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われら小数もの! われら兄弟の集い!

R. L. ハイマース Jr. 神学博士 著

WE FEW! WE BAND OF BROTHERS!
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会に於いて
2005年10月16日、主の日の朝に説かれた説教

A sermon preached on Lord’s Day Morning, October 16, 2005
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

『招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない』
(マタイによる福音書第22章14節)


 高校時代の私は成績がとても悪かったです。 大学でもやっと勉強に打ち込み成績が上がる前は落第もしました。 今でもその頃味わった恐怖感を私は覚えています。 若い頃に味わった恐怖感を覚えていることは、私達にとって良いことだと思います。 それらの恐怖感を思い起こすことは、私達を謙虚にさせ、感謝の念を起こさせます。 私は学校が怖かったことを覚えています。 あなた方の中でそのような恐怖感、大学のクラスをとる恐怖、を経験した人がいるでしょうか。 そのような恐怖感を味わった経験をもつ人がいるかもしれませんし、いないかもしれません。 いずれにせよ、認める認めないは別にして、あなた方の多くの人は私が言おうとしていることは分かっていると思います。

 今朝、この教会には多くの大学に通う年代の学生でいっぱいです。 あなた方の中には、初めてのクラスにいく途中、そのクラスは自分にとって難しすぎるのでは、と手が汗ばんだり、口が少し渇いたりした経験をもつ人がいますか。 この経験は、1964年の秋ロスアンゼルス市立大学でクラスをとった最初の夜に私が経験したものです。 そのクラスは今ならちょうど「英語101」のクラスでしょうか。 あるいは、出来る学生にすれば、簡単すぎる英語クラス、とでも言うのでしょうか。  言うまでもなく、私は出来のよい学生では なかった ので、怖かったです。 ずいぶん昔の事ですが、今でもそのときの恐怖感を覚えている事は、私にとって良かったと思います。 なぜなら、あなた方が初めてこの教会に来たときに持ったであろうフィーリング、を私は理解できるからです。 私も初めてバプテストの教会に行ったときは同じように怖かったです。 きちんと賛美歌の歌い方を私は知らなかったです。 聖書の章も探せられなかったり、何をして良いのかも私は分からなかったです。 正直言って、あの教会へ行くこと自体、多少なりとも怖かったし、私を不安にもさせました。

あなた方の多くの若い人達は、この教会に来たのは今朝が初めてでしょう。 また、ある人達はまだ来始めて間もないことでしょうから、私は次の数分間をつかって大変簡単な方法で、あなた方はこの教会で何を体験し、あなた方に何が起ころうとしているのかを説明しましょう。 私がこれから話すことを「キリスト教101」とでも呼ぶのでしょうか。 なぜなら、あなた方がおそらく今疑問に思っている3つの点を取り上げ、私は聖書の一節を通してそれに答えようと思うからです。 これはあなた方が尋ねるかもしれない3つの素朴な質問に答えるでしょう。 その一節は私達のテキストである、マタイの福音書第22章14節です。

『招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない』(マタイによる福音書第22章14節)

第1の質問:あなた方は何故今日ここにいるのか。

その答えはテキストの最初の言葉にあります。 『招かれる者は多いが、・・・・・』とあるように、まさにその通りでしょう。 私達は二、三日前に電話であなた方を 招き 教会に招待しました。 どうです、まさにその通リでしょう。 私達は電話で 招き ました。 『招かれる者は多いが、・・・・・』とあるように。

いいですか、私達は大学のキャンパスやショッピングモールそして通りに出て、あなた方を招待し、あなた方は名前と電話番号をくれました。 そして、あなた方に電話をし今朝ここで何が起こるのかを話しました。 電話をかけた人達は、グリフィス氏が歌う事や、私が話をすることなどを説明しました。 また、二階でメンバーの誕生パーティーがあることも話しました。 私達はあなた方を招待しました。 そして、あなた方の承諾を得た上で車を送りここに私達と一緒に来てもらいました。 あなた方はここにいるじゃないですか。 そんなに単純なことです。

『招かれる者は多いが、・・・・・』(マタイによる福音書第22章14節)

さて、なぜ私達はそうしたのか不思議に思うでしょう。 なぜそこまでしてまでも私達は あなた方 をここに招待するのかと疑問に思われるでしょう。 なぜ私は教会にすでに来ている人達だけに話さないのか。 なぜ誕生パーティーを自分達だけでしないのか。 なぜそんなに大騒動をしてまでもあなた方を私達と一緒に招待するのか。 的を射た疑問で、答えられるべき質問ですね。 その答えは全く簡単なことです。 イエス様があなた方を招くように言われたので、私達はあなた方を招きました。 『彼が言ったのですか。 どのように彼が言ったのですか』、と思うでしょう。 それはですね、イエス様はあなた方を招待するように聖書の中で言いました。 第9節を見てください。 一緒に立って第9節を声を上げて読んでみましょう。 読む前に、これはイエス様が私達に言われたことであることを覚えておいてください。 今それを読みましょう。

『だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』 (マタイによる福音書第22章9節)

着席してください。

そう、これはイエス様が言われたことです。 イエス様が言われたのであなた方を招待したのです。 イエス様は、「町の大通リ」あるいは通リに出て行きなさい、と言われました。 私達がしたのはそのことです。 イエス様は出来るだけ多くの人達を婚宴あるいは宴会に招くように言われました。 私達はそれを行っただけのことです。 今朝ここにあなた方を招待したのはイエス様がそうするように言われたからです。

『招かれる者は多いが、・・・・・』(マタイによる福音書第22章14節)

あなた方は私達が招いたゲストの一人です。 私達はイエス様に従って、あなた方を電話で招き招待しました。 そんなに簡単なことなのです。 イエス様は言われました、

『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい』(ルカによる福音書第14章23節)

そして、私達は言われた通りにしました。 だからあなた方は今朝ここに私達と一緒にいます。 良かったですね。 来て下さってとても嬉しいです。 『でもそれだけじゃないでしょう』、と言われるかもしれませんね。 もちろん、それだけではありません。ではあなた方が疑問に思っている次の質問に移りましょうか。

第2の質問:ここに来たあなた方に対して私達は今何をしようとしているのか。

この質問もテキストの最初の言葉で答えられます。

『招かれる者は多いが、・・・・・』(マタイによる福音書第22章14節)

私達は先週あなた方を 招き あなた方はここに来ました。 あなた方は来たので、来週もまた 招き ます。 私達が電話をする前に、私から手紙と私が書いた『孤独―今日ほとんどの若者達が体験している一番大きな問題』、とタイトルを付けた短い作文を受け取るでしょう。 私からの手紙を読んだ後、あなた方はまた招待の電話をもらいます。 私達が電話をかけるときに何を言うかと言えば、私達のモットーである『どうして寂しくしているのか、来週の日曜日に教会に来なさい』、と言うでしょう。 単純! 簡単! グッド! あなた方をフレンドシップで神様のファミリーにあなた方をお迎えします。

『人がひとりでいるのは良くない』(創世記第2章18節)

寂しさは罪の副産物であり、罪は私達を神から、またお互いを引き離してしまいます。 しかし、神は御自分の御子イエス様をこの世に送られ、この寂しい世界から私達を取り出してくださり、教会であるイエス様のファミリーの中に私達を集めてくださいました。 だからまた電話をします。 私達と是非一緒に来てください。 ここはバプテスト教会です。 これを知っておくことはとても大切なことです。 なぜならバプテストは教会の集会をとても重視しています。 教会は人々の集まりです。 建物ではありません。 教会は建物の中の人々、すなわち私達が教会です。 この点をバプテストは強調しています。 それは正しいことであって、聖書に基づいています。 私達が教会へ行くのではなく、私達が教会なのです。 この集まりにあなた方にも来て欲しいのです。 教会に入会するように言っているのではありません。 強制はしません。 教会に交わらなくて何年もここに来ることも出来ます。 もし入会したいと思われても、イエス様を受け入れた後、洗礼を受けるまで、しばらくトレーニング期間があります。 だから教会に入会するよう勧められる心配はありません。 それは後であなた方が決めることですから。 今はただ私達と教会に来るようお願いしているだけです。 私達はイエス様に従っているだけです。 どうか来週もここにいらしてください。 

第3の質問:あなた方はどのように応ずるのか?

この質問の答えはきょうのテキストの後半にあります。 起立してマタイによる福音書第22章14節を、声を上げて読んでみましょう。

『招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない』(マタイによる福音書第22章14節)

着席してください。

私達の電話の招きにあなた方はどのように応ずるのでしょうか?  招かれる者は多いが選ばれる者は少ないので、あなた方の多くは前向きには応じないことは分かっています。 あなた方は、この教会の神の伝道者を通して神に招かれる人もいるかもしれませんが、多くの人は戻って来ないでしょう。  あなた方は、一、二回もしくはその後数回は来るでしょうが、他の用事ができて来なくなるでしょう。 あなた方は、私達は感じがよく、あなた方に対して友達のように振舞っていることは認めるでしょうが、アメリカの気違いじみた娯楽シーズン『ホリデー』が到来したとき、あなた方は、神よりもこの世のものを欲するでしょう。 そして、もはや強いてまでも教会に戻って来て改宗する理由をあなた方は見出さないでしょう。 あなた方のこころは頑なになり、もう二度と電話をもらいたくなくなるでしょう。 『二度と電話をしてくるな』、と言うかもしれません。 私達はほんとうにあなた方が好きですし、一緒にいてもらいたいので、悲しくなります。 残念なことに、あなた方は本当のクリスチャンになりたいという興味は持たない、と頑なに心に決めるでしょう。 そして、私達が何を言おうとも、物質主義とこの世の欲とを追い求め、神を知らない無意味な生活にもどり、神と神の道、キリストと彼が罪人のために捧げた救いに興味を示さなくなるでしょう。 その悲しい日に、あなた方は 私達 の電話の招きを拒否するだけでなく、神の呼びかけ をも拒否をするのです。 そして、こころの中に、まだかすかに聞こえる神の呼びかけをも聞かなくなるでしょう。 あなた方は、自分のこころの良心を抑え自分自身に対して、「キリストとも教会とも何ら関わりあいたくない」と呟くでしょう。 その悲しい日には、神御自身もあなた方に対して言われるでしょう。

『わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み』(箴言第1章24節)

あなた方は、神に選ばれた数少ない者のカテゴリーではなく、招かれる多くの者のカテゴリーに入れられるでしょう。 私達は、このことがあなた方に起こらない事を望み祈ります。 しかし、キリストが言われたことを知っています。

『招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない』(マタイによる福音書第22章14節)

さて、あなた方はどちらのカテゴリーに属するのか、どのようにわかるのでしょうか。 あなた方は、自分は呼ばわれたがクリスチャンになることを拒む者の一人なのか、あるいは神に選ばれた者の一人なのか。 どのように判断できるのでしょうか。 

その答えは単純明快です(キリスト教101)。 もし、あなた方が、神によって送られた教会の執事もしくはリーダーからかかってくる電話に耳を傾けるのであれば、神に選ばれた者の一人かもしれません。 もし、あなた方がこころの中で、罪の自覚に耳を傾け、神の聖霊に引き寄せられるのであれば、神に選ばれた者の一人であるかもしれません。 もし、6時からの夜の日曜礼拝にも来始めれば、神に選ばれた者の一人かもしれません。 そして、すぐにあなた方は私達と日曜の朝と夜の礼拝に毎週来始めるでしょう。 キリストの福音の光は、あなた方の魂の中で輝き始めるでしょう。 あなた方は、神を知り、赦され、正しくされ、そしてイエス様により、罪の刑罰から救われたいと、思い始めるでしょう。 あなた方は謙虚にされ、罪を悟らされ、その瞬間イエスキリストに来るかもしれません。 神の改宗させる力との一瞬の経験と、神のあなた方への愛を通して、あなた方が生まれ変わり、神のファミリーの一員に迎えられることを、私達は喜ぶでしょう。

しかし現実は、残念ながらこのすばらしい経験はあなた方にけっして起こらないかもしれません。 私達は今までの経験からわかります。 そして聖書はこう言っています。

『招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない』(マタイによる福音書第22章14節)

あなた方は 多い カテゴリーの一人ですか、それとも 少ない カテゴリーの一人ですか。 あなた方は神に呼ばわれ、その呼びかけを拒否するのでしょうか。 そして、最後に神は、

『わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み』(箴言第1章24節)

あるいは、あなた方はただ単に教会に来つづけるだけでなく、見つけるまではイエス様を探し求める、選ばれた数少ないカテゴリーの一人になるのでしょうか。 イエス様はあなた方を愛しておられます。 イエス様はあなた方の魂を罪の裁きから救いたいのです。 イエス様を受け入れませんか。 あるいは、最終的にイエス様を拒絶し、意味のない失われた寂しい生活にもどるのでしょうか。

『招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない』(マタイによる福音書第22章14節)

わかりますか。 イエス様はあなた方を救うために全て必要なことをなさいました。 イエス様はあなた方の罪の裁きを償うために十字架の上で壮絶な死をとげました。 彼が流した血はあなた方のすべての罪を洗い流し、神の記録書からあなた方の罪の記録を消すことができます。 そして、キリストは肉体的に死から甦りました。 彼は天国まで昇られ、神の右座におられ、あなた方が救われ本当のクリスチャンになることを今祈っておられます。

今あなた方に質問があります。 あなた方は呼ばわれたが、キリストを拒絶する一人ですか。 それとも救いのためにキリストに預かる、神に選ばれた者の数少ない幸せな一人ですか。

 神に選ばれた数少ない者のカテゴリーの一人になってもらいたいと思います。 あなた方がイエス様を受け入れ、幸せな神の家に来て私達と一緒にいること、イエス様を受け入れ救われること、そして、すぐに私達と一緒にシェークスピアの、ヘンリー王の従者達のせりふを言えるようになること等を、私達は祈っています。 その引用文を言い換えると、

われら数少ないもの、幸せな数少ないもの
われら兄弟の集い
今日かれがわたしと一緒に(イエスを受け入れ)
わたしの兄弟となるであろう!
(ウィリアムシェークスピア著ヘンリー五世、第4幕)

あなた方がスペイン系であろうと、東洋系であろうと、白人であろうと、黒人であろうと、私達はイエス様と供に次の言葉は真実である、と言えます。

今日かれがわたしと一緒に(イエスを受け入れ) わたしの兄弟そして姉妹となるであろう!

そしてまた、あなた方がカトリック教、仏教、イスラム教、あるいは他の宗教の信仰経歴があろうともこのことであなた方を排斥などしません。 これは、キリストを通しての親交と救いという喜ばしい捧げを止めるものでもありません。

今日かれがわたしと一緒に(イエスを受け入れ) わたしの兄弟そして姉妹となるであろう!

 私達の声と神の呼びかけは今朝あなた方に鳴り響いています。 今夜6時に教会にもどって来て、このキリストにある神の畏敬の探索を始めなさい。 今夜6時には、朝の礼拝とは随分違う夜の礼拝があります。 感謝の祈りのあと直ちに、6時5分前に席に着きます。 食事を供にし、その後、教会のメンバーへの聖晩餐式を執り行います。 これは私達の救い主の十字架に磔になったイエス様の体と流された血を記念するための儀式です。 その聖晩餐式の間メンバーでない人達へ、ケイガン博士の特別クラスがあります。 その後、一階に降り「殉教者の声」作成の新しいビデオ『殉教者の嘆き』を観ます。 このビデオは、スーダン、アフリカ、東南アジア、そしてインドネシアで起こっている、クリスチャン迫害をリポートしています。 このビデオで取り上げている国々のクリスチャンが蒙っている迫害は、あなた方のこころを動かし、キリストに信仰をもつことの意味を示唆するでしょう。 最後に、二階へ上がり誕生パーティーに行きます。 それは大変に興奮させるもので、朝の礼拝とはまったく異なったものです。 今夜6時の仲間との食事、聖晩餐式、新しい人への特別クラス、アフリカ、東南アジア、そしてインドネシアのクリスチャン迫害のビデオ、愛情のこもった説教、最後の恐ろしいほどにおもしろい誕生パーティーの親交をお見逃さないように。 教会に来なさい、今夜それをしなさい!

先週の朝の日曜礼拝に、若い中国系の学生が来ました。 彼は大変朝の礼拝が気に入り、夜の礼拝に戻ってきました。 彼は朝の礼拝以上に夜の礼拝が好きでした! 他の大学に通う年代の若者も夜の礼拝に来て、朝の礼拝より気に入りました。 あなた方もそうなるでしょう!

私が数週間前に作った短い歌はすべてを物語ります。 起立してその歌を一緒に歌いましょう。

 声を十二分に上げて歌いましょう。

大都会の人たちは関心を払わない;
かれらが提供するものはほとんどなく、愛も感じない
しかし、イエス様に来なさい、そしてあなたは気づくでしょう
テーブルには食事があり、友愛がある
教会に来て食事をしなさい、甘い親交のためにより集いましょう
それはちょっとしたおもてなし、食事の席につくとき
   (『晩餐に家に来なさい』ロバート L ハイマース 神学博士作詞、
    『雪のような白い鳩の翼の上に』のメロディーにのせて合唱)

今夜6時に晩餐のために家に来なさい。

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L チャン医師(Dr. K. L. Chan)による説教前の聖書朗読: マタイによる福音書第22章8~14節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏(Mr. Benjamin Kincaid Griffith)による説教前の独唱:

“Softly and Tenderly Jesus is Calling”
      (ウィル L トンプソン, 1847-1909)
“Come and Dine”(チャールズ B ウィドメーヤー, 1884-1974)

要 綱

われら小数もの! われら兄弟の集い!

R. L. ハイマース Jr. 神学博士 著


『招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない』
(マタイによる福音書第22章14節)

I.   第1の質問―あなた方は何故今日ここにいるのか。
マタイによる福音書第22章14節甲;マタイによる福音書第22章9節;
ルカによる福音書第14章23節

II.  第2の質問―ここに来たあなた方に対して私達は今何をしようとしているのか。
マタイによる福音書第22章14節甲;創世記第2章18節

III. 第3の質問―あなた方はどのように応ずるのか。
マタイによる福音書第22章14節乙;箴言第1章24節