本当に改心した者だけが最後まで耐えられます。 IV. 最後に、本当の改心者は福音を広めるこころを持つでしょう。
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